7 火を待つ村2
レオニスの依頼から2日後。
遥香とエルダを乗せた馬車は、荒れた街道を激しく揺れながら北へ向かっていた。
「はいやぁぁっ! 行けぇぇぇ!」
御者は鬼のような形相で、馬を煽っている。
(やばい……この御者、絶対スピード狂だ)
遥香は、青い顔で必死に手すりにしがみついていた。
飛び跳ねる度に打ち付けられる尻は、もうとっくに限界を迎えている。
小石を跳ねた瞬間、ガタンッ、と馬車が浮いた。また尻に強烈な痛みが走る。
(もう、軽トラでいい……! 軽トラでいいから、車をくれ!!)
遥香は現代の車の乗り心地に、今ほど感謝したことはない。
そんな地獄のような状況の中、目の前の騎士――副団長直属の補佐官クリスは、なぜか涼しい顔で座っていた。
「もう少しで村に着きます。お二人には早速ですが、患者を見て回って頂きたい」
「もちろんさ!」
エルダは薬草でパンパンになった鞄を握りしめながら、まったく揺れを気にしていない様子で頷いた。
「教会との猶予の時間が限られているので、確率を上げるべく、他にも医師や薬師を手配しています」
――なるほど。“数打ちゃ当たる”理論なのだろう。
そう考えた瞬間、馬車が急に減速した。
御者はムチを下ろし、さっきまでの鬼気迫る様子が嘘のように、人が変わったかのような穏やかな声で言った。
「無事に着きましたよ〜」
(えっ、別人……?)
遥香はその顔を二度見した。
馬車を降りた先に広がっていたのは、昼間だというのに薄暗く、重苦しい空気に包まれた村だった。
粗末な藁葺きの家々が並んでいるが、人の姿はどこにも見当たらない。
村は、異様なほど静まり返っていた。
「どうぞ」
先に降りていたクリスが手を差し出す。 遥香は一瞬ためらった後、その手を借りて地面へと降りた。
村の広場に張られた大きなテントの中は、人々の叫び声や苦しむ声があちらこちらからして、まるで地獄のようだった。
耐え難い臭気が鼻を刺す。
老人や子どもたちまでもが、石畳の上に敷かれた布の上で苦しげに身を横たえていた。
「こちらへ」
案内され、患者の間を進む途中、エルダは騎士に呼ばれて離れていった。
一人残された遥香はある患者の前で足を止めた。
その女性は喉を掻きむしりながら奇声を上げ、遥香を見ると怯えきった目で手を伸ばした。
「ああああ! 悪魔が来る!」
完全に錯乱している。爪が剥がれ血が滲んでもやめようとしない。
辺りには痙攣する者、手足が壊死した者、意味不明な言葉を叫び転げ回る者がずらりと並ぶ。
その数はざっと百二十を超えていた。
壊死した肉特有の匂いが、テント中に満ちていた。
(これは……)
人々が"呪い"だと騒ぎたくなるのもわかるほど、酷い光景だった。
「まず瀉血だ」
すぐ後ろから自信に満ち溢れた声が聞こえてきた。
薄い頭に、恰幅の良い体、たっぷりの髭をたくわえた医者が、隣に居た医者に指示を出していた。
身なりから察するに、高位の医者なのだろう。
助手はメスを取り出し、先程の女性の静脈に当てようとしている。
「まっ、待って下さい」
遥香は思わず声を掛けてしまった。
「なんだ?」
髭の医者がじろりと遥香を睨みつける。
「あ、あの」
心を決めて、遥香は続けた。
「ただでさえ衰弱しているのです。これ以上血液を失うのは危険です」
「なんだと! お前は医者か?」
「いえ、薬剤、薬師です」
「はっ! 薬師の女ふぜいが、出しゃばるな!!」
恰幅の良い医者は怒鳴りつける。
だが、遥香は動じなかった。
三年の薬剤師経験で、威圧的な医者には慣れっこだ。
もがいている女性をちらっと見る。
遥香も引き下がる訳にはいかない。
「意味がないと、言っているんです」
もう一度背筋を伸ばしてはっきりと言った。
「なんだとぉ!!」
激高した医者が遥香に殴りかかる。
遥香はギュッと目をつぶり、歯を食いしばった。
(間違ったことは、言っていない――!)
パシッ、と空気を切る音がした。
しかし痛みは訪れない。
そっと目を開けると、紺色の広い背中が視界を覆っていた。
「何をしている」
低く静かな声が響く。レオニスだった。
「あっ……こ、これはこれは副団長殿。すみません……ですが、この女が治療を止めたのです」
手を取られた医者が慌ててペコペコと頭を下げ、取り繕う。
レオニスがゆっくりと、遥香の方を振り返った。
射抜くような栗色の瞳に、遥香の肩が跳ねる。
(まずい……)
遥香は慌てて、口を開いた。
「血を抜いても、意味がないんです」
遥香が乾いた唇を湿らせ言うと、髭医者がまた噛みついた。
「なんだと!瀉血はいかなる病気においても第一選択だろうが!!」
どう説明すれば良いものかと迷っていると、肩にぽんっと手が置かれた。
「私も、この子の意見に賛成だ」
明るい声だった。
声の主を見る。
あちこちに飛び跳ねた赤髪に、よれよれの白衣、革靴はところどころ擦り切れた男性医師だった。
「ハンス! またお前か、この異端が!!」
知り合いなのであろうか、髭医者が心底嫌そうな顔でその人を睨む。
ハンスと呼ばれた医者はニコニコしながら続ける。
「君は今まで瀉血をして患者が良くなったことがあるかい?」
「ぐっ、だが、瀉血は必要だ!!!」
思い当たる節があったのだろう。
髭医者は怒ってバッグを乱暴に掴むと、どこかへ歩いて行ってしまった。
「すまないね、あいつは上級医で、意見されることに慣れていないんだ」
ハンスが申し訳なさそうに遥香に言う。
遥香は首を横に振る。
治療方針が違う。分かり合うことは難しいのであろう。
(ひとまず、止めることが出来て良かった)
「助けてくれて、ありがとうございました」
遥香は、改めてレオニスとハンスに頭を下げた。
ハンスは軸が曲がったメガネを直しながらにこやかに遥香を見ている。
一方、レオニスはーー
「……後は、頼んだぞ」
淡々とそう言い、騎士たちのもとへ歩き去った。
(あれ? てっきり、怒られると思ったけど……)
遥香が、レオニスが去った方向を見ているとーー
「いやぁ、私は医者の中でははみ出し者でね。あの通り嫌われているのさ」
はははと笑い、ぼさぼさの頭をかきながらハンスが言った。
「あ、さっきは本当にありがとうございました」
遥香が頭を下げると、ハンスは目を細めて言った。
「いいや、私も瀉血は無意味だと思っている。この村は呪いにかかったと言われているが、そんなことあるものか。何か絶対に原因があるはずだ」
一点を見つめて真剣な顔つきでハンスは言う。
こんな考え方の医者もいるのか。
遥香はハンスの横顔を見つめ、心の奥で少しほっとした。
だが、その和やかな空気はすぐに消えた。
赤黒く染まったテントの奥からは、助けを求める声が絶え間なく聞こえてくる。
時間はもうーー残されていない。




