5 締め付けの呪い4
騎士団の行進が遠ざかっても、街のざわめきはしばらく消えなかった。
遥香は人波の隙間から、先ほどの騎士の姿をもう一度探す。だが、整然と進む隊列はすでに角を曲がり、その姿は見えなくなっていた。
「ほら、行くよ」
エルダの声に、遥香ははっとして顔を上げた。
「は、はい」
慌ててその背を追う。
石畳を踏む足音が、次第にいつもの街の音に溶けていく。
「昨日のあの子、良くなってるといいんだけどねえ」
エルダがぽつりと呟いた。背中越しでも心配しているのが分かった。
「あの」
遥香はずっと胸に引っかかっていたことを口にした。
「昨日、あの子のお父さんが、"胸を締め付けられる呪い"をかけられたって、言ってましたけど」
「ああ、ここではおかしな事は全部“魔女のせい”になるんだよ」
エルダは肩をすくめ、どこか諦めたように笑った。
「だから、昨日も……」
遥香は思わず頷いた。
(病気まで、魔女のせいなんて……)
やがて、石壁の質素な家が立ち並ぶ一角に差し掛かった。
その時。
「ドタドタうるさいんだよ!! 静かにしとくれ!」
嗄れた怒鳴り声が通りに響いた。
声の主は、黒い服をまとった老婆だった。
その向かいには、昨日の父親が立っている。
「まったく。病気のままの方が、静かで良かったよ!」
「なんだとっ! この、魔女が!!」
一触即発の雰囲気だ。
「ちょっと!」
エルダが一歩踏み出す。
「……っ!?」
老婆は肩をびくりと揺らし、振り返る。
「な、何だい、あんた」
杖代わりの木の棒を握り直し、警戒するように睨み返す。
「聞いたよ、今の言葉」
エルダは腕を組み、きっぱり言った。
「病気のままの方がいいなんて、冗談でも言うもんじゃない!」
「……ふ、ふん」
老婆は顔を背ける。
「子供のことなんて、知ったこっちゃないよ!」
きつい言葉だ。
——でも。
その目の奥に、ほんのわずかな“寂しさ”が滲んでいることに、遥香は気づいた。
その時。
「だぁれ?」
開いたドアの奥から、子供がひょこっと顔を出した。昨日よりも血色がよく、頬がほんのり赤い。
「……っ!」
父親が慌てる。
「こら、リアム! 中に――」
だがリアムは気にせず、てくてくと老婆の前へ歩いていった。
老婆は、一瞬、固まった。
「……な、なんだい」
「ぼく、リアム!」
満面の笑みで言う。
「きのうね、すっごく苦しかったんだけど、いーっぱい寝たら、楽になったんだよ!」
「……そうかい」
素っ気ない返事。けれど、声の棘は少しだけ丸くなっていた。
リアムは黒い服を見上げ、首をかしげる。
「ねぇ、おばあちゃんは、ひとりぼっちなの?」
――ぴしり。
空気が、凍った。
「リアム、もうあっちに――!」
父親の声を遮るように、老婆が小さく答えた。
「……ひとりさ」
「もう、ずっと……ね」
その声は、怒鳴り声とはまるで違っていた。
「そっかぁ」
リアムは少し考えてから、にこっと笑った。
「じゃあさ、ぼくとおはなししようよ!」
「……は?」
間の抜けた声が漏れる。
「ぼく、もう走らないから!」
胸を張って宣言する。
「うるさくも、しないよ!」
老婆はしばらくリアムを見下ろしていたが――
やがて、ふっと肩の力を抜いた。
「変な子だね」
そう言いながら、口元がわずかに緩む。
「でも、まあ」
杖を石畳に軽く突く。
「少しくらいなら……いいよ」
「ほんと!?」
リアムの顔がぱっと輝く。
「ふん……っ、調子に乗るんじゃないよ」
ぶっきらぼうに言い、老婆は隣の家へ踵を返す。
「おばあちゃーん! またねー!」
リアムは全身で手を振る。
老婆は、一瞬だけ振り返り――ほんの一瞬、照れたように目を伏せ、口元をわずかに震わせた。
「……あたしにも、あんたくらいの孫がいた時があったよ」
その小さな言葉に、遥香の胸がじんわり温かくなった。
父親は、老婆の背中にぽつりと呟いた。
「すまなかった」
遥香は、遠ざかる黒い背中を見つめながら思った。
(呪いをかける“魔女”なんて、いないよね)
残っていたのは、ただ――少し不器用で、少し寂しい、大人の心だった。
振り返ると、リアムはまだ元気にこちらに手を振っていた。
「ありがとー!」
「お大事に」
遥香は小さく手を振り返し、胸の奥で安堵の息を吐いた。
(助けられて、本当によかった)
そのまま、エルダの後を追って路地を離れた。
――だが、遥香はまだ知らない。
******
その夜。
黒い衣に身を包んだ教会の男たちが、無言で路地に現れた。 彼らの視線の先には、昼間リアムと話していた、あの老婆の家がある。
――ドン、ドン。
乱暴に木の扉を叩く。
「“魔女”の嫌疑により、お前を連行する」
静かに扉が開き、老婆が姿を現した。
「……ああ、来ると思ったよ」
老婆は、ぽつりと呟いたが、逃げなかった。 抵抗も、弁明もしない。
ただ一度だけ、通りの向こう――
リアムが住む家の方を、静かに振り返った。
そして、教会の男たちに挟まれ、夜の闇へと消えていった。
翌朝、路地の奥に残っていたのは、誰もいなくなった家と、扉に刻まれたーー
赤い、赤い“魔女の印”だけだった。
そして、その印は昨日まではなかった。




