3 締め付けの呪い2
小屋の中は静まり返っていた。
子供の「ヒュウヒュウ」という呼吸音だけが、響いている。
その沈黙を破るように、遥香はゆっくりと口を開いた。
「呪いじゃなくて、これは病気です」
遥香は、噛み締めるようにもう一度告げた。
「病気、だと……?」
父親の目が怒りで鋭く光る。
「なんだお前は!? まさか、あの女の仲間じゃないだろうな?」
顔を真っ赤にして、男は怒鳴りつけた。
それでも遥香は動じず、淡々と尋ねた。
「お子さんがこうなるのは、夜中や明け方が多くないですか?」
「……」
父親は一瞬、宙を見つめて考え込む。
「……あ、あぁ、そうだ。いつも夜中にこうなるが……」
そして、訝しげな目で遥香を見つめた。
「そういう"病気"なんです」
遥香ははっきりと、言い切った。
どうやら、喘息発作で間違いはなさそうだ。
(問題は、薬だけど……)
ちらり、と遥香は父親を見た。
「呪いじゃないのか? いや、呪いだろ、あの女の……」
父親は、まだ一人で何やら呟いている。
この調子では、薬など持っている訳がない。
(喘息発作の治療は、吸入だけど)
果たして、この世界に存在するのかーー。
(そういえば、この人、薬師って言ってたよね)
子供の背をさすっているエルダを、横目で見る。
小屋を見回すと、棚に無数の薬瓶が置かれていることに気付いた。
可能性は、ゼロじゃない。
「エルダさん! 吸入薬って、ありますか?」
期待を込めて、エルダを見る。
「……きゅ、きゅうに……? 」
エルダは目を丸くして、瞬きを繰り返している。
(うん、なさそうだ)
「あー、その、マオウならあるが……」
エルダが顎に手を当て、考えるように言った。
「えーと、ここ、だったか?」
エルダはゴソゴソと棚の奥を探り、大きな瓶を取り出した。中には、褐色の薬草が入っている。
「麻黄……!」
(気管支を広げる、咳止めーー!)
即効性は弱い。でも、今はこれに頼るしかない。
「やかん、ありますか!?」
エルダが差し出した鉄のやかんに水を張り、火にかける。
麻黄を入れると、ほのかに甘い香りが立ち上った。
「お父さん! お子さんの体重は何キロですか?」
「たい、じゅ? なんだ、それは?」
父親は首をかしげ、眉を顰める。
「……いえ、すみません。じゃあ、お子さんの年齢は?」
遥香は気を取り直して、年齢を聞く。
父親は、子供の身体を見てしばらく考え込んでから言った。
「多分……5歳か、6歳、か?」
(……体重はともかく、年齢も分からないの)
ーーいや、今は集中しなければ。
遥香は首を振り、頭の中で、おおよその量を弾き出した。
「歳や重さなんて、薬と関係あるのかい?」
エルダは一人首を傾げている。
「できました!」
遥香は薬を子供に少しずつ、慎重に飲ませた。
(これで、少しは良くなるはず!)
******
しばらくして。
「ヒュウ……」という音は弱まり、子供の呼吸が落ち着いてきた。
「ああ、息が楽そうだ」
父親は子供の手を握り、震える声で言った。
「薬が効いて良かったです。毎日飲ませてあげてください」
遥香がそう言うと、男は涙を流し深々と頭を下げた。
「さっきは、すまなかった……本当にありがとう」
遥香はその言葉に、胸が温かくなった。
(お礼を言われたのなんて、いつぶりだろう)
目の奥がツンと痛んだ。
空き瓶に薬湯を入れ、瓶に目安の線を引こうとした。
……が、ペンがない。
「仕方ない、インクでいくか」
結果。
「なんだこれ!? ミミズがのたくったみたいだねぇ」
エルダは瓶を見て笑う。
「はは……ですよね……」
遥香は苦笑しながら、薬瓶を父親に渡した。
「……あ、ありがとう」
そう言った父親の視線は、完全にミミズ模様に釘付けだった。
「ところで、君は?」
父親は、遥香に尋ねた。
その目からは、疑いが消え、代わりに信頼の色が浮かんでいた。
(な、なんて言えば……)
遥香は固まった。
その瞬間、エルダが遥香の肩を抱き寄せた。
「なぁに、この子は私の妹の娘さ!」
その仕草があまりにも手慣れていたので、男は何の疑いもなく納得した。
小屋の中には、さっきまでの張り詰めた空気が嘘のように、穏やかな夜の気配が戻っていた。
********
その頃。
丘の城の一室。
男は窓から街を見下ろしていた。夕暮れの影が城壁を染め、遠くの街並みを赤黒く包む。
ーーコンコン。
ドアが低く鳴った。
敬礼しながら、男の部下が入ってくる。
「報告します。本日昼頃、街で騒ぎがありました」
男は振り返らず、低く淡々と問いかける。
「……何があった?」
部下は言葉を選び、声を落とした。
「魔女が、現れたそうです」
その言葉に、男はゆっくりと振り向いた。
夕陽が横顔を赤く染める。
「魔女、だと……?」
「はい。死にかけた者を、触れただけで治したようです」
沈黙が部屋を満たした。
男はしばらく黙った後、窓の外に目を戻した。
そして、静かに、しかし確かに命令を口にする。
「……その女を、探し出せ」
「本物なら……」
その呟きは、誰にも聞こえなかった。
やがて夜の帳が下り、城の影が街を覆った。
その命令が、ひとりの薬剤師の運命を大きく狂わせるとも知らずに。




