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火刑台の薬剤師 〜異世界で魔女にされた病院薬剤師は、薬学で呪いを解く  作者: 大棗ナツメ
第1章

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19 血の伯爵夫人6

 

 幼い頃から、マリーの日常には暴力がつきものだった。


 彼女の生家では、ミスをした使用人が殴られるのは日常茶飯事であったし、

 若干5歳で彼女は魔女裁判の公開処刑を“見世物”として見せられた。


 父は、屋敷の中で気に入った使用人に手を出すような人物だった。

 偶然、彼女がその場面を目にしてしまったことも一度や二度ではない。


 そんな父だが、マリーにだけは優しかった。

 だが、母には冷酷で――

 母はいつも、誰にも見られぬ場所で一人、泣いていた。


 十八歳で結婚し、ようやく手に入れた穏やかな日々。

 しかし、それも九年だけだった。

 愛する夫は病に倒れ、マリーは再び一人になった。


 広すぎる城で、一人、彼女はこう考えた。


 ――あの頃、救えなかった人たちを。

 今度こそ、救えないだろうか、と。



 ******



「奥様っ!」

 侍女の声に、マリーはゆっくりと目を開けた。

わたくし……」

「大丈夫ですか? 苦しいところはありませんか?」

 遥香が身を屈めて問いかける。


「ええ……大丈夫」

 マリーは体を起こすとかすかに微笑んだ。

 遥香は言葉を選びながら、こう告げた。

「落ち着いて、聞いてください。恐らく、マリーさんは……毒に侵されています」


「ああ、やはりそうですか」

 マリーは驚くこともなく、ただ静かにそう答えた。

 どこか――覚悟していたような声音だった。


 遥香はマリーの手元に視線を落とす。

 美しく整えられた爪。その一本にだけ、長い白い線が走っている。


(これは、恐らく)

 ーーヒ素によるものだ。


 *******


 マリーは自室で静かに眠っていた。

 遥香は、眼鏡の侍女と共に付き添っている。


「私はソフィと申します。結婚の際に、奥様と一緒にこちらへ参りました」

「ソフィさん……何か、心当たりはありませんか?」


 ヒ素中毒は、長期間摂取することで起きる。

 つまり――日常のどこかに、毒がある。


 ソフィは、迷いなく答えた。

「奥様の財産を狙う者が、盛ったのでしょう」


(……もしかしたら、犯人が分かってるのかも)

 先程のマリーの様子を思い出す。


 遥香がそう考えていると、ソフィがぼそっと呟いた。

「亡くなった旦那様の叔母様が、時折ワインを持って様子を見に来て下さいます」


「叔母さんが……?」

 遥香は、ぽつりと繰り返した。

 ソフィによると、数いる親戚の中で、唯一マリーに優しく接してくれる人物のようだった。

(断定はできないけど、調べてみよう)


「これで、いいのか?」

 レオニスが差し出したのは、銀色に輝く杯だった。

「ありがとうございます」

 遥香は受け取りながら心の中で考える。


(この時代のヒ素には、不純物が混ざる。ならば――)

 叔母から贈られたというワインを銀杯に注ぐ。

 だが、銀は変色せず、そのままの色を保っていた。


 もしヒ素が混入していれば、不純物と反応して銀は黒く変色するはずだった。


「……ワインではなさそうですね」

 遥香は肩を落とした。


 だが顔を上げ、静かに断言する。

「犯人は城内にいます。銀器で判定できることを知られれば、毒を盛るのをやめるかもしれません。だから――」


「分かった」

 レオニスは即座に頷いた。

 余計な説明は必要なかった。


 そして城にあるすべての器は、誰の目にも知られることなく――銀器へとすり替えられた。


 ********


 翌朝。

 銀器に替えたはずの食器に、ひとつだけ黒い染みが浮かんでいた。

 それはマリーの枕元に置かれた、銀杯だった。


「見つけました」

 そう言うと、遥香は静かにその銀杯を持ち上げ、レオニスに見せた。

 レオニスは無言で頷いた。


 昨夜まではどの銀器にも異変はなかった。

 遥香と騎士団が城を辞して宿屋に帰ってから、毒が盛られたのだ。


 ーーそれならば、考えがある。


 ********


 その夜。

 伯爵夫人マリーはベッドに腰掛け本を読んでいた。そこへ、一人の侍女がワインを運んで来た。


 就寝前にワインを一杯だけ嗜むのは、彼女の日課であった。

「奥様、どうぞ」

 侍女が盆の上のワインを差し出す。

 マリーは礼を言い、ワインを受け取ると、口を付けようとした。


 ーーその時


「伯爵婦人っ!」

 寝室のカーテンの裏から、何者かが転がるようにして出て来た。


 その瞬間、部屋の空気が張りつめ、時間が止まったかのように静まり返った。

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