16 血の伯爵夫人3
そのタイミングで、クリスが戻ってきた。
「どうやら、どこで聞いても同じ話ですね」
町は、その噂で持ちきりだった。
町外れへ向かうにつれ、人通りは減り、代わりに木々が増えていく。
やがて、小さな丘の麓に――それはあった。
「あれ、ですよね」
石を無理やり積み上げたような、奇妙な建物が見えた。
屋根は歪み、壁にはチョークで描かれた意味不明な図形や文字。
「うわ、近寄りがたいですね」
クリスがぽつりと呟いた。
「ですね……」
遥香も隣で小さく頷く。
人を寄せ付けない空気が、はっきりと漂っている。
それでも煙突からは、くゆりと煙が立ち上っていた。
「在宅、してますね」
遥香はごくりと唾を飲み、扉の前へ。
「ごめんください」
ーーバーン!!
「ひゃっ!?」
勢いよく扉が開き、遥香は思わず後ずさる。
現れたのは、想像していた“偏屈な老錬金術師”とは、まるで違う人物だった。
(え、この人が、錬金術師!?)
年の頃は三十半ば。金色の髪は無造作に伸び、後ろでざっくりと束ねられている。顎には無精ひげが生え、胸元の大きく開いたシャツからは肌が覗いていた。
「お、かーわいいお客さん」
開口一番、それである。
だが、軽い口調とは裏腹に、男の瞳は遥香をじっと値踏みしていた。
「ま、どうぞー」
そう言われ、男の背中に続いて中へ入る。
「あっ、危ないもんには触んないでね〜。爆発するから」
怖いことを軽く言う。
遥香は部屋のあちこちに転がっているガラス瓶を蹴らないよう、慎重に足を進めた。
「で、何の用?」
男は壁にもたれ腕を組みながら尋ねた。
「あの、錬金術に興味があって……」
遥香がそう言うと、男はすぐに食いついた。
「へぇ、黄金が欲しい? それとも、銀?」
一歩、距離を詰めてくる。
「名前は?」
「えと、桐谷遥香です」
「いい名前。遥香チャンね。俺は――ロイ」
長い前髪の間から、水色の目が遥香にウィンクする。
(なんか、チャラいな……)
「で、遥香チャン。カネは持ってんの?」
「えっ、お、お金!? いえ、あまり……」
財布を確認すると、銅貨が数枚だけ。
ロイはそれを見て、大きくため息をついた。
「はぁ、普段はカネ取るんだけどな」
しばし考え込み、やがて肩をすくめる。
「ま、いっか、錬金術に興味があるんだろ? 特別に見せてやるよ」
そう言うと、ロイは気怠げに小瓶を取り出した。
「銀でいくか」
呟くと、彼は坩堝に小さな玉を入れ、液体を注いだ。
透明な液は瞬く間に青く反応し、玉は銀色に輝き出した。
ロイは指で銀の玉をつまみ、遥香とクリスに見せる。
「はい、銀の出来上がり」
「うわぁっ!」
クリスは後ろでパチパチと手を叩き、声をあげた。
「……え、それ、銀じゃないですよね?」
遥香は、玉を指さしてそう言う。
ロイは軽く笑う。
「へえ? 偽物だと?」
遥香はこくり、と頷くと続けた。
「安価な銅の玉に銀イオンを触れさせて、表面だけ銀が析出しているだけです。中身は銅です」
その言葉に、場が一瞬静まり返った。
ロイは固まっていたが、すぐに笑いを取り戻す。
「なるほど、ね」
顔は笑っているが、その目は全く笑っていない。
「もしかして、あんた、錬金術師か?」
鋭い瞳で遥香を観察するように見る。
「いえ、薬剤師です」
「……ほう?」
ロイは眉を上げる。
「これを見抜いたのは、あんたが初めてだよ」
そう言うと、ロイは肩をすくめ、あっさり認める。
「馬鹿な金持ち共とは、違う……か」
小さく笑いながら、銀の玉をテーブルに転がした。
ころりと玉が転がる。
先ほどまでの軽い雰囲気は消え、ロイの表情が一変した。
「あの……?」
「これは、カネに汚い奴らを引っ掛ける為の術だよ」
ロイは吐き捨てるように、早口でそう言った。
「ひ、引っ掛ける?」
「これを見た奴らは、喜んでいくらでもカネを積む」
そう言って、ロイは馬鹿にしたようにふっと鼻を鳴らす。
「カネは無駄に持っていても、仕方がない。俺はただ、カネを循環させてやってるのさ。」
「え?」
遥香は意味が分からず、小さな声を漏らす。
「つまり、金持ちから巻き上げ、必要な所へ回す。俺はそれをやってるだけ」
「えっ!?」
予想外の言葉に、遥香は思わず声を上げた。
ロイは机の上の銀の玉を見つめ、ぽつりと呟く。
「世の中、カネが全てだ」
その言葉には、どこか哀愁が滲んでいた。
遥香は、ロイの横顔をじっと見つめた。軽薄な笑みの奥に、妙に冷めた現実感がある。
カネを信じ、カネに裏切られ、それでもなお回し続ける――そんな生き方が、彼の言葉の端々に滲んでいた。
(これが、錬金術師……)
ロイが銀玉を潰す。中から赤黒い銅が露わになった。
「――本物なんて、最初からないのさ」




