外伝【番外編】銀月の下、マリーとの手合わせ 下
渾身の勝負撃ち。だが、届かなかった。
マリーが短く鋭く吼えると、その身が不自然に沈み込む。まるで瞬時に千貫の重圧をその身に纏ったかのような、圧倒的な質量の爆発。
彼女が踏みしめた足場は、その異常なまでの重量に耐えきれず、轟音と共に泥土や石礫が爆ぜた。それらが盾となり、バリスタの矢に激突してその軌道を無理やり逸らしていく。
三方向からの斉射は、一発がマリーに掠めただけに終わり、それすらも彼女の手によって容易く払い除けられた。
マリーの表情から、静水のような平穏が消える。
その顔は、戦いへの興奮によって徐々に塗り替えられていった。
彼女は半空へと躍り、鷹が獲物を狙うかの如く一撃を繰り出す。
俺は必死に身を翻し、再びその攻撃を回避した。直後、彼女の足が俺の立っていた場所を抉る。衝撃波が第二の地形攻撃を誘発し、応力によって爆ぜた泥石が、まるで飛び道具のように俺を襲った。
俺は瞬時に手を伸ばし、飛来する泥石に指先で触れる。接触した瞬間、それらを『アイテムボックス』へと収納し、すぐさまマリーの周囲に開口部を展開。――「返礼」として、射出した。
予想外の反撃に、マリーの体が泥にまみれる。 ダメージは微々たるものだが、屈辱感は相当なものだろう。
「やってくれるじゃない、レスト。……覚悟はできてるわよね?」
薄笑いを浮かべるマリーが、再び俺の急所を狙って距離を詰める。 俺は彼女が踏み込もうとした足元の地面を、ボックスへと「収納」した。 ――足場が消える。不意を突かれたマリーの体勢が、強者であっても即座に立て直せないほど大きく崩れた。
畳みかけるように、俺は彼女の側面にボックスの開口部を出現させる。内部空間を急速に拡張することで生じる圧倒的な負圧――『真空吸引』だ。 逃れようのない吸引力がマリーの体勢を完全に破壊した。その隙を逃さず、俺は一歩踏み込み、彼女の腹部へと蹴りを叩き込んだ。
最初の一撃に対する、意返しの「一撃」だ。
これこそが、俺の導き出したアイテムボックスの派生応用。
レシナから「ボックスの空間は泡のようなもの」だと聞いた時から、研究を重ねてきた。物の状態を固定して収納するだけでなく、俺は空間そのものを自由に圧縮・拡張できることに気づいたんだ。 先ほどのように開口部を展開すると同時に、内部で空間を急速に膨張させれば、外部の空気は急激に吸い込まれ、真空効果が発生する。
「どう、マリー? これが俺流のアイテムボックスだ」
「魔法じゃないわね……。こんな魔法、見たことも聞いたこともないわ」
初めて目にする未知の手段。マリーは正視せずにはいられない。未だ有効なダメージは与えられていないが、彼女の戦士としての直感が警鐘を鳴らしている。――この手段に捕らわれれば、脱出は困難だと。
「魔法じゃないさ。ただの応用技術だよ」
「……で、これでおしまい? もう十分かしら」
マリーが不敵に笑う。
「並の上位冒険者ならこれで十分でしょうね。でも、私はまだ本気を出してないわよ。……あんたに止められるかしら? 止められなかったら、拳骨を食らわせるわよ!」
マリーから、これまでと比較にならないほどの魔力が溢れ出した。魔力は全身を包み込み、さながら『装甲』のような衣を形成する。 ――なんなんだ、あの変身じみた能力は。
「レスト、覚悟しなさい……よっ!」
『よ』と言い切る前に、彼女はすでに俺の眼前にいた。先ほどとは次元が違う、理不尽なまでの速度。 俺は故技を重ねて彼女の足場を消し去るが、彼女は空を蹴る『空中歩行』を披露し、体勢を一切崩すことなく肉薄してくる。あんなの、あり得ないだろ。
拳の速度が速すぎる。身体能力だけでは回避不能。 俺は背後に『真空の開口部』を出現させ、その吸引力で強引に自分の体を射程圏外へと引き剥がした。 だが、マリーは拳を振るうだけで真空圧を生じさせている。俺の頬が、彼女の拳へと吸い寄せられるようにわずかに吸着された。
――こいつ、マジで俺を殺す気か!? 寸止めって言葉、どこに忘れてきたんだよ!
いいだろう! そこまでやるなら、現時点での俺の唯一の『必殺技』を解禁してやる。 再びマリーの周囲に開口部を展開。だが今度は拡張ではなく、空間を「圧縮」させる。喰らえ、俺の**工業魔法**を!
貯水専用の空間を開放し、急激に加圧。そこから放たれた『工業用ウォーターカッター』が、予測不能な方向から同時にマリーを襲う。 水刀が魔力装甲に接触した瞬間、貫通こそしないものの、装甲がエネルギーの相殺によって激しく削り取られていくのが見て取れた。
「なっ、レスト! これは……何!?」
「ただの水だよ。ちょっと、工夫しただけさ」
マリーの驚愕した表情を見て、少しだけ得意げな気分になる。
「……でも、拳骨は食らいなさい!」
水刀は確かに彼女を驚かせた。だが、致命的なダメージを与えられない以上、彼女の意志を止めることはできない。 今の彼女は、洗車機の中で高圧放水を浴びながら、それでもアクセルをベタ踏みする自動車のようなものだ。運転席のドライバーが止まらない限り、車は突き進んでくる。
回避は間に合わなかった。
マリーの重い一拳が俺の顔面に突き刺さり、俺の意識はそのまま深い闇へと沈んだ。
「……危ないって。何度も言ったでしょ。**残心**よ、残心!」
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