記録5 「いつまでも『局外者』でいるな」――。毒婦マリーの別れの言葉と、俺が世界を旅する理由。
どうも、レストです。異世界人です。異世界生活も十五年、職歷は今年で十年目に入りました。肩書きは冒險者ギルドのB級記録員。どうやら無事に永住権も獲得できたようです。 冒険者ギルドの記録員とは、情熱、熱血、夢、そして希望に満ちた職業です。同じく異世界から来たそこの貴方、私と共に汗を流し、輝かしい未来を築き上げようではありませんか……。
……いつからだろうか、現実に逃避したくなると、こうして奇妙な自己紹介を始めるようになったのは。 人間とは恐ろしい生き物だ。環境に適応してしまえば、辛いとも思わなくなる。
たとえゴブリンのドロリとした返り血を全身に浴びようとも。
たとえ、たった今冒険者の放った矢が膝に当たりそうになろうとも。
俺は、判断能力を失って見境なく遠距離武器を乱射している三人組を守りつつ、ゴブリン・ファイターとの戦闘に割り込み、至近距離からクロスボウでその脳天を射ち抜かなければならない。 そう、これも仕事の一環だ。どんなに無様でも、営業スマイルだけは絶やしてはならない。
「三人とも、怪我はありませんか?」
彼らは男二人に女一人の冒険者パーティーで、現在C級への昇級任務を受けている最中だった。
「さっきのは危なかったじゃない! あんたたちがC級の試験を受けるなんて言うからよ!」
「怖がるなよ、ゴブリン・ファイターは死んだんだ。ほら、ギルドがちゃんと護衛を派遣してくれてるだろ」
危険が去るやいなや、男二人は女冒険者の機嫌取りに走り、俺の存在を完全に無視し始めた。 リア充はファンタジー世界に来ないでくれませんかね? クロスボウに矢がつがれていなかったのが幸いだ。うっかり射殺してしまうところだった。
「もう冒険者なんてやめるわよ! 任務は退屈でキツくて危ないし、全然稼げないじゃない」
ほう、その意見には賛成だ。もっとも、半分だけだが。
「大丈夫だよ。冒険者で稼げなくても、俺が覚醒させた『種まき』の能力で君を養ってあげるから」 おいおい、そんな能力でよく冒険者になろうと思ったな。自分を土に埋めてしまわないか心配だ。
「コホン! 三人とも。今回の任務目標はギルド職員によって撃破されたため、三名の昇級試験は不合格と判定します。過程に不服がある場合はギルド本部に申し立てを。再試験を希望する場合は、現地のギルド責任者に改めて申請してください。なお、今回不合格となったため、一ヶ月以内の再試験に再度失敗した場合、三ヶ月間は再申請ができなくなります。慎重に検討を」
「やめる! もうやめるわよ、冒険者なんて絶対やめてやる!」
「冒険者の除籍手続きについては、ここではお受けできません。ギルド分部のある村の責任者に直接申請してください」
「さて、任務は終了しましたので私は失礼します。……ところで、個人的なサービスですが、ナイフ、投げナイフ、矢、あるいは各種ポーションの補充はいかがですか? 提供可能ですよ」
そう、これこそが俺の蓄財術だ。記録員は戦闘に介入できない建前だが、常に同行しているため、いつでも物資を販売できる。ただ、値段は……。
「なんだよ! 高すぎるだろ! 村の三倍の値段じゃないか!」
「購入の意思がないのであれば、これにて失礼。皆様の武運長久をお祈りします」 「ま、待て! 買う、買うよ! あるだけ全部売ってくれ!」 ふふふ、被害妄想を拗らせ、無限容量のアイテムボックスを手に入れた男を甘く見ないことだ。
俺の備蓄品は年々増え続け、今や一人の子爵領が抱える戦時備蓄に匹敵するほどのポーションを抱えている。 泣きそうになりながら金を差し出す彼らの姿を見るのは、実に心が安らぐ。 冒険者とは、金と夢が同時に消えていく職業なのだ。
「レ、おかえりなさい」 ギルドに戻ると、真っ先にレシーナが出迎えてくれた。
長年の教育の甲斐あって、以前のように見境なく飛びついてくることはなくなったが、代わりに控えめに俺の衣の端を掴んでくる。
無言で俺を見上げるその姿があまりに可愛くて、思わず抱きしめてしまった。 レシーナによれば、龍族の人間形態は青年期で姿が固定され、老年期に入るまで衰えないらしい。 俺の計画的な育成により、レシーナの性格は着々と理想の方向へ向かっている。外見についても、美少女になることは幼少期から確定済みだ。問題ない。
将来、大勢の男たちが求婚に押し寄せるだろうが、その時は俺を倒さない限り、レシーナを渡すつもりはない。
「悪いわね、いいところを邪魔して。レスト、今日の任務結果を報告しなさい」 マリーさんが書類ファイルで俺の頭を小突き、呆れたような顔を見せた。
「不合格です。罠にかかって左目を失い、右足を骨折し、大量出血しているゴブリン・ファイター一体にすら手こずっていましたから」
マリーさんは今日受けていたパーティーの顔ぶれを思い出し、納得したように頷いた。
「まあ、妥当ね。冒険者の間じゃよくあることよ。上位冒険者だって似たようなもんだけど、あっちは即、命に関わるから。だから普通、男女混合のパーティーはあまり組まれないのよ」
「でも彼らのおかげで、今日もたっぷり稼げました」
「あんたねぇ……。冒険者の間じゃ『悪徳商人レスト』なんて呼ばれてるわよ」 どの口が言うんだ、この鬼マリー。
「道具箱の能力をあんな風に使うなんて思わなかったわ……。あんた、商人の方が才能あるんじゃない? 転職考えたら?」
おい! 今さら転職しろなんて。ようやく理想の職場環境を築き上げたっていうのに、転職? 断る! エコロ村の冒険者ギルドは、今や理想的な軌道に乗っている。B級記録員となった俺は任務の九割を処理でき、看板娘はとっくにマリーさんからレシーナに交代した。 規則正しく出勤し、たまに冒険気分で外回りをして、村の娘の将来性を品定めする。 かつて憧れたキャリアパスとはまさにこのことだ。このまま定年まで働ける。
「あんた、この世界を見て回りたいと思わないの? もっと高レベルの冒険を体験するとか」
よくも言ったもんだ! 二年前、なぜエコロ村にA級任務がないのかようやく理由が分かった。マリーさんが裏でA級任務を全て片付けていたからだ。おかげでこの村の周辺にA級魔獣なんていやしない。 俺がB級記録員に昇格しようとした時なんて、村からとんでもなく離れた場所まで行って、ようやく人生初のA級魔獣にお目にかかれたんだぞ。
だが、マリーさんの言葉は確かに俺の心に刺さった。せっかく異世界に来たのに、また前世のように「仕事をして家で寝るだけ」の人生を繰り返すのか?
「どうして急にそんなことを?」
「本部のほうで面倒なことがあってね、私に戻ってこいって要請が来たのよ。この村のギルドはもともと私の気まぐれで開いたものだし、隣の村にも分部はあるからね」
「考えさせてください……」
その日一日、俺の仕事は完全にお留守だった。 人の目標は段階ごとに変わるという。俺は異世界に来た時の目標をすでに達成した。では、その次は? 今の俺はまだ十五歳だ。まさかここでさらに四十年働き、五十五歳になってから「世界はどうなっていたんだろう」なんて想像する人生を送るのか? リザードマンは見た。傍には龍族の少女もいる。だが、美しいエルフは? ドワーフは? 艶やかな獣人の美女たちは?
魔導技術によって、この世界の大都市が前世の工業技術並みに便利になっているかもしれない。 考えれば考えるほど、世界を一目見たいという衝動が抑えられなくなる。 今さら冒険は危ないだなんて、笑止千万だ。すでにB級記録員、新米なんて呼ばれる経歴じゃない。何より異世界に来て一度死んでいるんだ。最悪もう一回死ぬだけだ。
そう自分を納得させ、記録員としてこの人生を謳歌しようと決心した。
住み慣れた場所を離れる前に、やるべきことは山積みだ。
まずはエナさんへの報告。引き止められるかと思ったが、彼女は意外にも世界を見るという考えに賛成してくれた。修道院で多くの別れを見てきた彼女は、村を出る子供たちに祝福しか与えない。 次に、ギルド分部の閉鎖。
マリーの気まぐれで作られたこの場所だが、看板娘レシーナのおかげで隣村の分部は存亡の危機に立たされていた。
閉鎖のニュースが伝わると、隣村のギルド職員は一晩中お祝いをしたらしい。 やれやれ、この世界の業界も競争が激しいな。 最後は、近所の人々への挨拶だ。十年間ここで働き、商売上の付き合いはあったが、彼らとの間にはどこか拭いきれない「余所者」としての感覚があった。
自分はやはり異世界人なのだという意識が、コミュニティへの完全な融合を拒んでいたのだろう。 唯一心残りなのは、村にいた「将来の美女候補」たちを諦めなければならないことだ。
親しい人々への報告を終え、商売関係者へ挨拶し、最後に「レシーナが見られなくなる」と暴動を起こした冒険者たちをなだめ終えた頃には、月が中天に掛かっていた。 奴らはレシーナにいいところを見せようと、この数日で村の任務達成率を三十パーセントも跳ね上げさせた。 レシーナが俺と旅に出ると発表した瞬間、アイドルが無期限引退を発表したかのような阿鼻叫喚の地獄絵図となった。マリーさんが怒って受付カウンターを一撃で粉砕しなければ、収拾がつかなかっただろう。あの後、屈強な冒険者たちが女子生徒のようにシクシク泣き始めたのには引いた。
数分前、ようやく最後の一人を外へ追い出し、俺は今、誰もいないギルドの中で蝋燭の火を眺めている。 喧騒の後の静寂は、なかなか馴染めないものだ。 過去への追憶と未来への戸惑い。時間がこのまま止まってしまうかのような錯覺に陥る。
いつの間にか、マリーさんが自分の荷物をまとめ終えて隣に立っていた。
「あとは頼んだわよ。私は今夜出発するわ。二度と会うことはないかもしれないけど、困ったことがあれば本部にメッセージを残しなさい。あんたの能力なら信じてるから」 唐突に、マリーさんに抱きしめられた。
「行き先が決まってないなら、まずはギルド本部を目指しなさい。記録員の登録も一度あっちで更新しなきゃならないしね。この世界は面白いわよ。入り込みなさい。いつまでも『局外者』のつもりでいちゃダメよ」 マリーさんの言葉に驚きを隠せなかった。彼女がどんな視点で俺を「局外者」と呼んだのかは分からないが、彼女は颯爽とした背中を見せて去っていった。
「レ」 レシーナが少し不機嫌そうな声で駆け寄ってくると、ぴょんと俺の膝の上に乗った。
この悪い癖は何度も注意したのだが、彼女は機嫌が悪くなるとこうするのだ。 俺が頭を撫でてやると、レシーナは猫のように気持ちよさそうに目を細めた。
「明日の朝には長い旅に出るんだから、早く休めって言っただろ」
「…………」 そのまま、レシーナは俺の服を掴んだまま、腕の中で静かに寝息を立て始めた。




