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4 手の届かない笑顔に恋して

 初めて一緒に出かけてから2週間がたった。

 カインは詰所で仲間と雑談していた。


「お前、最近エリスちゃんの顔を見てないな」

「……ああ、忙しかったからな」

「あの娘、忙しくても会いに来てただろ? 何かあったんじゃねぇの?」

「お前から会いに行ったら、泣いて喜ぶんじゃね?」


 茶化す声に、カインは無頓着な返事を返す。

 けれど胸の奥に小さな違和感が芽生えていた。言われてみれば、確かにエリスが会いに来ない。あんなに無駄に毎日来ていたのに。


(……妙だな)


 仕方がない。仕事終わりに食堂へ向かってみるか。




「いらっしゃいませ!……あ、カイン様」

「おう」


 明るい声が耳に心地よい。

 なんだ、元気じゃないか。


「シチューでよろしいですか」

「ああ」


 しかし、その日は一度も目が合わなかった。

 いつもなら忙しくても、視線を向ければ必ず照れたように笑ってくれるのに。


 何だか、いつものシチューが味気なく感じられた。


「……ごちそうさま」

「ありがとうございました。カイン様、少しお時間はありますか」


 初めて正面から向けられたその表情は、強張っていた。




 店を出ると、冷たい風がカインとエリスの頬を撫でた。胸の奥に重く沈む感情を、どう処理していいか分からない。


「……カイン様、もう一度聞いてもいいですか」


 声が震えたのは、どちらだろうか。


「私は……あなたにとって、何ですか?」

「お前はお前だろ」


 何でもないように言うカイン。

 だがその一瞬、ほんのわずかに言葉が遅れたのを、エリスは見逃さなかった。


「付き合ってますよね、私たち」

「なら恋人だな。なんだ、どうした」


 その声に、エリスの胸が痛む。

 怒りでも、恨みでもない。ただ、深く傷ついた悲しみだった。


「私……もう、これ以上は無理です」


 小さく吐き出すように言う。


「無理?」

「私だけが一生懸命で、カイン様は……前の彼女とも平気で会って。今日まで会わなくても全然普通で……」


 言葉を飲み込み、カインは短く息を吐いた。


「……そうか」


 エリスは唇を噛み、最後の勇気を振り絞る。


「私、カイン様のこと、ずっと……好きでした」

「……ああ」


 変わらない無骨な返事。

 エリスは背を向け、足早に歩き出す。

 振り返らず、泣きそうな瞳を隠しながら――髪の先が夕陽に揺れた。


 残されたカインは、その背中を見送らなかった。

 ただ無意識に拳を握り、口を開きかけて、結局、声にはならなかった。


「……まあ、仕方ないか」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 けれど胸の奥には、ざらりとした引っかかりが残っていた。




 翌朝、中々寝付けないままで勤務についた。周りにはいつもと変わらぬように見えたのだろう。詰所の仲間が軽く茶化すように尋ねる。


「――で、どうだった?」


 だがカインの耳に届く言葉は、まるで別世界の音のように遠く感じられた。


「……振られた」

「まじかー!最短じゃね?」


 一言。軽いはずの言葉が、胸にずっしりと重くのしかかる。

 仲間たちはいつものことだというように、笑みをこぼす。確かに今までの彼女もあちらから別れを切り出してきたんだった。


「ま、お前ならすぐ次の彼女できるって」

「惜しいなー!エリスちゃん可愛いし、今度俺が彼氏希望になろうかな」


 普段なら、カインは軽く笑い飛ばして、からかいに乗るのが常だった。しかし今日は違った。反応が遅い。目がどこか虚ろで、口元に微かな緊張が走る。


「……お前、どうした?」


 同僚の一人が眉をひそめる。


「なんか、いつもと違うぞ。声も元気ないし、笑ってない」

「……いや、別に」


 しかし言葉だけではごまかせない。

 カイン自身、心の奥にぽっかりと穴が開いたような感覚を覚えていた。


 その夜、任務で町を巡回している最中も、その感覚は消えなかった。街灯の明かりに照らされた石畳の道を歩きながら、彼は無意識に人々の群れを注意深く見渡していた。

 人混みの間に見覚えのある髪の色や、仕草を探す。屋台のあたり、雑貨屋の前、小さな公園の隅――。どこにいても、頭の中にはエリスの姿が浮かんで離れなかった。視界の端にちらりと見えた金髪の女性の影に、思わず立ち止まり、息を詰める。


 違う。あいつじゃない。


 それでも、心は探すことをやめられない。日常の中に溶け込む彼女の影を、必死に追いかけている自分に気づく。


 無意識に足が向かった先は、エリスの食堂だった。


 カインは、自然と視線を窓の奥へ向けた。ガラス越しに、エリスが忙しそうに皿を運び、笑顔を作っている。しかし、その笑顔は、彼に向けられたものではない。客や同僚に向けた、精一杯の明るさだった。


 窓の向こうのエリスの姿が、心の奥をえぐるように鮮明だった。

 小さく笑いながらも、どこかぎこちない動き。注文を受ける声、皿を運ぶ仕草、すべてが懐かしい。けれど、もう触れられない、手の届かないものだ。


 ――俺は、何をしていたんだ。


 これまでの無頓着さ、優しさの欠片すら示さなかった自分を悔やむ。

 もし自分から会いに行かなければ、もう二度と、この笑顔を間近で見ることもなかった。


 窓越しのエリスが、客にお礼を言い、何度もお辞儀をする。微かに聞こえる声に耳を澄ませる。


「そうなんです。お別れしちゃったんですよ。大好きだったんですけどね、」

「大丈夫よ、エリスちゃんは可愛いから。惜しいことしたね、あの騎士様は。」

「いえいえ!彼は悪くないんです。私が、どんどん欲深くなっちゃって…」

「女の我儘が聞けないなら相手の男は甲斐性なしさ!今度、うちの息子でも紹介しようかねえ!」

「うふふ。お気遣いありがとうございます。でもまだしばらくは恋愛はいいかなって思ってます!」


 胸がぎゅっと締め付けられる。生暖かい雫が頬に流れたことにも気づかず、カインはようやく自分の気持ちに向き合った。


 ――じゃあ、私が教えてあげます!私が、カイン様の初恋になれたらいいな――


 浮かんでは消えるエリスの笑顔。


俺、ちゃんと好きだったんだ。


 今更気づき、前髪をぐしゃっと手で乱した。夜風が吹き抜け、石畳を冷たく撫でる。けれどその冷たさよりも、胸の奥の熱い後悔が、ずっと彼を焦がしていた。


 失ったものは、あまりに大きい。だが、それでも。このまま悔いて立ち尽くすだけでは、彼女に顔向けできない。


 「取り戻してみせる。……そして今度こそ」


 誰に聞かせるでもなく零れた誓いは、夜空へ静かに溶けていった。外灯の下、黒髪の騎士は静かに拳を握りしめ、未来へ向かって歩き出した。




【手の届かない笑顔に恋をして】




これにて完結です。

面白かったら下の☆×5から評価をしていただけると嬉しいです。

リアクションマークも大歓迎です。

お読みいただきありがとうございました。

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