第82話:柏木 美羽
……信じられなかった。
あの孝和くんが、あんなふうに言い放つなんて。
駅伝のときも、数学オリンピックへの取り組みでも、
彼はまっすぐに前を向いて、周囲を引っ張ってきたし、実力でねじ伏せてきた。
その背中を、私はずっと見ていた。
少しでも近づきたくて、声をかけるタイミングを探してきた。
——憧れ、という言葉で片付けるには、もう少しだけ熱を帯びた感情。
そんなものが、胸の奥で静かに芽生えていた。
でも、今日の彼は違った。
栞ちゃんの涙を前にしても、一歩も動こうとしない。
復学は無理だ、守れないから、と冷たく線を引く。
その言葉は正論なのかもしれない。
でも——あの目は、最初から諦めている目だった。
安藤先生にも何も期待できない。
机を握りしめ、俯く姿は、私が思っていた“大人”とはまるで違った。
——だったら、私が動くしかない。
教育委員会も、学校も、大人たちも動かないのなら、
私が、私たちが声を上げるしかないじゃない。
頭の中で、駅前ロータリーの光景が浮かぶ。
寒空の下、人々が行き交う中で、ビラを手渡す自分。
きっと目を止めてくれる人は少ない。
でも、ゼロではない。
誰か一人でも、栞ちゃんの状況を知ってくれたら——。
「……やる」
小さくつぶやく。
それは誰に向けた言葉でもなく、ただ自分の中での決意の形だった。
ゲリラ的にやる。
止められたって構わない。
孝和くんがどう思おうと、あの冷たい瞳に映った自分が、
ただ何もしないでいるのは耐えられないのだ。




