第77話:中条 麻衣
午後の社会部は、電話とキーボードの音が交錯する、いつもの騒がしさに満ちていた。
私は一息つくために机の書類を整えていたところ、受付から内線が入った。
「高校生の女の子が訪ねてきています。“柏木”さんと名乗っていますが」
会議室に案内されたその子は、明るい色のコートを着て、真っすぐな目で私を見た。
「お久しぶりです、中条さん。今日はお願いがあって来ました」
柏木美羽ちゃん。駅伝大会の取材で何度か顔を合わせたことがある。
彼女の話はすぐに本題に入った。
フリースクールに通う少女・栞ちゃんのこと、復学の希望、教育委員会の消極的な対応。そして——それを新聞に取り上げてほしいという依頼。
「駅伝のときみたいに、世論を動かせると思うんです。だから……」
その目は本気だった。
けれど、私はすぐには答えられなかった。
「……悪いけど、それは難しいの」
言葉を選びながらも、できるだけ淡々と伝える。
美羽ちゃんの眉がわずかに寄った。
「どうしてですか? 学校や教育委員会の対応がおかしいのは明らかなのに」
その反応に胸がちくりと痛む。
けれど、この件は単に「記者のやる気」だけでは動かせない壁がある。
——十数年前。
うちの新聞が、とある教師を実名で非難する記事を出した。
後になってそれが事実誤認、いや、ほぼその教師の事を批判的に見ていた父兄側の捏造に近いものだと分かったが、訂正も謝罪も不十分なまま時間が過ぎ、その教師は自ら命を絶った。
当時その記事を書いていたのが、今の編集局次長であり、うちの新聞の実質的に編集長ポジションにいる人物だ。
それ以来、うちの新聞社は教育現場を名指しで強く批判する記事を極端に避けるようになった。
「社会部の隠し傷」——内部ではそう呼ばれている。
教育委員会や教師を直接的に責める記事は、どれほど証拠を揃えても却下される。
「美羽ちゃん……私がやりたいかどうかじゃないの。新聞社として、このテーマには手を出しにくい事情があるのよ」
そう言うと、彼女は口を結び、視線を落とした。
駅伝のときのように、私を使って何かを動かそうとしてくれたのは分かる。
でも、現実はそう簡単じゃない。
「記事じゃなくても、他の方法を何か探してみよう」
そう付け加えたが、美羽ちゃんの返事は小さな「……はい」だけだった。
会議室を出る彼女の背中を見送りながら、私の胸には妙な後味が残った。
あのとき駅伝で見た、彼女の快活な笑顔は、今日は影を潜めていた。




