第75話:柏木 美羽
帰り道、冬の冷たい空気が頬に刺さる。
さっきまでのフリースクールの空気が、胸の奥にずっとまとわりついて離れない。
——栞ちゃんを、このままにしておくわけにはいかない。
あの子が学校に戻りたいと思っているなら、それを叶えてあげるべきだ。
そうしなければ、あの澄んだ目に灯っていた小さな光まで、消えてしまう気がした。
「教育委員会に働きかけようよ」
思わず口に出していた。
黒川先生がこちらをちらりと見て、低い声で返す。
「……お前の気持ちは分かるけどね。そんなに簡単に動くもんじゃないんだよ」
簡単じゃないことくらい、分かっている。
でも、動かなければ何も変わらない。
駅伝の時だって、状況は決して楽じゃなかったけれど——あのとき孝和くんは、走ってくれた。
だから今回も、彼が立ち上がってくれればきっと何とかなる、そんな確信に似た期待が胸の中にあった。
私は隣を歩く彼に向き直った。
「ねえ孝和くん、一緒に直訴しに行こう。私たちが声を上げれば——」
しかし、その言葉は最後まで言い切れなかった。
彼が、ほんの少しだけ歩調を落とし、私を真っ直ぐに見たからだ。
「……オレは、絶対に反対だ」
一瞬、意味が分からなかった。
「反対……って、復学に?」
「そうだ。あの子を学校に戻すべきじゃない」
足元から冷たい風が吹き上がるような感覚に襲われた。
彼は淡々と続ける。
「今の環境のまま戻したら、また同じことが起きるだけだ。守るって言葉だけじゃ、あの子は守れない」
「でも、それじゃ——!」
声が少し上ずる。
「それじゃ、あの子はずっと学校に行けずに、フリースクールにいなきゃいけないじゃない。学校に行きたいって言っているのに」
彼は何も答えなかった。
答えないまま、視線を前に戻し、歩き続ける。
その横顔は、私の知らない遠い場所を見ているようだった。
胸の奥で何かが軋む音がした。
駅伝の時、あんなにも真っ直ぐに走ってくれた彼が、どうして今は——。
理解できない、いや、理解したくない。
冷たい空気が、言葉にならなかった想いをそのままさらっていく。
私はただ、黙って彼の背中を追いかけるしかなかった。




