第69話:柏木 美羽
あの日、フリースクールにみんなで行った帰り道、私は密かに満足感を抱いていた。
孝和くんと栞ちゃんを会わせられたこと。
算数が好きな栞ちゃんにとって、彼の存在はきっと憧れになるし、孝和くんも誰かに教える時間を通して、また少し柔らかくなる――そんな未来を思い描いていた。
けれど、現実は全く逆だった。
あの日以降の彼は、むしろ言葉数が更に減った。
前よりもさらに、沈んだ表情を見せるようになった。
放課後に顔を合わせても、会話は短く、まるで心に分厚い扉を閉じてしまったみたいだった。
理由が分からない。
フリースクールで何かあったのかと聞こうにも、彼の様子を見ると、それは軽く触れていい話ではない気がした。
数日後、生徒会室の前で、結奈ちゃんと紗月ちゃんに呼び止められた。
二人の顔は、どこか真剣だった。
「お願いがあるの。……数学オリンピックの本選が終わるまでは、一之石くんと栞ちゃんと会わせないであげてほしい」
結奈ちゃんが切り出し、隣で紗月ちゃんも静かに頷いた。
負担をかけたくない――その理由は、すぐに理解できた。
孝和くんが全力で挑んでいる舞台だし、集中できる環境を整えるのは当然だ。
「うん、分かった」と答えることに迷いはなかった。
ただ……二人の様子が、どうもそれだけではないことを匂わせていた。
言葉にはしないけれど、結奈ちゃんの瞳の奥にあった強い緊張と、紗月ちゃんが一瞬だけ見せた影。
あれは単なる本選前の気遣いじゃない。
彼女たちは、私の知らない何かを知っている。
胸の奥が、少しざわめいた。
栞ちゃんを会わせたことが、孝和くんの沈黙と繋がっているのか。
それとも――もっと別の理由が。
答えは分からない。
でも、今はこの約束を守るしかない。
彼の中で何が起きているのかは、本選が終わった後、きっと分かる……そう信じるしかなかった。




