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第68話:宮本 遥

 霞が関の執務室で、午後の書類山と格闘していたときだった。

 机端に置いたスマホが震え、画面には「千尋」の名前が表示された。

 先週、本郷の喫茶店で久々に会った同級生だ。例のフリースクールの件も聞いたのだが、彼女が面倒を見ている生徒がすごく有望だ――そう話していた。


 「ちょっと面白い子がいるんだよ。数学オリンピックの本選に出てる」

 千尋はそう言って、名前を一之石孝和と教えてくれた。

 教員不足や現場の疲弊の話を延々としていた中で、その名前だけは妙に記憶に残っていた。


 私は今、初等中等教育局の中でも、局の垣根を越えて飛び級や特別カリキュラムの対象になる、いわゆる“ギフテッド”の子供の対応を担当している。

 彼らの能力を正しく伸ばし、同時に社会から孤立させない――理想は分かっているが、現場は理想通りには動かない。むしろ、そういう突出した子ほど、学校という枠組みの中で摩耗しやすい。

 だからこそ、守らなければならない、と思っている。


 翌週、数学オリンピック運営事務局から、関係部署向けの速報がメールで届いた。

 添付の一覧表にざっと目を通し、ふと手が止まった。

 ――一之石孝和。


 本選、全問正解、満点。

 しかも解答提出のタイムスタンプは、他の参加者よりも群を抜いて早い。

 参考までに添えられた国際予選データと突き合わせてみて、私は思わず息を呑んだ。

 この時点での得点は、同時に実施された世界のどの試験会場のそれよりも高い。少なくとも、予選段階においては彼が世界最高得点取得者ということになる。


 数字だけでなく、その解答の精度と論理構成の美しさが際立っていた。

 答案PDFをスクロールしながら、私は自分の指先にじわりと力がこもるのを感じた。

 ――この子は、本物だ。


 けれど同時に、千尋の言葉が脳裏に蘇る。

 「すげえ頭は切れるのに、なんか重たいもんを背負ってるって顔してんだよね」


 その“重たいもの”が何なのか、千尋はあまり多くを私に語らなかった。

 だが、もしこの子が抱えているものが、彼の未来を潰す要因になるなら――。

 モニターの中の解答用紙を見つめながら、私は静かに心の中で言葉を結んだ。


 ――絶対、守らなければならない。日本の教育制度や、無責任な学校、疲弊しきった教師達によって潰させるわけには絶対いかない。

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