第66話:波多野 結奈
放課後の生徒会室で、紗月が静かに話を切り出した。
机の上の書類に視線を落としたまま、「……昨日、柏木さんに連れられてフリースクールに行ったの」と。
最初は何気ない報告のつもりで聞いていた。けれど、次の言葉で息が詰まる。
「そこに……孝和くんと私が、昔から知っている人がいた」
紗月の声音は抑えていたが、言葉の端々に固さがあった。
安藤先生――名前を聞くだけで胸がざわつく。
私は隣のクラスだったからそれほどよく知らない。それでも、あの時の出来事に深く関わった人物だというのは知っている。
紗月は全てを説明しなかった。けれど、その場にコウくんがいて、栞ちゃんという美羽さんに似た子と会ったこと、そして彼の表情がいつも以上に硬かったことは、しっかりと伝わってきた。
つまり栞ちゃんは美桜ちゃんと似ているということだ…。
机の端を、指先で強く押さえる。
想像するだけで胸の奥がざわめく。
駅伝大会の時から感じていた、彼の中の変化。笑わない。喜ばない。
それが、昨日の出来事でさらに深く沈んでしまったのではないか――そう思うと、やりきれなかった。
あと数日で数学オリンピックの本選だ。
彼がどれほどその舞台に向けて準備を積み重ねてきたか、私は知っている。
これ以上、何かを背負わせたくない。
それは彼を守るためでもあるし、何より、彼が自分の力を存分に発揮できるようにしてあげたいからだ。
「……ありがとう、話してくれて」
そう紗月に告げながらも、声はわずかに震えていた。
心の中で、そっと祈る。
どうか、コウくんに、これ以上の重荷が降りかかりませんように。
そして、本選の日、あの人が自分らしく数学に集中できますように――。




