第61話:黒川 千尋
部屋に入った瞬間から、妙な感覚があった。
埃っぽい空気や古い木の匂いのせいじゃない。もっと別の、肌の奥にひりつくような違和感だ。
柏木が紹介したゲスト――一之石が、あからさまではないが視線を逸らしたのを私は見逃さなかった。
隣の白石の肩も、わずかに固くなる。
そして、その相手である安藤と名乗る男性スタッフ。三十前後の、少し疲れの見える彼が、笑顔を作ったまま視線を泳がせた。
……なるほど。お互い、何か知っている。
その後で出てきた少女――栞。
小柄で、白い肌に黒いおさげ。美羽に似た面差しが、一之石と白石の反応をさらに硬くしていた。
安藤さんが「学校で嫌なことがあって」と言った時、一瞬、空気が止まったのは気のせいじゃない。
私はその沈黙を飲み込みながら、胸の奥で小さくうなった。
――こいつは、一之石の抱えてる“重たいもの”に、どこか繋がってるな。そういう感覚がする。
そんな時だ。
横で柏木が、にこにこと言った。
「そういえば孝和くん、この前の数学オリンピックの予選、突破したんだって!」
わざとらしく声を張る。
一之石はほんの一瞬だけ、まぶたが揺れた。
だが次の瞬間には、何事もなかったように口を開いた。
「……ああ、まあな」
平坦な声。内心の揺れを必死で押し殺しているのが、こっちには丸見えだ。
栞が、おそるおそる口を開く。
「……お兄さん、すごいんだね」
その声に、一之石は一拍置いてから「そんな事ないよ」とだけ返した。
短いそのやりとりを、安藤さんは横目で見ていた。
その目の奥に、わずかな動揺が走ったのを、私は見た。
――ああ、間違いない。
この安藤って男も、一之石の抱えている何かを知ってる。
場は柏木の明るい声で何とか保たれているが、底の方では確かに波が立っている。
私は黙ってその波の形を覚え込んだ。
近いうち、この違和感の正体を掴むことになる――そんな予感があった。




