第38話:一之石 孝和
競技場ゲートの影をくぐった瞬間、空気が変わった。
外の冷たい風から、スタンドに囲まれた密度のある音の中へ。耳に届くのは、足音、スパイクがトラックを噛む乾いた音、そして歓声の渦。
前方、二人の背中が見える。中央商業、そのさらに数メートル前に優勝候補。
距離は――もう、10メートルもない。
スタンドのざわめきが、低く唸るような熱に変わっていく。
視界が狭まり、余計な景色が消えていく。残るのは二人の呼吸と、背中だけ。
最初のカーブ、外からじりじりとラインを詰める。相手がこちらに気づく。肩が一瞬、固くなる。
中央商業の選手が振り返り驚愕の表情を浮かべているのが見えた。慌ててスパートをかける。もう1校の優勝候補の選手も愕然とした表情をして、それから中央商業の選手を追った。
――それでいい。
慌ててスパートしても、そんなに簡単にスピードは上がらない。牽制し合いながら走っていた彼らは、動揺してむしろかえってスピードダウンするだろう。これがオレが狙っていた唯一の勝ち筋だった。タスキを受け取った時にはほとんど見えなかった、そのかすかだった可能性が今は大きくなっている。
直線に入る。腕を突き出すように振り、ストライドを最大まで伸ばす。
肺が焼ける。呼吸はもはや機械的な吸排のリズム。
差が、詰まる。残り5メートル。
さらに詰まる。残り3メートル。
――ほら、見せてやる。これがアキレスは亀を抜かせる事の証明だ。Q.E.D.
残り2メートルで二人の間に体を割り込み、そのまま一気に前へ。
視界の端で、二人がわずかに足を乱す。
ラストのカーブを抜け、フィニッシュラインが一直線に伸びる。
腕を振り切り、全身をゴールへ投げ込む。
白線を踏んだ瞬間、全ての音が遠のき、視界が開けた。
そして次の瞬間、歓声の波が押し寄せる。
肩越しに振り返れば、中央商業と優勝候補がほぼ同時にゴールしていた。
――たとえ参考記録でも、このチームは勝ったんだ。
オレは自然と人差し指を高々と天に掲げ、連合チームの勝利を宣言していた。




