第31話:柏木 美羽
最終区の中継所は、冬の冷たい空気に包まれていた。
手袋をしていても指先がじんじんする。持ってきたスポーツドリンクのペットボトルは、すっかり冷え切っている。
隣で孝和くんがストレッチをしている。
さっきまでの競技場での顔つきと違って、今は静かに呼吸を整え、目はまっすぐ前を向いていた。
……こういう顔、初めて見るかもしれない。
私は、タオルを腕に掛けたまま、少しだけ彼との距離を詰めた。
「緊張、してる?」
「していないし、する必要もないだろ」
即答。いつもの投げやりな声だけど、どこか芯が固まっているようにも聞こえる。
沿道の向こうから歓声が広がり、やがて六区の走者の姿が見えた。
肩が大きく上下し、必死にタスキを握りしめている。
その後ろから、中央商業ともう一校のユニフォームが前に出ていくのが目に入った。
……ああ、抜かれちゃった。
胸の奥がざわつく。
この状況で、孝和くんに全部の重圧がのしかかる。
「最終区、スタート位置についてください」
運営委員会のスタッフが、落ち着いた声で促した。
孝和くんが静かにうなずき、スタートラインへ一歩進む。
差し出されたタスキを受け取る手が、ほんの一瞬だけ揺れたように見えた。
そして、その揺れはすぐに消えた。
腰を落として踏み出すフォームは、まるで最初から全力で行くつもりだったみたいだ。
私はタスキを受け取った瞬間の彼の横顔を、無意識に目で追っていた。
冷たい風が頬を打つ中で、その表情は不思議なくらい穏やかで、でも何かを絶対に守ると決めている人の顔だった。
「……がんばれ、孝和くん」
小さくつぶやいた声は、冷たい空に吸い込まれていった。




