第19話:柏木 美羽
翌日の放課後、私は何となく数学部の部室を覗いた。
ドアの隙間から見えたのは、孝和くんと、スーツ姿の女性が向かい合って話している光景だった。
黒川先生も同じ部屋にいて、腕を組んだまま二人のやり取りを静かに見守っている。
「――連合チームが県大会で優勝常連校に勝つのは、まず無理です」
孝和くんの口調は淡々としていた。
「けれど、佐伯先輩の個人タイムが優れているならば、代表に選ばれるべきです。駅伝が団体戦でも、代表選考は個人の力を正しく評価すべきですから」
スーツ姿の女性――地方紙「北陸日報」の記者、中条麻衣さんは、落ち着いた目で孝和くんを見つめ、メモを取る。
「つまり、結果的に優勝校以外からも代表を出せるよう、世論を動かしたいわけね」
「はい。競技の公平性を保つためです」
黒川先生が口を挟む。
「彼は現実を分かってる。勝つのが難しいのは承知の上で、それでも筋は通しておきたいってわけだ」
「なるほどね……じゃあ記事にしがいがありそう」中条さんが口元を緩めた。
――何、この空気。
私はドアの影からそっと覗きながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
普段は「勝手にしろ」なんて投げやりな言葉しか返さない孝和くんが、今はまるで別人みたいに、落ち着いた声で理屈を通している。
しかも相手は大人。年上の記者を前にしても、まったく引かない。
私は思わず唇を噛んだ。
――なんでこの人、こんなにすごいのに、人と距離を取ろうとするんだろう。
もっと近くで見ていたい、そう思ってしまった。
打ち合わせが終わると、中条さんは「近日中に記事にするわ」と笑顔で帰っていった。
黒川先生が「よくやったな」と軽く肩を叩くと、孝和くんは「別に」とだけ返した。
その横顔を見て、また胸がざわついた。
それが何なのか、自分でもまだ分からなかった。




