プロローグ:一之石 孝和
「紙と鉛筆」というのは、数理科学の研究者に最後に課せられる矜持のようなものだ。
現代の基幹数学や理論物理学では、巨大で高価な研究設備が必要になることも多い。だが、戦後間もない、まだ貧しかった時代、日本の数理科学者たちは乏しい環境の中で、自分の頭脳と、それから「紙と鉛筆」だけを頼りに成果を生み出してきた。フィールズ賞やノーベル賞を受賞した偉業の多くが、そうした環境から生まれている。
才の優劣など省みるに値しない――「紙と鉛筆」さえあれば、すべては始められる。数学の難題に挑むとき程、オレはその言葉を胸に刻んできた。
中学三年生の三学期、その1月に、オレは数学ジュニアオリンピックに挑戦した。地方の公立中学に通い、高校受験の真っ最中――常識的には受験に専念するべき時期だが、受ける高校は公立で、正直なところ受験の難易度的にも不安はなかった。だから、地方予選くらい出てみてもいいか、という軽い気持ちだった。
その地方予選をあっさり通過し、金沢での本選に進んだ。十倍近い競争率の中、ここでも勝ち残り、三月の東京代々木の合宿メンバー二十人に選ばれた。夏の世界大会に出場する六人を決める、いわば最終選抜だ。
周囲は東京や関西の有名中高一貫校ばかり。地方の公立中学出身者は、オレを含めて二人だけだった。だが、ここまで来れば出身学校なんて関係ない――少なくとも、その時はそう思っていた。
合宿中、オレはひたすら数学の問題に取り組んだ。知り合いは一人もいない。自室にこもり、黙々と考え抜き、最後には全問に納得のいく解答を仕上げられたと思う。
そう、「紙と鉛筆」さえあればいいのだから。
けれど、最終日に発表された世界大会メンバーの中に、オレの名前は無かった。
幹部の一人がオレにこう言った。「独創的だが、自分の力だけに頼りすぎる姿勢が懸念される」「もっと周辺と、仲間と、打ち解けて共創しようという姿勢をもたないとダメだ」――正直、理解に苦しむ理由だった。数学に限らず、学問とは本質的に個人プレーだとオレは思っている。
それに、地方出身者が、すでに仲間同士で固まっている東京組や関西組の輪に入り込むのは至難の業だ。中学に入ってからずっと孤高のワンマンプレイヤーだったオレには、なおさら無理な話だった。
どの道結論は変わらない。反論しても意味はないし、淡々と受け止められる程度には、大人びた物分かりが身についてしまっていた。
「準備不足だったわりに、よく残った方だ」――そう自分に言い聞かせながら、春めく東京を後にし、まだ雪が残る北陸の町へ帰った。
そして四月になり、オレは高校生になった。