第14話:黒川 千尋
廊下を歩いていると、生徒会室の扉が開き、柏木が満足そうな笑顔で飛び出してきた。
「あ、黒川先生。じゃ、またねー!」
軽く手を振って駆けていく背中を見送りながら、私は足を止めた。
扉の向こうから、まだ数人の話し声が聞こえる。
少しだけ覗くと、中には一之石、波多野、白石、村越がいた。
机の上には資料が散らばり、その場の空気は、先ほどまでとは少し違っているように感じられた。
理由はすぐに分かった。
――一之石が、珍しく「勝手にしろ」と言っていた。
あれは、彼なりの譲歩だ。
普段なら距離を置くためにきっぱり断る場面で、そうしなかった。
しかも相手は柏木。あの子のあっけらかんとした押しの強さは、彼のガードをほんの少しだけ崩すらしい。
その瞬間、波多野がほんのわずかに目を伏せた。
短く切ない色を帯びた表情――しかし、すぐに柔らかな笑みへと戻る。
白石はそれを横目で見て、何も言わず、視線を資料に落とした。
私から見ても、あの二人の間には言葉にしない空気が流れているのが分かった。
一之石には、数学に集中してほしいというのが私の本音だ。
だが同時に、こうして人との距離を少しずつ詰める姿を見ると、それもまた必要な時間なのだと思えてくる。
論理や公式では割り切れない関係性の中でこそ、人は成長する。
それを知らずに大人になれば、必ずどこかで立ち止まる瞬間が訪れることを、私は知っている。
――さて、この変化は一過性か、それとも始まりか。
生徒会室の扉をそっと閉じ、私は廊下を歩き出した。
足取りは、ほんの少し軽くなっていた。




