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第10話:黒川 千尋

 波多野から聞かされた依頼の内容は、正直、意外だった。


 駅伝の連合チームの編成実現に向けた他校との交渉役――それも他校とのスケジュール調整まで含めたマネジメントだという。

 暫定同好会とはいえ複数人が所属している状況で、よりにもよって一之石にそんな役が回ってくるとは思わなかった。


 赴任してきた当初から、私は一之石の能力を見てきた。

 数学に関しては、高校のカリキュラムの枠をとっくに飛び越えている。大学の講義でも十分に通用する理解力と集中力を持っている。

 本音を言えば、その力を最大限に生かせるよう、余計な負担はかけたくない。数学にだけ全力を注げる環境を整えてやりたい。


 ……しかし。


 授業以外の場で一之石を見ていると、時々ふっと気づくことがある。

 教室でも、廊下でも、誰に対しても穏やかで礼儀正しいが、その関わり方はどこか距離を置いている。

 自分から踏み込むことも、踏み込ませることもない。

 それは単に一人が好きだから、というだけではない。何かを抱えていて、それが壁になっているのだろう。


 数学の問題なら、壁は越えるためにある。だが、人との間にある壁は、必ずしもそうとは限らない。

 越えるべきか、越えずに守るべきかは、本人にしか決められない。


 それでも――この年齢で“孤高”のままでいるのは、決して健全とは言えない。

 重いものを抱えているならば、軽くできる瞬間や相手が必要だ。


 今回の依頼は、一之石にとって本来の専門からは遠い。時間も手間もかかるだろう。

 だが、人と関わる機会を持つこと、その中で自分の役割を果たすことは、彼にとって意味があるはずだ。


 教師として、私は彼に数学を教える、というよりも数学という学問の探求の仕方を教える。それは変わらない。

 だが同時に、一人の大人として、一之石が人と関わりながら生きていく姿を見てみたい――そう思う。


 窓の外、秋の夕陽が校庭に長い影を落としていた。

 あの影の先に、一之石がほんの少しだけ肩の荷を下ろせる場所があれば、と願わずにはいられなかった。

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