第8話:村越 大河
あの空気の変わり方は、見ていて面白かった。
最初、波多野は完全に「生徒会長モード」で一之石に依頼していた。姿勢も声の張りも、会議のときと同じ。名字呼びで、語尾はきっぱりした「です・ます」。
けれど他のみんなが出て行って、二人きりになった途端――あれだ。呼び方が「コウくん」に変わった瞬間、声の温度が一気に下がって、柔らかくなる。
あれは、単なる幼馴染の距離感だけじゃない。遠慮、甘え、そして妙な親しさ。それが三等分に混ざっている。
オレはああいうニュアンスに敏感だ。表向きはどうでもいい顔をしてるけど、実際は結構よく人を観察している(つもりだ)。
ペンを机に置き忘れたふりをして、ドアの外で立ち止まった。会話の中身までは聞き取れないが、トーンの変化ははっきり分かる。
――ああ、この空気は他人には滅多に見せないやつだな、と。
覗き見はしない。そういう安っぽい真似はオレの趣味じゃない。けれど、後でさりげなく部室を覗いたら、一之石が腕を組み、波多野が少し前のめりになっていた。
真剣に話してるが、あれは完全に「生徒会長」と「文化系部員」のやり取りじゃない。立場を外した“個人”として話している距離感だ。
今回の件は、波多野が相当本気だというのが分かる。
佐伯先輩の天皇盃出場危機なんて、普通なら「残念でした」で済む話だ。それを、複数校を巻き込んでまで救おうとしている。
……まあ、面白いじゃないか。
オレにできるのは、その裏方を滑らかに回すこと。
まずは交渉先になりそうな学校のリストを作る。陸上部の部員数、主力選手の実績、顧問の性格――そういうのは最初から全部押さえておくに限る。
条件の良いカードを先に切れば、話は早い。逆に、手札を隠したまま交渉を始めると、必ず足をすくわれる。
もちろん、交渉の主役はオレじゃない。オレは“場を和ませる”のが仕事だ。相手が警戒しているときに冗談を挟み、場の温度を少し下げる。その間に一之石が必要な条件をまとめる。
こういう役回りは性に合っているし、相手の本音を引き出すのは得意だ。
それにしても――波多野と一之石、あの二人が真正面から組むなんて、かなりレアだ。
オレは心の中で軽く笑う。これはたぶん、ただの駅伝チーム編成の話じゃ終わらない。
数学部の部室は、今日からしばらく「交渉作戦会議室」になるだろう。
面倒ごとは嫌いじゃない。むしろ、退屈しのぎにはもってこいだ。




