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私の体調不良は甘えで、自分が体調を崩すと大騒ぎしますわよね

 私は季節の変わり目が苦手だ。

 急に気温が上がったり下がったりすると、すぐに体調を崩してしまう。

 お医者様によると「あなたの神経は敏感なので、ちょっとした環境の変化にも体が過敏に反応してしまう」ということらしい。

 こんな私に、使用人たちはよくしてくれる。


「奥様、大丈夫ですか?」

「もう少し横になられていた方が……」

「今日は冷えるようなので、カーディガンを用意しました」


 本当にありがたかった。

 だけど夫である伯爵モルス・シグネスだけは――


「アスティア、午前中はベッドにいたらしいな」


「はい……体調が優れなくて……」


 モルスは細面についたぎょろりとした両目で私をねめつける。


「またそれだ。お前はすぐに体調を崩す」


「ごめんなさい……」


「いいか、体調管理も貴族の立派な仕事だ。常に弱々しくしている貴族にいったい誰がついてくる?」


 何も言い返せない。

 だけど私だって季節の変わり目には、特に健康に注意を払う。上着で体温を調節し、食事に気を遣い、なるべく早く寝るようにする。

 それでも体は変調を訴えてくる。


「だいたい体調不良なんてのはただの甘えなんだよ。お前は体の弱い自分に酔っているだけだ。午後は寝室にこもることは許さんからな」


「はい……」


 私はこの日、頭痛やだるさなどが残る体で、どうにか使用人たちへの指示や領地経営に関する雑務をこなした。

 日没を迎える頃にはヘトヘトになっていた。

 モルスからの労いの言葉は一言もない。


 結婚する前のモルスは、体が弱いことを告げた私に対して、


「体が弱い? 安心してくれ。君のことは僕が支えるよ」


 なんて言ってくれていた。

 しかし、結婚して当主を継いだ途端、すっかり横柄になり、今じゃ私を支えるどころか「私を支えろ」なんて言ってくる。


 だけど、これだけならまだ耐えられたかもしれない。

 モルスは自分がちょっと風邪をひくと――


「あ~、体調が悪い! 今日はもう横になる! 仕事は全てキャンセルだ!」

「医者を呼べ! 薬も用意しろ! 私がベルを鳴らしたらすぐ飛んでくるんだぞ!」

「喉が痛い……鼻水が出る……もうダメだ……」


 まるでこの世の終わりのような大騒ぎをする。

 咳が出るだけで重病人のように振る舞い、ちょっとした業務さえしなくなり、家全体がバタバタと振り回される。

 体調管理は貴族の仕事とはどの口から出た言葉なのだろう。

 治ったら治ったで、私にこんなことを言ってくる。


「きっとお前にうつされたんだな」


 こんな時はあの人に悟られないよう、奥歯を噛み締めることしかできなかった。


 私の体調不良は甘えと言われ、モルスが体調不良になると最高レベルの看護を要求される。

 我慢の限界に達した私は、ある日モルスに離婚を申し出た。

 こじれるかとも思ったが、この離婚話は意外とスムーズに進んだ。

 離婚が成立し、モルスはこんな捨て台詞を吐いてきた。


「この教訓を生かして、次はもっと若くて健康的な女と結婚するさ」


 私は何も言い返さなかった。

 それが自分の貴族夫人としての最後の仕事だと思った。


 かくして私は伯爵夫人アスティア・シグネスから子爵家の娘アスティア・イルネに戻り、平穏を手に入れることができた。



***



 離婚した私は、旅に出ることにした。

 気分をリフレッシュしたい――というよりどこかに逃避したかった。

 そのことを告げると、父はまとまったお金を出してくれた。


「色々溜まっていたものもあるだろう。発散してきなさい」


 父の優しさが嬉しい反面、シグネス伯爵家との繋がりをふいにしてしまった自分の不甲斐なさが心苦しかった。

 私はあてもなく、さまざまな土地を旅した。

 街を歩き、名所を訪れ、名物を食べ、その土地の人々と話す。

 一人旅だったから体調不良になると大変だったけど、それでも楽しさの方が上回った。


 一ヶ月ほど経ち、私は王国の最北端に位置するルランド地方にやってきた。

 高原地帯であり、穏やかでひんやりとした空気が私の体に不思議と染み渡った。


 丘の上に建てられた展望台で、私は白いワンピース姿で景色を眺める。

 私のベージュの長い髪が風になびき、なんだか物語のワンシーンのようで、演劇のヒロインになったような気分に浸ってしまう。

 軽くステップを踏んで、幕が下りる時の女優(アクトレス)のように一礼する。

 すると――


「素晴らしいものを見られた」


 声とともに拍手が飛んできた。

 誰もいないと思っていたから、私は自分の顔が火照るのが分かった。


「失礼。しかし、景色を見ようと思ったら、王都の王立大劇場(ロイヤルシアター)に来たような感覚を味わえましたよ」


「まあ……お上手だこと」


 白いスーツに身を包んだ紳士だった。

 整えられた黒髪、精悍な顔立ち、背は高く、脚はすらりと長い。年はおそらく私よりいくつか上。この地方の名士なのだろう、と想像がつく。


「エーベルと申します。あなたは?」


「私は……アスティア。アスティア・イルネと申します」


 しばらく二人で景色を眺める。

 抜けるような青空と、なだらかな緑の大地が広がっている。


「綺麗……」


 エーベル様が薄く笑う。


「何もないでしょう」


 確かに何もない。だが、“ない”ことは必ずしも欠点とは限らない。

 体のどこにも異常がない人がいたとしたら、それは立派な長所だ。地位や名誉があるのに、お世辞にもいい人間とは言えなかった前夫(モルス)のような人間もいる。


「ですが、その何もなさがいいんです。見ているだけで心が落ち着いてきて……」


 雄大な景色のおかげで、離婚騒動で少なからず均衡を失っていた私の心は平静を取り戻すことができた。


「ここに暮らす者として、私も気に入っています」


 エーベル様が丁寧に一礼する。


「よろしければ、少し街をご案内しましょうか」


「ええ、お願いします」


 私は誘いを受け入れた。

 不案内のままブラブラするのもいいけれど、パートナーがいた方がよりこの地方を楽しめると考えたためだ。


 高原に寄り添うような形で大きな街があった。

 雰囲気は穏やかで、牧歌的という言葉が似合う街並みではあるが、その実活気に溢れていることも分かる。

 街に満ちるエネルギーは、王都やその周辺の大都市並み、あるいはそれ以上かもしれない。

 領地経営が上手くいっていることが窺える。


「山羊のミルクを飲んだことは?」


「いえ、ありませんけど」


「よかったら、一杯いかがです?」


 私がうなずくと、エーベル様は近くの店に入り、ミルクを二瓶買ってきた。


「どうぞ」


 ガラス瓶の中に白いミルクが入っている。

 私は瓶を両手で持ち、不安と期待を抱きつつ、ミルクをごくりと飲んだ。


「どうです、お味は?」


「美味しい……!」


 山羊のミルクは思ったよりさっぱりした味わいで、加工の仕方がよいのか臭いもほとんどなかった。

 普段ミルク自体あまり飲まないのに、おかわりまでしてしまった。


 他にもエーベル様はこの地方で取れるお芋のポタージュ、果実から作ったジュース、畜産も盛んなのかジューシィなステーキも味わわせてくれた。

 この日はひとまずホテルに宿泊し、それからも私はエーベル様に街を案内してもらった。


 そして一週間ほど滞在した時、こんな提案を受けた。


「この地方の領主に会っていきませんか?」


 エーベル様は領主様とコネがあるのだろうか。

 私も貴族のはしくれとして、ここまで上手く領地を経営している人には興味があった。


「ぜひ」


 私はエーベル様についていく。

 領主の屋敷はさほど大きくはなかったが、しかししっかりとした作りの、家主の性格が表れているかのような邸宅だった。

 私がそれを見つめていると――


「この屋敷の主を紹介しましょう」


 お屋敷の方を呼び出してくれるのかなと思いきや、エーベル様は深々と一礼する。


「エーベル・レギオーニ、このルランド地方を治めており、辺境伯を務めております」


「まあ……」


 地方の一名士だと思っていたエーベル様は、この地方の領主だった。

 しかも辺境伯といえば、王家から地方行政を一任され、国境防衛も任される最重要ポスト。

 中央でふんぞり返っている高級貴族よりその権威は上で、最高峰の地位にあるといってよい。

 まさか、そんな人と一緒に食事をしたり、観光をしたりしてたなんて……。


「中へどうぞ」


 食堂に通され、紅茶を出してもらう。

 この地方特有の紅茶で、砂糖を入れずとも甘みがあり、しかも体にも優しい。お供に出されたスコーンもとても美味しい。

 しばらくは辺境伯のお仕事や、この地方の特色について話していたが――


「アスティアさん。失礼ですが、ご結婚は?」


 私は正直に答える。


「しておりました。しかし……夫とは折り合いが合わず、別れてしまいました」


「そうですか……」


 私も尋ねてみる。

 これほどの人なら、将来を誓った人がいてもおかしくはないけど――


「未だ独身ですよ。こんな田舎で仕事に夢中になっていては、誰も寄り付きませんからね」


「寄り付かないなんてそんな……あなたほどの人なら、いくらでも相手はいますよ」


 エーベル様は私をじっと見る。


「例えば今、私の目の前にいる方でも……でしょうか」


 私の心は少なからず動いたが、「ご冗談を」の一言に留めた。

 その後もしばらく取り留めのない会話をし、今度は私が切り出す。


「私の離婚の原因は……体の弱さにあったんです」


「ほう?」


「ちょっと気温が変化すると、体調を崩してしまって……。それが夫には気に入らなかったようです」


 エーベル様はスコーンを一つ食べる。


「私もですよ」


「え?」


「私も体は弱いんです。夏はすぐバテて、冬は凍えて……歩けば足が痛み、馬に乗れば腰が悲鳴を上げます」


「ふふっ……」


 思わず笑ってしまう。

 もしここで「体が弱いのなら支えてみせる」などと言われたら、かつてのモルスを思い出し、エーベル様への心は遠ざかっていたかもしれない。

 「私も同じ」と言われたことで気が楽になった。


 エーベル様との会話は弾み、結局、さらに一週間、二週間と滞在してしまった。

 もう予定を完全にオーバーしている。

 実家には帰る時期は伝えてあるので、これ以上滞在するわけにはいかない。ただでさえ出戻り後の一人旅だから、心配させてしまう。

 私はやんわりと、エーベル様にこのことを告げた。

 引き止められることを少し期待しつつ――

 すると――


「行かないで欲しい」


 あまりにまっすぐな言葉だった。


「私は一人の男として、君を手放したくない。どうかこれからも一緒にいて欲しい」


 期待以上の言葉が返ってきた。

 私は向こうから言わせた自分のずるさを心の中で責めつつ、だからこそ私も本心をさらけ出す時だと感じた。


「私もです! 私もあなたから離れたくありません!」


 私はエーベル様の胸に飛び込んだ。

 エーベル様は受け入れてくれた。その胸板はとても逞しかった。


「支える、支えられる――ではなく、共に生きていこう」


「……はい」


 こうして私たちは愛し合う仲となり、正式に婚約を交わした。

 父の「まさかレギオーニ辺境伯とご縁ができるとは……我々としてはもちろん祝うべきことであるが、寂しくもなるな」という言葉が嬉しかった。


 再婚の後、前夫モルスの現状が、風の便りで届いた。

 モルスは私との離婚後、使用人たちに愛想を尽かされ、みんなに去られたらしい。

 元々不満が溜まっていたところで、私への仕打ちがトリガーになったみたい。

 そして、独りきりになり、風邪をひいてしまう。


「お、おい、風邪ひいたぞ! 私を助けろ! 看護するんだ! ほら、熱もあるし、こんなに咳も……!」


 こんな風に叫んでいる姿を想像できてしまう。

 しかし誰にも助けてもらえず、風邪をひどくこじらせ、肺に重度の後遺症が残った。

 これでは当主の激務は果たせぬと、弟たちから静養という名目で強制隠居させられたとのこと。

 せいぜいお大事になさって下さいな。



***



 エーベル様との結婚生活は順調だった。

 嫁いだ後は、不思議と気候の変化による体調不良があまり起こらなくなった。

 常にひんやりしている高原の空気が、私にマッチしていたのかもしれない。

 たまに二人で出かけると――


「おーいアスティア、ちょっと待ってくれ~」


「ふふっ、エーベル様、先に行ってますよ」


「了解……。私はゆっくりついていくよ」


 私が元気になりすぎて、エーベル様がちょっとついてこれない時があるほど。


 昼下がり、私たちは二人で出会った展望台に来ていた。

 爽やかな風が吹く中、肩を寄せ合い、目に飛び込んでくる景色を享受する。


 そこには私たちの未来を示すかのような晴れやかな青空が広がっていた。






おわり

お読み下さいましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
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わはは、身内の某男もまさにこの「マンフル」でした。ヤツは口先だけは妻の風邪の心配はするけど看病は全然、せいぜい替えのアイスノンを冷凍庫から出すくらいはしたかな…?くらいで、炊事洗濯は普段から一切やりま…
病弱な貴族令嬢?元夫人?が護衛も侍女も連れずに長期の一人旅?!絶対途中で危ない目に会う! 防衛の要である辺境伯が病弱?!他に跡を継げる兄弟居なかったのかな? その辺が少し気になりました。
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