第1話 「非公認退魔組織・暁月《あかつき》」
それが起こったのは、2029年4月13日の黄昏時だった。
異界の門より、突如として悪神・逢魔が襲来。『逢魔時』と呼ばれる未曽有の大厄災が、日本を襲った。
逢魔の呪われた魔力は日本各地に祀られていた八百万の神仏霊妖を飲み込み、その魂を異形の魔――『堕神』へと堕とした。
しかし、堕神達が人々の生活を蹂躙し始める中、超巨大規模の結界術が発動。呪われた神々を一所に集め、魔の根源である逢魔の封印に成功した。
しかし、結界内には、現代と古代が混ざり合う異形の地『千年京』が残る。
――あれからおよそ一年。
千年京は依然、異形の脅威に怯える地獄であり、残された人々は『国家退魔師隊』に頼りわずかな平穏を保っていた。
だがそんな中、国家を凌駕する謎の新勢力が出現。
正体不明。
少数精鋭。
名を、――『暁月』。
圧倒的な力を誇る彼らは、未知の秘術――『浄化滅却の炎』を振るい、神域内の堕神を次々と祓い始めた。
そして彼等の中心に立つのは、黒衣を纏い、赤い瞳を業火の如く燃やす、一人の青年だった。
* * *
「今の魔力解放に気づいた国家退魔師隊が集まってくるはずだ。……すぐにこの場を離れよう」
亜蓮の冷静な声に、モモはきょとんと首を傾げた。
「国家退魔師隊?」
「話は後」
腕を組んでいた花緒が、鋭くモモを制する。
「大勢で動くと人目につきます。別れて移動して、アジトで合流しましょう。」
即座に全員が頷いた。
「御之、モモを頼めるか」
「オーライ相棒」
「は?」
御之の軽口に、花緒がピタリと動きを止めた。射殺さんばかりの鋭い視線が御之に突き刺さる。
「どこのいかがわしいクソ金髪サングラスが、亜蓮様の相棒ですって?」
「ええやん事実やし~」
御之が得意そうに目を細めると、花緒の眉間に青筋が浮かび、手元に小さな結界が光を帯び始めた。
「花緒さん……後でにしましょ……ね……」
一触即発の2人を、千助がぼそぼそと諌める。亜蓮はというと、背の高い2人を見上げて無言の渋い顔だ。
モモは気づかれないようこっそり、千助を観察する。
猫背に茶色のくせ毛、不安そうな淡い橙色の瞳。着古した羽織と白のハイネック。ダボダボのカーゴパンツに、登山ブーツ……。自信のなさが服装のちぐはぐさにも滲んでいる。
モモとぱちりと目が合って、千助は顔を赤くして慌てた。
「な、なんだよっ、俺は面倒みれないからな……!? 守ってもらう側だしっ!」
「ほな、俺から自己紹介やな」
御之がくるりとモモの正面に回り込む。腰をかがめ、愛嬌たっぷりの笑顔で目線を合わせた。
「俺は紫月 御之。式神使いやっとるで。気軽に名前で呼んでな、新人ちゃん」
「……はい! 御之さん!」
モモは嬉しくなって、はきはきと両拳を握る。こっちの男は堂々として頼もしそうな印象だった。花緒と呼ばれていた女性の方は、あまり関わり合いたくなさそうに僅かに距離をとっている。
「僕はこのまま直上する」
「私は市街に出るルートで行きます」
「ほな、俺らは居住区から抜けるか」
「は、はい! お願いします!」
「亜蓮様、お気をつけて」
「待って! 置いてかないで! 夜道怖いよォ!」
それぞれが別方向へ動き出す。
すたすたと先を行く花緒と、涙声で追う千助が姿を消していく。
一人背を向ける亜蓮に、モモは心がざわついた。亜蓮だけが単独行動なことに、何故だか不安が込み上げる。
「……あ、あの!」
「ごめん、今はあまり時間がないんだ」
振り返った亜蓮が短く告げる。付け入る隙を与えない声音に、モモの声が詰まった。
亜蓮は一瞬後ろ髪を引かれた表情をしたが、その眼差しには焦りが滲み出ている。気持ちを整えるように小さく息をつくと、モモを真っ直ぐ見つめした。
「……あとで話そう」
羽織を翻し、跳躍。そのまま天井の闇に吸い込まれるように姿を消した。
モモは降ろした両手を握りしめながら、漆黒の天井を見上げて立ち尽くす。
(受け入れてもらえたと思ったけど、勘違いだったのかな……)
あの時、少しだけ心が通じ合えた気がしたのに。別の不安がじわじわと心の奥から広がってくる。受け入れてもらえたと思ったのは気のせいで、私だけ気持ちが盛り上がっていたのだろうか。
その時。
「……惚れてもうた?」
「…………えっ!!?」
不意に耳元で囁かれ、モモは背筋を跳ね上げた。振り返ると、御之がにやにやと面白そうに覗き込んでいる。
「そんな露骨に亜蓮の方が良かった顔されたら寂しいやん〜! え〜チェンジかぁ〜この俺がチェンジかぁ〜悲しいなぁ〜」
芝居がかった仕草で、御之が腕を組みながら大袈裟に天を仰いだ。
「俺の方が強くておもろい自信あんねんけどなぁ……。しゃーない、亜蓮来てもらうか!」
「だっ!!? そ、そんなことないです!! 御之さんのことも知りたいです!!」
モモが慌てて、スマホを取り出した御之の前でバタバタと手を振る。それを見て、御之はぱっと笑顔に戻った。
「よっしゃ♪ ほんじゃ、アジトまで俺といっぱい楽しいお喋りして帰ろーな。モモちゃん」
御之がサングラスをちょっと外し、金色の瞳がウインクする。モモが、はっ!!と息を呑んで口に両手を当てた。
「顔面が綺麗……!?」
「おおきに♪ よー言われる」
御之はサングラスを戻しながら嫌味なく笑う。
改めて背の高い男だ、とモモは見上げて思った。
185センチ以上はあろう細長い体躯を際立たせる黒スーツに紫のワイシャツ。無造作に伸ばされた金髪は深紫のレザーの組紐で一つに束ねられ、全身どこか洒落ていて、なのに気取っていない。亜蓮とはまた違った、大人っぽいかっこよさのある男だった。
「あれ、なんでだろう……なんか落ち着いて来たかも……」
「ええ感じええ感じ。ただちょっと散歩しておうち帰るだけや。リラックスしていこうなー」
「は、はい!」
モモの表情に、明るい笑顔が戻った。気づけば、胸を締めつけていた苦しさがすっかり消えている。
そして、御之の言葉がじわじわと蘇ってくる。帰ろう、そう彼は言ってくれた。
(帰る、帰る……。そっか、これから行く場所が私の帰るところになるんだ……)
モモは嬉しくなって顔を高揚させた。だが、その隣で御之の表情がふと消える。
(――とはいえ……)
サングラスの奥で目を細めながら、御之は思案する。蘇るのは、以前に交わした亜蓮とのやり取りだった。
「国家退魔師隊の動きが、今までとちゃうって?」
「以前は乱雑に追跡してきたのに、最近はやけに統率が取れている……」
廃ビルの壁によりかかる亜蓮は、疲弊した表情で俯いていた。
御之は首を傾げる。自分にはそんな追跡があった記憶はないし、花緒からも特に気になる話はない。
「今までとは違う何かが、裏で動いている気がする」
……ただの思いこみという感じではなさそうだった。とすると、狙われているのは亜蓮個人。単独行動を取ったのも、他のメンバーを巻き込まないためか。
(ま、あいつのことやし心配はいらんやろけど……。念のため、か)
御之がケータイを操作すると、洞窟内を探索していた式神の一部が赤いオーラを纏う。亜蓮の魔力に擬態したクロチが、散り散りになって地上に向かっていった。彼らが地上で動き回れば、しばらく陽動になるだろう。
(ま、あとはなんとかするやろ)
パチンとケータイを閉じたその時、帰り道の偵察に行っていたクロチが戻ってきて、ぴょんぴょん跳ねている。
「よしよしごくろーさん。ほな、俺らも移動しよか」
「はい!」




