第3話 「祝鬼覚醒」
――桃色の炎が吹き荒れるように渦を巻いた。
炎の渦がモモの姿を包み込む。その華やかさの中に宿る猛々しさが場の全てを圧倒する。
亜蓮はあまりの眩さに思わず目を細め、後ずさった。だが、途切れ始めた炎の渦の向こうに見えたモモの姿にハッと息を呑む。
「まさか……」
再び姿を現したモモの額には、白銀の光の角が生えていた。それは見間違うことなく――鬼のものだ。さっきまで無力なただの人だった少女が、鬼に変貌している。
「マジか!!」
御之が思わず身を乗り出し、亜蓮と花緒も驚愕に目を見張る。
「あり得ない……」
花緒は全身が粟立つのを感じながら呟いた。モモの白無垢が舞うように揺れ、全身は桃色の浄化の炎に包まれている。
「すごい……!」
モモは鋭い視線で巨大な堕神に振り返った。そして、心を鎮め祈るように胸に手を当てる。
――不思議だ。怖くない。とてもしっくりくる体。
いける。
怒りと共に湧き上がる力。
心の奥で灯る、小さな希望の光。
その時、亜蓮の声が聞こえた気がした。
――覚悟があるなら、力で示せ。君が望んだ、願いを形にする力……”浄化滅却の炎”で!!
「行け!!」
亜蓮の声がモモの耳に届いた。瞬間、モモは両目を見開き鋭く地を蹴った。その動きはまるで一陣の春風のように軽やかで、モモは一瞬で上空へ跳躍し堕神の真上をとった。そして次の瞬間に炸裂した攻撃は雷鳴のように凄まじい威力を放っていた。
「ああああああああああッ!!!」
モモの蹴りが堕神に命中した瞬間、轟音とともに大地が震え、四方に亀裂が走る。悪神は地面に叩きつけられ、もがく間もなくただ力に圧倒されていた。
「……うそ」
想定外の破壊力に、思わず亜蓮は顔を引き攣らせて呆然と呟く。すると御之の豪快な笑い声が頭上から降ってきた。
「はぁーやるなぁ! これがホントの鬼嫁やん!」
「ひぃぃぃ! 嘘でしょなんなのあの子!? 躊躇なさすぎ!!?」
いつの間にか戻ってきた千助はガチガチと歯を鳴らした。
「ふーん……なるほどなぁ。ほな、今回は姫ちゃんに花を持たせたるか」
クロチの全身に紫の式神文字が駆け巡った。指示を受け取ったクロチが無数の小型式神に分散し、黒い鎖のような螺旋階段を組み上げて空間に道を作った。
「走れ姫ちゃん!!」
「はい!!」
モモが綿帽子を脱ぎ放ち、両手を前に突き出す。手の中に現れた鮮やかな桃色の鬼火が形を変え、巨大な『打出の小槌』へと姿を変えた。
眩い黄金色をした大槌を取ると、モモは螺旋階段を一気に駆け上がる。迫り来る巨大な腕を目の前にしたモモは、思い切りその腕を大槌で打ち返した。
「だあああっ!!」
硬質な音を立ててぶつかると、腕は脆い土人形のように粉々に爆散する。その間も亜蓮は空間を切り裂くように跳び回り、巨大化した堕神に次々と剣を振るっていた。
堕神が低く唸り、無数の腕を振り上げて亜蓮を拘束しようと狙う。一瞬、亜蓮の姿が巨大な手の中に飲み込まれた。
「亜蓮さんっ!!」
モモが叫んだその瞬間、 手の内部から赤い光が閃き、巨大な手は細かく刻まれて散った。その剣撃はあまりに速く、モモの目には剣筋すら追えなかった。
「……っ! かっっっこいーーー!!」
キラキラと目を輝かせ、モモは大槌を構える。
「よーし、私も!!」
視界が開けたのを確認すると、モモは堕神めがけて跳躍する。
「おおおおおりゃあああああ!!!」
モモが大槌をぶん投げる。大ぶりの大槌が出鱈目な怪力でブーメランのように激しく空を切る。そして、大槌ごと堕神の巨大な身体を壁へ叩きつけた。
大槌の下敷きになった堕神がゆらりと顔をあげた。ぼこぼこと肉体が波打つ。
「ダメだまた再生する!」
千助の悲鳴に、花緒が鋭く紙札を放つ。薄刃のペーパーナイフのような紙札は、堕神の腕と壁を縫い合わせ、再生を封じる結界を作り上げた。
「よし止まった!」
「ですがあまり持ちません!!」
千助は拳を握るが、花緒の顔が歪む。結界がビリビリと音を立て、亀裂が走り始める。結界の崩壊を悟って、クロチが素早く鎖と化し堕神を絡め上げた。
「急げ!!」
御之が叫ぶと、亜蓮がモモに振り返った。
「モモ!!」
「はいっ!!」
モモが脚元の裾をズバッと引き破り、華やかな布地が舞う。
目が鮮やかな桃色に光った。全身から桃色の炎の花が咲き乱れるように燃え上がり、髪は揺れる炎のようにゆらめく。白銀から薄桃色へと染まった髪が光を受け、神々しいまでの美しさを放つ。
「――っ、ああああああああ!!!」
拳に炎の華を宿し、モモは飛び出した。そのまま堕神の横顔に拳を振りかざす。
「お前なんか! お断りだあああああ!!!」
堕神の横面にめり込んだ拳は、その巨体を背後の多重結界に叩きつける。結界がバリバリと音を立てて振動する。
そして
――パキィィィン……!!
拳と結界の間で硬質な何かが粉々に砕ける音がした直後――堕神が爆散した。
桃色の光の花びらがひらひらと舞い落ちる中、モモが着地する。荒い息を呼吸を肩で整えると、心の底から笑顔が溢れた。
「あーっし! すっっっきりしたぁーーーー!!!」
「……え、な、なに……? 君まさか、自分が鬼な自覚があったから、こんなこと……?」
震えながら指差す千助に、モモはきょとんと首を傾げた。だが、すぐに歯を見せ無邪気に笑う。
「まさか、ぜんっぜん思いませんでした!」
モモは可笑しそうに、黄金色の大槌を軽々と肩に担いだ。
「もう普通の日常には戻れないのかなって思いますけど……今は体が軽くて……。すっっっっごく、清々しいです!」
暁月のメンバーが見守る中、モモの手の中で大槌が光になって消える。
「みなさん、私、最後の最後までついていきますから。これからよろしくお願いしますね!」
モモが、明るい笑顔で元気に頭を下げた。
――この日、私は二度人を信じた。
一度目は裏切られ、二度目は……私の人生を変えた。
モモの無邪気な声が広がると、暁月の面々はそれぞれの思惑に満ちた表情を浮かべた。
亜蓮は静かにモモを見据え、花緒は警戒心を露わに眉をひそめる。御之は面白そうにニヤリとし、千助はぶるぶる震える指でモモを指差した。
「いやいやいや、ナシでしょ!? だって鬼ですよ!? 人外ですよ!!? 亜蓮さん、人外はさすがにヤバいって――」
ドンッ!!
突然、天井から大きな瓦礫が落下し、モモが片手で軽々と受け止めた。きょとんとするモモと、硬直する千助の視線がぶつかる。
「ひぇぇぇ! すいません! なんでもないです! 許してください!」
悲鳴とともに、千助は御之に飛びつく。
「はいはい、落ち着こ~な。こういうのも悪くないやろ?」
御之は千助を軽く押し返しつつ、笑顔で花緒に目を向ける。
「なー花ちゃん?」
「うるさいですね! 私は貴方も認めた覚えはありませんから!」
「え〜そんなん初耳やわー!」
「やだぁーッ! みんなどっか行かないで!」
「ちょ、これ……! どうすればいいんですか!?」
御之が楽しげに花緒を躱す一方で、千助は「誰でもいいから助けて!」とメンバーを駆け回り、瓦礫を支えたモモが困惑した声をあげる。
「あの……みんな……」
そんな中、亜蓮が静かに声をかけようとするが、誰も気づかない。
「お、落ち着いて……」
騒ぎの中心に立ちながら、呆然とする亜蓮。その頼りない声は、先ほど無類の強さを奮ったリーダーとは思えぬ弱々しさなのだった。
そして一方……暁月の動向を見張る目が、既にいくつも動き出していた。
山奥の洞窟――。水滴が天井からの滴り落ち、篝火の光が歪んだ影を揺らしている。
「大内裏ノ命がやられただと!?」
反響する声に、部下らしき人影達が慌てて頭を垂れる。
「残穢一つ残らず、あれでは復活は難しいかと……」
「ぬぅぅ……」
闇の中、男の肩が震えた。
「よもや禍玉も砕くとは……暁月、一体何者じゃ……?」
――また、ある薄暗い部屋の中。唯一の光、スマホの画面が目元を照らす。
「暁月かぁ……少しは退屈しないかな?」
戦闘記録を写す画面を細い指先が滑り、不敵な笑みが薄桃色の唇に浮かぶ。
「ま、せいぜいボクの引き立て役として楽しく踊ってよね」
軽やかな甘い声が、部屋の薄闇に溶けた。
――そしてまた、高くそびえる五重塔の上。風が唸り、月光が男の黒い外套を鋭利に縁取る。
「――動いたか……」
音もなく立ち上がる男。氷のように冷たい目が、獲物を捕捉した獣のように鋭く光った。
「華上 亜蓮……。いつまでも逃げられると思わないことだ……」
男の手が、銀色のアイスダガーに触れた。
――千年京の夜は、未だ、始まったばかり。




