第4話 「バケモノならせめて」
今回のエピソードは、第一章第1話の冒頭を思い出してみると、伏線回収になっていて面白いかもしれません。
千年京と戦っているのは、内部に留まる者達だけではない。
花緒の婚約者――慈雨月 遙霞も、外界から千年京という異界に臨む人間の一人である。
時刻はすでに深夜一時を回っていたが、男はまだ自社のオフィスにいた。
千年京で暮らすことを余儀なくされた人々、日々命を削って堕神と相対する退魔師達……。彼等の生活環境が少しでも改善されるべく外界から働きかけ、戦いが有利に進むよう手を尽くす――それが、多くの企業を束ねる慈雨月の使命だった。
それでも……なかなか鳴らない、特別な着信だけは別だ。思わず微笑み、慈雨月は革張りの椅子に深く身を預ける。
「こんな時間に珍しいね。……どうしたんだい」
いつも通りの穏やかな声。それだけで、花緒の胸の中で張り詰めていたものは僅かに緩んだ。だが、いざ口を開こうとすると喉が強張る。
「お聞きしたいことがあります。……渡良世 モモの件です」
通話口の向こうで、慈雨月が息を呑んだのがはっきりと伝わってきた。
(やはり、何かある……)
スマホを握る花緒の手に嫌な汗が沸く。
慈雨月は言葉を選んでいる。花緒が「モモさん」ではなく「渡良世 モモ」とフルネームで呼んだ意味を、彼は正確に理解していた。
少しして、慈雨月は慎重に口を開いた。
『ああ。だが長い話になる。今話しても構わないが……花、今いる場所は当然安全なんだろうね?』
花緒は冷たい夜の林に目をやった。瘴気は薄く、異形の気配はない。だが、山というのは、古くからその土地に住まう得体の知れない神や物怪が徘徊している油断ならない場所だ。
「心配せんでもええですよ」
軽い調子で答えたのは花緒ではなかった。
花緒が周囲を警戒する動きを察したのだろう。御之がスマホに顔を寄せ、花緒は露骨に顔を歪める。
「自分がついてますんで。安全については心配無用です」
知らない男の声が割り込んで、慈雨月の口角が強張った。あくまで他意のないビジネスライクなトーンで御之が続ける。
「おたくが花ちゃんの婚約者さん? どーもどーも。式神使いやってます、紫月 御之言いますー。そちらの嫁ちゃんには、いつもお世話んなってますわ」
「……言動が癪に障りますが、腕は確かです」
くだらない誤解をされても不快なのて、花緒は事実だけを補足した。
軽口を叩き、するりと心の隙間に入り込む。だが、その振る舞いに個人的な色はないのがこの男だ。さっきの意味深な会話の後ですら、二人の間に流れる空気はクールなまま。だから、こいつと何か始まるかもなんて心配は、端から面倒なだけだった。
「慈雨月っちゅーたら、超一流の大財閥様やないですか。玉の輿にマメな彼氏なんて花ちゃん勝ち組ですやん、羨ましいわ〜」
花緒は呆れて眉ひとつ動かさない。露骨な持ち上げ方に慈雨月は一拍置いてから苦笑すると、すぐに余裕の声を整えた。
『ああ、君のことは報告で聞いているよ。……話の早い同僚みたいで助かるね』
「どーもおおきに」
「それで、本題は?」
『ああ』
椅子を引く微かな音。慈雨月が、話に入る姿勢を取った。
『……おおよそ調べはついたよ』
花緒がさっと通話をスピーカーに切り替える。
『渡良世モモと、その母親だが――半年前に、死亡届が出されている』
花緒と御之の表情が一気に冷えた。
『調べるのには、警察ではなく興信所を使った。遺体は見つかっていないが、遺留品は発見されて引き渡されている。……受取人は、彼女の叔母に当たる人物だ』
御之が無言で奥歯を噛む。さっき確認した車内には二人の荷物がなかった。その理由がここで繋がった。
『千年京では身元が判別できる遺体が残る方が稀だ。逢魔時以降の行方不明、事故車の発見……総合的に見て死亡扱いになったようだ』
事実が淡々と積み上げられていく程花緒の手は震えた。言葉が出ない花緒に代わり、御之がスマホを取る。
「叔母さんの方は?」
『ああ。話を聞いてあるよ』
「どないでした?」
感情の起伏を削ぎ落とした声色だった。慈雨月も、それに応える思考に切り替える。
『……今、君達と一緒にいる「渡良世 モモ」だが、叔母の家でしばらく軟禁状態にした後、千年京へ移送させたと本人が認めている』
「死んだはずのモモちゃんが、いっぺん生身で戻ってきてたってことですね?」
『ああ。その認識でいい』
「……叔母さんの様子は?」
『……酷く憔悴していたらしい。錯乱状態だったと言っていい』
慈雨月の声が重たく沈んだ。手元の報告書に視線を落としながら、文字の向こう側にいた女の姿を思い浮かべる。
*
「私が何もかも悪いって言うんですか!? あれは……あれは、バケモノですよ!?」
――尋ねて来た興信所の男を前に、女は叫んだ。
髪は乱れ、目は血走っている。男の目に、彼女は正気を失ったように見えた。
「あれは、あの子じゃない! バケモノをバケモノの居場所に返して、何が悪いんですか!」
震え、ヒステリックに叫ぶ声。だが、その叫びの奥にあったのは怒りではなく怯えだった。女の表情が崩れ、目から涙が溢れる。
「姉は死んだ……モモちゃんも死んだ……! 私だって、それを受け入れようとした……! なのにある日……あの子だけがふらっと帰ってきたんです……!」
知らない服を着て、裸足の足が泥で汚れて、記憶は抜け落ちて。異質な空気を纏った少女が、呆然とした顔で玄関に立っていた。
女はすぐに悟った。
これはモモじゃない。モモの顔をした「何か」だと。
「本当は生きていたとか、そういうことでは……?」
恐る恐る尋ねる興信所の男に、女は首を激しく横に振った。会話の内容は異常性を増すのに、女の声は正気を取り戻していく。
「あの子の姿をして、あの子の声をして、でも言うんです。お母さんはどこ、って……。お母さん、お母さん、って……!」
女の目からまた涙が零れた。恐怖に染まった目の奥に僅かに光る、得体の知れないバケモノへの――情。
「可哀想だった……! だってあの子は、大好きな家に帰りたくて、また母親に会いたくて、たった一人で私のところまで来たんですよ……!?」
膝の上で女は両拳を握りしめた。
食事を出せば普通に食べた。感情があって会話も成立した。でも、ふとした時に後ろにある二つの金色の目に、部屋の空気がぞっと冷えた。
「バケモノでもなんでも良いって、思おうともしました……。 おかしいのは私で、この子は生きてたんだって思いこもうとしました……!」
だが、その優しさが彼女を追い詰めた。
コレがいつか牙を剥いたら? 外に出て、誰かを殺したら?
膨れ上がる恐怖。想像が現実を侵食していく。
だからもう、隠し、閉じ込めるしか思いつなかった。
「もういっそ、手放したいと思った。早く終わりにしたかった……。でも――殺すことも、できなかった……!」
――夜の林に、重たい沈黙が降りる。
語られる言葉から、同じ光景を二人も想像したのだろう。やがて、通話の向こうで慈雨月が一度息を整える気配がした。
『……限界に近づいていた彼女は、霊媒師や除霊師を名乗る人間を頼って、あちこちを回っていたそうだ』
容易に想像のつく行動だった。そして、そこから先どうなったかももはや説明不要だった。……衰弱した彼女の心に、誰かが「救い」を差し出したのだ。
『相談を重ねる中で、千年京なら、堕神の花嫁として迎え入れてくれる場所がある、という話を持ちかけられたらしい。……相手は電話越しで、素性は分からなかったそうだ』
人かどうかもわからない存在を、匿い続けた彼女の心境を思う。自分が死んだ記憶もなく、ただ母だけを求める――その純粋さが、逆に異質で恐ろしかったに違いない。
そうして追い詰められた女の前に、縋るような希望が現れた。
『……結果として、彼女は、モモちゃんを引き渡した』
告白を終えた女に残ったのは、言い訳のない後悔だけだった。相手が怪しい集団だとはわかっていなかったわけではない。それでもモモを差し出した。取り返しのつかないことをした事実に耐えきれず、女は声を上げて泣き崩れた。
――姉さんごめんなさい。モモちゃんごめんなさい。そう懺悔を繰り返す女の後ろで、まだ幼い娘が、不安そうに母を見つめていたと言う。
――ああ、そうか。
花緒の胸に、重たい絶望が落ちた。
彼女は、ただ守りたかっただけなのだ。
実の娘の命と、亡き姉の宝物。
その二つを天秤にかけること自体が、既に残酷だった。
「……」
厳しい表情のままスマホを握っていた御之が、何か諦めたように瞼を閉じた。
モモを怪しい人の手に渡したことは、確かに「間違い」だったのかもしれない。それでも、その選択の奥に、最後の"祈り"があった気がしてならないのだ。
――もしモモが本当にバケモノなら、
せめて、バケモノとして生き延びてほしい。
彼女もまた、この呪われた千年京に愚かな幻想を見出してしまった一人だったのかもしれないと、そう、思わずにいられなかったのだ。
お読みいただきありがとうございます!!
ようやく更新できました…
ここの叔母さんは、本当は最初は完全に冷たい人で、モモを生贄に出した舞台装置として書き始めました。でもモモのキャラクターやモモの母親のことを考えて書き進めているうちに、二人の関係はそんなに冷え切ったものではなかったような気がして、叔母さんにも千年京に人生を狂わされた一人になってもらいました。個人的にはモモとおばさんの関係性に破綻がなくなったので、こっちの方が気に入ってます。
今回で回想パートは終わり、次回からモモちゃん達のシーンに戻ります!スピード感爆上げていきます!
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今月は後もう一度更新したいと思っています!がんばります!。゜(゜´ω`゜)゜。




