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華炎戦譚 ー呪われた都で異形となりし神々を祓えー  作者: 葵蝋燭
零章 「2029年4月13日 逢魔時」
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第5話 「あなたのいない世界の、始まり」



 雪乃(ゆきの)は泣きじゃくる亜蓮(あれん)を引きずり、まだ被害を受けていない屋敷の奥の子供部屋に逃げ込んだ。

 

 狭く、暗い部屋の中、外の喧騒が嘘のように遠く感じる。ここだけ別の世界にいるみたいに。


「母様……っ」


 雪乃は涙を堪えながら、震える亜蓮を抱きしめた。

 

 龍脈が使えない。すぐに、何か別の手を考えないと。このままじゃ屋敷だけでない、この町の人々みんなが危ない。


 その時、亜蓮の小さな手が雪乃の肩の怪我に触れた。


「亜蓮……?」


 雪乃は最初、亜蓮が何をしたいのかわからなかった。

 亜蓮は嗚咽(おえつ)をこらえながら、取り出したハンカチを雪乃の肩に巻きつけていた。手が震え、止血もままならず、結び目は不格好になる。巻かれたハンカチが赤く染まるのを見ると、亜蓮は惨めさが胸の奥から溢れ出してボロボロと涙をこぼした。


 本当は大声で泣き叫びたいのに、それもできず(うずくま)って泣き声を殺す。ただ打ちのめされ、恐怖に押しつぶされているだけの、小さな弟。


 ――この子に戦う力はない。

 

 そう思い出した瞬間、雪乃の中で何かが崩れた。剥き出しになった心に、ひとつだけ浮かび上がったのは――絶望だった。


 今これから、私の命も、この子の命も、

 無惨に、無意味に終わるかもしれない。


「……ぁ」


 自分でも驚くほど、震える声が出た。思わず、雪乃は力いっぱい亜蓮を抱きしめる。励ますためじゃない。自分が壊れてしまわないためだった。


 亜蓮が驚いて目を丸くする気配がする。

 ――温かい。小さな鼓動と息遣いが伝わってくる。まだこの子が生きている。その事実が、こんなにも残酷で、怖い。


「お姉ちゃん……。今が、"その時"なんだよね……」


 その言葉に、雪乃はハッと息を呑んだ。


「これが、僕達が、生まれてきた意味なんだよね……?  僕達の、やらなきゃいけないことなんだよね……!?」


 腕の中の亜蓮が、震えながら顔を上げる。その目に映る、自分と同じ、絶望の色。


「二人でなら、大丈夫だよね……!?」


 亜蓮の目から涙が溢れた。自分よりずっとずっと無力なはずの亜蓮が、今使命感だけで立ち上がろうとしている。

 その姿が、決定打だった。雪乃の中で、全ての思考が掻き消える。


 ――無理だ。

  ――できない。


 沈黙する姉に、亜蓮が不安の色を濃くする。


「お姉ちゃ――?」


 ――バンッ!!


 全ては、一瞬だった。


 亜蓮が言い終えぬ間に、雪乃の手が()()を亜蓮の胸元に押し付け、そのまま亜蓮を和箪笥(わだんす)の中に叩き込んだ。


 亜蓮の手の中に収まっていたのは、あの――錫杖。驚きで固まる亜蓮をよそに、雪乃は手早く箪笥の扉を閉め、手近にあった刀剣で外側から栓をした。


「お姉ちゃんっ!! なんで!? なんでッッ!!?」


 小さな拳が内側から扉を打ち鳴らす。呆然とする雪乃の耳に、亜蓮の悲鳴が反響する。


(……終わった。何もかも)


 雪乃の膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。


「おかしいな……私……もっと強かったと、思ったのに……」


 馬鹿だ……馬鹿だ……。

 

 何が『戦う者の業』だ。

 何が戦わずにはいられない、だ。

 何がみんなを守りたい、だ。

 

 私は何も分かっていなかった。

 戦うことの本当を、守ることの難しさを、覚悟を、私は何一つ分かってなかったんだ。


 空っぽの両掌を広げる。

 ()()()()

 何も残らなかった。


 自信とか、情熱とか、これまで積み重ねてきた経験や、感じてきた全て。それが今、何もかも意味をなさなくなった。


「これが私の、終わり…………」


 ――いや、違う。

 

 雪乃は拳を握りしめ、震える脚で立ち上がった。呼吸を整え、箪笥の扉に静かに手を当てる。


 まだ、私はここにいる。生きているなら、まだ終わってない。私が身につけてきた最後の力で、この子の命を守り繋ぐ。それが、今のこの絶望的な状況で、唯一私にできることだから。


 この子は――私が生き残らせる。


「なんだ私……意外と愛情とかあるんじゃん……」


 雪乃は自虐するように力無く笑った。意地悪ばかり言う嫌な姉だったが、やっと姉らしいことをできそうだ。そっと額を扉に当て、祈るように囁く。


 ――ありがとう。

 最後の最後に()()()()気がする。


「亜蓮ありがとう。大好きだよ。 大丈夫……()()の思いが、あんたを守るから」

 

 扉の向こうで、雪乃の瞳は宿命に燃え輝いていた。肩口から溢れる血を2本指に含ませ、泣き出しそうな笑顔を浮かべながら文字を刻む。


「だから生きて。あんたの"その時"の為に」


 雪乃は扉に差した刀剣の(さや)から刀を一気に抜き放つと、亜蓮の悲鳴を背に走り出した。


「嫌だ!! お姉ちゃん!! お姉ちゃん行かないで――!!」


 外には無数の化物が蠢いている。夜の闇に包まれたその中で、雪乃が構えた日本刀の刀身が眩い銀色に輝く。


 不思議だ。これから死ぬのに、実感がない。恐怖も、使命感もない。ただ、全てをやりきった充足感だけが胸を満たしている。あの子は私が守り通す。あの子が――私の生きた証になるから。


「なんかすごく――いい気分だ」


 雪乃の金色の瞳が笑った。襲いかかる無数の化け物。だが、少女の眼差しは一瞬たりとも揺るがなかった。


 焼けるような空の下で、刃が銀色の閃光を放つ。雪乃の叫びが空気を震わせ、夜闇を切り裂いていった。



* * *



 ――夜明け。

 火は消え、死の静寂に包まれる屋敷に、煤まみれの一人の女が足を踏み入れた。

 

 花緒(はなお)だ。木材や生き物の焼けた匂いが漂う中、足早に屋敷を駆け回る。


(お願い……! どうか無事でいて……!)


 焦る気持ちを必死に堪え、屋敷中を走る、その時だった。祠池の淵に伏せる影に気づき、息を切らして駆け寄る。あったのは――、芽覚(めざめ)の遺体だった。


「芽覚様……っ!」


 花緒の声が震える。焦げた空気の中、彼女の目に涙が溢れた。


「……っ、はぁ」


 涙を拭い、目を赤く泣き腫らして再び立ち上がる。

 絶望するな。諦めるな。震え、強張る脚を必死に奮い立たせる。


 さらに屋敷の奥へと進み、異様な静けさが漂う空間にたどり着いた。亜蓮の子供部屋だ。


「……」


 音を立てないように扉を開け、数歩進み出る。

 ――誰もいない。だが、無人の空間に、彼女はかすかな気配を感じていた。


 花緒の視線が、部屋の隅の刀掛けで止まる。


(刀剣がない……)


 そして、惹きつけられるように目に入った和箪笥には――殴り書きのような血文字。



  『あれんを たのんだ』



 取手には、外側から(さや)で栓がしてあった。


(まさか――!)


「亜蓮様っ!!」


 震える手で扉を開け放つ。だが、そこには何もなかった。ただ、冷たい空気と異質な闇だけが、彼女の目の前に広がっていた。

 

 だだ一つ……小さな子供たった一人だけが座り込める、小さな空間を残して。


「亜蓮、様……」


 最後の希望が消え、花緒の手が呆然と滑り落ちた。



* * *



 暗闇の中、亜蓮は冷たい水に沈んでいく。

 

 凍えるような闇が身体を包んでいた。心臓すら止まりそうなのは、この闇の冷たさのせいか、それとも、生きることへの絶望なのか。


 閉じた瞼の裏に浮かぶ姉の姿。

 手の中に残された希望。


 ――何もできなかった。何も残らなかった。


 水の底へと沈む少年の涙が、光の粒となって宙に浮かぶ。


 ――せめて僕に、力があれば。

 みんなを守れるくらいの、戦う力があれば。

 何か、違っていたかもしれないのに……


 少年は眠るように目を閉じる。

 両手から力が抜け、冷たい暗闇に――沈んでいった。


 



貴重なお時間いただき、ここまでお読みくださりありがとうございます!

次話からはガラッとテンション爆上げて退魔アクションものになります!


リアクションや感想、ブクマや⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎などで応援いただけると励みになります。


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― 新着の感想 ―
物語序盤とは思えない密度と温度でした。亜蓮の「優しさゆえの弱さ」と、雪乃の「強さゆえの脆さ」が、姉弟の会話からさりげなく滲み出ていて、後々の悲劇を静かに予告しているところが本当に巧みです。 特に第5…
改稿お疲れ様です。 情景がスムーズに思い浮かべられるようになり、より感情移入しやすくなっていました。 お見事!
え……地獄……。 言葉にならない……。
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