第31話 「ミーティング・国家退魔師サイド」
柊馬は、研究棟の一室の前で立ち止まっていた。
白いドアの横には、小さな札に「神尾」とだけ書かれている。
(……神尾さん、いるよな)
集団神隠し事件から、もう二週間。
共に死線を越えた仲間達。けれど終わってみれば、みなそれぞれ別の部隊に振り分けられ、誰も彼も前線に駆り出されて、顔を合わせることすらなかった。
かつて雑用係で裏方に徹していた柊馬も、今や毎日、堕神を狩る戦闘員だ。
(……聞きたいことが、山ほどある)
――この力は何なのか?
あの黒衣の青年は何者だったのか?
彼らが国家に与しない理由とは?
真珠は、何か気づいているようだった。集合時間より早く来たのは、少しでも長く話がしたかったからだった。
顔を上げ、ドアをノックする。
――コンコン。
「はぁーい!」
軽やかな真珠の声が返ってきた。久しぶりに聞く調子に、ほんの少し肩の力が抜ける。
「はいはい! いらっしゃい!」
ガチャン、とドアが開いた。
固まった。
真珠が、マグカップ片手にこっちを見ている。白いワイシャツを一枚羽織り、下は下着だけ。裸足の生脚に、髪は少し乱れて降ろしたまま。両耳に並ぶ黒いピアスだけが異質に浮いている。
「雑用くん久しぶり! あ、もう雑用じゃないんだっけ! ま、上がって上がって!」
背中を押されてドアが閉まる。何事もなかったかのように、ぺたぺたと部屋の奥へ戻っていく真珠。
…………いや……上がれるわけないだろ!!
「あ、あの神尾さん、俺出直して――」
その時、奥の仮眠室からものすごい声が響いてきた。
「神尾さん!! 服を着てください! お願いですから! コーヒーより先に服!! 服っ!!! いい加減にしてください!!!!」
柊馬の視界に悍ましい光景が飛び込んできた。大の字の大男がベッドに括り付けられている。……剛健だ。全裸の筋肉だ。
ベッドの周りには資料の紙やら、何かの測定器やモニターやらが散乱していた。哀れな筋肉がベッドをガタガタと揺らし、逆に真珠の心配をして叫んでいる。彼の股間の尊厳を守っているのは、今にも吹き飛びそうな紙切れ一枚だけだ。柊馬の脳が処理を拒んで石になる。
「あっ、ごめーん! クガくんのこと忘れてた! 雑用くん、ちょっとお願いね!」
「えっ……えっ!? 俺ですか!?」
返事を聞く前に、真珠はひらひらと手を振り奥のドアへ消えていった。取り残される柊馬と、悲しそうに上目遣いで見てくる張り付けの筋肉。
「…………」
「…………」
「……あ、あの……。ほどいてもらって、いいですか……」
*
「……はぁぁ」
ようやく服を着た剛健が、ソファに座り長く息を吐く。手首には赤い跡が残っていて、情けなくそれをさすっていた。
柊馬はテーブルを挟んで向かいに座り、申し訳なさそうに眉を寄せる。
「……あの、すいませんでした。俺が早く来たばかりに……」
「えっ!!?? あ、いや、それは!!」
(……そんなに動揺されると俺の方が冷静になってしまう……)
「その、空閑さんと神尾さんって、そういう感じだったんですね……。すいません、俺、そういうの、無意識に避けるというか、考えないようにする癖あるみたいで……」
「い、いやっ!! ち、違っ……!? あ、ほ、ほんとに、い、い、いいんです、別に……」
剛健は慌てて目を伏せる。
「お、俺の異能、防壁や回復に特化してるみたいなんですが、多分それだけじゃなさそうで……。色々調べられていたというか、いじくり回されていたというか……。な、なので、白波さんが思ってるようなのでは、ないと思いますし……。お、俺なんか……手頃な実験体というか、たまたまあった手近な棒というか……」
青い顔で自虐の極みをぶつぶつ呟く剛健。その様子に、柊馬の顔が憐れみで死ぬ。その時、ノックすらなくバンッ、と唐突にドアが開いた。
「おっすー。あんだ、真珠いねーじゃん」
「し、失礼いたします……」
シノとひなこだ。いつも通りに威圧的なシノが先に入ってきて、おずおずとひなこが後に続く。
「はー……ねみー……」
シノはどかっとソファに沈み込むと、頭を後ろに倒して深く息をついた。疲れで少しうとうとしかけたが、
「……なんか臭ぇなこの部屋」
「俺換気してきます!!!」
剛健が血相を変えてシュバッと立ち上がり、窓を全開にしに行った。
「おっ、みんな来たねぇ!」
ちょうど、奥の部屋から真珠が現れた。さっきまでのだらしない姿は跡形もなく、完璧に着こなした国家退魔師の白装束。
「早く終わらせろよー? 死ぬほど忙しいんだからなこっちは。」
「はは、シノは相変わらずだねぇ。」
真珠が楽しげに肩を揺らして笑う。その後ろから、剛健もそそくさと姿を現した。
「――よし」
真珠がパンと両膝を叩く。それだけで場が締まった。
「まずは、みんなお疲れさま。こうして揃うのは、あの日以来だね。君たちの活躍はちゃんと耳に届いてるよ」
柔らかな笑みで5人を見渡す。
「あの死線を一緒にくぐり抜けたんだ。今日は上下関係抜き。何でも言ってくれていい」
少し笑って肩をすくめる。
「ま、私達異能退魔師は、既に上も下もなく同格にこき使われてるわけだけどね」
「ったく、ほんとだぜ」
シノが吐き捨てる。
「異能が使えるようになった途端、馬車馬みたいに働かされるんだからよ」
「正直、休む暇なかったですよね」
柊馬も同意して小さく頷いた。
体に浄化魔力を溜められる。ただそれだけで、活動量も持久力も人間を超えてしまう。退魔師隊にとって、それは切り札であり――同時に酷使される理由だった。
「……あの」
遠慮がちに、ひなこが小さく手を上げた。
「私、ここにいる意味ありますか……? もし慰労だけの会なら、もう帰りたいんですけど……」
「なに言ってんのー! 君にこそ、ここにいてほしいんだよ! だって、今回の一番の功労者は君だろう?」
「そーだぞ!」
シノが腕を組んでツンと言う。
「なこたんがいなきゃ、俺達結界に突入すらできなかったんだからな!」
ひなこは少しむくれて、けれど照れ隠しのように視線を落とした。
「神尾さん」
小さく挙手したのは柊馬だ。
「おっ! いいよ〜! ……えっと」
「白波 柊馬隊員です。そろそろ名前覚えてください……」
真珠の後ろで剛健が呆れる。
「はいはい、じゃあ柊馬くん」
「前に話してた、黒衣の退魔師。亜蓮と呼ばれていた彼の事情って、結局何なんですか?」
「いい質問だね。それも、これから話そうと思ってたことだ」
「彼はあれだけの力を持ちながら、国家とは一定の距離を保っている。少人数で動き、協力はするが決して取り込まれない。つまり、そうするしかない理由があるんですよね?」
「ハッ、知ったことかよ」
シノが不機嫌に頬杖をつく。
「特別な力持って、国家の枠に入らずイキってるだけだろ。国家管理に置いた方がよっぽど合理的だっつーの」
「いや、それができないんだ」
真珠はあっさり断言した。
「今回、私たちが得た異能――仮に【浄炎華法】と呼ぶけど、あれはそもそも限られた人数にしか与えられない力なんだと思う」
「限られた人数?」
シノが眉をひそめる。
「"数の制約"ってことですね。 確かに、強力ですね」
占いをするひなこは通じるものがあるのか、素直に理解した。真珠が頷く。
「もともとは8人。でも、あの場で彼はそれを――12人に増やした」
真珠の脳裏に、光陣を組み替える亜蓮の姿が蘇る。
「私達を、助けるためにね」
その言葉に、シノは苛立たしげに足を揺らす。
(確かに、あのままじゃ俺達は死んでた。……借り作らされた気分だ。気に食わねぇ)
「し、しかし、暁月のメンバーは4人だけでしたよね……?」
剛健が首をかしげる。
「なら俺達4人を足して、ちょうど8人じゃ……」
「いえ、少なくともあの場に暁月は5人いました」
「は?」
断言した柊馬をシノが睨む。
「棺屋先輩に泣きついてきた、茶色い羽織の男ですよ」
「あ…………? ――あいつか!!」
千助のことだ。惨めな泣き声と情けない悲鳴を思い出す。剛健は信じられなさそうに口元に手を当てた。
「全然仲間に見えませんでしたけど……」
「どうしてわかったんだい?」
真珠が面白そうに首を傾けた。
「他の人質より回復が明らかに早かったので、何か耐性がつけられてるのかなと……。それに、亜蓮も鬼の女の子も、視線を彼に向けながら何か相談する素振りがありました。恐らくその時に、彼は一般人に隠して保護させるやりとりをしたんじゃないでしょうか」
柊馬の細やかな観察に、シノがゾッとした顔で距離を取る。
(こいつ……人見過ぎか……? キモッ……)
「つまり、突然9人分の枠が必要になったから12人まで枠を増やした……」
剛健が唸る。
「しかし、なぜ人数を絞らなければならないんでしょう……?」
今度はひなこが口を開いた。
「八部衆とか十二神将とか、数が決まった神話や伝説って多いですよね」
「そう、それと同じ理屈だよ。規格外の力は、不特定多数に与えるよりも、数を絞った方が濃く、強くなり、安定するんだ」
「……なるほど」
柊馬が小さく息をつく。
「けど、国家に管理させたってそれはできる話じゃねぇの?」
「いや……無理、かも」
ひなこが眉を寄せて考え込む。
「あんで?」
「だって――」
ひなこは口元に手を当て、怯えるように呟く。
「そうしないと――力の“神秘性”が消えてしまうから……?」
「……あ? 神秘性……?」
「うんうん、いい表現だね」
真珠が楽しそうに頷いた。
「なに、どゆこと?」
「えっと、推理ものとかで、よくあるじゃないですか。幽霊や妖怪の仕業に見せかけた奇妙な事件が起こる。理屈も意味もわからくて、怖い。でも最後にトリックで解かれて、“人間の犯行でした”ってなる。そうなると、面白い、理解できるようになって、怖くなくなる、みたいな……」
ひなこが、うまく説明できない歯痒さで爪を噛む。
「それまであった、得体の知れない恐怖が消える。人間の理解できる範囲に落とし込まれるってことですかね?」
「ふーん、そっちの方が怖かったってパターンもあるけどな」
柊馬が考え込んで顎に手を当て、シノは頭の後ろに手を組んだ。
「いや、問題は力が解体されてしまうことにあるんだよ」
真珠が両手を組んで笑った。
「なに? 解体……?」
「意味がわからないから怖い。理解不能だから強い。神の領域は、解体された瞬間ただの兵器になる。つまり、この力は正体を暴いちゃいけないんだ。国家管理に置かれれば、この力は人の手で研究され、解析されるのを避けられない。」
真珠の声が静かに響いた。
「だから彼らは少人数で、謎めいたままなんだよ。力のために、神秘性を守り、タブーを犯さないようにしている。そして、手にした者にとっては、言葉にするより感覚的な説得力があるのがこの手の力さ」
「考えるな、感じろってか?」
皮肉るように笑うシノに、真珠もふっと目を細める。
「この理は、下手に踏み込みすぎれば、どんな“跳ねっ返り”がくるか分からない。それこそ――命じゃ済まないかもね」
「なんか……生き物、みたいですね……」
柊馬がぼそりと呟き、部屋が静まり返る。
(彼は今、どうしているだろうか……)
真珠は心の奥底で、亜蓮の姿を思う。
(あの時、彼は明らかに神の領域に踏み込んだ。その代償は大きいはず……身体的なダメージだけで済むまい。神の呪いというのは一番本人が嫌がる形で降りかかる)
――それこそ、その人の生きる意味を奪うような……。
(いや、それは私が考えることではない、か)
例えその両手から全てがこぼれ落ちようと、目の前で傷つく命を見放すことなどできない。
――それが君の生き方で、逃れられない業なのだろう?
……華上 亜蓮。
真珠は目を閉じ、思考を闇に沈める。
「――さて!」
パンと手を打って空気を切り替えた。
「それじゃ、本題だ。みんな異能の扱いには慣れてきた?」
(えっ、今の本題じゃなかったの?)
ひなこの笑顔が引き攣った。
「実戦なら嫌ってほどやってるぜ」
シノが得意そうに鼻を鳴らす。
「力の使い方も、ようやく分かってきました」
柊馬は手を握って、開いて、確かめる。
「お、俺はまだ不安はありますが……練習は欠かさず……」
剛健はおずおずと告げる。
真珠は一人ずつ確かめるように見渡し、にやりと笑う。
「ねえ、もう一度彼らに会いたいと思わない?」
シノが眉をひそめる。
「暁月からはあれ以来、全然接触がない。ちょっと寂しいと思わない? 同じ敵と戦って、同じ異能まで分け合ったのにさぁ! 同じ異能仲間として、もっと手を取り合って、仲良くなるべきじゃない!?」
「……何が言いてぇんだよ」
シノが口角を吊り上げる。真珠の紅い瞳が細まり、唇がゆっくりと笑う。
「――私は暴きたいんだよ。彼らの意思も、目的も、この異能の根源も――何もかも、根こそぎね」
シノが突然、ゲラゲラと天井を仰いで笑った。血の匂いを嗅ぎつけた犬のように、瞳がぎらりと光ふ。
「はははっ! てめぇ今自分で言ってたじゃねーか! 踏み込みすぎると命はねえんだろ?」
「そうだよ!!? でもこんな面白いこと、見逃して終われるわけないじゃない!」
真珠は立ち上がり、目を輝かせて手を広げる。
「この力の謎を辿れば、神と呼ばれるものの正体に触れられるかもしれない。このわけのわからない異界が現代に構築された原理! 異能と呼ばれる力の正体! 千年京の本質だって掴めるかもしれないんだよ!? 彼はそれを知る鍵を握ってる! 絶対に接触したいっ!!」
「しかし……もう暁月の方から姿を見せるとは思えませんよ」
剛健が顔を強張らせた。
「問題ない」
真珠は腰に手を当て、獣のように笑った。
「彼らもまた、国家という運命に巻き込まれたのだからね」
真珠が全員に向き直った。その瞳が、薄く笑う。
「――明日、平門 氷室の謹慎が解ける」
その名を聞いた瞬間、空気が一気に張り詰めた。
――平門 氷室。国家退魔師隊最強の冷酷無比な氷の異能使い。
「あいつも混ぜてやろう」
真珠の声が甘く踊る。
「楽しい楽しいド定番――“チーム対抗親善試合”といこうじゃないの」
真珠は瞳を爛々と輝かせた。
「国家退魔師隊・異能部隊 vs 暁月――でね」
その瞬間、シノが牙を見せて笑った。柊馬の血が熱くなり、剛健はごくりと固唾を飲んだ。
(今度こそ……会える……!)
ひなこが静かに拳を握る。
彼等と――真正面から戦う。
血が騒ぐ音が、全員の胸で同時に鳴った。
お読みいただきありがとうございます!
第3章は、暁月VS国家退魔師隊異能部隊メンバーで全力でボコり合ってもらいます♡
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◆国家退魔師隊 異能部隊メンバー
平門 氷室 41歳
神尾 真珠 34歳
空閑 剛健 36歳
棺屋 シノ ?歳
瑠璃染 ひなこ 17歳
白波 柊馬 20歳




