第26話 「あのひにかえりたい」
堕神の櫓から無数の黒い影が吐き出された。頭を笠にした踊り子のような影人形。異様に細い腕と脚をしならせ、櫓の周囲を踊り回る。
その様子を、二つの澱んだ金色の目が屋台の上からじっと見つめている。
「ようしーーっ!」
モモが両手で金色の戦斧を構え、目を爛々と輝かせた。
「亜蓮さんに、いいとこ見せるチャンスです――ねっ!!」
桃色の髪が弾け、体が風を裂いて宙を舞う。御之との共闘の直後で、モモの戦闘の感覚はトップギアまで開かれていた。
(あの白髪の人の魔術が発動するまであと、4分もない、はず! でもその間に、堕神は狂愾を吸ってどんどん強くなる!)
今回の勝敗は、耐えきれるかどうか。つまり時間を稼ぐだけの戦い。
(……けど、それでいいのか!?)
花緒と御之に教わったこと。ここで生き抜くためにも、強くなるためにも、今この場で、自分の最大をぶつけるべき!つまり!
(タイムリミットより先に、私が堕神を倒す!!)
モモの瞳孔が、鬼のように細く収束する。
「はあっ!!」
戦斧が唸る。一撃で踊り子の影を一列に叩き斬った。爆散する瘴気。すぐさま飛び上がり、提灯の糸を掴んで身体を反転。再び宙を舞い、影を斬り裂く。
跳ね、回り、叩き斬る。一点突破の連撃。それなのに、範囲攻撃以上の制圧力。戦場の中心に、桃色の光が花火のように咲いた。
「うおおおおーー!? やっっっべぇーー!!」
真珠が絶叫した。
「異形並みのフィジカル……それでいて、人間性がはっきり残ってる!? それにあの斧、瘴気を弾いてる!?? 具現化した魔力の武器!! 魔力源は? 瘴気汚染は!? いや、そもそも魔力の質が別物!!?」
興奮で真珠の手が震える。スマホを取り出し、取り憑かれたように録画ボタンを押す真珠に、剛健が青ざめた顔で叫んだ。
「神尾さん!? 今はそれどころじゃ――!」
「何言ってんの……今だからこそでしょ……ッ!」
真珠はカメラ越しにモモを捉えたまま、口角を引き攣らせた。
「こんなチャンス……次はもうないかもしれない……! この距離で、こんな戦闘……! 持ち帰らなきゃ……! 死んだも同然じゃん……!!」
ぞっと剛健が青ざめるた。真珠の意識はもうそこにはない。
「構ってんじゃねえ、やらせとけ!」
「し、しかし……!」
シノは札を放ちながら、視線だけ剛健に振り返る。
「刻印は済んだ! あとは時間を稼ぐだけだ! うかうかしてっと、てめえもやられっぞ!」
瞬間、宙におもちゃの射的銃がズラリと並んだ。一斉に銃口がこちらへ向く。
「来るぞ!!」
銃火が火花を吐いた。シノと剛健が退魔札を放つ。雷光が閃き、飛んできたコルク弾を爆砕し、おもちゃの銃ごと弾き飛ばす。
「なんだこれ……ふざけた攻撃しやがって……!?」
(なんだ、何かがおかしい……! いつもの堕神と何かが違う……!)
だが、その一瞬の思考が死角を生んだ。
「副隊長!!」
柊馬が叫ぶ。シノの背後で、銃口が自動で引き金を絞る。反射的に退魔札を指にかける柊馬の顔が青ざめた。
(間に合わない!!)
瞬間の一閃。鮮烈な赤。射的銃が一刀で吹き飛び、紅蓮の炎とともに焼き払われる。
「っ!?」
シノの視線が跳ね上がる。
赤い軌跡が宙を滑る。屋台の屋根を蹴って跳ね返り、影の群れへ突貫する黒衣。月の兎のように軽々宙を跳ねるその手には、華のように赤く燃える日本刀。業火のように燃える赤い瞳。千年京最強――華上 亜蓮の攻撃だ。
「うおおおお!! こっちもヤッッッベええっ!!」
真珠が叫び、即座に亜蓮にスマホを向ける。
亜蓮は影の中央に着地すると全方位を斬り裂く。襲いかかる影を、一振りで正確に断ち切っていく。剣筋は、剣舞のように美しく。なのに暴力的で、圧倒的。
「……チッ、助けたつもりか?」
空中の亜蓮と、シノの視線が交錯する。
瞬間、時が止まる――“その目”。烈火のように燃え、氷刃のように鋭い。空気ごと切り裂く太刀筋は、ただ見ているだけで力の違いをわからせてくる。
(これが……暁月……)
千年京最強勢力。その本質を、初めて間近で見た。
――まるで、修羅。
圧倒的だ。
反吐が出るほど!!!
「自分達だけ特別ですって顔しやがって……!!」
細めた目に、呪詛のような光が宿る。
「あー……殺してぇッ!!!」
シノの殺気を背に、亜蓮は飛んだ。踊り子を斬り捨てながら、その視線は絶えず地上を探っている。
(花緒……! どこだ!?)
モモが奮闘している。退魔師隊もこの状況に怯むことなく応戦している。だが、補給路がない今いずれ彼らの退魔札は尽きる。
(僕が引きつけるしかない!)
亜蓮がアトノマツリの櫓を睨む。刻印のタイムリミットまで、もう二分もないはず。だが――
(……まただ、この違和感……!!)
虫の予感のような直感が、胸で警鐘を鳴らし続ける。
(神格は付喪神に近い……なのに力が神格と見合わない! 何だ、この堕神の正体は……!?)
敵のルーツを見極めることは、退魔において生死を分ける。ルーツが変われば、攻撃、能力、対処法も変わってくる。だが今回は――思い当たらない。
(モモの時と同じだ……不自然なほど作り物!!)
炎のように赤く染まった剣が、もう一度敵を切り裂いた。地上からその様子を見上げる柊馬が思わず声を漏らす。
「……すごい!!」
手は絶え間なく雷の退魔札を投げ続けながらも、柊馬の視線はずっと、空を舞う亜蓮を追っていた。
一見、ただ向いくる敵を斬っているように見える。けれどよく見れば、その剣筋は微かにこちらを庇う動きを含んでいる。
(こっちの札の残数を気にしてる……いや、それだけじゃない)
冷静に見えて、亜蓮の目の奥にはずっと焦りが滲んでいた。彼の視線は、踊り子の群れのその奥の「人波」を探している。
(誰かを、探してる……? やっぱり他に仲間がいるのか!)
「はあああああああああああ!!」
上空から響く雄叫び。顔を跳ね上げた柊馬の視界に、桃色の斬光。モモが踊り子たちを蹴散らし、一直線に堕神本体へ迫っていく。
振りかぶる戦斧に集積する眩い魔力。桃色の炎が、鮮烈に燃え上がった。今だ!と歯を食いしばるモモの頭に、冷たい声が問いかける。
――どうして戦う?
亜蓮に認められたいから?
背中を並べて戦いたいから?
そんな、ただの承認欲求のために?
「違う!!」
モモが吠えた。
認められたい。隣に並びたい。戦いたい。
だけど、それだけじゃない。
「ぜんぶ……私のためなんじゃああああああ!!」
地を割る勢いで戦斧が振り下ろされる。
だがその瞬間、
ビィイイイイイイイイイイイイイ!!!!
「――がはっ!!」
櫓から魔笛のような音波が炸裂した。脳が内側から金槌でぶん殴られたような衝撃に、モモの鼻から血が吹き出す。
「あ゛っ……ぐ……っ、く、そおお……!」
必死に歯を食いしばるも、音の波動が壁になり刃が届かない。でも、ここまで近づいたチャンスを不意にできない。力づくで斧を押し込む。
「こ、ん、のやろおおおおおお!!」
腕に浮いた血管がビキビキと鳴る。一瞬、筋肉が膨張したように見えた。
「いけ……る゛……っ!!」
そう思った次の瞬間、ドオッ!!と太鼓の重低音が爆発した。モモの視界が真っ白に弾け飛ぶ。
「な゛っ……!!」
意識が完全に飛んだ。空を裂いてモモが吹き飛ぶ。その体を、亜蓮が滑空して受け止めた。地面に叩きつけられながら、亜蓮が背中でモモを守る。
「す……いませ……っ」
辛うじて意識を取り戻す。モモは顔をしかめ、鼻血をぐいっと手の甲で拭った。
「動けるか?」
「……だいじょ……はっ!?」
モモの顔が真っ赤になる。至近距離に亜蓮の整った顔があり、自分は胸の中に収まっていた。
(えっ……なんか、木みたいないい匂いする……じゃない!!)
慌てて視線を逸らしたその時、視界の端で、それを見つけた。
「亜蓮さん! あれ!!」
石灯籠のそばに細い身体が倒れていた。白いワイシャツ。蝶の簪。そして、右手の指輪が銀色の光を返す。
(花緒っ!!)
意識がない。亜蓮の呼吸が詰まった。モモは戦斧を握りしめ立ち上がる。
「花緒さんをお願いします! 私は堕神を止めますから!」
「頼んだ!」
モモが再び宙に飛び、亜蓮は地を蹴った。その動きを、柊馬が視界の端で捉える。一人の女性へ駆け寄る亜蓮。抱き起こす腕に、隠せない情がにじむ。
(なんだ……?)
柊馬は目を細め、じっと観察した。
亜蓮の顔――そこに浮かぶのは焦り、痛み、心配。敵を斬るときには見えなかった人間らしい表情。
花緒が弱々しく首を動かし、薄く開いた翠色の目と――かすかに視線が合った。その瞬間、柊馬の中に電流が走る。
彼女だ!!
全てが繋がった。あの結界。魔力から感じ取った意志。理屈じゃない……でも彼女だ。柊馬の中で確信が駆け抜ける。花緒が、退魔師隊をも凌ぐ結界を張った術者だと。
柊馬の視線に気づいたシノが亜蓮を見やる。そして、興味なさそうに鼻で笑った。
「なるほどね……アレも仲間ってわけ」
亜蓮は花緒を抱き支え、必死に呼びかけていた。
「花緒、しっかりしろ! 花緒!!」
花緒の瞳がかすかに開いた。焦点の合わない翠色の瞳が、ぼんやりと亜蓮を映す。
「……亜蓮、様……」
細い手が、縋るように伸びる。けれどその手は亜蓮の頬に届く前に、空中で止まる。
「ごめ……なさ……、あ、だ……わたし……や……や、やだ……っ」
翠色の目から涙が溢れた。花緒自身にも止められない、壊れかけた心の音。
「ご、ごめんなさい……! ひとりにして……ご、ごめん、なさい……!」
亜蓮の目が見開かれる。そして――悟った。
「花緒……まさか……」
わかってしまった。
花緒が今、何を見ているのか。
どんな過去に囚われているのか。
「か、えりたい……!」
彷徨うように空を掴む手。零れる熱い涙。花緒の瞳は、もう目の前の亜蓮を見ていなかった。
映しているのは――あの日、置き去りにした小さな主人だけ。
全てを理解して、亜蓮の手が震えた。
――花緒は後悔しているのだ。許せないのだ。
あの日、自分だけが災禍から逃れてしまったことを。
あの日を生き延びてしまったことを。
今、こうして生きていることを。
「かえりたい……。あの日に、かえりたい……!」
胸が抉られるように痛み、亜蓮の表情が悲しみに染まる。戦意を失ったその姿を、シノは冷たく一瞥した。
「時間だ」
人差し指が、アトノマツリを指した。赤黒い刻印が、堕神の胸で不穏に脈打つ。
「感動ごっこなら、帰ってやれよ」
その言葉と同時に、空気が死の匂いで満ちる。
モモの背中に戦慄が走った。思わず脚が凍りつく。
(なに、このやな感じ……!?)
――ドクン!!心臓を撃ち抜かれたような衝撃と共に、堕神の体が大きく震える。赤黒い刻印が、破裂するように広がり――次の瞬間。
ドッ!!
亜蓮の目の前で、堕神の首が見えない一撃で吹き飛んだ。そのまま、胴体が千切れるように真っ二つに裂ける。
「――ふん」
不敵に笑ったシノ。だが、その表情は凍りついた。
確かに死んだはずの堕神が、ゆらりと頭をもたげたのだ。




