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第24話 「トリガーを引く」


 空気が鋭く裂けるような感覚が肌に走る。

 ひなこのすぐ後ろを歩いていた柊馬(しゅうま)がハッと足を止めた。


(今……何かが変わった?)


 そう思った瞬間、視界が一変する。祭りの灯りが掻き消え、世界が唐突に闇一色に染まった。


「……は、え!?」


 ひなこが怯えて悲鳴を上げた。視界だけではない、膜を指で押さえられたみたいに、耳の奥が重たくなる。


「なんだ……?」


 シノが辺りを見回したその時だ。背後から甲高い悲鳴が聞こえ、誰かが全力で走ってくる。


「たすけてーッ!!」


 その顔ぶれに柊馬が驚いた。

 まさか……中隊長の神尾(かみお) 真珠(まじゅ)に、ベテランの治癒術師で知られる190㎝の巨漢――空閑(くが) 剛健(ごうけん)だ。


 前線で戦う彼等が何かから逃げている。柊馬の嫌な予感はすぐに形になった。

 

 剛健の顔面は蒼白でしきりに背後を気にしていた。すぐ後ろから、無数の異形達が濁流のようになって追いかけてきている。状況を察したシノが鋭く舌打ちした。


「……チッ、ババアが……! おい雑用! 出番だ!」


「《防壁・雷結》!!」


 柊馬は即座に数枚の退魔札を取り出し、前へと放った。

 札は矢のように飛び、真珠と剛健の背後に光の障壁を形成する。直後、異形の群れが結界に突撃した。障壁に触れた瞬間、異形どもはバチバチと火花を散らしながら弾き飛ばされる。


「た、助かった〜……ナイスぅ〜……!」


 真珠はその場に膝をつき、息を切らせながら柊馬に親指を立てた。


「いやー二人じゃ捌ききれなくてさー! ほんとに誰もいないんだもん! 逃げてきちゃった!」


「真珠てめー! 研究やめて百鬼夜行でも始めたのかよッ!」


(本当に神尾中隊長だ……)


 柊馬は思わず呆然とした。真珠に、剛健、それにシノ。裏方で働いている自分などでは、滅多にお目にかかれない豪華な顔ぶれだ。想定外の巡り合わせとチャンスに、柊馬の心臓が熱くなる。


 だが、そんなやりとりの間にも光の結界に亀裂が走った。異形の群れが堰を切ったように押し寄せ、結界を突き破ってなだれ込んでくる。


「くっ……!」


 剛健が即座に前へと出て、拳に魔力を集中させる。


「"破"ッ!!」


 轟音を伴う一撃で、突進してきた異形の群れが粉砕された。


「うっそぉ!!? クガ君やるぅ!」


「いいから走って!!」


 言葉を交わす間もなく、剛健を殿(しんがり)に退魔師達は本殿の方角へと駆ける。だが。


「……い……!?」


 本殿の光景を見て、ひなこの声が震えた。つい先ほどまで人がまばらに残っていたはずの空間は不自然なほど無人だった。


「誰もいない……!」


 恐怖でひなこの足が止まった。空っぽになった境内。警告灯のように並ぶ赤提灯。異常な状況を受け止める暇もなく、また異形の波が押し寄せる。


「囲まれたな……!」


 シノがひなこを庇うように前に出た。即座に戦闘体制に移りながら周囲を見渡す。


「はあ、めんどくさっ!!」


 シノの放った札が雷光になって境内を揺るがす。眩い閃光が異形の群れを駆け巡り、次々に弾け飛ばしていく。


「こりゃアレだな。まるで――」


「神隠しにでも遭ったみたいですね」


「おいコラクソ雑魚! 俺のセリフ取んな!!」


 シノが怒鳴ったが、柊馬は淡々と退魔札を投げ続ける。むしろ、シノの反応を見て予感が確信に変わった。


 ――間違いない。これは『神隠し』だ。


「状況を整理するよ!」


 真珠が澄んだ声を張り、全員の意識が瞬時に引き寄せられた。


「この場に残されているのは我々。神隠しに遭ったのは私達ではなく、境内にいた客達だ」


「つ、つまり……!?」


 剛健が真珠へ問いかける。


「深夜残業決定ってこと」


 真珠は笑いながら札を放ち、踵を返す。白い隊服が闇に翻った。


「これより、現地に残った我々を臨時小隊とし、堕神(だしん)の討伐および民間人の救助に当たります!指揮は私、神尾 真珠! 副隊は、棺屋(ひつぎや) シノ!」


「おい! 勝手に仕切んな!!」


 シノが鋭く札を投げながら怒鳴る。


「目標は現在、固有の結界内に潜伏しているとみられ、魔力探知による位置特定は困難!目標敵堕神を『アトノマツリ』、現在進行中の現象を『神隠し』と仮称し、対処します!」


 場が引き締まり、全員の視線が周囲を鋭く捉える。真珠はひなこに目を向けた。


「君は事務員だね? 我々から離れないように」


「る、瑠璃染(るりぞめ)ひなこです……! 足手纏いになり申し訳ありません……!」


 ひなこは陣形の中央に身を縮めた。異形の群れが退魔師達を包囲する。


 札が飛び、雷光が閃き、魔力の奔流が空間を引き裂く。戦いながら、シノは背後の真珠へ視線だけを向けた。


「で、どうする!? 敵を炙り出す方法、あんのかよ!」


「ああ! 神隠しは予測不能の偶発的現象とされているが、実際には法則性がある。パターンさえ抑えれば、こちらから誘発することも可能だ。私の仮説が正しければ――」


「か、神尾さん! 今は簡潔にお願いします!」


 剛健が叫び言葉を割る。


「よろしい、じゃあ要点だけ」


 真珠が紙片を弾き、異形の進行方向へ放つ。炸裂とともに空間が震え、敵の足が一瞬止まった。


「条件は三つあると思われる」


 真珠は指を三本スッと立てた。


「ひとつ、神域内にいること。これはすでにクリア」


 指が二本に変わる。


「ふたつ、神に“気に入られる”こと。こればかりは好みの問題で予測困難。だが、これをこじ開ける“鍵”が、最後の条件にある」


 指が三を示した。


「三つ目……“救済願望”もしくは“没入感情”」


 真珠の口元が妖しく弧を描いた。


「とてもセンチメンタルで、ノスタルジックな、ね。例えば今のこの場なら――『祭りが終わらなければいい』『帰りたくない』といった具合だ」


「なるほど、“願い”ですか」


 柊馬は素早く札を撒きながら、納得して呟く。まじないや伝承が実体化する、この呪われた都にぴったりなトリガーだ。


「そして、物理的接触と集団遷移。条件を満たすのは一人で構わない」


「つまり、発動させる人間の体のどこかに捕まっていれば、全員を引き込めるってことか?」


 シノの問いに、真珠は嬉しそうに指を鳴らした。


「その通り! 誰か一人が心から神を受け入れることで、我々観測者はそれに便乗できる!」


 真珠が確信を深めるように笑う。


「そして確率を上げる為の"境界越えの法則"だが――、"女性、子供、人外は境界を跨ぎやすい"」


 くるりと振り返り、真珠が呼びかける。


「えーと、ルリゾメ君!?」


「え、えっ!!? 私……!?」


 急に名を呼ばれ、ひなこは驚きと不安で狼狽える。


「偏見と希望的観測で申し訳ないけど、この場で適任なのは君だと思う。やってくれるか!?」


 一瞬、ひなこの顔にプレッシャーの影が走る。


「感情のトリガーを引くだけ。君の“願い”が道を開く」


「でも、もし失敗したら……!」


「バカ!! 成功するまで続けんだよ!!」


 シノが怒鳴る。できないという選択肢は最早ないのだ。


「とはいえ、この状況でセンチメンタルになるのは無理がありますよ……!」


 剛健の指摘に、真珠が頷く。


「できるまで続ける。その間、私達が持ち堪える」


 しかし、剛健の懸念はもっともだ。ひなこの周囲は、今や戦場と化している。命の危機がすぐそこにある中で、心を沈めろという方が酷な話だ。


「だが、悠長なことも言っていられない!結界が破れた今、堕神がこの混乱に乗じて外へ逃げれば、敵の座標は半永久的に見失われる! そうなれば中の人間はまず助からない!」


「プ、プレッシャーかけないでください!」


 ひなこが叫ぶ。それでも、意を決して両手を胸に当てる。


「で、でも、今手が空いてるのは私だけ……! 私が一番確率が高い……! 私がやる、私がやるんだ……!」


 ひなこは目をぎゅっと閉じた。


「……お願い。もう少しだけ、このままで……この時間が、終わらないで……!」


 ――静寂。時間が凍りついたような沈黙が落ちる。


 しん……。

 バッと顔を上げ、ひなこが叫んだ。


「やっぱり無理!!!」


「くっ、仕方がないっ……! 野郎ども、出番だ!!」


 だが、真珠の号令に、誰もが露骨に視線を逸らした。


「ちょ、おいおい君ら健全な男子でしょ!? 甘酸っぱい初恋の一つや、青春の恥ずかしい妄想のひとつやふたつくらい――!?」


「神尾さん! 全方位にセクハラです!!」


「余計なお世話だ!!」


 赤面する剛健とシノが同時に怒鳴る。イラついたシノが剛健に食ってかかる。


「あークソ! おいデカブツ! てめぇがやれ!」


「じ、自分ですか……!? う、うちは親父が厳しかったし……こ、こんな見た目だから、この歳(36歳)まで彼女も、いたことが……」


「……くそ、童貞か。おい雑用! てめぇはどうなんだ!」


 柊馬の札を撒く手がぴたりと止まる。


「学校の女子()と祭りに行ったことはありますが、人数が多すぎて誰がいたか思い出せません。あと、全員に何か奢ってお年玉が尽きた思い出しか……」


「ヒュー! 君がバチェラーかーい!?」


「やっぱてめぇは一回死んどけ!!」


 シノの怒声が響いたその瞬間、ふっと空気が冷えた。異形の波が裂け、ぞっと冷たい気配が流れ込む。異様に頭蓋の伸びた、枯れ枝のような手足を持つ人影が現れた。ただの妖ではない。その殺気が全員に伝わった。

 

 真珠の背筋が凍る。


「くっ、『ぬらりひょん』――"総大将"か!」


 ぬらりひょんが枯れ枝のような指を上げる。その瞬間、異形達に統率が生まれ、塊になって突進してきた。


「――ひぃっ!」


 ひなこが縮み上がり、仲間が一斉に札を投げた。


「「「「《防壁・雷結》!!」」」」


 防壁が展開され、押し寄せる異形を焼き払う。 


(揃った――……!!)


 柊馬の背筋が興奮でぞくりと震えた。だが、その奥のぬらりひょんは赤い眼を細め嗤っている。


「このままじゃ……アトノマツリどころじゃねぇ……!」


 シノの声が苛立つ。ひなこは皆の中心で震えていた。感傷的になるどころか、目の前の光景が恐怖で思考することすらままっていない。


「くっそ……なこたんっ!!」


「む、無理だって……!」


「恋愛感情に囚われなくていい! 家族でも、友人でも、大切な人との記憶を!」


「無理なものは無理なんです!!」


 真珠の励ましすら絶望になり、ひなこはその場に崩れ落ちた。


「友達なんかいない……家族も私のことなんかどうでもいいって顔してる……! あんなやつら……全員死ねとしか思えない……!」


「いや、それでいい!!」


「――?!」


 真珠の声に、ひなこがハッと顔を上げた。


「他者への憎悪や自己嫌悪。それもまた“救済願望”の形だ! 君はそのままでいい!! 頼んだ!」


 真珠の真剣な眼差しが、ひなこを射抜く。その一瞬、ひなこの心に、しんとした闇が降りた。


 ――あの人達を、恨んでもいい……?


 震えが止まる。緊張で組んでいた両手がふと落ちる。明確にひなこの気配が変わった。


 静かに、祈るようにひなこが目を閉じる。それを見届けて、真珠が叫ぶ。


「合図と同時に防壁を張る! 全員、ルリゾメくんのどこかに触れろ! 三、二、一 ――!」


 声と同時に、全員が防壁札を放った。防壁が展開し、空間を囲う。バリバリと音が鳴り、異形の足が止まる。中心で目を閉じたひなこに、皆が手を伸ばす。


「――来るぞ!」


 シノの声を最後に、()()()()()()()。音も重力も、色彩も全てが一瞬停止する。


 ――次の瞬間、防壁が粉々に砕け散った。中心で異形達がぶつかり合う。だが、そこにはもう、誰の姿もなかった。


 

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