第20話 「国家退魔師達」
モモ達が大社に到着する、少し前のこと。
祭りの喧騒の中、屋台の影に二つの影が座り込んでいた。
一人は石灯籠の上にだらしなく腰掛けていた。
白髪のマッシュルームカット。国家退魔師の白装束。どこか懐かしい美少女戦士のプラスチックお面をして面立ちはわからない。
少なくとも体格的には20歳前後の、色白の男だ。退屈そうに頬杖をつき、片手には屋台で買った食べかけのみたらし団子。
もう一人――アスファルトの上に正座するのは小柄な少女だ。地面に魔法陣の描かれた布を広げ、その上にばら撒いたおはじきとお手玉を、まるで神事のように見つめている。
黒地に青い薔薇が咲いた小振袖。黒いレースがあしらわれた華やかな帯。濃紺の髪はうなじの上でくるりと丸めていた。瞬きをしなければ、まるで実物大のアンティークドールと見間違えるほどの愛らしさ。
どちらも胸元に――国家退魔師隊の八咫烏のバッジをつけている。
その時、みたらし団子が串からこぼれ、アスファルトの上にべちゃりと落ちた。
「……あ、落ちた。誰か死んだわ、これ」
マッシュルーム頭――棺屋 シノが呟いた。
「それも出てた」
無愛想に返すのは、少女――瑠璃染 ひなこだ。ひらりと投げたおはじき同士が、布の上でカチリとぶつかりあう。
「マジ!? さっすがなこたん! 誰が死んだの!?」
「違う。お団子のほう」
「えーなにそれ、くっだらなっ」
すると、わらわらと小学生たちが集まりシノの前に群がりゲラゲラ笑いだした。
「なにそのお面! 古ッ!」
「今のって赤いアイドル版でしょ!? 知らないの?」
「だっっさ昭和かよ!!」
「バッッッッッカ、これは平成!! てか、このシリーズ死ぬほど好きなんだけどぉぉ!!」
シノが灯籠から飛び降り、大人気なくみたらし団子の串を振り回す。
一見すると退魔師隊と子供達の微笑ましい交流……にも見えなくもない。だが、周囲の退魔師達は苦笑もせず、その様子を凍りついたように見守っている。
誰も口を挟めやしない。この男の機嫌を損ねると……何が起きるか知っているから。
シノが背後のびくびくした気配に気づくと、お面の下で笑いながら背後をぐるりと見まわした。
「やだぁ~そんな顔しないでよ~。オレ、一般人は殺さないからさぁ?」
走り去っていく子供たちの背中。
彼が見せるデジタルウォッチには──4:44。
「一般人は──ね?」
その言葉に、隊員たちの顔色が一斉に蒼白になる。
ぴっ。と、時計が4:45に切り替わった。つまらなそうなため息と共に、シノが肩をすくめる。
「ふっ、バッカみたーい」
団子の串をゴミ箱に向かって投げる。串はゴミ箱の縁を外れ地面に落ちるのに、近くの隊員は冷や汗をかいて動けないままだ。
シノは今度はポケットから紙パックのジュースを取り出し、お面を少しずらして咥える。
「てかほんとに出んの? 暁月。出るなら見てみたいけど」
「出る。絶対。占いにもそう出てる」
「その……おはじきと、お手玉で?」
ひなこは真剣そのものに頷いた。だが、シノには中二病のそれにしか見えない。
「ごめん、マジでわかんない。てか実はテキトー言ってない?」
「素人にはわからない」
「……あっそ。てかさなこたん。キミなんで現場来てんの? 事務方でしょ? 戦えないじゃん?」
「あなたこそ、こんなところで何してるの」
「いーじゃんかよぉ。警備の人手は足りてて暇なんだっつの。……つーか、氷室が無駄に怪我人出さなきゃ誰がこんな地味な見回りなんか……」
不快なことを思い出して、シノは激しく足を揺らす。
国家退魔師隊は今、平門 氷室が出した怪我人のせいで人手不足だ。第一線で堕神と戦うシノまで、こうして祭りの警備に配置されてしまっている。さっきまでは妖怪相手に軽く運動していたのだが、それも単純作業で飽きてしまった。
「……で、なこたんは? ここにいる意味あんのキミ?」
「それは……」
ひなこが視線を落す。棘のあるシノの物言いに、傷ついて沈黙したかに見えた次の瞬間、カッとひなこの目が開く。
「……つまり……の動きが……交差した時点で……の因子が……だから……必然で………!!」
「やだやだやだ怖い怖い!! マジで聞こえないわかるように言って!?」
突然ひなこの口から呪詛のような早口が噴き出した。まるで呪いの人形である。シノのツッコミにひなこはぴたりと早口を止めると、
「……つまり、暁月との出逢いが私の運命を変える。そして今夜、棺屋シノは暁月と接触する」
運命を宣告するように、ひなこの目が光る。
「そして――私の占いが、最強だから」
流れる沈黙、過ぎる人波。シノのジュースの吸い口から、最後の空気だけが吸い上げられてピィと音を立てた。
「……アンタと仕事する人、マジで気の毒だわ」
「あなたにだけは言われたくない」
言い捨てたその時、ひなこがはっと目を見開いた。
「……いる! 近い。暁月」
「マジで!? どこ!? どこどこどこ!?」
シノが前のめりになったその瞬間、キャハハハハ!と子ども達が笑顔でおはじきを踏み荒らしながら駆け抜けた。おはじきもお手玉も、転がり跳ねてぶつかって、雑踏の向こうへ無惨に消える。
「……あ……ぁぁ……。な、なんで……」
「あちゃーそんなところでやるからだってー。残念無念またらいねーん」
シノは空のジュースを握り潰し、ゴミ箱へ投げた。今度はスコン、と籠の中に落ちる。
「あーあ、ほんとにいんのかよ、暁月なんて……」
シノが退屈そうに雑踏に目をやった。そのざわめきの奥で、感知できない気配が、すれ違う。――亜蓮と花緒だ。
「……疲れてない?」
「問題ありません」
亜蓮の問いかけに、花緒は屹然と答えた。
花緒の目は、魔力を行使する鮮やかな翠色に光っていた。認識阻害の結界だけではない。彼女は今――大社全体を包む巨大な結界を張りながら歩いていた。
「それに、動いていた方が楽です」
『結界』とはもともと“動き”に弱い。
石、木、壁、建物など、固定された地形に境界を張って外敵の侵入を防ぐ──それが結界の基本だ。だから、川や海ように水の流れる場所、トンネルや橋など、境界を越えることが前提の場所では、結界は弱まりやすい。結界に穴が開くのもそんな場所。
だが、花緒はその弱点を克服していた。
鮎川家の秘技──『流動性結界術』。
それは、川や風といった流れそのものを壁に変える結界術。
遮り、固定する本来の結界術とは真逆の発想から生まれたこの結界術は、自然の力に自分の魔力をなじませて使う。だから、川に囲まれたこの交川大社だろうと、花緒は堅牢な結界を張ることができた。そしてこの術は自然の力を利用する分、魔力の消費も少なく、探知されにくい。
「ですが……やはり橋だけは弱くなりやすいです。堕神が侵入するとしたらそこですね」
「千助が来ていればよかったんだけど……」
呆れるわけでもなく亜蓮は淡々と言った。千助がいれば、複数の橋を鳥の目のように一目で俯瞰できる策があったのだ。しかし、今回は期待できなさそうだ。
「しかし、国家退魔師隊が大勢集まっているのはいい意味で誤算でしたね」
「ああ。人手が多いのは助かる」
結界の穴になりやすい場所は、退魔師隊もわかっている動きだった。ぐるりと境内を回ってみたが、橋や川沿いは重点的に警備されていて、亜蓮達の出る幕はなさそうだ。
やがて喧騒から離れ、暗がりの小さな祠の前で亜蓮は立ち止まった。
「……異常はありませんね」
花緒の言葉に亜蓮も頷いた。国家退魔師隊が張った結界は堅牢で、目に見える侵入の形跡はない。
「中は結界が完璧に機能してますね。外からの侵入、まずありえません」
「そうだな……」
だが、亜蓮の中の違和感は消えない。
「何も起きてないというより……何かが“もう済んだ”後みたいだ」
花緒が視線を上げ辺りを見回す。その時、不意にぬるい風が吹いた。風と共に掠れた祭囃子の笛の音が耳を撫で、花緒の脳裏に蘇る記憶。
――花緒……見て。
幼く、まだあどけない声。そっと開かれた小さな手の中からふわりと舞い上がる小さな光。一匹の蛍が、明滅しながら夜に溶ける。幼い亜蓮が、少し照れくさそうに笑う。――ありし日の、夏祭りの光景。
(そういえば……そんなこともあったな……)
ぼんやりとしたその映像に、しばし心を奪われる。だが、自分がぼうっとしていたことに気づき、花緒ははっとなった。
「すみません、集中を切らしました」
「いや」
亜蓮は特段気に留めず、短く返す。だが、花緒の視線はまた、遠い過去に吸い込まれるようにぼんやりと焦点を失っていた。
* * *
「ねぇなんで!? ねぇ、なんで連れてきたの!?」
千助の叫びが賑やかな境内にぎゃんぎゃん反響する。
行き交う人すら驚いて振り返る大声だ。千助の前では、納得いかない顔のモモが不貞腐れていた。
「意味わかんないでしょ! なんで気絶した人現場に連れて来れるの!? 俺作戦に参加なんて一言も言ってないよね!?」
「だって亜蓮さんが連れて来いって言ったし……」
「あなたは人に言われたらなんでもハイハイってする子なんですかっ!? ちゃんと自分で考えて行動しなさいっ!! 全くこれだから最近の若い子はもおおおおーー!!」
千助がモモの肩をガクガク揺らして叫ぶ。その姿はもはや半泣きというか……完全に泣いている。
「あと、そのりんご飴と牛串、いつ買ったの!? ねぇ!? 俺が気絶してる間に何してたの!?」
「あっお腹空いたんで! さっきちょっと買ってきました!」
「ちょっと!? ちょっとで屋台ふたつも行ってるじゃん!? 気絶してる人をその辺に放置して買い物に行くなんて、どういう神経してんのキミ!!?」
千助、怒涛のツッコミ。だが、来てしまったものはしょうがないのである。モモは気にする様子もなくもぐもぐと牛串を齧った。
「でもでも、綺麗ですよね! 中は安全みたいだし……! 昔友達と来たなぁ〜。わたし、帰りにいつもりんご飴とベビーカステラ買って帰ってました!」
その横顔に、千助が一瞬だけ黙り、ぼそりと呟く。
「……へぇ。いいっすね、そういうの……。俺、友達いなかったんで……むしろ学校のやつらとか会いたくなかったんで……祭りとか行った記憶ないし……。いい思い出なんて、特に……」
「そうなんですか? じゃあ、つくりましょうよ!」
「……え?」
「いい思い出、今からつくりましょ!」
「!!!!!? えっ、いいの!!!? 本当に!?!?」
「もちろんです! だって、亜蓮さんも“楽しんでもいい”って言ってましたし!」
その瞬間、千助の目の色がぱあっと輝いた。
「やったーーーーーーー!! 俺、一度でいいから女の子とお祭り来るの夢だったんすよぉぉぉぉぉぉ!!」
千助、両腕を広げて天を仰ぐ。
「わたあめわけっこして、並んで金魚すくってぇ……射的で景品取ってあげてぇ……! 一生叶わないと思ってたのにぃぃぃ……!」
「いやいや、まだまだでしょ。その歳でその夢諦めるの、早いですよ!」
「でも俺、今から死ぬかもっていうくらいの状況じゃないっすか今!!」
涙を流しながら両手を握る、千助の頭上に救いの光が刺して見える。
「そうですか? 今のところ平和ですけどね〜!」
そう言ってモモがぴょん、と石畳を飛び越える。
「では、私達も作戦開始ーーっ!」
「おーーーーっ!!」
意見も揃って仲良く拳を突き上げる二人。
しかし屋台の奥――紅白布の隙間から、二つの目がじっとふたりを見つめていた。




