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第19話 「開祭」



 祠の破片は黒い灰になり、闇に溶けるように消えていく。

 

 ――終わった……?


 モモは肩を激しく上下させながら呆然としていた。

 耳の奥には、空気を斬り裂く音の残響がまだ残っている。体中に(くすぶ)る熱が、まだ戦いを欲しているみたいだ。


 この一戦を『お試し講座』だと御之(みゆき)は言った。だが、終わってみればその中身は命懸けの酷い荒療治だった。


 花緒(はなお)が「力の制御」と「仲間の命を預かる心構え」を教えてくれたのだとしたら、御之の叩き込んできたことはそれとは全く正反対のもの。


 戦う情動の「()()」。「生死のギリギリを攻める」ことで掴める勝利――。


 モモは、御之の『攻撃に全振り』という指示を信じ攻撃に集中した。そして、御之はモモに降りかかる攻撃の一切を防ぎ切ってくれた。


 ――共に戦うというのは、互いの命を委ねること。

 

 気を遣い合う生優しい関係では、ここでは生き残ってはいけない。同じ死線に立つもの同士、命を預け合うくらいの覚悟と信頼が必要だ。そんな御之の価値観を、直接体に叩き込まれたみたいだった。


 花緒が守ること、生かすことに重きを置く理性の「守護者」なら、御之は勝つ為なら仲間の命も自分の命も平等に賭ける「勝負師」なのかもしれない。

 

 相反するような二人のスタンス――しかし、どちらも「冷静であること」、「頭を使うこと」を手放さない点では同じだった。


 戦いとは、理性と情動を同じ器で燃やす行為なのだ。


「……」


 御之は、黒いガラケー――式神契約専用携帯電話『sikimo』の画面をじっと見つめていた。そこには、モモのドット絵と、ルーン文字にも似た「式神文字」の羅列が光っている。


 僅かに目を細め、その全文に目を通す。そして無言のまま、契約解除を示すボタンを押した。


 ――ピッ。

 

 間の抜けるようなガラケーの電子音。

 途端にモモの全身から足先へすーっと熱が引いていく。爪が元の長さに収まり、鬼の片鱗は跡形もなくなった。


「……えっ、え!? 終わり!?」


「言うたやん、お試しやって。ほい、討伐完了。ごくろーさん」


「え……」


 モモが呆然と立ち尽くす。


「ええええええーーーっ!!??」


 風を切って御之(みゆき)に詰め寄り、跳びながら叫んだ。


「なんでですか!? すごくいい感じだったのに! もっかい契約してください!!」


「どこがええ感じや!! ほぼ人間やめとったやろ!」


 御之は後ずさりしながらスマホを頭上に上げるが、モモはぴょんぴょん飛びながら追いかける。


「もうちょいで、なんか掴めそうだったのに! 本契約してくださいよっ!」


「アカンアカン! くそ、クセになっとる……! やっぱ魔力流しすぎたか……!」


 御之の魔力には中毒性があるのだ。

 契約した式神は御之の魔力に依存し、主人の魔力をエネルギー源に活動する。


 そして当然、御之にだって魔力量には限界がある。契約済みの式神はともかく、モモに常に魔力供給していく状況は現実的ではない。


 何より、試しに契約してみてわかったがこの娘……アホほど魔力を食いやがる。


(こんな"大飯食らい"養えるかっ!)


 ジャンプするモモの指先がガラケーに届きかけたその瞬間、御之はそれをスッと胸元へしまい込んだ。


「あっ!? もーっ! なんでぇ!?」


「本契約はナシや。俺、爬虫類専門やし」


「何それーー!? ペットショップか!!」


「ポリシーや! あんな、モモちゃん。今のレベルで本契約したら、自分ほんまに口きけんようなるで?」


 ピシャリと釘を刺す口調に、モモはどきっと動きを止めた。そんな危ない状態だった自覚は、正直あまりなかった。


「で、でも、もしまた今みたいなのが出てきたらどうするんですか? 私、前座どころじゃないですよ?」


「それをどうにかするのが、モモちゃんやろ? ほい、ここ宿題な」


 反論したくなったが、モモは言葉を引っ込めた。

 

 ……そうだ。みんなと肩を並べて戦う為には、楽なやり方に飛びついちゃいけない。私がなりたいのは命令で動く式神じゃなくて、肩を並べて戦える仲間なんだから。


 それに、確かにさっきのあれはほとんどバーサーカー状態だった。常に使っていくのは現実的じゃない。


 唇を尖らせながらも理解した様子のモモを見て、御之はふと笑う。


「ま、モモちゃんの頑張り次第では、また単発契約くらいはしたるかもな」



* * *



「千助さん! 起きて! 起きてくださいよ!」


 モモが千助(せんすけ)の顔を覗き込む。ぺしぺしと遠慮がちに頬を叩くも、千助のまぶたはぴくりとも動かない。


「はぁ……困ったなぁ」

 

「さすが、意地でも目ぇ覚ましまへんって顔やな」


 半開きの白目でひっくり返った千助に、モモはため息をついた。命に別状はない。だが、そのまま寝ているつもりらしい。


「あの、千助さんって暁月(あかつき)のメンバーじゃないんですね?」


「今勧誘中やねん。おると何かと便利やろ?」


「はい! 色々見せてもらいました!」


 木隠(こがくれ)や、遠隔の伝音術。直接的な戦闘技能ではないが、どれも実戦向きで応用性が高い。サポート要員としてはめちゃくちゃ有能だ。


 是非とも仲間に加わってほしいが……一線を引くのには何か理由があるのだろうか。


「……とりあえず、アジトに連れて帰ります。可哀想なんで……」


「頼んだわ」


 その時、空気がすうっと動いた。堕神(だしん)の結界が解け始めたのだ。


「お、やっとか。えらい時間かかったな」


 冷えた風が通り過ぎ、空に淡い青が戻ってくる。


「あの、なんか空の色……明るくないですか?」


 御之も視線を上げ、西の空に薄橙の光を見とめた。


「結界に入った時、確か夜でしたよね?」

 

「……まずいな」


 御之の表情が険しくなる。ポケットからスマホを取り出し、画面を点ける。そして低い声で呟いた。


「……一日経っとる」

 

「えっ!?」


 モモがびっくりして身を乗り出した。


「一日!? うそ、戦ってたのついさっきなのに……!」

 

「俺もそう思とった」


 御之の声にも微かな困惑が滲んでいる。


「どうしよう……交川大社(まじりかわたいしゃ)に、夕方までに集合だったのに……!」

 

「ちと予定外やな」


 御之がすぐにスマホを耳に当て、数秒ののち通話が繋がった。


「おう、俺や」


『――随分のんびりしてたな』


 低く、淡々とした声。――亜蓮(あれん)の声だ。

 少しイラッとした険しい顔で御之は空を見上げた。


「ドアホ。最短仕上がりや。こっちは体感十五分も経ってへん」


 空の色は既に夜へ傾き、辺りには虫の声が混じり始めている。


 スマホの向こう、亜蓮の隣には花緒(はなお)がいた。亜蓮が目だけで「無事だ」と伝えると、花緒は静かに頷く。

 

 二人は大社の竹林の中に身を潜めていた。遠くでは、祭囃子の気配が熱気になって高まっている。


『何はともあれ、無事でよかったよ』


「亜蓮さん!」


 モモが、御之の横からスマホに身を乗り出して叫んだ。


『モモ、お疲れ様。どうする? 一度帰って休むこともできるけど』

 

「行きます!!」


 透き通るような声が、はっきりとスマホを貫いて亜蓮に届いた。一瞬驚いたが、亜蓮はふっと笑う。


『了解。僕たちはもう動いてる。大社で会おう』


「はいっ!」


 モモがあっ、と千助に目配せする。


「あの……千助さんは、どうします? 今気絶してるんですけど……」


 本人の意識がないにもかかわらず、「帰してくれ!  無理です! 気づいてー!」という悲鳴が全身から発されている気がするのは気のせいだろうか。


 亜蓮は視線を落とし、僅かに黙り込む。そして、躊躇いなく言った。


『連れてきて』





 通話が切れた。


「……モモさんも、来るのですね」


「ああ。ちょっとムキになってた。元気だね」


 亜蓮が少しおかしそうに微笑む。だが、花緒は不安げに目を伏せた。昨日の今日で、無理をしてほしくない気持ちはある。だが、もう止めることはできない。


 ――何かあった時は、私が守らないと。そう覚悟を決め、花緒は顔を上げる。


「国家退魔師隊も、大勢警備に出ています」


「ああ。気をつけて進もう」


 風が吹き、二人の髪が靡く。人混みが宴の波のようにうねり始める中、二人の間には緊張感だけが漂っていた。


 ふと、亜蓮の視線が、花緒の右手へと落ちる。そこには――変わらずある、銀の指輪。


 亜蓮の胸がぎゅっとなった。だが、その痛みを振り解くように屹然と顔を上げる。


「……行こうか」

 

「はい」


 亜蓮が羽織を翻し、花緒がその背に続く。竹林を抜け、大通りへ。 

 目の前に溢れるのは、光と音の洪水。提灯が連なり、屋台の熱とざわめきが渦を巻く。

 

 無数の足音。笑い声。それらをすり抜けるように、二人は音もなく歩いた。


 誰も気づかない。……いや、気づけない。白フードの国家退魔師隊の隊員達ですら、その存在に触れられない。

 ――花緒が張った、完璧な認識阻害結界の力だった。


 その時、背後から間の抜けた声がぬるい風に乗って聞こえる。


「あーあ、ほんとにいんのかよ、暁月(あかつき)なんて……」





 橋の上を、浴衣姿の子供たちが笑いながら駆けていく。提灯の明かりが川面に揺れ、軽い橋が軽やかに軋んだ。


「こらこら、走ってはいけません!」


 後ろから追う住職は、笑顔に緊張を滲ませて声をかける。


「妖怪が出る可能性もあるんですからね! 退魔師隊がいても、完全に安全とは言えません。私から離れずに──」


「平気平気ー!」

「先生ビビりすぎじゃね?」


 だが、子供達は止まらない。笛の音、屋台の光、香ばしい匂い。祭りの魔力に、心も足も弾んでいた。そしてただ一人、タケルだけは、違う期待に目を輝かせていた。


(……みんな知らない。国家退魔師隊だけじゃない。もっとすごい人たちが、来てるんだ……!)


 あの夜、命を救ってくれた亜蓮(あのひと)が、今この祭りの中に、きっといる。胸を高鳴らせながら、タケルは仲間達と雑踏の中へと消えていった。


「こら! 戻りなさい! 聞いてるのかーー!」


 住職の声は、虚しく群衆に掻き消える。子供たちは笑顔のまま、気づかぬまま、危険の只中へと駆けていった。



* * *



 ――通話を終え、モモは千助の体を背負った。モモの小柄な体には不釣り合いな重さだが、鬼の筋力がそのまま支える。


「悪いけど、俺は行けん。そっちは任せたで」


 御之が強く励ますように笑みを浮かべた。


「一個だけ、コツ教えたるわ。鬼の概念を拡張すんねん。自由に、当たり前にな」


「やってみます」


 モモは勢いよく頷きかけ、ふと足を止めた。


「あの、御之さん」


 振り返る御之に、モモは少しだけ視線を伏せて言葉を探す。


「その、うまく言えないんですけど……」


 地蔵堕神と対峙したあの瞬間の、身の奥から凍りつくような恐怖。そして、それを斃したときの、妙な罪悪感。


「……私、昨日の堕神は怖かったけど、こう、畏怖を抱く感じじゃなかったというか……。今日のと、何か違ってて。あれって、一体なんだったんですか?」


 御之の顔から、いつもの軽薄さが消える。けれど笑みだけはそのままに、低く真摯な声で答えた。


「それを今調べとるところや」


 短く、それでいて重い一言だった。その目に、深くただならぬ予感を感じ取る。


「……わかりました!」


 モモは、無理に聞こうとしない。それより、今はやるべきことがある。


「また組もうな」

 

「はいっ! 御之さんも気をつけて!」


 ひらりと手を振って歩き出した御之の姿が、足元から巻き上がった黒い渦に掻き消えた。


 モモは千助の体勢を整え、軽やかに屋根の上へと跳び上がる。黄昏に染まりはじめた空の下、瓦の上を風のように駆け抜けていく。やがて、夜の闇に包まれた遠くの街の中に、ひときわ明るい橙の灯が滲んだ。


「あれだ!!」


 モモが息を弾ませながら、廃ビルの外階段を駆け上がる。だが、屋上に飛び出した瞬間、モモの目がハッと見開かれた。


 ――それは、交川大社(まじりかわたいしゃ)に違いなかった。


 大社全体が透明なドーム状の結界に覆われ、その周囲には……堕神、妖怪、異形の者達が、ゾンビ映画のワンシーンのように押し寄せている。


 結界の穴を探し、這い寄り、蠢く無数の影。

 その間を縫うように素早く動く、白装束の国家退魔師隊達。

 あちこちで閃く斬撃と、雷撃の光。戦う者達の掛け声が、風に乗って届いてくる。

 それなのに、結界の中ではまるで何事もないかのように祭囃子が響き、人々が笑い、熱気に満ちていた。


 モモの背筋が凍る。

 異様な平和、異様な賑わい。そしてやっと、亜蓮達が祭りを警戒していた意味がわかった。


 ――普通じゃない。

 こんなの、何か起こらないはずがない。

 それなのに、癒しと楽しみを求める人波は止まらない。

 わかっていても、止められない。


 ―― 一体誰が、こんな危険なことを……!

 

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