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第14話 「従者と主の境界線」



 ――その日の晩、亜蓮(あれん)は寝室から忽然と姿を消した。


 黙っていなくなった亜蓮の行動に戸惑い混乱するも、消えた彼を再び必死に探し回る日々が始まる。

 

 しばらくして、"錫杖を使う黒衣の退魔師"の噂を聞くようになった。その噂を追い続け……やっと辿り着いた場所で、花緒(はなお)は再び、亜蓮を見つける。


 その時の亜蓮は、既に御之(みゆき)という相棒と、千助(せんすけ)という協力者を得ていた。

 そして彼らは『暁月(あかつき)』という名の下、逢魔(おうま)の打倒を掲げ、日々堕神(だしん)を祓う、戦いの日常に身を投じていた。


 花緒もまたそれに加わり――今の暁月に至るのだ。



 過去を彷徨っていた花緒の意識が、静かに現在へと帰ってきた。


 増えていく仲間。続く戦い。亜蓮とは、再会してから一度も、踏み込んだ話ができていない。慈雨月(じうつき)に、亜蓮の姿を見せることもできていなかった。


(思えば……聞きたいこともたくさんある……)


 互いに口を閉ざしたままの時間が、胸の奥を重たくしてきた。でも……今なら何かを変えられるかもしれない。


 腹を決めて、花緒が顔を上げる。

 

 ――コン、コン。

 乾いたノック音が二度、響く。


「花緒です」


 ――無音。返答はない。人の気配すら感じられない。


「……いない?」


 微かな不安が胸をよぎる――が、


「花緒」


「——っ!?」


 びくっ、と肩が跳ね、心臓が一瞬止まった。

 振り返ると、替えの着物に着替えた亜蓮がすぐ背後に立っていた。何をそんなに驚くんだ、とでも言いたげな険しい表情。


「び、びっくりしました……。無言で背後を取らないでください……!」


「普通に来ただけなんけど……」


「わ、わかりませんでしたっ!」


 亜蓮が困ったように首を傾げる。

 

 出鼻を挫かれ、花緒は助けを求めて背後を振り返った。玄関の影で、モモがしきりにガッツポーズを取っている。「行け!!」と言わんばかりだがそれどころではない。


 亜蓮は眉間を寄せたまま、目まぐるしく色が変わる花緒の顔をじっと見ている。


「……着物、カウンターに出しといた」


 言うなり、亜蓮はすっと花緒の横を抜け、扉を開けた。その声で花緒がはっと我に帰る。


「あ、あの、傷の手当てを」

 

「もうやった」


 亜蓮が淡々と言葉を遮った。着物の合わせを少し開き、肩を見せる。綺麗に治癒魔術が施され、肌には傷ひとつない。


「あ……」

 

「……? 」

 

「あ、いえ……」


 無意識に安堵していた自分に気づき、花緒は言葉を濁す。なのに、どこか距離を取られたようで胸がずきりと痛んだ。

 

 亜蓮はそのまま部屋に上がり、奥の長机の前に膝をつく。袖が畳に滑り落ち、鍛えられた腕が覗く。


(……綺麗な腕)


 戦いの中の鋭い雰囲気は影を潜め、その落ち着いた空気が、逆に男らしさを際立たせていた。

 嫌でも目が釘付けになる。少し緩んだ着物の合わせ。覗く首筋、細い黒髪。赤い瞳に伏せる長いまつ毛は妖艶さすらあって――。


(私の主人は、なんて綺麗になってしまったんだろう……)


「……どうしたの?」


 不意を突かれ、花緒は肩を揺らした。


「いえなんでも……」


 見惚れていたことを悟られぬよう、慌てて目を伏せる。


「モモはどうだった?」


 その問いかけに、花緒は一瞬、思考を切り替える。

 そう、報告だ。熱を帯びていた感情が徐々に冷め、冷静な観察者の意識へと切り替わる。

 迷いなく部屋に上がると、亜蓮の前に静かに正座した。


「瘴気耐性、魔力量ともに十分でした。戦闘投入可能水準です」


「そう」


「はい。ひとまず禁域付近と同濃度の瘴気と魅魅蚓を浴びせてみましたが、支障ありませんでした」


「…………」


 亜蓮がやや非難めいた目で花緒を見た。


「手加減しろって言ったのに……」

 

「昨晩の戦闘の様子から、許容範囲内だと判断しました」


 しれっと答える。


「彼女は……戦うことに前のめりですね。ですが、やはり思考が単純です。敵前でもややオーバーリアクションなのが気になります。ですが、ある意味状況に関わらずマイペースな性格とも言えます」


 一度、言葉を切る。花緒が見ていたのは、直接的な戦闘能力だけではない。むしろ、それ以外の部分——敵を目前にした時、モモがどう動くか、どう考えるか。


「ですが……悪くありません。……追い込まれても、打たれ強い。辛抱強い。戦闘中でも思考を柔軟にでき、敵の弱点を見抜く力もあります」


 花緒は震える息をついた。

 ……今なら、まだ間に合う。自分の言葉一つで、彼女を命懸けの戦いに巻き込むかどうか決まる。

 でも今なら、あの子をまだ守られる側の立場に戻してあげられる。まだ、帰してあげられる。


(――でも)


 目を閉じ、迷う。

 モモと亜蓮の意思。何より、自分自身の判断。


(あの子の命を、握る覚悟を――)


 意を決し、花緒は亜蓮の目を真っ直ぐに見た。


「——やっていけます」


 決意を込め、言い切る。


「彼女には、私の要求に応じてすぐに戦闘スタイルを変えようとするだけの協調性がありました。何より、彼女は私達を信頼しています。命の危険を感じるギリギリまで追い込まれても、彼女は私への信頼を手放しませんでした」


 花緒の拳に、自然と力がこもる。


「チームワークを築ける人間が仲間に加わるのは、メリットが大きい。命を預け、預けられる関係を築ける見込みがあります。……それに」


 喉が鳴り、言葉に詰まる。だが、熱を帯びた胸の奥から、自然と零れる。


「あの子は……仲間を思いやれる子だと、思います」


 主観的な人物評。だが本心だった。伝えるべき情報としてではなく、花緒が感じたままの彼女として。


「……以上です」


 少しだけ頬が熱を持つのを感じながら、花緒は目を伏せた。


(……らしくないと思われただろうか。)


 沈黙に耐えかね、花緒が顔を上げる。

 亜蓮が静かに頷いた。


「……わかった。ありがとう」


 足元に目を落とし、ふっと表情が緩む。その安堵の色を見た瞬間、花緒の胸がちくりと痛んだ。


(やっぱり、私は……)


「……仲良くやれそう?」


「えっ?」


 思わぬ問いに、花緒は瞬きをする。


「モモとは、うまくやれそう?」


 花緒の思考がフリーズする。

 なんの質問だろう。


「ど、どうでしょう。よくわかりません……。親しい友人もいたことがないので……。いい子だとは思いますが……」


 頬に熱を感じながら、呟くように言う。視線だけを上げると、亜蓮が微笑んでいて思わず顔が赤くなった。


「あ、いえ、その……! さっきも訓練の後少し長話をして。食事の用意も手伝っていただいて……」


 花緒が耳に髪をかけながら話す。亜蓮は優しい顔で「そっか」と相槌を打つので、花緒は慌てて目逸らした。


「あ、でも、その。私は亜蓮様といる時が一番……楽しいので……」


 どこか優しい静寂と視線に耐えきれず、花緒は無意識に耳を触った。


「も、申し訳ありません……! 必要のないことを話しました……!」


「ううん。花緒が自分のこと話すの珍しいから、聞きたいだけ」


 亜蓮は座り直し、膝を花緒に向けた。


「少し、良い?」


 近くに来いという意味だとわかり、花緒の心臓がドキッと跳ねる。

 亜蓮が両手で僅かに正座を浮かせて、花緒に近づく。花緒も倣って膝を寄せると、亜蓮は顔色一つ変えずに言った。


「手を見せて」


 花緒の胸が高鳴る。両手を差し出すと、亜蓮の指先がそっと触れた。

 ひんやりとした手だった。自分の熱さが恥ずかしくなるくらいに。それが瘴気汚染の症状の確認だと分かっていても、心臓の音が激しくなるのを止められない。


 亜蓮はじっと集中して、花緒の中の瘴気の痕跡を探る。それがまるで、自分の心まで覗き込まれてるみたいで……。


(――冷静になれ……)


 耐えるように目を閉じる。


「……大丈夫そうだね」


 亜蓮は花緒の両手を静かに下ろし、そっと指を離した。


「いつも無理をさせるね」


「いえ。その、本望……ですから」


「君の相手にも、申し訳が立たないと思ってる……」


「えっ?」


 花緒は思わず声を漏らした。


「その、付き合ってる人がいるんだろ」


 珍しく、言葉を選ぶような間。


「会えてないんじゃないのか?」


 言いながら、亜蓮の視線がわずかに指先へと落ちた。そこには、花緒が決して外さない指輪——慈雨月との約束の証。


(亜蓮様が指輪のことを気にしてたなんて……)


「は……はい。私の最優先は暁月ですし、連絡は取れていますから」


「……嫌がられないか? 僕みたいなのがいるの」


 何を言いたいのかわからず、花緒は小さく瞬きをした。


(どういう、ことだろう?)


 だが、なぜか胸の奥がざわつく。


「いえ、問題ありません。私の仕事にも、亜蓮様との関係にも理解がある方なので」


 そう答えると、亜蓮は目を伏せた。


「……そう」


 淡々とした相槌。それなのに、その声音にはどこか釈然としないものが滲んでいるように感じた。

 沈黙が重たい。


(……もう、伝えるべきなのだろうか)


 これ以上、隠すのは難しいかもしれない。ただ、婚約に華上のことや生活の援助が絡んでいるとなると説明が難しい……。


(でも、私のプライベートを気にかけているのなら、その必要は無いと伝えないと……)


「……あの、亜蓮様」


「待って」


 その時、不意に亜蓮が額を押さえ、手を突き出した。

 亜蓮の喉が動く。

 そして、信じたくないものを見るような瞳で言った。


「もしかして、相手って……慈雨月なのか?」


 ――びくっ!!

 花緒の全身が強張る。

 その反応を、亜蓮は見逃さなかった。

 瞳がわずかに見開かれ、疑惑から確信へと変わる。


「やっぱり……!! 慈雨月なんだな?」


 亜蓮の顔に、明確な苛立ちが滲む。


「えっ、あ、その……!」

 

「否定しないってことは、そうなんだな?」


 鋭い目で詰め寄られ、花緒は思わず後ずさる。後ろに手をつき、どうにか呼吸を整えながら口を開いた。


「そ、の……違くは、ない……」

 

「なんで……!? なんでそんなことになったんだ……?」


 亜蓮は、まるで理解できないと言わんばかりに、眉を寄せた。その戸惑いの色が想定外すぎて、花緒はうまく言葉を紡げない。心臓がバクバクと鳴っている。


(お、落ち着け……! 取り乱せば余計に拗れる!冷静に、冷静に――!)


「あ、あの、亜蓮様っ。伝えるのが遅くなって申し訳ありません。でも、慈雨月様は私との婚約を条件に——」


「婚約!!?」


 亜蓮が硬直する。その反応に、また花緒がびくっ!となる。

 亜蓮は口元に手を当て、狼狽しながらもしきりに思考を巡らした。そしてまた、青ざめた顔でゆっくりと視線を上げる。


「もしかして、華上の血を残すために婚約を迫られたのか? それとも……僕の生活の援助を条件に、脅されたりしてる?」


 !!!?


「ど、どうして……!?」


 あまりの察しの良さに、声が出ない。顔を真っ赤にして狼狽える花緒。それを見て、亜蓮が顔を歪めて深く息をつく。


「やっぱり……」


「あ、あの! でもこれは、私も同意の上での婚約で……! 慈雨月様も私を利用しているつもりはなく、むしろ……!」


「だとしても、こんな身売りみたいなこと……!」


「身売り!!???」


 今度は花緒が真っ赤になって、両頬を押さえる。


「私はっ、その……! これが華上の為にも、亜蓮様の為にもなるかと……!」


「だったら――! いや……」


 亜蓮の喉が、一度、大きく動く。必死に感情を押し殺しながら、言葉を選ぶようにして視線を彷徨わせる。


「花緒は、僕の……」

 

 亜蓮の声が、わずかに震える。


「僕の……執事、だよな……?」


「……」


 コクリと、花緒が頷く。

 何かを躊躇うような亜蓮の瞳。問いかける声は低く穏やかで、それなのに、どこか強張っている。


「だったら……こんな婚約、しなくていい」


 亜蓮の指先が、花緒の薬指をなぞる。指輪の上をかすめた瞬間、ぞくりと背筋に熱が走る。


「こんなこと、しないでほしい」


 誰かが、息を呑む。


「花緒は……僕の……」


 亜蓮の言葉が詰まった。それでも、瞳は熱を帯びていく。


「…………僕のだろ」


 ――どくん。


 静かに落ちる言葉。瞬間、花緒の全身がかあっと熱を持つ。


「絶対に、行くなよ」


 薬指に触れていた亜蓮の指に、かすかに力がこもった。それは命令のようで、懇願のようで、花緒の胸が熱くなる。


「っ、は、はい……」


 震える声が漏れた。もう、執事としての声色ではない。わからない。亜蓮のこの感情は、何?ただの所有欲なのか、それとも……?


 花緒は、ぐっと唇を噛む。


(違う。違うけど……)


 これ以上は、戻れなくなる。今までの、主人と執事としての関係にすら。

 花緒の喉が鳴る。


「……かしこまり……ました……」


 ――やっとの思いで、絞り出した言葉。

 それを聞いた亜蓮は、静かに目を細めた。ふっと視線が外れる。


「……いや、ごめん。僕が悪かった」


 視線を合わせないまま亜蓮は立ち上がる。


「少し、頭冷やしてくる」


 去り際、亜蓮は引き戸に手をかけて、わずかに振り返った。


「今の……忘れて」


 淡々とした声。それなのに、どこか無理をしているように聞こえた。

 静かに戸が閉まる音。ひとり取り残された花緒は、呆然としたまま、指先をそっと握る。


(……今の、なに……?)


 まだ、心臓の音が収まらない。


「~~~~~っっっ!!」


 耳まで真っ赤にして、花緒は両手をぎゅっと握った。



* * *



 亜蓮の部屋から、ふらりと花緒が出てくる。


 目は虚ろ、足取りはまるで幽霊。まるで魂を半分置き忘れてきたみたいな姿を見つけて、モモが慌てて駆け寄る。


「花緒っ!」


 いてもたってもいられなかった。まさか、自分のおせっかいのせいで二人に溝が……!?


「花緒、生きてる? 大丈夫? 何かあった!?」


「…………」


 ぽすっ。

 花緒が何も言わず、モモの肩に額を押し当てる。


「おおおお!? ちょ、どうした!? 顔真っ赤だぞ!」


「……無理……何も……考えられない……」


 かすれた声が零れる。耳まで真っ赤に染めたまま、ぐったりと脱力する花緒。


「えっ!? えっ!? 何が!!? 何があったの!? ねえ!!?」


 慌てふためくモモが花緒の肩をバシバシ叩くが、花緒は虚ろなまま、ただ「無理」と繰り返すばかりだった。


 

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