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第15話 従者の境界線



その日の晩、亜蓮は寝室から忽然と姿を消した。


戸惑い、動揺し、消えた亜蓮を必死に探し回る日々が始まる。


しばらくして、"錫杖を使う黒衣の退魔師"の噂を聞くようになった。


その噂を追い続け、やっと辿り着いた場所でーー花緒は再び、亜蓮を見つける。


その時の亜蓮は、既に御之という相棒と、千助という協力者を得ていた。


そして彼らは「暁月」という名の下、逢魔の打倒を掲げ、日々戦い、堕神を祓う日常に身を投じていた。


花緒もまたそれに加わり、目まぐるしく過ぎる日々。


ーーだからいまだに、慈雨月には亜蓮の姿を見せることができていない。


そう思った時、花緒の意識が、静かに現在へと帰ってきた。


増えていく仲間。

続く戦い。

亜蓮とは、再会してから一度も、踏み込んだ話ができていない。


(思えば……聞きたいこともたくさんある……)


口を閉ざしたままの時間が、胸の奥を重たくしてきた。


でも、今なら。

今なら、何かを変えられるかもしれない。


花緒はそっと顔を上げた。



ーーコン、コン。


乾いた音が二度、響く。


「花緒です」


無音。

返答はない。人の気配すら感じられない。


「……いない?」


微かな不安が胸をよぎる。

その時ーー。


「花緒」

「——っ!?」


びくっ、と肩が跳ね、心臓が一瞬止まった。


振り返ると、すでに替えの着物に着替えた亜蓮がすぐ背後に立っていた。


「……」


何をそんなに驚くんだ、とでも言いたげな険しい表情。


「び、びっくりしました……。無言で背後を取らないでください……!」

「普通に来ただけなんけど……」

「わ、わかりませんでしたっ!」


亜蓮が少し困ったように首を傾げる。


出鼻を挫かれ、花緒が助けを求めて背後を振り返った。


モモが玄関の影でしきりにガッツポーズを取っている。

「行け!!」と言わんばかりだが、花緒はそれどころではない。


亜蓮は眉間を寄せたまま、目まぐるしく色が変わる花緒の顔をじっと見ている。


「……着物、カウンターに出しといた」


言うなり、亜蓮はすっと花緒の横を抜け、扉を開けた。


花緒がはっと我に帰る。


「あ、あの、傷の手当てをーー」

「もうやった」


言いかけた瞬間、亜蓮が淡々と遮った。


着物の合わせを少し開き、肩を見せる。

綺麗に治癒魔術が施され、傷跡ひとつない肌。


「あ……」

「……? 」

「えっ、あ、いえ……」


無意識に安堵していた自分に気づき、花緒は言葉を濁す。


亜蓮はそのまま部屋に上がり、奥の長机の前に膝をつく。

袖が畳に滑り落ち、鍛えられた腕が覗く。


(……綺麗な手……)


普段の鋭い雰囲気は影を潜め、静かで、ゆるやかで——

その落ち着いた空気が、逆に男らしさを際立たせていた。


花緒の目が釘付けになる。

少し緩んだ着物の合わせ、覗く首筋。細い黒髪ーー。


(私の主人は、なんて綺麗になってしまったんだろう……。)


「……どうしたの?」


不意を突かれ、花緒は肩を揺らした。


「いえ、なんでも……」


見惚れていたことを悟られぬよう、慌てて目を逸らす。


「モモはどうだった?」


その問いかけに、花緒は一瞬、思考を切り替える。

——そう、報告だ。


熱を帯びていた感情が徐々に冷め、冷静な観察者の意識へと切り替わる。


迷いなく部屋に上がると、亜蓮の前に静かに正座した。


「瘴気耐性、魔力量ともに十分でした。戦闘投入可能水準です」

「そうか」

「はい。ひとまず禁域付近と同濃度の瘴気と魅魅蚓を浴びせてみましたが、支障ありませんでした」

「…………」


亜蓮がやや非難めいた目で花緒をじっと見た。


「手加減しろって言ったのに……」

「昨晩の戦闘の様子から、許容範囲内だと判断しました」


花緒はしれっと答える。


「彼女は……戦うことに前のめりですね。

ですが、やはり思考が単純です。戦い方も読まれやすく、視野が狭くなりがちです。

それから、敵前でもややオーバーリアクションなのが気になります。ですが、ある意味、状況に関わらずマイペースな性格とも言えます」


一度、言葉を切る。


花緒が見ていたのは、直接的な戦闘能力だけではない。

むしろ、それ以外の部分——敵を目前にした時、モモがどう動くか、どう考えるか。


「ですが……悪くありません」


静かに言い、亜蓮の表情を窺う。


「追い込まれても、打たれ強い。辛抱強い。

戦闘中でも思考を柔軟にでき、敵の弱点を見抜く力もあります」


花緒は震える息をついた。


(ーー今なら、まだ間に合う。)


私の言葉一つで、彼女を命懸けの戦いに巻き込むかどうか決まる。

でも今なら、あの子をまだ守られる側の立場に戻してあげられる。


まだ……帰してあげられる。


(ーーでも)


目を閉じ、一瞬、迷う。


モモと亜蓮の意思。

何より、自分自身の判断。


(あの子の命を握る覚悟をーー)


花緒は、意を決し、亜蓮の目をまっすぐに見た。


「——やっていけます」


決意を込め、言い切る。


「彼女には、私の要求に応じてすぐに戦闘スタイルを変えようとするだけの協調性がありました。

何より、彼女は私たちを信頼しています。命の危険を感じるギリギリまで追い込まれても、彼女は私への信頼を手放しませんでした」


花緒の拳に、自然と力がこもる。


「チームワークを築ける人間が仲間に加わるのは、メリットが大きい。命を預け、預けられる関係を築ける見込みがあります」


花緒の視線が、一瞬だけ揺れた。


「それに……」


喉が鳴り、言葉に詰まる。

だが、熱を帯びた胸の奥から、自然と零れる。


「あの子は……仲間を思いやれる子だと、思います」


思わず出た言葉だった。

だが、それが本心だった。


伝えるべき情報としてではなく、彼女が感じたままの評価として……。


「……以上です」


少しだけ頬が熱を持つのを感じながら、花緒は目を伏せた。


(ーーらしくないと思われただろうか。)


沈黙に耐えかね、花緒が顔を上げる。

亜蓮が静かに頷いた。


「……わかった。ありがとう」


足元に目を落とし、ふっと表情が緩む。


その安堵の色を見た瞬間、花緒の胸がちくりと痛んだ。


(やっぱり、私は……)


「……仲良くやれそう?」


「えっ?」


思わぬ問いに、花緒は瞬きをする。


「モモとは、うまくやれそう?」


花緒の思考がフリーズする。

そんなこと、考えてみたこともなかった。


「ど、どうでしょう。よくわかりません……。親しい友人もいたことがないので……」


仕事上の付き合いはともかく、プライベートな人間関係を築くのは苦手だった。


仕事のオンオフの切り変えもできないから、いつも仏頂面で、人と仲良くすることができない。


「いい子だとは、思いますが……」


頬に熱を感じながら、呟くように言う。


視線だけを上げると、亜蓮が微笑んでいて思わず顔が赤くなった。


「あ、いえ、その……!さっきも訓練の後少し長話をして。食事の用意も手伝っていただいて……」


花緒が耳に髪をかけながら話す。


亜蓮は優しい顔で「そっか」と相槌を打つので、花緒は慌てて目逸らした。


「あ、でも、その。私は亜蓮様といる時が一番……楽しいので……」


どこか優しい静寂と視線に耐えきれず、花緒は無意識に耳を触った。


「も、申し訳ありません……!必要のないことを話しました……!」


「ううん。花緒が自分のこと話すの珍しいから、聞きたいだけ」


亜蓮は座り直し、膝を花緒に向けた。


「少し、良い?」


近くに来いという意味だとわかり、花緒の心臓がドキッと跳ねる。


亜蓮が両手で僅かに正座を浮かせて、花緒に近づく。


花緒も倣って膝を寄せると、亜蓮は顔色一つ変えずに言った。


「手を見せて」

「……」


花緒の胸が期待で高鳴る。

両手を差し出すと、亜蓮の指先がそっと触れた。


ひんやりとした手。


自分の熱さが恥ずかしくなるくらいに。


それが瘴気汚染の症状の確認だと分かっていても、心臓の音が激しくなるのを止められない。


亜蓮はじっと集中して、花緒の中の瘴気の痕跡を探る。

それがまるで、自分の心まで覗き込まれてるみたいで……。


(ーー冷静になれ……)


耐えるように目を閉じる。


「……大丈夫そうだね」


亜蓮は花緒の両手を静かに下ろし、そっと指を離した。


「いつも無理をさせるね」


「いえ、その、本望……ですから」


「君の相手にも、申し訳が立たないと思ってる……」


「ーーえっ?」


花緒は思わず声を漏らした。


「その、付き合ってる人がいるんだろ」


珍しく言葉を選ぶような間。

そして、低く続く問い。


「会えてないんじゃないのか?」


言いながら、亜蓮の視線がわずかに指先へと落ちた。

そこには、花緒が決して外さない指輪——慈雨月との約束の証。


(亜蓮様が指輪のことを気にしてたなんて……)


「は……はい。私の最優先は暁月ですし、連絡は取れていますから」


「……嫌がられないか?僕みたいなのがいるの」


何を言いたいのかわからず、花緒は小さく瞬きをした。


(どういう、ことだろう?)


だが、なぜか胸の奥がざわつく。


「いえ、問題ありません。私の仕事にも、亜蓮様との関係にも理解がある方なので」


そう答えると、亜蓮は目を伏せた。


「……そうか」


淡々とした相槌。

それなのに、その声音にはどこか釈然としないものが滲んでいるように感じた。


沈黙が重たい。


(……もう、伝えるべきなのだろうか)


これ以上、隠すのは難しいかもしれない。

ただ、婚約に華上のことや生活の援助が絡んでいるとなると説明が難しい……。


(でも、私のプライベートを気にかけているのなら、その必要は無いと伝えないと……)


「……あの、亜蓮様」


「ーー待って」


その時、

不意に亜蓮が額を押さえ、手を突き出した。


亜蓮の喉が動く。


そして、信じたくないものを見るような瞳で言った。


「ーーもしかして、相手って……慈雨月なのか?」


びくっ!!


花緒の全身が強張る。


その反応を、亜蓮は見逃さなかった。

瞳がわずかに見開かれ、疑惑から確信へと変わる。


「やっぱり……!!慈雨月なんだな?」


亜蓮の顔に、明確な苛立ちが滲む。


「えっ、あ、その……!」

「否定しないってことは、そうなんだな?」


鋭い目で詰め寄られ、花緒は思わず後ずさる。


後ろに手をつき、どうにか呼吸を整えながら口を開いた。


「そ、の……違くは、ない……」

「なんで……? なんでそんなことになったんだ……?」


亜蓮は、まるで理解できないと言わんばかりに、眉を寄せた。


その戸惑いの色が想定外すぎて、花緒はうまく言葉を紡げない。

心臓がバクバクと鳴っている。


(お、落ち着け……!取り乱せば余計に拗れる!冷静に、冷静にーー!)


「あ、あの、亜蓮様っ。伝えるのが遅くなって申し訳ありません。でも、慈雨月様は私との婚約を条件に——」


「婚約!!?」


亜蓮が硬直する。

その反応に、また花緒がびくっ!となる。


亜蓮は口元に手を当て、狼狽しながらもしきりに思考を巡らした。

そしてまた、青ざめた顔でゆっくりと視線を上げる。


「…………もしかして、華上の血を残すために婚約を迫られたのか? それとも……僕の生活の援助を条件に、脅されたりしてる?」


!!!?


「ど、どうして……!?」


あまりの察しの良さに、声が出ない。

顔を真っ赤にして、露骨に狼狽える花緒。


それを見て、亜蓮が顔を歪めて深く息をつく。


「やっぱり……」


「あ、あの! でもこれは、私も同意の上での婚約で……! 慈雨月様も私を利用しているつもりはなく、むしろ……!」


「だとしても、こんな身売りみたいなこと……!」


「身売り!!!!????」


花緒が真っ赤になって、両頬を押さえる。


(亜蓮様が、そんなはしたない言葉を……!?

いやそんなことより……私のやってることが身売り!?)


「私はっ、その……!これが華上の為にも、亜蓮様の為にもなるかと……!」


「だったらーー! いや……」


亜蓮の喉が、一度、大きく動く。

必死に感情を押し殺しながら、言葉を選ぶようにして視線を彷徨わせる。


「花緒は、僕の……」


亜蓮の声が、わずかに震える。


「僕の……執事、だよな……?」


「……」


コクリと、花緒が頷く。


何かを躊躇うような亜蓮の瞳。

問いかける声は低く穏やかで、それなのに、どこか強張っている。


「だったら……こんな婚約、しなくていい」


亜蓮の指先が、花緒の薬指をなぞる。

指輪の上をかすめた瞬間、ぞくりと背筋に熱が走る。


「こんなこと、しないでほしい」


花緒が息を呑む。


「花緒は……僕の……」


亜蓮の言葉が詰まる。

それでも、瞳が熱を帯びていく。


「…………僕のだろ」


ーーどくん


静かに落ちる言葉。

瞬間、花緒の全身がかあっと熱を持つ。


「絶対に、行くなよ」


薬指に触れていた亜蓮の指に、かすかに力がこもった。


それは、命令のようで、懇願のようで、花緒の胸が熱くなる。


「っ、は、はい……」


震える声が漏れた。

もう、執事としての声色ではない。


わからない。

亜蓮のこの感情は、何?

ただの所有欲なのか、それとも……?


花緒は、ぐっと唇を噛む。


(ーー違う。違うけど……)


これ以上は、戻れなくなる。

今までの、主人と執事としての関係にすら。

だからーー


花緒の喉が鳴る。


「……かしこまり……ました……」


やっとの思いで絞り出した言葉。


それを聞いた亜蓮が、わずかに目を細めた。


ふっと、視線が外れる。


「…………ごめん。少し、頭冷やしてくる」


亜蓮が静かに立ち上がる。


去り際、亜蓮は引き戸に手をかけて、わずかに振り返った。


「今の……忘れて」


淡々とした声。

それなのに、どこか無理をしているようにも聞こえた。


静かに戸が閉まる音。


ひとり取り残された花緒は、呆然としたまま、指先をそっと握る。


どくん、どくんーー


(……今の、なに……?)


まだ、心臓の音が収まらない。


「~~~~~っっっ!!!」


耳まで真っ赤にして、花緒は両手をぎゅっと握った。



* * *



亜蓮の部屋から、ふらりと花緒が出てくる。


目は虚ろ、足取りはまるで幽霊。

まるで魂を半分置き忘れてきたみたいだ。


「花緒っ!」


いてもたってもいられず、モモが小走りで駆け寄ってきた。


(まさか、自分のおせっかいのせいで二人に溝が……!?)


「花緒、生きてる?大丈夫?何かあった!?」


「…………」


ぽすっ。

花緒は何も言わず、モモの肩に額を押し当てる。


「おおおお!?ちょ、どうした!?顔真っ赤だぞ!」


「……無理……何も……考えられない……」


かすれた声が零れる。

耳まで真っ赤に染めたまま、ぐったりと脱力する花緒。


「えっ!?えっ!?何が!?何があったの!?ねえ!!?」


慌てふためくモモが肩をバシバシ叩くが、花緒は虚ろなまま、ただ「無理」と繰り返すばかりだった。





はい!いよいよ地獄の三角関係の勃発です。

書いている側は、楽しくなってきました(地獄

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