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*番外編2 「疑惑の婚約者」慈雨月×花緒


こちらの番外編はスキップしても本編に支障の無い恋愛パートです。

今回はややコミカルになっています。濃いめの恋愛展開が苦手な方はご注意ください。




◆「ある独りの夜」


 ――花緒(はなお)が千年京での活動拠点にしている、慈雨月(じうつき)の別荘の一室。

 

 花緒は部屋の明かりもつけず、窓の外に広がる庭の薄灯りをぼんやりと眺めていた。


 胸の奥が、じわりと疼く。


 (——受け入れてしまった。)


 それがどうしようもなく、自分の中に響いていた。


(恋人らしいことをするつもりは、なかったのに……)


 彼との契約期間の一年。その間、肩書きだけの婚約者として振る舞うつもりでいた。それなのに——


 窓に映る自分の姿を見つめる。目元が微かに熱を持っている気がして、思わず目を逸らす。


 ……寂しい。

 指先が、そっと唇に触れる。そこには、あの夜の感触がまだ微かに残っているような気がした。


 もう少しで、私は──。

 途端にぞっとして、花緒は手を引く。


 いや、その感情はおかしい。だって、今更何を迷うんだ?

 私は、婚約者としての立場を受け入れた。思えば約束の一年に関係なく、慈雨月と結婚する未来が変わることはない。


 私達しかいないんだ。華上(かがみ)を後世へ繋げるのは。

 ……なのに、なぜこんなにも抗おうとしているのだろう。


 どうしようもなく思い出すのは、幼い亜蓮(あれん)の姿だ。

 亜蓮と再会したとき、変わらない自分でいたい。その想いが、花緒の胸の奥で消えない。

 

 でも、変わっていなかったとして、何か意味はあるのか?それが慈雨月の好意を、無下に扱う理由になるのか?

 それでも、再び彼と向き合った時に、私が"変わって

"いたら──。


(私は、亜蓮様に申し訳が立たない……)


 亜蓮を置き去りに、慈雨月と幸せな時を過ごしたなんて、絶対に思いたくない。自分だけが幸福に浸るなんて許されない。


 それなのに。

 ──私は、慈雨月様に惹かれてる。


 あの夜、彼が触れてくれた指先の優しさを心地よく思ってしまった。

 さりげなく、それでいてまっすぐな優しさが。誠実さが。惜しみない愛情が。

 強張った心を、優しく解いてくれる。私を人間らしくしてくれる。

 だからいつか……全てを開け渡してしまうかもしれない。


 胸が苦しくなり、花緒は両膝を抱えて顔を埋めた。

 私は何を守ろうとしているのだろう。

 何に抗おうとしているのだろう。

 じくじくとした迷いが、心の奥でうずまいていく。


 何かを失うような気がして怖いのか。それとも──。


 目を閉じても、あの夜の熱が、離れていかなかった。



—————————



◆「疑惑の婚約者①」



 ――ビジネスホテルに内接したカフェ。上質な木目のテーブルの上で、湯気を立てるコーヒーカップが二つ。


 大きな窓からは、落ち着いた昼下がりの景色が広がり、ジャズピアノのメロディが時間を優雅にしている。


 亜蓮が見つからないまま、二人は二度目の逢瀬の日を迎えた。


 優雅にコーヒーカップを傾けていた慈雨月が——


「慈雨月様」


 花緒に名前を呼ばれた。


「ん?」


 なんでもない会話の続きかと思い、軽く返事をする。

 しかし、花緒はまっすぐに彼を見つめ——


「私は、何番目の愛人なんですか?」


 屹然とした声で問いかけた。


 ——ブッ!!慈雨月は、盛大にコーヒーを吹きかける寸前でなんとか堪えたが、危うく窒息しかけた。


「……ゴホッ、ゴホッ!? な、なっ……!?」


 口元を押さえながら、目を丸くする。

 一方、目の前の花緒は姿勢よく背筋を伸ばし、両手を膝の上にきっちり揃え、慈雨月をじっと見つめていた。

 その目は、冷たい。


「な、なんだその質問は?」


「そのままの意味です。なんなら私は、慈雨月様の人生で何人目の女ですか? 80人目くらいですか?」


「なんだその偏見は!?」


 思わず声が上ずる。


「まるで俺が女遊びばっかりしてるみたいな言い方をするな!?」


「だって、してそうじゃないですか」


「偏見酷いな!?」


「あまりにも女性の扱いに慣れすぎてたので」


 狼狽する慈雨月に対し、花緒の視線は厳しいままだ。


「……俺には、お前以外に付き合ってる人なんていないぞ?」


 苦し紛れに真実を伝えるが、花緒は微動だにしない。


「じゃあ、奥様がいるんですか?」

 

「オイオイオイオイ!!!!」


 思わず額を押さえた。


「いないよ! なんでそうなる!?」


「別にいても驚きませんので、正直に言ってください」


「正直に言ってるんだけどな……!?」


 慈雨月は深いため息をつく。

 なんだ?久しぶりに会えて、やっとデートらしいデートができた気がしたのに。なんでこんな取り調べみたいな状況になってるんだ?


「俺が既婚者だったら、そもそも婚約なんてしないだろ」


「隠し妻や現地妻という可能性もあります」


「な、い!」


 声を大にして否定する。


「慈雨月様の不貞行為の数々の噂は、屋敷でも有名でしたので」


「なっ……!? なんだそれは!? 俺は知らないぞ!」


「やっぱり……」


「ちょっと待て!! 今ので納得するのはおかしいだろ!」


 カフェの優雅な雰囲気とは裏腹に、慈雨月の叫び声が響き渡る。


「頼む、答えてくれ。なんで俺が浮気者かつ既婚者みたいな扱いになってるんだ?」


「だって、怪しいじゃないですか」


「どこが!」


「そもそも私みたいな歳の離れた小娘と婚約しようとしている時点で、危険人物としか……」


「待て待て待て!!」


 思わずテーブルに手をつく。


「俺がロリコンだとでも言いたいのか!?」


「ロリではないですが……。なんでしょうね、このやっと白状した感は……」


「くそっ……何を言ってもマイナス方向にしか取られない……!」


「事実を述べているだけです」


「違う!! 俺は普通だ!」


「15も年下の小娘をずっと好きだったなんて言う時点で普通ではないのでは?」


「だから成人まで待っただろ!?」


 くそ、埒が明かない……!大きくため息をつくと、慈雨月は眉間を揉んだ。


「どうやったら信じてもらえる? 戸籍でも取ればいいか? それとも興信所にでも連絡する?」


「両方お願いします」


「マジか」


 まさかの即答だった。


「むしろ、最初からそのくらいしていただかないと」


「婚約者に対する信用が無さすぎるだろ……」


 慈雨月が絶望した目をする。


「……じゃあ逆に聞くけど、何があれば俺が潔白だって信じるんだ?」


「戸籍と興信所の調査結果です」


 花緒の真剣な視線に、慈雨月は言葉を無くす。


「……本当に、やるのか……?」

 

「やってください」



 ――そして一ヶ月後。次の約束の日。


「これ……戸籍謄本と興信所の調査結果……」


 目の前に差し出された茶封筒を、花緒は淡々と受け取った。


「ありがとうございます。」


 早速封を開け、中の書類に目を通す。慈雨月は腕を組み、花緒の反応をじっと見守る。


「……全く、驚かれたぞ。自分で自分の身辺調査を依頼するなんて。」


 慈雨月はやや非難めいた声で言うと、心底疲れた顔で、ソファに身を沈めコーヒーに口をつけた。

 しかし、花緒は表情を変えずに書類を開き、パラパラとページをめくる。


「……何もなし」


「そりゃそうだろ、婚約してるんだから。どうだ? ちゃんと俺の潔白、証明されたか?」


「ええ、現時点では何も問題ないようですね。」


「は?」


 花緒は視線を上げ、じっと慈雨月を見た。


「これだけでは若い頃の不貞の疑惑解消にはなりません。」

 

「嘘だろ?」


「今のところ、浮気の証拠はありません。しかし、過去のことまでは分かりませんから。」


「おいおい……。——ふっ。いや、きっと言うと思ってな。」


 慈雨月は得意げに、もう一つの封筒を取り出した。


「これは?」


「俺の中高時代の友人達に、俺の人物評を聞いてきた。」


 花緒は無言で封筒を開け、書類に目を通す。


 『真面目な努力家』

 『いい奴だが、時々イタズラが過ぎる』

 『基本的に誠実』

 『たまに頭おかしい』

 『あいつが生徒会にいた一年は高校の黒歴史』

 『変人』

 『逃げて』


「一部偏見めいた感想が混じっているが、むしろ健全な思春期の男子時代もあったということで除外はしなかった」


 慈雨月がドヤ顔で腕を組む中、花緒はあることに気づいた。


「女子の意見がありませんね。」

 

「……は?」


 慈雨月の目が瞬いた。


「男性の友人からの証言だけでは、女性関係が潔白である証明にはなりません。」


「いやいや!? 俺は男子校だったんだ! 女子からの証言なんてないぞ!?」


 焦っておたおたする慈雨月に、花緒は冷静に首を傾げる。


「では、近隣の女子高の方々の意見も集めてください。」

 

「無茶を言うな!!」

 

「私の納得のために必要な証言です。」


「いや、いらないだろ。」


「必要です」


「なぁ、俺のどこがそんなに信用ないんだ?」


 慈雨月が半ば呆れながら尋ねると、花緒は書類から視線を外し、少し目を伏せた。


「……慈雨月様は、女慣れし過ぎています」


 その言葉に、慈雨月は一瞬返す言葉を失った。


「それは……」


 言葉に詰まりながら、自然と目の前の花緒を見つめる。


 可愛い。可愛い――可愛い!!!!


 小さな輪郭。白くて滑らかな肌。口紅をしなくてもリップだけで薄紅色の際立つ唇。

 少し癖のある深い緑の髪。翠色の凛とした隙のない瞳。背は高いのに華奢に見える線の細い体。


 ――全部が可愛い。


 君が可愛いから。やっと君と恋人になれたから。つい、嬉しくて、つい、そういう態度になってしまうだけで。


「……」


 赤面して慈雨月が言葉を詰まらせていたその時。


「……まさか、風俗?」


 小さな声で呟いた花緒に、慈雨月の思考は真っ白になった。


「は?」


 花緒は顔を青くし、唇を引き結んで慈雨月を凝視している。


「いやいやいやいや、待て! 行ってない!! 行ってないに決まってるだろ!!」

 

「でも……」


「でもじゃない! なんでそうなる!? 俺はそんなもの行かなくてももう困らないだろ!」


「それもそれで問題発言では」


「問題発言じゃない! 俺は花緒一筋で……!」


「今の発言は信用できません」


「なんでだよ!?」


「根拠がありません」


「だから調査報告書を渡しただろうが!」


 花緒は書類をもう一度見て、納得いかない顔をする。


「……少し不自然な気がします」

 

「どこがだ!!」


 慈雨月が頭を抱えていると、ふと妙なことに気づいた。


「……花緒。お前、俺が必死になってるのを楽しんでないか?」


 ギクッ、と花緒の肩がわずかに跳ねる。


「そんなことはありません。」

 

「いや、してるな? 絶対してる。」


 慈雨月がじりじりと距離を詰め、花緒が体を引く。


「お前、最初から俺がどうするか試してただろ?」

 

「そ、そんなことは……」

 

「ふーーーん?」


 慈雨月がさらに顔を近づける。花緒はソファの背もたれに埋まって逃げ場がない。書類で口元を隠し、おろおろとしていたが、とうとう観念して……


「す、すみませんでした……」

 

「よろしい。」


 慈雨月は満足そうに微笑んだ。その笑顔には、1ミリも花緒を責める様子はない。ただ、そんな警戒心が強いところも可愛らしいし誠実だと思うのだ。


 腕を伸ばして、花緒の頭をくしゃりと撫でる。そして、そのまま身を乗り出し、軽く唇を重ねた。


「……これで安心して恋人でいられるな。」


 花緒がどきっとして見上げると、慈雨月はにこりと悪戯っぽく笑った。



————————————



◆「逃げたい、逃げられない」



「慈雨月様、もう無理です。別れましょう」


 電話口で花緒がそう告げると、一瞬の沈黙が落ちた。


「……は?」


 西陽に染まるビルの谷間。花緒は今日一日、慈雨月からの連絡をすべて無視して、街を逃げ回っていた。


「え、ちょっと待って。やっと電話に出てくれたと思ったら、それ?」


「はい。……もう、無理です。どうしてあなたといると、あんなに女性が割り込んでくるんですか?」


 カフェでのご令嬢の横槍。デート中に笑顔で割って入ってきた女。

 どれも慈雨月は毅然とした態度で受け流していたとはいえ、花緒にはもう限界だった。

 まるで自分の存在が取るに足らないもののように扱われることが、こんなにも苦しいなんて。


「私に恥をかかせる気ですか?」

「ご一緒しても?」

 

 どの女も、彼だけを見ていた。花緒の存在など、まるで透明だった。くだらない。こっちは命かかってんだぞ。こんな戯言に割く精神だって惜しいんだ。


「花、待って」

 

「待ちません」

 

「いや、待てって言ってんだろ」


 声が、すぐ背後から聞こえた。驚いて振り返ると、そこには息を切らせた慈雨月が立っていた。


「……な、なんで……」

 

「GPS」

 

「……は?」

 

「君の居場所なんてすぐわかるよ」


 真顔の慈雨月に、花緒の背筋が凍りつく。


 冗談?いや、この人ならやりかねない。


「逃げる気? 俺から」

 

「今逃げる状況ですよね!?」


 慈雨月が一歩近づく。花緒は反射的に後ずさる。けれど、それよりも早く、彼の腕が伸びた。


 強く、抱きすくめられる。


「はぁ……! やっと捕まえた……!」


 慈雨月は肩で息をし、首元は汗で濡れていた。

 本当に――必死で自分を探してくれたのだ。


「……慈雨月様」

 

「頼むから、そんな風に避けないでくれ……」


 縋るようなその声に、胸がずきりと痛む。


「……俺が誰かに(なび)くって、そんなに信じられない?」


「……そういう問題じゃ」


「俺は、本当に……花だけなのに」

 

 胸の奥から溢れるようなその声に、胸が痛い。

 そんなのわかってる。私達にはもう、お互いしかいないことくらい。

 ぐっと、花緒が唇を噛む。


「……証拠は?」

 

「ない。でも愛してる」


 涙ぐむ花緒の胸が、痛むように締めつけられる。この人は、優しくて、強くて……でもその優しさが、逃げ場をくれない。


 わかってた。私は、傷つくのが怖いのだ。弄ばれていたと思えば、諦めがつくと思っていた。ただの政略的な婚約だと思いたかった。


 でも違う。この人は本当に私のことが好きなんだ。

 だから必死に、逃げて、逃げて、逃げて――。嫌われる理由を探して、別れる口実を探して、生意気に振る舞って――。


 だって私の心は、もうとっくに、この人の優しさに絡め取られかけている。でも。だからこそ。私なんかじゃダメだ。


 ――ねえ、慈雨月様、わかってますか?

 私、いつ死ぬかわからないんですよ?

 あの地獄のような世界で私はあまりにも無力で、また次に会える保証だってないんですよ?


 貴方は、真っ直ぐで、誠実だから――もっと、真っ当で、長生きする人間を好きになるべきなんです。


「君が好きなんだ。……花緒」


 花緒の熱く視界が霞み、涙が溢れる。


 ……嬉しかった。

 でも、

 私に、そんな資格はないと思った。

 

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