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第14話 その感情の名前は、罪



3日連絡が途絶えたのち、

突然花緒からメッセージが届いた。


――「亜蓮様が見つかりました」


その短い文面を見た瞬間、慈雨月の思考が真っ白になる。


本当、なのか?

偽物か? 堕神の擬態?

精神の限界が見せた幻覚では?


あらゆる可能性が頭をよぎるのに、それ以上の連絡がこない。


毎日100回はスマホを見て、着信履歴を埋め、メッセージを送りまくった。

睡眠不足なのに寝落ちすれば悪夢を見て、飯は流動食しか受け付けず、水は砂の味がした。


そして更に2日経ってようやく、花緒と電話が繋がった。


『ーーはい』


スマホ越しに、花緒の声が聞こえた。


ーー生きていた……!!


その一声だけで、慈雨月は胸が締め付けられた。


「花緒……何日ぶりだよ。心配したんだぞ……!」


『申し訳ありません……』


久しぶりに聞くその声は、ひどく静かで、しかし妙に落ち着いていた。


「いや、無事ならそれでいい。それで、亜蓮は?」


『今は熱も下がって、安定しています』


「そう、か……」


安堵と脱力が一気に襲いかかる。


椅子に身を沈めた慈雨月は、眉間を揉みながら小さく息を吐いた。


いざその瞬間が来てみると、言葉が出ない。


信じられない。

それが第一印象だ。


"黄泉帰り"ーーそんな言葉さえ頭に浮かぶ。


「……色々聞きたいことはあるが……。とりあえず、これからどうするんだ? すぐに外に出すことは、できないよな……」


電話の向こうで、花緒が少し言い淀んだのがわかった。


『……はい。瘴気汚染の進行度が不明で……。しばらく、私が付き添います』


「……そう、か」


(そうなるよな……)


予想はしていた答えだったが、実際に口にされると、思った以上にキツいものがあった。


ーー慢性的な瘴気汚染が引き起こす、死のリスク。


このところ、千年京に長く滞在していた人間が外界に出ると、瘴気に馴染んだ体が拒絶反応を起こし、死に至るケースが頻発していたのだ。


亜蓮が見つかれば、彼女も必ず、千年京に残ると言うと思っていた……。


亜蓮が見つかったのは幸いだ。

だが、慈雨月は何も言えず、ただ椅子の背にもたれ、天井を仰ぐ。


『……疑わない、のですね』


「君が亜蓮だと判断したんだろう。俺はそれを信じるだけだよ。まあ、写真の1枚くらいは見せて欲しいけど」


『……わかりました。あとで送ります』


沈黙。

それも重たく、意味深な。


ーーなんだ、この空気。


慈雨月の胸の奥がざわつく。


『……慈雨月様』


感情を殺したような声に、慈雨月が身構えた。


「ああ」


スマホの向こうで、花緒が息を整えた。


『――婚約を、解消させてください』


言葉が落ちた瞬間、二人の間の空気が凍りつく。


慈雨月は息を詰めたのち、わずかに笑った。


「はは、なるほどね……。やっと繋がったと思ったら別れ話か。どういう了見だい?」


『……ここ数日、真剣に考えた結論です』


足元を見つめながら、花緒は低く告げる。


「この婚約は、もともと義務的なものでしたよね。華上の血を引く慈雨月様が、秘術師の血筋を残すために」


「それは違うって、前にも言ったはずだよな? で? もう亜蓮が戻ってきたから、俺はお役御免ってわけか?」


『そういうことでは……ありません。ですが私はもう、飲まず食わずで五日間動き続けられるような身体なんです……、そんな私と結婚するなんて……』


「現実的じゃないって?」


花緒の息が詰まった。


『……慈雨月様』


「問題ないね、そんなの。俺がいつ“まともな人間"を求めたんだ?」


『でも、私は……慈雨月様には、他の、もっと……』


「聞きたくない」


低く鋭い声。

しかし、その奥にあるのは、痛みだった。


「じゃあ、そっちがその気なら、こっちも言わせてもらおうか」


慈雨月の声に明確な怒気がこもった。

初めて聞く声音に、花緒の胸がすくむ。


「婚約が白紙になるなら、そっちの援助は打ち切るよ? 戻ってきたばかりの亜蓮に、稼ぎや後ろ盾があるわけでもないだろ? 君の生活、家だってなんだって、俺が君の婚約者だから支えてるって自覚はある?」


花緒はしばらく黙っていたが、堪えきれず声を上げた。


『……それを今言いますか!?』


「ああ言うね! というか、言わせたのは君の方だからな!?」


声を荒げる主の後ろで、老秘書が深々とため息をついた。


『それは……亜蓮様が甥っ子だから、という理屈で済むことでは……!』


「はは……ふーん。君にはそこまで俺がお人好しに見えてたんだ」


皮肉げに笑う慈雨月だったが、声音に余裕はない。


「今の俺、心境最悪なんだけど? ようやく電話が繋がったと思ったら突き放されて、“ありがとう、さようなら”? それで、今後も善意で援助してもらえると思ってるの?」


『はあ、な、なんなんですか……?なんでそんなこと、ほんっと……!ほんっとに悪魔みたいな人ですね!?』


「はいはい、脅迫です!悪魔です!」


慈雨月が、苦しげに呼吸を整えた。

声がふっと落ちる。


「……違うんだ。そういうことが言いたいんじゃ、ないんだ」


その一言に、花緒の口が閉じる。


「――“君がいい”。君が人間かどうかなんて、関係ない。俺にとっては、それがすべてなんだよ」


『……』


何か言おうとした花緒の声が、かすかに震える。


「俺は千年京には入れないし、これからはそう簡単に会えないかもしれない。でも、だからって気持ちが変わるわけじゃない。」


慈雨月の声が、静かに続く。


「君は俺のためを思って突き放そうとしてるんだろうけど……。でも、それは俺の望んでる形じゃないんだよ……」


花緒の胸の奥が、じくりと痛んだ。


ーー本当に、それでいいのだろうか。

それは、この人を縛ることになるんじゃないのか?


(私なんかと結婚するより、もっと長生きできる人を選んだ方が、この人の為なのに)


なのに……

彼の気持ちをを聞くと、言葉が出なくなるのは、何故なんだろう……。


「……なあ、花緒」


『……』


「もう、こういう話はやめにしないか」


花緒が、唇をきゅっと引き結ぶ。


「“壊れてる”って、君が思ってるその部分も……俺にとっては、大事な君の一部なんだよ」


ずきん、と胸に痛みが走る。

指先が、無意識に胸元のシャツを握りしめる。


それにどうして……


(どうしてこの人は……いつも私の欲しい言葉をくれるんだろう……)


花緒は目を伏せ、息を吐いた。

しばらくの沈黙ののち、


『――わかり、ました』


ぽつりと、それだけを答える。


すると慈雨月も、ようやく張り詰めていた息を吐いた。


「……よし。それじゃあ、婚約は継続。支援も継続。異論ないね?」


『はい』


「それと、今度からはもうちょっと……何ていうか、連絡ぐらいは入れてくれよ。ほんと……心臓に悪い」


「はい……すみません」


「いや、俺も……言い過ぎた。ごめん……」


慈雨月の声が、申し訳なさそうに沈む。


「……辛いよな。怖い、よな」


穏やかで、優しく頭を撫でるような声。

花緒が自分の体をさする。


『……いえ』


花緒の胸が、締め付けられるように痛んだ。


「とにかく、君の体が壊れないか心配だ。すぐに手伝える人間を送ろう。気休めでも、少し体を落ち着けた方がいい」


「……はい」


花緒が目を伏せる。


(この人は、こんな私も人扱いしてくれるんだな……)


だからこそ、彼を道連れにしたくない。

悲しませたくない。

でも……もし、素直にこの人に甘えられたら……


(どれだけ、幸せなんだろうーー)


花緒は静かに視線を落とす。


「その……慈雨月様」

「ん?」

「……いつも、ありがとうございます」


慈雨月が電話の向こうで息を呑む。

そして、ふっと微笑む気配がした。


「いいんだ。俺が、君にそうしたいからしてるだけなんだから」


遠くから抱きしめてくれるようなその声に、花緒の胸の奥が熱くなる。


スマホを握る指に、力が籠る。


「おやすみ、花緒」

「……おやすみなさい」




* * *



スマホを内ポケットにしまいながら、花緒は冷たい廊下を歩き出す。

足音が、やけに重く響いた。


──信じてもらえるのだろうか。

亜蓮様の、あの姿を。


花緒自身でさえ、まだすべてを飲み込めていないのに。


それでも──確信はある。

あれは、まぎれもなく亜蓮だ。


(……だとすれば。あの話も、現実として動き出すのかもしれない)


慈雨月が口にしていた、亜蓮の養子縁組。

それに伴う、婚姻の必要性──


けれど。


(……今の亜蓮様は、一体、何歳なのだろう)


姿形は、どう見ても成人していた。

まだ若さの残る顔立ちだが、子供ではない。

声も、体つきも。

もはや“少年”のものではなかった。


(……となれば、扱いも“大人”として──?)


華上の後継者として、彼を迎えるのか。

後ろ盾は何もないとしても、血筋は確かだ。

ならば、自分は……


ぞくり、とした。


足が止まり、胸の奥に薄い警報が鳴る。


やめろ。

それ以上踏み込むな。

考えるな。

考えるな。

考えるな。


(……ーーそう、だ。今は、まず現状を正しく伝えることが先)


花緒はわずかに頭を振り、足を進める。


そして寝室の扉に手をかけ、音を立てぬよう中へ入った。


寝台の隅へそっと腰を下ろす。

視線を落とすと、そこには──


静かに眠る、亜蓮の姿があった。


「……」


安らかな寝息。

油断しきったような寝顔には、どこか無防備な影が落ちている。


この場所が安全だと信じきったような、子供のような寝顔。


(……熱は下がったのに、まだ意識がはっきりしない)


視線が、わずかに布団から覗く手元へ落ちる。


その手は、"かつての亜蓮”よりもずっと、骨ばっていた。


自分が知っていた亜蓮の手は、もっと細く、柔らかかったはずだ。

まだ、幼く頼りなかった、小さな手。


けれど今は──


剣を握り続けたような節くれだった指。

戦い慣れた、緊張の残る筋肉の硬さ。

まるで、生き抜くために、絶えず剣を振るい続けてきたかのようなーー。


「……亜蓮様」


声が震え、唇を噛み締める。


(……この方は、きっと、私なんかじゃ比べ物にならないような地獄を見てきたんだ)


再会の喜びはある。

でも、手放しで喜べない。

喜んではいけない気がする。


「……何が、あったんですか」


独り言のように、問いが漏れる。


花緒は、そっと手を伸ばした。

張りついた前髪を、指で梳こうとして── 一瞬、躊躇う。


(……触れても、いいんだろうか)


迷いながらも、指先は引き寄せられるように動く。


静かに伏せられた睫毛。

指の腹が、昔もそうしたように、淡く乱れた前髪を梳く。


(ーー懐かしい)


体温はあるはずなのに、ひんやりとした感触が指に伝わる。


(……まるで、別の世界から戻ってきたみたいだ)


この一年、何度も思い出した顔。

けれど、今ここにいる彼は、どこか遠い場所で生き抜いてきた、別人みたいで。


もっと、確かめたかった。

もっと近くで、この人の温度を感じたかった。


自分なんかがおこがましいかもしれない。

でも、その傷を、少しでも癒してあげたい。


(……抱きしめてあげたい)


そんな思いが、不意に浮かんだ、

──その時。



ーーガッ!!


鋭く手首を掴まれた。


「──っ!」


思わず、声が跳ねる。

心臓が、爆ぜるように鳴った。


ーー亜蓮の手が、花緒の手首を掴んでいた。


指先は細く、力はひどく頼りない。

けれど、それでも決して逃さないように、しがみつくように握り締められている。


赤い瞳が細く、鋭く開く。

呼吸は浅く、荒い。

何かに警戒するような、剥き出しの気配。


──まるで、手負いの獣。


焦点の定まらない目で、花緒を睨む。


「あっ、亜蓮様っ……!そ、その……!」


「……………」


反射的に呼びかける。

けれど、言葉が続かない。


次の瞬間──亜蓮の瞳が、花緒を映す。

すると、瞳の奥の警戒が、ふっと緩んだ。


獣のようだった目に、少年の面影が蘇る。


だが、掴まれた手は強張ったまま離れようとしない。


(ーー怖がらせたかもしれない……!何か、何か言わなきゃ──)


そう思うのに、声が出ない。

頬に熱が集まり、鼓動がどんどん速くなる。


そして。


ふいに、亜蓮の視線が動いた。

花緒の右手──その指に。


──指輪。


その一瞬、赤い瞳がわずかに揺れる。


探るように。

確かめるように。

何かを問いかけるように──


そして、次の瞬間。

その瞳から力が抜けた。


「……」


ーーふっと、指が離れた。


亜蓮の指が、何かを諦めたかのようにゆっくりと落ちていく。


力尽きるように、赤い瞳が再び、深い眠りに閉ざされた。



「……っ、はぁ……はぁ……っ!」


花緒は手首を引き寄せる。

震える手で、胸の前に押し当てる。


息が整わない。

頭が、真っ白になる。


動けない。

脚に力が入らない。


遅れてやってきた熱が、頬を焼く。

その熱の正体を、今さら気づいてしまったから──


(……だめだ。気づいちゃだめだ。認識するな……考えるな……!)


心の奥が、冷たくなる。

花緒は両手で顔を覆い、なおも呼吸を整えられずにいた。


「私、私──……」


震える指が、無意識に指輪を握りしめる。

視線は、眠る亜蓮に釘付けだった。


違う。

こんなの、違う──


ちがう。ちがう。ちがう──!!


これは──


()()()()じゃない……!!



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