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第13話 再会



あっという間に、時間だけが過ぎていった。


花緒は石の階段に腰を下ろし、気配を消したまま、人々のざわめきに耳を傾けていた。


ーー闇市。

認可外の退魔師や、千年京の崩壊を生き延びた者たちが築いた、夜の吹き溜まり。

治安は悪いが、人と噂が集まる場所だった。


——慈雨月との“約束の日”が、静かに、だが確実に迫っている。


亜蓮は、いまだ見つからないまま。

日々だけが容赦なく過ぎ、何ひとつ変わらぬ現実が積み重なっていく。


疲労が心を蝕み、ふとした拍子に、諦めの声が内側から囁くようになった。


——「もう、いいだろう。よくやった」と。


花緒の心は、いつのまにか「諦め方」を探すようになっていた。


どうすれば自分を納得させられるのか。

亜蓮のいない世界で、どう生き続ければいいのか。

そればかりを、繰り返し考えていた。


何でもいい。

あの日の、あの夜の痕跡。

彼がもうこの世にいない——そう思える証拠があれば。

何か、変わるかもしれないのに。


(……でも、そんなこと……信じたくない)


その時だった。


「ねえねえ」


不意に、頭上から無遠慮な声が落ちてきた。


見上げれば、若い男がひとり。

その後ろには、気取った男と、腕に絡みつく女が一人。


花緒は無言のまま、話しかけてきた男を冷ややかに見返した。


「なにしてんの?こんな時間にここにいるなら、一般人じゃないよね?退魔師?」


「……」


「あーごめんねー?いつもここにいるみたいだから、何してんのかなーって思ってさぁー」


軽い笑みを浮かべながら、男は一歩、距離を詰めてくる。


その口調には、踏み込んではいけない領域に平気で足を踏み入れる無神経さが滲んでいた。

その態度に、花緒の心はますます固く閉ざされる。


「うーん……アタッカーって感じじゃないね? 支援系? いいなー、ちょうどそういうのできる"異能者"探してたんだよね」


「……」


「うっわ、ウケる!警戒されちゃったの俺?

でもさー、仲良くするメリットはあると思うよ?」


そう言って、男がポケットから取り出したのは——

乳白色の粒状の石の数珠。しかも、大量だった。


「……!」


花緒の瞳がわずかに見開かれる。

ーー霊石。瘴気を体内から除去し、魔力を扱う退魔師にとっては命綱とも言える道具だ。


「すごくない? これだけあれば、夜も結構活動できんだよ?分けてほしい?」


花緒は無言で、視線をゆっくりと後方の男女へ移す。


鼻につく香水の匂い。

見下すような目つき。

まるで品定めをしているようだった。


(……惨めに見えてるんだろうな。私のこと)


「……」


花緒は何も言わないまま、にやけた男を一瞥した。


次の瞬間——

その目の前から、花緒の姿がふっと掻き消えた。


「——!? は、え、はぁ!!?」


狼狽する男たちをよそに、花緒は音も気配も残さず、その場から姿を消す。

人の波にまぎれながら、静かに闇市を抜けていく。


(……そろそろ、けじめをつけないと)


現実が受け入れられなくても、

時間は前にも後ろにも、容赦なく流れ続けていく。


あの日を生き残った者として、

立ち止まることだけは、許されない気がしている。


(この地を離れても、私にできることはある。慈雨月様のもとで、外から千年京の人々のために動きかけること、それも“役割”だ)


そして——

滅びつつある華上の血を、彼と繋いでいくこともまた、必要なこと。


慈雨月にはその覚悟がある。

だから信じていい。


そして、その暮らしの中には、愛情もある。

そう、わかっているはずなのに……。


(……幸せになんて、なりたくない)


闇市の出口を抜け、花緒はふと腕時計を見た。


「もうこんな時間か……」


花緒が手首の霊石を見る。

ほとんどが乳白色から黒く煤けた色に変わっていた。

残量から見て、そろそろ活動限界だ。


「……」


気づけば、足はいつものあの場所を目指していた。


人の気配などない、山の麓。

息を消すように佇むのはーーかつての華上の屋敷跡。


焼け焦げた柱。崩れた瓦礫。

畳に染みついた血の匂いも、今はもう薄れていた。

亡骸は片付けられ、雨がすべてを洗い流していった。


それでもなお、ここには——

沈黙と虚無と、そして失われた命たちの気配だけが、確かに残っていた。


「……亜蓮様……」


みんな、いってしまった。

なのに、私だけが生きてしまった。


静かに庭を歩く。

風が頬をかすめ、髪を揺らす。

死んだ仲間達が、優しく自分を迎え入れてくれてるみたいだった。


そう思うと、少しだけ心が軽くなる。


(……でも。結婚したら、もうここへは来られなくなる)


きっと、慈雨月は喜んでくれる。

もう、私の安否の心配をすることもない。

安全な場所で、家族として私を守ってくれる。


(それに、あの婚約も……最初は成り行きだったけど……)


いまや花緒にとっても、慈雨月の温もりは、胸の奥に染み付き、離れがたいものになっていた。


(——これでいい。これで、いいんだ)


そう言い聞かせた、そのとき。


ふと、足が止まる。


(……誰か、いる?)


空気の密度が変わった。

何者かの気配が、池のほとりに立っている。


異形ではない。人の気配だ。


(……墓荒らし?)


反射的に気配を消し、物陰に身を潜める。


(術者の自分の許可なしでは入れないはず……)


ならば、相当な手練。

視線を鋭くし、息を殺してその姿を窺う。


そこにいたのは、一人の男だった。


小柄な体に、薄鼠色の着物。

焼け跡の木を見上げ、身じろぎもせずに佇んでいる。


(……墓荒らしにしては、様子が妙だ)


言葉もなく、ただ静かに立ち尽くすその背に、なぜか心がざわついた。


(……なんだ、この感覚……)


既視感——いや、それ以上の何か。


そして、その手元が目に入る。


金色の光を、闇の中でかすかに反射する。


——錫杖。


(……っ!?)


鼓動が跳ねる。


その瞬間、男の横顔が見えた。


赤い瞳。

儚げで、どこか哀しさを宿した顔立ち。


——その一瞬で、思考が吹き飛んだ。


「……っ!!」


走っていた。

心が体を追い越していた。


足音も気配も忘れて、花緒は一直線にその男へと駆け寄った。


「亜蓮様!!!」


叫びながら、その両肩を掴む。

細く、しかし大人の体。


戸惑うようにこちらを見上げる瞳。


「亜蓮様……亜蓮様ですよね!? 私です、花緒です!」


声が震える。涙が滲む。


何度でも思い出せる。

誰よりもそばにいたからこそ、絶対に間違えようがない。


——この人は、亜蓮だ。


ゆっくりと、彼の視線が上がる。


「……」


驚いたように、こちらの顔を見つめてくる。


「……花緒?」


かすれた、深い声。

かつての澄んだ声ではない。


「ーーっ!!」


でも、間違いなかった。

確かに、自分の名前を呼ばれた。


胸が震える。喉が詰まる。


姿も、声も、かつての彼とは違っていた。

けれど、魂が叫んでいた。


——この人は、亜蓮だ。


「亜蓮様っ!!」


胸にしがみつくように、彼を抱きしめた。


「よかった……っ、よかった……!!」


声にならない嗚咽が、喉からこぼれ落ちる。


「もう大丈夫です……! 大丈夫ですから……!」


亜蓮は虚ろに、肩越しに花緒を見ていた。


「亜蓮様……!」


抱きしめているのに、花緒のほうが縋りついていた。


「はな……」


そのとき。


彼の瞳から力が抜ける。

ふらりと、体が崩れ落ちた。


「亜蓮様っ……!? 亜蓮様!!」


とっさに受け止める。

その手から、錫杖が地に落ちる。


「しっかりして……! しっかりしてください、亜蓮様っ!」


必死に呼びかける。

震える声。流れる涙。


——そのときだった。


空から、ひとしずく。


冷たい雨が、頬を濡らす。


静かに、静かに。

止まっていた時に命を吹き込むように、雨が降り始めた。



* * *



花緒は、亜蓮を抱えて拠点へと駆け戻った。


寝台に横たえた彼の身体は、焼けつくような熱を帯び、浅い呼吸が胸をかすかに上下させている。

汗に濡れた額。着古した着物。


どこまで触れていいのか、わからなかった。

熱に浮かされているとはいえ、彼は男で、自分は——

……いや、そうじゃない。


「助けたい」。

ただそれだけだった。


その時、うっすらと開いた瞳が、こちらをとらえた。


「……姉、さん……」


その声に、花緒の呼吸が止まった。


――雪乃様。


胸の奥が凍る。


言葉が出なかった。

花緒はただ黙って俯き、亜蓮の額の汗を優しく拭き取る。


「……違います。私は……花緒です。……すみません……」


誰に向けての謝罪なのか、自分でもわからなかった。

けれど、そう言わずにはいられなかった。


亜蓮の意識は再び、深い眠りの闇に沈んでいく。


花緒は立ち上がる。

泣きそうな顔を隠すように、そっと寝室を出た。


(……慈雨月様に連絡しないと)


ポケットからスマートフォンを取り出す。

ロックを解除すると、画面に“慈雨月”の名前が浮かび上がる。


けれど——その文字を見つめたまま、指先は止まった。


視線が、背後へと向く。


閉じられた扉の奥には、眠る亜蓮がいる。

うなされる声が、まだ耳に残っていた。


ここには、誰も来ない。

誰かが慰めてくれることも、明るく振るまってくれることもない。


暗くて、寂しくて、孤独で。


――けれど今の自分たちには、その静寂が、ひどく優しく、必要なもののように思えた。


「……」


スマホの明かりを消す。


(——ごめんなさい。あとで、必ず。)


心のなかでそう誓って、花緒はそのまま、灯りのない廊下の向こうへと消えていった。



* 



目覚めないまま、亜蓮の眠りは三日目を迎えた。


昼も夜も曖昧な時間が、ただ過ぎていく。


看病に疲れはなかった。

眠る必要のない身体になってしまったことが、今だけは初めてありがたいと感じた。


夜の雨が、山をしとしとと濡らしている。

灯りを落とした室内で、花緒はずっと亜蓮の寝顔を見つめていた。


その呼吸は浅く、時おり途切れそうになる。

熱はようやく峠を越えつつあるが、意識はいまだ夢と現の狭間をさまよっている。


花緒は、拳を膝の上で握りしめた。

声にならない声が、喉の奥で震える。


「……あの日……置いていって、ごめんなさい……」


亜蓮が応えることはない。


代わりに、ぽたりと……

花緒の頬を涙が伝って落ちた。


泣く資格なんて、ないのに。


——間に合わなくて、ごめんなさい。

——ひとりにして、ごめんなさい。


胸の奥で、幾度となく、懺悔の言葉が繰り返される。


「でも……戻ってきてくれて……本当に……」


眠る亜蓮の眉が、わずかに寄った。


夢を見ているのだろうか。

優しい夢であれ、辛い夢であれ、

花緒の胸は、締め付けられる。


「……」


かすかな上下を続ける亜蓮の胸元。


だがーー

不意に、花緒の胸に冷たい予感が忍び込んだ。


(この人は本当に、亜蓮様なの?)


眠る亜蓮を見つめ、すぐに花緒は思い直した。


ーーいや、そんなことはどうでもいい。


目の前の亜蓮が、本物だろうが、偽物だろうが、幽霊だろうが、作り物だろうが。


亜蓮の心を持った何かが、確かに目の前にいて、触れられる。

それだけで奇跡なのだ。


「……」


しばらく、花緒は静かにその寝顔を見つめていたが、ふと、喉の渇きを覚えて立ち上がる。


冷水を汲みに、寝室を出て、小さなキッチンへと向かう。


ほんのりと照明の灯る、小さな空間。

包丁も、食器も、何もかもが整然としていて、冷たく静まり返っていた。


「……はぁ……」


ーー泣くな。

気を取りなおそうと、深呼吸する。

けれど……視界がにじむ。


「っ……」


誰もいないキッチン。

この冷たい世界には、自分と、彼しかいない。


「……っ、う……はぁっ……」


膝が抜けたように床へ崩れ落ちる。

唇を手で塞いでも、嗚咽が漏れ出した。


「亜蓮様……私……」


こんな姿、傷ついた彼の前では見せられない。

彼の前では、決して口にできないけど。


「亜蓮、様っ、会いたかった……、ずっと、ずっと、会いたかった……!」


誰も、自分を責めたりしないのかもしれない。

それでも、胸の奥の罪は消えなくて、ただただ、涙があふれる。


神でも仏でもない何かに祈った。

今だけは、泣くのを許して、と。



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