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第10話 「私の必要性」



 モモがそっとハンカチを差し出すと、花緒(はなお)は一瞬ためらった後、素直にそれを受け取った。小さく頭を下げながら、力なく指先で握りしめる。


「本当に用意のいい人ですね」


 皮肉るように笑うと、少し鼻を啜って目にハンカチを押し当てる。


(……いる意味がないなんて、そんなことあるはずないのに)


 何か言おうとしたが、喉の奥で言葉が詰まる。今は何を言っても軽く響いてしまいそうだった。


 花緒が抱えているのは、ただの迷いじゃない。亜蓮(あれん)と離れ離れだった時間の中に、深く刻まれた後悔なのだ。


(きっと、亜蓮さんのことが大好きだから離れたくれも離れられないんだよね……)


「……ありがとうございます。少し、すっきりしました」


 「大丈夫?」


 すっきりしたと言いながら花緒の顔はさっきよりも落ち込んで弱々しい。辛いだろう。ずっと向き合いたくなかった気持ちと、存在意義と、今向き合ったのだ。


「……実は」


 モモが首を傾げると、花緒は「その……」と言い淀んだ。


「前々から、ある方に"外"へ出ないかと言われていて……」


「えっ……、え? ん??」


 なんだろう、今明確に話題が変わった気配がした。モモが眉間を寄せると、花緒はおろおろと視線を左右に彷徨わせる。


「あ、その……仕事、です。()()の……。前々から打診されていて……」


「えっ……? ――いや、は!!!???」


 モモがフリーズし、花緒を二度見する。


「今思うと、いっそそれも選択肢としてはありかなと……」


「待って!!? 何その話!? 藪から棒すぎる!!」


 モモがたまらず身を乗り出す。


「いやいやいや! なしでしょ!!? その人、花緒が亜蓮さんとこで戦ってるの知って言ってる!? ヤバいんじゃないのその人!?」


 花緒は涙目で鼻を啜った。


「大丈夫です。暁月(あかつき)のアジトを提供してくれている方ですし、亜蓮様とも親族の間柄ですから、身元は保証されています」


「いやいや!? 知ってて花緒を引き抜こうとしてるなら尚更ヤバいでしょ!! チームに花緒は絶対必要でしょ!?」


 あまりの衝撃に、もとの勢いを取り戻したモモが木をバシバシと叩く。


「必要……でしょうか……?」


「ややや、なんでそこ迷うかな!? だって、花緒がいなかったら誰が御之(みゆき)さんと私を止めるの!!?」


 花緒の結界がなければ、御之とモモで千年京を更地にしかねない――と、今のは少し笑ってほしいところだったのだが、花緒は意気消沈だ。笑うどころか、自尊心を失った無気力な表情のまま首を傾げている。


「いえ、結界術に関しては御之(あれ)も亜蓮様も心得はあるので……。私じゃなくても……」


「えっ!? そうなの!!?」


 モモの手が固まる。あの二人、何でも屋なのか!!?


「でも、それと花緒の結界は別物でしょ!? みんなが戦える場を作るのは花緒じゃん! いないと絶対破綻するって!」


「そうでしょうか……」


「そうでしょうにッ!!」


 だめだ……!落ち込みすぎて正常な判断力すら失っている。


(まずい、これは思ってたこと全部出し切ったせいで、完全に自信失う方向に着地しちゃったやつ!! 花緒がいなくなるのはマジで困る! 私が困る!!!)


 モモは唸りながら頭を捻らせたが、激しく頭を振って花緒の肩を掴んだ。


「花緒っ!!」


 花緒はふらっと、心が空っぽになったような顔を上げた。


「私は昨日亜蓮さんと会ったばっかりだし、花緒と亜蓮さんのことよく知らないからわかんないことは多いけど、でもこれだけは言える!」


 伝われ。お願いだから。

 モモは真っ直ぐ花緒の目を見た。


「亜蓮さんにとって花緒は、絶ッッッッーーー対に必要!!」


 花緒の胸がどきっと跳ねる。が、すぐに感情を押し殺す痛々しい表情になった。


「花緒、もし私が亜蓮さんなら、花緒にまた会えたのは嬉しい! 絶対嬉しい!! でも、危険なことしてるっていうのは、亜蓮さんもきっと自分で一番よくわかってると思うから、もし花緒の力が足りないと思ったらもうとっくに遠ざけてると思う! 危ないから!!」


 モモの指先に力が籠る。


「だって亜蓮さんは、命が懸かるようなことに、人を無闇に巻き込む人じゃないよね……!?」


 だめだ、全部憶測だ。言ってることになんの根拠もない。だって、相手は昨日初めて会ったばかりの人なのだ。

 でも、この人は信頼できる――そう思わせる何かが亜蓮さんにはあった。だからついていきたいと思ったんだ。


「昨日の夜、私が戦いたいって言った時も、亜蓮さんすぐに止めたじゃん? 花緒をそばに置いてるってことは、それは他の誰かじゃなくて、花緒じゃないと駄目だからじゃん」


「モモさん……」


 花緒の熱がスッと冷め、困り果てた顔になる。


「あの状況は誰でも止めます……」


「そうなんだけど、そうじゃなくって!!」


 伝えたいことが伝わらず、モモが頭を掻きむしる。


「ダメだ……わかってるって! 全部私の想像だって!

でも私はそう思う!! 花緒が必要ないなんて、そんなことは絶対ありえないよ!」


「でも……」


 言葉よりも、モモは花緒の両手を握った。


「とにかく、ふたりは一回話をした方がいいと思う!」


「えっ……!? ですが……」


 花緒は狼狽えるが、モモは手に力を込める。やってもらうしかない。だって今花緒に必要なのは、亜蓮本人の言葉なんだ。


「花緒はきっとこれまで、亜蓮さんのために何ができるかを考えて、ずっと支えてきたんだよね。でも、今はそれが通じなくなって……それで、自分がもう必要じゃないのかもって思っちゃったんだよね?」


 花緒の胸がずきりと痛んだ。


「だったら、“私が必要かどうか”じゃなくて、“亜蓮さんは花緒に何をしてほしいのか”を聞いてみようよ! 亜蓮さんが求めてることに一つずつ応えていけば、少しずつ自信、取り戻せると思う!」


「こんな私が……必要としてもらえるのでしょうか……」


「大丈夫だよ。だって、花緒さんの為に戦い方まで制限する人だよ? 大事じゃないわけないって!」


「……? それは私が力不足なせいで全力を出せないだけでは……」


「いや確かに、花緒の負担は考えてると思うけどさ!?」


 ――あれ?とモモが固まる。


(亜蓮さんって、戦闘の時そこまで仲間に気を遣う人なのか……?)


 モモは何か小さな違和感を覚えた気がしたが、俯いたままの花緒が視界に入ると、怒涛の思考に流されてしまった。


「あとね、花緒が亜蓮さんを好きかもって話だけど、それはすぐにどうこうする必要ないと思うよ」


 花緒は怪訝そうに眉を顰めた。


「これはお母さんの受け売りなんだけど……。人の心の形ってね、ずっと一緒じゃないんだって。気持ちって、変わってくんだって。だから、こんなこと言うの変だけど……今亜蓮さんのこと好きだって気持ちも、そのうち変わるかもしれない。もしかしたらもっと素敵な人が現れて、この人と恋人になりたい!って本気で思う時がくるかもしれないよ」


 花緒が僅かに目を見開く。そして……何か思い詰めたように目を伏せた。


「だから、これで良いか悪いかなんて、今すぐ決めつける必要ないよ。私っ、今は花緒に自信取り戻して欲しい」


「……自信」


花緒がぽつりと呟き、胸につかえて何かが胸にすとんと落ちた気がした。


 ――そうか。私は、自信を無くしていたんだ……。

 自信を持てば、少なくとも執事として、結界術師としては亜蓮のそばにいられるようになるかもしれない。


「あ、でも」


 ふと、モモが何かに気づく。


「今の理屈で言うと、これから私が亜蓮さんのこと好きになっちゃうこともあり得るわけだよね……? もしそうなったら悪いけど、その時はライバルになっちゃうね!」


 にっ、とモモが歯を見せて笑う。その歯に衣を着せない言い方に、花緒は目を瞬かせる。だが――思わず吹き出してふっと笑った。


「それは……困るかもしれませんね」


「ふふっ! ま、今はその気はないけどね! でも、どうしようもなくない? 亜蓮さん、かっこいいし?」


 自然と、花緒の顔に柔らかい笑みが浮かんだ。


「……そうですね」


 ずっと固く凍りついていたようだった手の力が、そっと解けていく。


 ――モモという子がどういう人間か、少しわかった気がした。

 この子なら、もし亜蓮様を好きになったら、わあわあと騒ぎながら包み隠さず話してくるのかもしれない。それにきっとこの子は、本当にただ純粋に、亜蓮の強さに惹かれてこんなところに来てしまったのだ。


 ――ああでも、そうか……。

 これからは導くのではなく、彼の求めるものに応えられる自分になればいいのか。


(それなら、できるかもしれない……)


 花緒の背筋がすっと伸びた。深く息をつき、心を整える。


「……ありがとうございます。今度こそ大丈夫です」


 モモがほっと息をつく。モモから見ても、花緒は今度こそ落ち着いた顔をしていた。


「よかった! じゃ、戻ろっか。なんかみんなに話あるらしいし!」


 モモは勢いよく立ち上がると歩き出して……道標も何もない林の中で立ち止まる。そして恥ずかしそうに振り返った。


「……ごめん、帰り道どっちだっけ」


 花緒がくすりと笑った。微笑みを浮かべたまま立ち上がって、軽くズボンをはたく。


「教えます」

「ありがと!」


 来る時はバラバラだった道筋を、今度は、二人は並んで歩き出した。



* * *



 アジトの玄関を出ると、飛び石が並ぶ前庭が続いている。

 その先にあるのは、離れの和風家屋。――亜蓮の私室だ。


 花緒は部屋を見つめ、わずかに視線をそらした。


「……やっぱり行かないとダメですか?」

 

「今更行かない選択肢ある?」


 モモのややうんざりしたツッコミに、花緒が縮こまる。


「だって……この後、亜蓮様の傷の処置もしないといけませんし……。冷静でいられる自信が……」


「そこはもう、開き直るしかないんじゃない? そうだなー『これはあくまで主治医としての行為であり、私は冷静です』って自己暗示かけるとか?」


「できるでしょうか……」


「できないならもう素直になっちゃえば?」


 モモがニヤニヤと笑うと、花緒は即座にぶんぶん首を横に振った。


「それは絶対にないですっ」


 耳まで真っ赤に染める花緒に、モモはそりゃそうか、と笑う。

 花緒は小さく息をつき、モモを見た。


「モモさん……」

 

「ん?」

 

「……今朝、貴女のことを嫌いだと言ったことを、今謝らせてください」


 不意の言葉に、モモは思わず目を見開いた。花緒は眉を寄せ、申し訳なさそうに続ける。


「あの時は、ごめんなさい。私はきっと、亜蓮様に必要とされた貴女に嫉妬したんです。……未熟者をお許しください」


「えっ、そ、そんな改まらなくても……!」


 モモが慌てて両手を振るが、花緒はしっかりと頭を下げる。


「もし、許していただけるなら……」


 そして困ったように、僅かに頬を染め言った。


「……また、話を聞いていただけませんか」


 モモの心臓がドキリと跳ねた。あまりにも素直な声音に、つられて顔が赤くなる。照れ隠しの様ににっと笑って、花緒の背中を叩いた。


「あったり前じゃんっ! ほら、頑張って!」


「……っ」


 モモに背中を押されて、花緒は一歩踏み出す。不安げな足取りだったが――やがて、ゆっくりと離れへ向かっていった。

 

「……ほんとだね、誰かに頼られるのって、すごく嬉しいことなんだ」


(だからやっぱり……また、必要としてほしいんだよね)


 モモの胸の奥がじわりと切なくなった……その時、


(あれ?)


 モモの思考がふと止まった。なにか、大事なことを忘れている気がする。


(あっ……)


 モモの脳裏に銀色の光――花緒の右手の指輪が蘇る。


 花緒と亜蓮に従者と主人以上の関係はなかった。花緒だって、右手の薬指の指輪がどんな意味を知らないで、意味深につけてみせるような性格ではないだろう。


 じゃああの指輪は、誰との物?


 

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