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第9話 「花緒の人生相談」



 モモと花緒(はなお)は、朽ちた倒木の上に腰掛けていた。花緒は膝の上で両手を組み、すっかり塩らしくなって俯いてしまっている。


「ていうか、よくそんな感じでやってこれたね。今までは上手く隠してたの?」


「それは……」


 正直、それどころではなかった、というのが本音だ。堕神(だしん)との戦闘の絶えない日々は過酷で、格上だろうが敵を選ばない亜蓮(あれん)に喰らい付いていくのは必死だった。


(――というのは、新入りの前の彼女の前ではあまり言いたくない……)


 花緒の顔色を見守っていたモモが、むっと顔を顰める。


「ちょっと? その感じだと全然話進まないよ?」


「えっ!?」


「いや、花緒が嫌なら無理強いはしないけどね……」


「ま、待ってください! 心の準備ができてないだけで……!」


 慌てて声を上擦らせるものの、いざ話そうとすると言葉に詰まってしまう。

 話は聞いてもらいたい。だが、この歳までまともな友人一人おらず、同年代相手にプライベートな人生相談なんてしたこともなかったのだ。


(そもそもこの私の状況をどこまで説明するべきか、()()()のことをどこまで話すべきか……。)


「その、どこから話したらいいのか……」


「え? 最初から全部でしょ?」


「最初から全部!?」


 当然のように目を輝かせるモモに、花緒の顔面が引きつった。


「うん。だってみんな、昨日会ったばっかりだし。花緒と亜蓮さんのことも、よく知らないから」


「私と、亜蓮様のこと……」


 花緒は口元に手を当て、何やら思惑を巡らせる。モモが、あっと思い出して指を立てた。


「もしかして御之(みゆき)さんが言ってたことと関係ある?」


 何気ないひと言だった。だが、花緒のこめかみにピクッと青筋が走る。


「あいつにだけは言わないでください……」


「えっ?」

 

「あいつにだけは何も喋らないでください! さもなくば……!」


「わかった! わかったからそれ引っ込めて!」


 花緒が手に結晶を作るのを見て、モモは慌てて両手を突き出した。


「あの男はっ、一度人の弱みを握ったら、一生粘着する蛇みたいな男なんですよ!? こんなこと知られたら、数分間隔で一日中いじり倒されます!」


「なんか実体験に基づいてる!?」


 モモは引きつった笑みを浮かべる。どうやらここの二人は本当に犬猿の仲らしい。並んで立っていたらかっこいいのに勿体無い。御之も花緒もスラッとした高身長で、揃っているだけで華がある。


 花緒は一つ息をつくと、ぽつりと話し始めた。


「……私は、華上(かがみ)という秘術師のお屋敷で、亜蓮様専属の執事、教育係として仕えていました」


 ――華上家は、古くから秘術やまじないを受け継ぐ家系だった。そして、現代でも多くの術師を育て、社会の中でひっそりとその力を役立てていた。


「亜蓮様もまた、華上家直系の秘術師として日々修行に励んでおられました」


「その家って、どのくらい歴史があるの?」


「さぁ……華上家の成立について、はっきりとした資料は残っていないんです……」


 花緒は困ったように少し考える。


「ただ、日本の呪術の黄金期は、奈良時代から平安時代と言われています。その頃にはすでに、華上家は秘術師として社会に関与していたようです」


「え……つまり、ざっくり千年前!?」


 花緒が頷き、モモが口を開ける。


(亜蓮さん、そんなすごい家のお坊っちゃんだったのか……)


 確かに、亜蓮の言動や所作は少し砕けたところはあるもののどこか常に品があるし、服装も格式のある良家の息子さんって感じがする。


「ていうか、そういう魔法? みたいな不思議な力って、本当にあったんですね」


「そうですね。現代ではそのような反応が普通かと」


 意外にも、花緒は否定せず頷いた。


「そもそも、逢魔時(おうまがとき)が起こるまで、魔術や神霊といった類は人間社会からほぼ消滅していましたから……」


 花緒の視線が悲しげに俯く。モモは、膝の上で拳を小さく握った。


(……聞くなら、今がチャンスかな)


 少し迷ったが、モモは思い切って口を開く。


「……あの、逢魔時って?」


「……逢魔時を知らない?」


 花緒が怪訝そうに眉をひそめた。その目の色には、僅かに非難と警戒が混じっている。


(やば、やっぱり知らないって言うの、まずかったかな)


「えーと、私情弱で。ごめん、今話すところそこじゃないよね」


 咄嗟に笑顔を浮かべるモモ。その笑顔が彼女らしからぬ強張った作り笑いだと気づき、花緒の良心がずきりと痛む。


「でも、もしよかったら、そこから聞いてもいい?」


 モモの真剣な目に、花緒の記憶は少し過去へと遡っていく。


 

 

 ――君の言う女の子のことだが、少し調べてみたよ。


 スマホ越しに響く穏やかな男の声。


 夜明け前の静かなアジト。灯りもつけずカウンターに腰掛ける花緒は、無意識に息を詰めた。


『まず、渡良世(わたらせ) モモという人物の渡京履歴はなかった』


 電話の向こうの男――慈雨月(じうつき)は、高層ビルの窓辺に立ち、無数の光が瞬く都会の夜を見下ろす。


『渡良世 モモは、人としてそちらに渡ったわけではないかもしれない』


「どういうことですか?」


『物として運ばれた。例えば、何者かによって攫われた、と考えるのが自然かな』


 花緒の胸の奥に、じんと嫌な感覚が広がっていく。


『これ以上のことは、まだ調べるのに時間がかかるね――』


 電話の向こうの声が、静かに遠のいていく。



 ……だから何だというのだ?被害者を装い、亜蓮に近づくのが目的かもしれない。ならば、警戒するのが自分の役目。安易に信用するのは迂闊すぎる。


 だがこの子は……悪意で人を騙すような子ではない気がする。その確信が、胸の奥でゆっくりと形を成す。

 花緒は静かに息を吸い背筋を伸ばすと、真っ直ぐモモを見つめて言った。


「……わかりました。全て関係のあることですし、貴女も知っておいた方がいいでしょうから」


 モモの目が見開かれる。


「――昨年の4月です。逢魔(おうま)と呼ばれる神格による大災害が、この遠都(とおみや)地方で起こりました」


「逢魔って、亜蓮さんが言ってた?」


「黒い巨人のような姿をした異形です。無上の魔逢(むじょうのまほう)畏みの主上(かしこみのしゅじょう)とも呼ばれる、古代から伝説に残る魔の根源。今風に言えば……魔王、という表現が近いかもしれませんね」


 花緒が両手の指を組む。


「これを封じるための結界術が発動し、千年京が構築されるまでの一連の事件を……逢魔時(おうまがとき)、と呼びます」


「その時、花緒さんや華上家の人達は……?」


「……私はたまたま屋敷を離れていたので難を逃れましたが、屋敷は逢魔時の震源地にありました」


 遠くを見るような目で、花緒がぽつりと続ける。


「私が戻った時には既に屋敷は焼け落ちていて、屋敷の術師達は一人残らず命を落としていました」


 モモが息を呑む。

 ――死んだ。亜蓮と花緒以外の全ての術師が。


「逢魔時発生時は、堕神への明確な対抗手段がありませんでした。戦えた者もいたかもしれませんが、瘴気汚染の事実も、後になってわかってきたことですから……」


 モモがハッと息を呑む。瘴気汚染の知識なく魔力を使い過ぎれば、人は肉体を保てない。


「そもそも、あの事件そのものが突然でした。術師の死因のほとんどは、堕神の奇襲に逢い、為す術なく、といったところでしょう……」


 花緒の脳裏に、あの日の光景が蘇る。

 灰と血の匂い。焼け落ちた屋敷。空は少しずつ薄明るくなり朝を迎えようとしているのに、生きた者は誰もいなかった。


「そして、あの時亜蓮様は、14歳だった姉の雪乃(ゆきの)様とお母様も亡くして……」


「お姉さん……って、ちょっと待って!!」


 花緒が沈痛そうな顔を上げる。


「14歳のお姉さん? え、亜蓮さんどう見ても成人してるよね?」


「逢魔時当時、亜蓮様は10歳でした」


「…………ん? えっ!?」


「亜蓮様は、逢魔時以来行方不明になっていました。私が今の亜蓮様に再会したのは、2ヶ月ほど前です」


「じゃ、じゃあ、御之さんが言ってた、“久しぶりに会ったら大人に”って……!」


「そのままの意味です」


 冗談を言っている目ではなかった。花緒自身も気持ちを整理しきれていないような、戸惑いに満ちた眼差し。


「――再会した時、亜蓮様はもう、昔のような内気で争いを避ける少年でも、無力な子供でもありませんでした。圧倒的な力と殺意を携えて、雪乃様やお母様、術師達の仇である逢魔を討つと言ったのです」


 なびく黒衣。燃えるような赤い瞳。血のように鮮やかに光る日本刀を握り、全てを飲み込む業火の中、戦場に立つ姿。


 ――まるで、修羅のようだ。

 花緒の瞳が不安に揺れる。


「……で、そんな成長した亜蓮さんに惚れてしまったと……」


「せっかく忘れてたのに!!」


 モモが真顔で頷くと、花緒が赤くなった顔を覆った。

 やがて、花緒はそっと顔を上げる。物憂げに、何もない空間を見つめ、


「わからないんです。今の亜蓮様と、どう接したらいいのか」


 頬を赤くしながらも、その目はやはり、執事として主人を憂う目をしていた。


「身の回りの世話をする人間は必要なので、執事として振る舞ってはいますが、今の私は、術師としても中途半端で、執事としても不適格で……。今の亜蓮様には、私より優秀で、精神的にも安定した人間が必要なんじゃないかと……」


 花緒がそんな気持ちでいたなんて。モモの胸が締め付けられる様にギュッとなる。が――。


「それなのにっ、こんな大事な時に、私は亜蓮様を見るだけで平常心すら失って!!」


(いやそこかい!!)


 モモが心の中で突っ込むが、いや、そこもだよな……と考え直す。


「でもなんとなくわかった。恋愛として亜蓮さんが好きなのか、そうじゃないのかもよくわからないんだね」


「そう、ですね……」


 モモの言葉に、花緒は足元を見たまま頷く。


「恥ずかしながら、ずっと仕事のことばかり考えて生きてきた人間なので、恋愛感情や、憧れや敬愛の区別もつかなくて……」


「ま、まあ確かに、初対面で見ても亜蓮さんかっこいいし、しょうがないんじゃない……?」


「かっ……!!」


 花緒が勢いよく顔を上げた。まずい!今のは失言だ。モモが慌てて訂正しようと口を開けたが、


「かっこいいですよね!!??」


 花緒が拳を握り詰め寄った。


「――へ?」


 興奮気味に目を輝かせる花緒。豹変した様に高揚する花緒に、モモが驚いて目をぱちくりさせる。


「凛として涼やかなのに情熱的で、目つきはどこか物憂げなのに芯が通っていて……! 戦っている時は獣のようで、それでいて美しくて……!!」


「あ、はい……」


 花緒の勢いに、モモが思わず身を引く。


「幼さと大人が同居した雰囲気といい、昔の気の弱さを残した顔立ちといい! 大人になっても一人称が”僕”なところも、小柄なところも、背丈があまり伸びなかったせいで私と話す時上目遣いになってしまうところも、

それを気にしてるようなところも……! ……絶望的に、私の理想通りの亜蓮様に成長してしまわれてっ……!!」


 胸の前で悶えるように拳を震わせる花緒。後半はやや失礼があるのでは、とモモが心の中で突っ込む。


「あっ、でも、小柄なのは馬鹿にしているわけではありませんよ!? あの小柄な体躯で大振りな剣捌きをするのが燃えるんです!! むしろそこがいいんです!! 適正身長です!!」


「あ。は、はい」


(ただの癖だな……)


 モモが笑顔を引き攣らせる。


「でも……」


 花緒の表情が沈む。


「亜蓮様は、行方知れずだった一年の間、何があったのか話そうとしません……」


 両手を、きゅっと握る。


「亜蓮様が今の亜蓮様になる為には……きっと、私などでは想像も及ばないほど辛い経験をされたはずなんです……。だから……それを、安直にかっこいいだとか言ったり、強くなったことを喜んだりするのは……亜蓮様を、傷つけると思うんです……」


 花緒の息が詰まった。向き合いたくない現実に、手が震える。


「亜蓮様が強くなった今、私の教育係としての役目はなくなりました。結界術が使えたので結界術師として働かせてもらっていますが、それも代わりがきく仕事です……」


 言葉にした瞬間、思ったより胸が苦しかった。ずっと直視しないようにしてた。気づかないふりをして、気持ちに蓋をして……でも。


「亜蓮様に必要とされることが、私の存在意義でした。

でも、亜蓮様はもう大人です。自分の道を決める力がある。それを遂行できるだけの、戦う力も……」


 膝の上で組む手が震える。


「なのに……私は、あの頃のまま、亜蓮様を子供扱いしてしまうんです」


 必要とされたい。……そばにいたい。今の彼に釣り合う自分でいたい。それなのに、私は彼を子供の頃のままに引き戻すだけ。


「……わかってるんです。今の亜蓮様に必要なのは、執事でも教育係でもなく、戦う仲間だと」


 御之、千助、モモ――。彼らは、亜蓮が必要だと思ったから仲間に引き入れられた。だが、花緒だけは違う。


「私は、たまたま最初からそばにいただけ。たまたま……あの日を生き残ってしまっただけなんです」


 張り裂けそうな胸を押さえる。でも、どうしようもない。

 気づいてしまった。――私の役割。私の立ち位置。私が抱く、感情。


(全て……亜蓮様の邪魔になっている……)


「…………それに」


 花緒の視線が手元に落ちる。目に惹きつけられる――銀の指輪。


「花緒……?」


 モモが心配そうに声をかけると、花緒は何かを打ち消すように首を横に張った。震える息をつき、静かに呟く。


「……私がここにいる意味は、きっともうないのかもしれません」


 

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