第297話 「……どっちにする?」
「う゛う゛う゛う゛う゛う゛……」
早霧が不機嫌モードになった。
いや、正確には不機嫌モードじゃなくて拗ねて構ってほしいモードだ。
俺の部屋から場所は変わって一階にあるリビングのテーブル。
隣に座る早霧は、唸りながら俺の肩に頭を乗せている状態だった。
「悪かったって……」
「う゛う゛う゛う゛う゛う゛……」
話してくれないのに離れてもくれない。
現在進行形で矛盾の塊な俺の親友はさっきまで着ていたピチピチのヨガウェアからいつもラジオ体操の時に着る学校指定のポロシャツとハーフパンツに着替えていた。
と言うのも腕立てキスをした後、早霧は俺を一方的にえっち認定して部屋を飛び出してしまったんだ。
そして待つ事、数十分。
早霧が着替えて帰ってきたんだ。
「う゛う゛う゛う゛う゛う゛……」
早霧が唸る。
俺の肩に乗せた白い頭髪からはシャンプーの良い匂いがした。
どうやら長かったのは着替えるついでに朝風呂をしたらしい。
「蓮司がえっちなのが悪い……」
「お前なぁ……」
ようやく喋ってくれたと思ったら恨み言だった。
だけど朝から先にキスをしてねだってくる早霧の方がえっちだと俺は思う。
「えっちれんじ……」
「電子レンジみたいに呼ぶなって……」
「喉乾いた……」
「冷蔵庫でも無いぞ」
そして始まるいつものダル絡み。
とは言え俺も喉が渇いたのが正直なところで、だからリビングに来たまである。
当然のように早霧もついてきて、しかも離れないというおまけ付きだけど。
「……まあ、分かったよ。牛乳と麦茶、どっちが良い?」
リビングの壁にかけられた時計を見るとちょうど六時を回っていた。
早起きは三文の徳と言うけれど、早起きしすぎると朝ってこんなに長かったのかって感じる。
感覚的にはもう一日が終わっても良いぐらいに濃い時間を過ごした気がしているのは、間違いなく早霧のせいだし早霧のおかげだろう。
そんな早霧の機嫌を直す為に、俺は冷蔵庫へ向かおうとする。
「……やだ」
「……なに?」
だけど早霧は俺を離してくれなかった。
喉が渇いたって言うから飲み物を取りに行こうとしたのに、離してくれないのは理不尽じゃないだろうか……。
「……私も行く」
「……分かったよ」
「……ん」
「…………すぅ」
何だ、理不尽に可愛いだけか。
いつもの面倒で愛らしいワガママだった。
早霧は俺の腕にぎゅっとしがみつき離れようとしない。
そんな俺の腕にはポロシャツ越しの早霧の胸がこれでもかと押し付けられている。
だけどここで反応してはまた『えっちれんじ』と言われてしまうので口には絶対出さなかった。
「…………」
「…………」
リビングからキッチンへ向かう。
夏の朝はとても静かで、窓からは淡い日の光が差し込んでいた。
細く縦に伸びたキッチンを、早霧と腕を組みながら進む。
何て言うか、雰囲気が、空気感が、何か、新婚みたいだなって、何故か、思った。
「……どっちにする?」
「……むぎちゃ」
冷蔵庫を開けて指差す。
すると早霧は若干舌っ足らずで答えた。
今この間にも俺の腕に抱きつきながら肩に頭を寄せているのでその顔は見えない。
だけど機嫌が直りつつあるのは分かった。
いや元々、そこまで機嫌を悪くしてる訳じゃないけどさ。
「……氷は?」
「……今は平気」
「……はいはい」
銀色のシンク横に透明なコップを二つ置いた。
そこに自家製のパック麦茶をとくとくと注いでいく。
もちろんその間も早霧は俺の腕を離してくれなかった。
「……流石にこのままだと持っていけないぞ?」」
冷蔵庫に自家製麦茶の容器を戻し、気づく。
俺の片腕に早霧が抱きつかれているので、二つのコップは持てない。
早霧が自分のコップを持ってくれればすぐに解決するんだけどさぎりは両手で俺の腕をガッツリ抱いているのでそれも出来なかった。
「……ここで飲ませて?」
「お前マジか」
さも当然のように早霧が俺に甘えてくる。
その無法っぷりに流石の俺も素で突っ込まざるにはいられなかった。




