第295話 「……ろ、ろーく!」
「ん、んぅぅ……!」
「ふっ、はぁ……っ」
四回目の腕立てキス。
さっきよりも長い口づけの後に肘を伸ばして身体を起こした。
唇が離れていき、真っ赤に染まった早霧の顔が見える。目の焦点は合わず右往左往しながらも時々真上にいる俺の顔をチラチラと見ていてとても恥ずかしそうだった。
だけどまだ回数は残っているので、俺は早霧に声をかける。
「次のカウント、頼むな?」
「ま、まだやるのぉ……?」
「早霧が言いだしたんだぞ? えっちじゃないキスをしてって」
「う、そ、そうだけどぉ……ご、ごぉーお」
「よし」
「――んむぅ!」
早霧から許可が出たのでまた肘を曲げて身体を、そして顔を落とす。
ちょうど胸筋に負荷がかかるところで唇と唇が触れあった。
五回目ともなれば腕立てキスにも慣れてきた気がする。
ただ勢いよく身体を落としたらそれこそ乱暴なキスになってしまうので、触れる直前はゆっくりブレーキをかけて優しいキスにするのがコツだ。
そうするとそっと触れ合うキスになり、しかも動作がゆっくりになるから筋トレの効果も上がるので徳しかないのである。
「ん……あむっ……んぁ……」
「ん……ふぅ……」
キスをすればするほど触れ合う時間が長くなるルール。
ただ俺の下でキスを受け入れる早霧も、呼吸するタイミングを間違えたのか少し苦しそうに小さく身をよじっていた。
だけどやろうと思えば腕立てで無防備な俺の身体をすぐに押しのける事は出来る状況なので、嫌では無いらしい。
「ふっ……後、半分だな……」
「う、うん……」
その証拠に。また唇を離して身体を上げると、早霧は涙目になりながらもとろんとした瞳になっていた。
表情はもう完全に出来上がっていて、次のキス待ちの顔になってしまっている。
「ろ、ろーく……」
「…………」
「――んぅ」
瑞々しい薄桃色の唇が震えながら回数をカウントした。
それに合わせて腕立てをして、俺はまた身体を下ろし早霧にキスをする。
俺達ぐらいキスをする間柄になってくると、今回のキスが完全に受け入れたキスだというのもすぐに分かった。
悪戯気味な不意打ちのキスとお互いに受け入れ合うキスとでは気持ち良さの内容も違うんだ。
「ん……ちゅぅ……んむ……ん、んっ……」
「……ぷはっ」
「ぁ……」
俺の身動きが取れないのを良い事に、早霧が俺の唇を自分の唇で弄ってくる。
これじゃあどっちがキスをしてるのか分からない。
このまま俺の唇をついばんでくる早霧に身を任せても良いなと、一瞬だけ頭の中に煩悩が浮かんだけれど時間になったので唇を離して肘を伸ばす。
すると早霧は名残惜しそうな甘い声を漏らした。
「なーな……」
「……っ!」
「――ん、ぁ」
間髪入れずにカウントがされる。
その顔が、仕草が、全てが愛おしくなって俺はすぐに腕立てをした。
早霧が可愛くて思わずさっきまでの言葉を忘れて勢い任せにキスをしてしまったけれど、それさえも早霧は受け入れてくれて。
「……んぅ……ちゅ……れん……じぃ……ちゅ、ちゅ……」
「……ん、くぅ」
キスをしているのは俺の方なのに。
キスをされている早霧の方から求められているような構図になっていた。
甘える声と熱い吐息、形を変えながら唇に触れ合うあたたかくて柔らかな感触が俺の頭をおかしくさせる。
もうこのまま楽になっても良いかと、この数秒の間に何度思った事だろうか。
キスをすればするほど時間は長くなり幸せで気持ち良くなっていくというのに、腕立てをしている筋肉だけは悲鳴を上げていく。
そんな状況の中で楽になるには肘を伸ばし身体を上げなければならないのに、身体を上げるとキスが終わってしまうという状況に陥ってしまっていた。
もしかしたらこの腕立てキスは、筋肉よりも精神を鍛えるものなのかもしれない。
「ぷ、はぁ……」
「ぁぅ……」
だけどやっぱり腕も胸も苦しくなるし、キスに夢中になっていれば当然息も苦しくなる。
ギリギリの所で肘を伸ばしてキスをやめると、寂しそうな早霧の顔が目に入った。
「はぁ……はぁ……」
「あぅ……あぅ……」
油断した。
腕立てキスがこんなにキツイものだったなんて。
天国と地獄を全速力で反復横跳びしているような気分だ。
息は乱れて汗もかくし、何よりキスをやめる事が何よりも苦行だった。
でもそれももう終わる。
「あと……三回、だな……」
「うん……」
「カウント、頼むぞ……」
「うん……」
八、九、十と後三回。
それをこなせば、早霧が言うえっちじゃないキスを達成できる。
「……ろ、ろーく!」
「っ!?」
そう、思っていた。
早霧がカウントを、逆転させるまでは……。




