第281話 「元気だよ!」
早霧の様子がおかしい。
最初は何となくそう思っていたことも時間が経ち数が増えれば増える度にそれが確信へと変わっていった。
「手。止まってるよ?」
「ん? ……あぁ、悪い」
冷房の効いた俺の部屋、ベッドの上。
真後ろから、いや真上で真横から早霧の声がする。
俺はベッドに寝転がり、のんびりとマンガを読んでいた。
そして早霧も一緒にそれを読んでいるだけの、日常的な光景である。
ただ一点。
うつ伏せに寝転がる俺の上に、早霧が同じようにうつ伏せで乗っかっていることを除けばだけど。
「あははっ! そうはならないでしょー!」
マンガを読む早霧が笑う。
俺の上で。
おまけに近いから、吐息がこれでもかと聞こえてきていた。
背中に、腰に、尻に、足に、俺の背面全てに早霧が乗っかっている。
夏の暑さも冷房の効いた部屋には勝てずに、むしろ肌寒さを温めてくれるような状況だった。
「ふんふん……」
マンガの展開が変わり、早霧が頷いているようだ。
その息遣いが、胸の膨らみが、背中にもろに伝わってくる。
正直な話、マンガの内容に集中出来る訳が無かった。
「……早霧、ちょっと良いか?」
「え? うわぁっ!?」
俺は寝返りをうち、上に乗る早霧を振り下ろす。
短い悲鳴を上げながらベッドの上に転がった早霧に俺は振り向き、そのおでこに自分のおでこをくっつけた。
「熱は無い、か」
「え? ん、んー……」
おでこの熱さは俺と同じぐらいだった。
なのでトイレでの一件で本当に熱中症になったり、夏風邪で熱が出たとかでも無さそうである。
おでことおでこをくっつけたことで早霧が可愛いキス待ち顔をするが、今は様子見だと思って俺はまたうつ伏せに戻ってマンガを読み始める。
「……えっ!? ちょ、ちょっと!?」
キスが無い事に気づいた早霧がまた俺の背中というか上によじ登ってくる。
それと同時にまた背中に柔らかさとあたたかさが広がった。
「今、ちゅーする流れだったじゃん!」
「熱が無いか確認しただけだぞ?」
「元気だよ!」
「そうか。それは良かった」
「むぅー!!」
ご立腹な唸り声。
だけど早霧は俺から離れず、背中に乗ってくっついたままだった。
俺は読み途中だったマンガを開き、ページをめくっていく。
すると早霧も夢中になって、何も言わなくなった。
「……あむっ」
「うおわっ!?」
かと、思った。
早霧が、後ろから俺の耳を唇で甘噛みしてくるまでは。
「あむあむあむ……」
「さ、早霧っ!?」
「れんじが……あむ……ちゅー……あむあむ……してくれないから……」
早霧の甘噛みが続く。
耳に広がるくすぐったさと吐息の生暖かさ、そして囁きが同時に襲ってきた。
また早霧を振り落とそうにも、早霧はガッツリと俺の背中にしがみついている為それも出来ない。
「ちゅー……ちゅー……ちゅー……あむあむ……」
「わ、わわっ、わかった! わかったから! だから耳を噛むのやめろ! やめてくれ!?」
「へへへ……蓮司は耳が弱いんだね……」
早霧の甘い囁きと甘噛みが俺の頭の中を揺らしていく。
耐えきれなくなった俺が降参すると、早霧は離れ間際に勝ち誇ったように呟いた。
お前だって、くすぐりに弱いくせに。
そう言いたかったが完全にしてやられたのでタイミングを逃してしまった。
「……うるさい」
「わっ、ん……んぅ……」
仕方がないので、文字通り唇を塞いで黙らせる。
起き上がり、振り返り、顎に手を添えて、キスをした。
不意打ち気味だったが、早霧は見開いた目をすぐに閉じて俺の唇を受け入れる。
そんないつものやり取りをしたせいで。
早霧の様子がおかしいという事を、俺はすっかりと忘れてしまったんだ。




