第241話 「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛!?」
「早霧日記か……」
俺は手錠をかけられながら、一冊のノートを手に取った。
七月号と書かれたそれは、誰がどう見ても早霧が書いた日記である。
「今も書いてるんだな……」
早霧が日記を書いている事は昔から知っていた。
病弱で外に出れなかった早霧は、気を紛らせる為にその日あった楽しいことを日記にするのが日課だったんだ。
今朝も少しそんな話があった気がしたけど、やっぱり今も続けているらしい。
「気になる……」
今はどんな内容を書いているのだろうか。
しかも七月号という事は、俺と早霧の関係がキスをきっかけに大きく動き出した月でもある。
早霧はあの日あの時、何を思っていたのか。
それがこの日記に全て書いてあると思うと、気になって仕方がない。
「…………いや、流石にな」
でも、俺はそっと日記をカーペットの上に置いた。
いくら想いが通じ合った親友だからって、知られたくない事はあるだろう。
願わくば早霧の全てを知りたいと思うけれど、それは早霧本人から聞けばいい。
俺たちにはこれからもまだまだ時間はたっぷりあるのだから――。
「…………」
「…………」
――そう思っていた。
部屋の入り口に立ち、アワアワと口や身体が震えている早霧を見るまでは。
その視線は俺……じゃなくて俺の目の前に置いた早霧日記に向いている。
あ、これヤバい。
そう思った時には既に手遅れで。
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛!?」
「うおおおおおおおおおおおおおっっ!?」
一切可愛くない悲鳴というか雄たけびを上げながら、早霧が突っ込んで来た。
イノシシの突進、アメフト選手のタックル……どちらでも構わないがそれに近い衝撃を、両手に手錠をかけられている俺が耐えられる訳が無かった。
「みっ、みみみみみみ見たっ!?」
「見てないっ!!」
カーペットの上に押し倒した俺に、早霧が覆い被さる。
両手に手錠をかけられて、何だか危ない雰囲気だが実際はそんな事はなくただ早霧がテンパっているだけである。
そして、地味に身体が痛い。
「嘘だぁ! じゃあ何で私の日記持ってたの!?」
「早霧が手錠の鍵を探して部屋中を漁ってたからだろ! 俺は散らかった部屋を綺麗にしようとしてただけだ!!」
「……あ、そうなの?」
「…………そろそろ俺も本気で怒るぞ?」
慌てる早霧に俺が叫ぶと、キョトンと少しの間を置いてから納得した。
一方的に手錠をかけられてあらぬ疑いまでかけられて、ここまでよく怒らなかったもんだと自分で自分を褒めてあげたい。
「良かったぁ……。蓮司に日記の中身を見られたら、私恥ずかしくてお嫁にいけなくなっちゃうところだったよ……」
「…………」
さっきまでの取り乱しが嘘のように。
早霧は、心底安心したように俺の上で胸を撫でおろした。
じゃあもっと大事に扱えとも思ったけれど、早霧の言うお嫁というワードが気になって俺は思わず視線を逸らした。
「あれ、蓮司どうしたの?」
「……とりあえず、誤解が解けたなら退いてくれないか? それと、この手錠も外してくれ」
「あ、うん! ほらこれ! ママの言う通りキッチンの戸棚の上にあったよ!」
若干のドヤ顔をしながら早霧は俺に手錠の鍵を見せびらかしてくる。
思うところはめちゃくちゃあったけれど、ここはまだ我慢だ。
「今外すねー」
安心したからか、早霧は鼻歌混じりに手錠に鍵をさす。
小さくカチャっとロックが外れる音がして、ようやく俺の両手が解放された。
「それにしてもこれ、よく出来てるよな……」
「でしょー? 何て言うか、本格的だよね」
「ちょっと見ても良いか?」
「良いよー?」
そんな軽いやり取りをしながら、早霧は俺の手にかけていた手錠を手渡してくる。
鍵穴には鍵がさしっぱなしのそれを引き抜き、やけに本格的な手錠を手に持って。
「冤罪で現行犯逮捕な」
「…………はえ?」
――ガチャリと。
俺は早霧の両手に、手錠をかけた。




