第240話 「…………あれ?」
ベッドの上で早霧を抱きしめて、三十分ぐらい過ぎただろうか?
それだけなら聞こえは良いのだが、俺の両手には今もガッチリと手錠がかけられていた。
甘えてくれるのは嬉しいけれど、めちゃくちゃ複雑な気分だった。
「なあ早霧……もうそろそろ離してくれないか?」
「もうちょっとー……」
「そう言ってからもう三十分ぐらい過ぎてるんだけど!?」
「やーだー……」
早霧が俺の腕の中で駄々をこねている。
何だ、今日の早霧はとても面倒くさいぞ?
面倒くさいモードに入ったらとことん面倒くさいのが早霧だけど今日はそれを凌駕するぐらい面倒くさい。
そもそも思い付きで手錠なんてかける奴じゃない……筈なんだけど。
ここ最近が破天荒すぎて、ちょっとだけ自信無くなってきた。
「……何かあったのか?」
「……ない」
「絶対に何かあっただろ?」
「…………むぅ」
それでも、俺は早霧を信じて聞いてみる。
一度はしらばっくれたけどこういう時は絶対に何かあるので繰り返し問いただしてみると、早霧は不満そうに俺の胸の中で唸った。
「パパとママに、一週間も会えないんだなぁって……」
そして返ってきた答えは、予想よりも単純なことだった。
早霧は寂しいだけである。
旅行に行く二人を笑顔で見送ったのは良いけれど、やっぱり長期間会えないのは寂しいようだ。
早霧は昔から病弱だった分、交友関係が極端に少なかった。
だから最も近くにいて愛をくれた両親は、早霧にとっていてくれるだけで安心できる心の拠り所なのだろう。
「寂しいな」
「……うん」
早霧の気持ちは痛いほど分かった。
だから変に言葉を飾らずに同意すると、早霧はより深く身体を俺に預けてくる。
それはまるで俺がベッドにされているぐらい遠慮の無い密着で、早霧のありとあらゆる柔らかさが重力に従って押し付けられていたんだ。
「俺じゃ駄目か?」
「……え?」
「早霧の父さんや母さんにはなれないけどさ、俺は早霧から絶対に離れないからさ」
「……蓮司」
「だからまず、この手錠を外してくれないか?」
「…………あ、忘れてた」
「しんみりした俺の気持ちを返せ」
マジかコイツ。
真面目に向き合ったのに、素直になってくれたら気が済むまでちゃんと両手で抱きしめてあげようと思ったのに、この三十分間の甘えで俺に手錠をかけていたことすら忘れてたとか言い出した。
……やっぱり苦手なくすぐりで寂しさを忘れさせてやるしかないかもしれない。
「ごめんごめん。今外すから!」
「……なるべく早く頼む」
猫のように身軽に、早霧が俺の腕の輪から抜け出す。
何はともあれ今早霧に怒れば俺が手錠から解放されるのが遅くなるのでここは泳がせておくことにした。
「えっとー、鍵さんはどこかなー?」
「どこかなって……頼むぞ本当に」
早霧が手錠を取り出した自分の引き出しを漁り出す。
かなり物が詰められていたのか古い教科書や雑誌にノート等、色々なものが飛び出してきていた。
「んー?」
「…………」
一番下の引き出し、真ん中、一番上、机の上と捜索範囲が広がっていき、綺麗な部屋がどんどん散らかっていく。
この時点で俺は嫌な予感がした。
「…………あれ?」
こういう場合、俺の嫌な予感は必ず当たる。
早霧は探す手を止めて、大きく首を傾げた。
「蓮司、手錠の鍵知らない?」
「しばくぞ」
「れ、蓮司が怒った!?」
「何で怒られないと思った!?」
鍵の場所を知ってたら俺がとっくに開けている。
なんかもうお約束のような展開すぎて逆に冷静になってしまった。
「どっ、どどどどどうしよう蓮司!? このままだと蓮司が一生私に逮捕されたままだよ!?」
「落ち着け! 鍵ならあれだろ、早霧の母さんから貰ったなら電話すれば予備の鍵の場所とか知ってるんじゃないか?」
「流石蓮司! 天才!」
「俺はお前が怖いよ……」
頭の中で最悪の場合を想定して事前にシミュレーションしておいた言葉をそのまま伝える。
まさか本当にこうなるとは思っていなかったけど、俺の親友はこういう奴なのだ。
そして早霧の母さんのことだから、悲しいことにこういう場合も想定していると思う。実の娘だし、早霧のポンコツっぷりはよく知っているだろう。
懸念点は俺たちが手錠を使用したという状況が早霧の両親に伝わってしまうことだけど、この手錠をかけられたまま俺の家に帰るよりかは百億倍マシだった。
「あっ、もしもしママ? 今電話大丈夫?」
早霧は手際よくスマホで電話をかける。
どうやら無事に通話が繋がったようだ。バスや電車の移動中では無いらしい。
「あ、うん。前に貰った手錠なんだけど、予備の鍵とかってあったり……え? キッチンの戸棚の上? 何でそんなところに? 宝探し? パパが? んー? とりあえず見てみるね」
早霧がスマホで通話を続けたまま部屋を出ていく。
なんか会話の端から、聞いてはいけないプレイのようなものの片鱗が聞こえた気がしたけど気にしない方が良いと俺は判断した。
「……汚なっ」
すぐに聞いた記憶を消し去り、部屋の惨状に思考を移す。
綺麗だったカーペットの上はまるで空き巣にでも入られたかのように物が散乱していた。足の踏み場も辛うじてあるぐらいで、大量の本やプリントが散乱している状況である。
「……仕方ない奴だな」
文字通り、仕方なく。
部屋に一人残されてしまった俺はせめて一か所にまとめておいてやろうとベッドから立ち上がった。
この状況でまた転んだら今度は本気でヤバいので膝立ちでカーペットに立つ。
そしてそのままカートに散らばった本を、手錠にかけられたまま集め出した。
「ファッション雑誌とか読むんだな……あんなに無頓着なのに。うわこれ懐かしい。中学の時の卒業アルバムだ……って、やばいやばい!」
自分じゃない誰かが所有する本はどうしてこんなに興味が湧くのだろうか。
危うく大掃除の時にマンガを見つけて手が止まる現象に陥るところだった。
俺は自分を戒めて部屋の掃除を再開する。
何でこんなことになっているかは、もう考えないことにした。
「…………ん?」
そして黙々と、散らばった本を手錠のせいでぎこちなく一カ所にまとめていると、一冊の本が目に入った。
「早霧日記、七月号……?」
それは一冊のノート。
表紙に手書きで題名が書かれた、早霧の日記だった。




