注意点:比較論法は慎重に
前話のような「悪いこと」と言えるかは微妙ながら、レビューを読んでいて目にすると個人的に気になってしまう
「〇〇より面白い」
「〇〇だけど面白い」
という言い回し。
この〇〇の部分には、テンプレのような作品ジャンルやチートのような作品要素が入ることが多い気がします。
小説に限らず何かしら良いものに出会いその良さを他者に伝えようと思った時、「何かと比較する」という手法はすごく手軽でやりやすく、かつ比較対象が有名であればあるほど広い層に伝わりやすい手法だとは思うんですよね。
ゲームに対する「マ〇オみたいなアクション」とか、漫画に対する「きら〇作品みたいな日常もの」とか。
いや後者はどうかな……。
とはいえレビューや感想でこの手法が使われている場合、作品の良さを強調したいがために結果的に比較対象を貶すような表現になってしまっているものが散見されまして。
「ありきたりなテンプレではない、地に足のついた物語」
「都合の良いチートではなく、工夫と努力で強くなっていく」
「ハーレムは好きじゃないだけど楽しめた」
これはマイルドな例ですが、「つまらない〇〇に比べて」のように直球で比較対象を貶しているものもたまに見かけますね。
作品を褒めているのは伝わってくるものの、そのために他のものを犠牲にしていることに発言者が気づいているのかいないのか分からなくてモヤモヤしてしまうと言いますか。
そのせいで誉め言葉に素直に同意しづらくなってしまうと言いますか。
この手の表現は比較対象に「悪いもの」「少なくとも比較元よりも良くないとされてしまうもの」というような扱いを強いているのが良くない気がします。上記の例で言えばそもそも「テンプレ」も「チート」も「ハーレム」も別に悪いものではないですからね。
仮にそういった要素を含んでいるよくない作品があったとしても、それを理由にジャンルや要素ごと一緒くたに「悪いもの」とされるようなことでもないですし。
とはいえ
「〇〇(有名文豪)を彷彿とさせる文章の美しさ」
のように、比較対象を「良いもの」とした上で具体的な作品名や内容を出さずに「概念」や「精神性」のような部分を褒めるなど、レビュー作品を褒めた上で比較対象を悪いものと感じさせないようなやり方もある訳で。
そう考えるとやはりこの手法自体が悪いのではなく活用の仕方次第なのかもしれません。
あと以前他所でこの話題に触れた時にある方が挙げた
「甘い物苦手ですがこのお饅頭は美味しく食べられる」
という表現も、何かと比較しつつも片方を下げずに誉める秀逸な表現でしたね。
こういった比較論法は比べられる側を自分の好きなジャンルや要素にしてみるとその失礼さが分かりやすいと思うのですが、ちょくちょく見かける以上あまり気にしない人も多いのでしょうか。
あくまで自分がこういう手法をあまり好きでないというだけなので、世間的にそれが受け入れられているなら仕方ないかなあとも思いますが。
どんなジャンルや要素にもそれを好きな人はいる訳で。
そしてどんなジャンルや要素であっても、その好き嫌いは個々人の好みの問題でしかない訳で。
昨今のポリコレ云々のようにあまりに配慮しすぎるのも考えものではありますが、比較対象について自身がどう思っているかはともかくとして
「誰かの好き」
を貶すかもしれない表現を使う時は最大限の慎重さで臨んで欲しいと思います。