5話 ステータスの上昇
5.
目標まで上体起こしをこなした俺は、再び上体を起こして『成長の書』を手に取る。そして今日の目標ページを開こうとしたその時、例によって頭に直接届くような声が響いた。
(――おめでとうございます。今日の目標、『腹筋運動を百回行う』をクリアしました。報酬として基礎能力【膂力】の能力値が上昇――条件を満たしたためランクが上昇しました)
そう言うと、それ以上の説明はなく脳内の声は黙り込む。俺は告げられた理解しがたい内容に唖然とし、頭の中でその意味を繰り返し反芻しようとする。
能力値が上昇は、まあいいぜ。腹筋運動したんだから膂力の数値が上がってもおかしくはねえ。だが、問題はその次だ。ランクが上昇しただと?
基礎能力のランクとは、端的にその人物の実力を測ることができる基準だ。他人にステータス――手の内を見せる機会はそれほどないが、例えば冒険者パーティのメンバー選定などの際には、基礎能力のランクやスキルを見て採用を決める。それ以外にも馬鹿な冒険者が自分の強さを誇示するために公開したりすることもあるが、とにかく、それだけ重要なものなのだ。
そして、基礎能力はそういった扱いを受け重要視されるものであるため、皆それだけランクを上げようと必死になる。厳しいトレーニングや、迷宮で稀に見つかる能力補正が与えられる武具など、難易度の高い様々な方法で向上を目指すのだ。
それが、たかが百回腹筋するという程度の筋トレで上がるなど――
「マジで上がってやがる……」
『成長の書』を開いた俺の口からは、思わず呆然とした声が漏れていた。
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名前:テセウス 種族:人間 性別:男 年齢:15
■基礎能力
【膂力】 ランク:『F+ ⇒ E-』UP!
能力値:0
【体力】 ランク:E- 能力値:46
【俊敏】 ランク:E- 能力値:42
【器用】 ランク:E 能力値:37
【魔力】 ランク:G 能力値:0
■スキル
・【短剣術】 レア度:N 熟練度:32
・【夜目】 レア度:N
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ステータス上で、確かに【膂力】のランクが上がっている。また、能力値がゼロになっているが、もともとの八十から百に上がってランクアップし、ゼロから再スタートといったところか。
いやいやいや、『成長の書』、こいつとんでもねえ魔道書だぞ!
思わず興奮して、口のにやつきを抑えられない。しかし、それも仕方がない。なにせこれは、書いている通りの行動をするだけで、とんでもない恩恵を受けられる本なのだから。
俺は寝台に腰かけるアリアドネに近寄り、その小さく銀色の頭に手を置いた。ぐりぐりぐりと、荒っぽく手を動かす。
「アリアドネ、でかしたぞお前! こいつがあれば、俺は今よりもっと上に行ける。……そうさ。少なくとも、クズ野郎に下げたくもねえ頭を下げなくてすむんだぜ」
目を閉じてくすぐったそうに身をよじるアリアドネが、今の俺には幸運の女神のように見えた。そして、そんなつもりはなかったにも関わらず、期せずして『今日の目標』をもう一つクリアした俺の頭に、また例の声が届く。
(――おめでとうございます。今日の目標、『アリアドネの頭を撫でる』をクリアしました。報酬としてランダムにスキルが授与されます。スキル抽選中――)
「おお、そういうパターンもあんのか!」
(――抽選完了。スキル、【身体操作術】 レア度:Rを獲得しました。)
頭の中の声が止むと同時に、俺はすぐさま『成長の書』を確認する。
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名前:テセウス 種族:人間 性別:男 年齢:15
■基礎能力
【膂力】 ランク:E- 能力値:0
【体力】 ランク:E- 能力値:46
【俊敏】 ランク:E- 能力値:42
【器用】 ランク:E 能力値:37
【魔力】 ランク:G 能力値:0
■スキル
・『【身体操作術】 レア度:R 熟練度:0』NEW!
・【短剣術】 レア度:N 熟練度:32
・【夜目】 レア度:N
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確かに新たなスキルが増えていることに、俺はまた興奮する。基礎能力のランクアップと同じく、スキルもそう簡単に習得できるものではない。適性のある分野をやり込んで初めて得ることができると言われているのだ。少なくとも、俺と同じ年齢で三つもスキルを持っている者はそういない。
俺はもう有頂天になって、もう一つの『今日の目標』である短剣の素振りを開始するべく、腰のホルダーに差した短剣を抜いてすぐさま家の外に出る。
――物心ついた頃からこのスラムで過ごしていて、これほど気分が高揚する日はかつてなかったかもしれない。昨日俺とアリアドネを引き合わせてくれた神に感謝する。そして、あの時アリアドネを拾うと決めた自分を褒めてやりたい気持ちだ。
そんなことを考えながら、かつてなくやる気に満ち溢れた俺は夢中で素振りを続けた。
――そして、それからしばらく経った頃だった。今朝、なぜ家を出ようとしていたのか俺は、上納金の到着が遅れて怒りをためるグエルの顔を想像し、冷や汗を流しながら家を飛び出すのであった。