4話 『成長の書』の力
4.
俺は紙を捲る手を止め、気にかかったページを注視する。先ほど一瞬感じた違和感は、まるで頭の中に直接イメージが浮かび上がるような……。
一見して他と変わらないように見えるそのページを、俺はもう一度よく見た。目をすがめて隅から隅まで視線を動かし、顔を近づけたり離したりと色々試していく。
すると、なぜか次第にこのページに書かれている内容が頭の中で理解できるようになってくるではないか!
「どうなってやがるんだ? ……いや、まずは書いてある内容を……」
俺は唖然としつつも、頭に浮かんでくる魔導書の内容を、一行ずつ書き下すように理解していく。
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名前:テセウス 種族:人間 性別:男 年齢:15
■基礎能力
【膂力】 ランク:F+ 能力値:80
【体力】 ランク:E- 能力値:46
【俊敏】 ランク:E- 能力値:42
【器用】 ランク:E 能力値:37
【魔力】 ランク:G 能力値:0
■スキル
・【短剣術】 レア度:N 熟練度:32
・【夜目】 レア度:N
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「……これは、俺のステータスか?」
疑問形で呟いたが、そこには確信があった。俺の名前が表示されているからというのもあるが、ギルドでの測定結果とほとんど同じものが表示されていたからだ。
ただし表示される値にはギルドのものと違いもある。
「基礎能力のランクについてるプラスとマイナスは、たぶん同じランク帯で比べて上か下かってことなんだろうな。……スキルのレア度Nってのはなんなんだ?」
だいぶ前にギルドで測定した際にはなかった【短剣術】というスキルが追加されていることは別として、その頭のNの意味が分からない。
俺は何気なく『成長の書』のページ上で該当する文字を指でなぞってみた。すると――
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N:スキルのレア度を表す。全スキルの80%を占め
るノーマルスキル。
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ページ上に新たな文字が現れたかと思うと、その内容がすっと頭に入ってくる。指でなぞったからか疑問に思ったからかは分からないが、表示項目の詳細についても確認が可能なようだ。
「へえ。じゃあ例えば、この【短剣術】ってのは?」
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【短剣術】:短剣を用いる技能に補正がかかる。
補正効果 小。
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思った通り、他の項目も詳細を確認できた。どうやら日々の迷宮探索で短剣をずっと使っていたこともあり、このスキルを習得できていたらしい。確かに最近は前より短剣をうまく扱えるようになっていたから、そのくらいのタイミングで手に入っていたようだ。
ギルドでのステータス測定では、できるのかできないのかは分からないが、少なくとも一般利用者にここまでの情報が開示されることはない。なんだか少し楽しくなってきた俺は、その他の基礎能力、スキルについても詳細情報を確認していく。
だいたいは想像通りの結果を見られるだけだが、中にはこれまでまったく知らない情報も得ることができた。特に有用な情報は能力値と熟練度だ。
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能力値:基礎能力を数値化したもの。ランクごとに定
められた能力値に到達すると、ランクが上昇
する。
熟練度:スキルの習熟度を表し、スキル使用によって
上昇する。レア度ごとに定められた値を超え
るとレア度が上昇する。
ただし、熟練度が存在しないスキルも存在す
る。
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基礎能力を数値化したものがあるなど聞いたことがない。熟練度も同様で、スキルを使い込むと性能が上がるということは広く知られているが、レア度や熟練度なんてものが存在し、熟練度を上げることでスキル自体の格を上げられるといった事情は一般的には知られていないはずだ。
もしかしたら俺が知らなかっただけなのかもしれないが、ギルドでのステータス測定でこれらの項目を確認できないことから、少なくとも普通は得られない情報だろう。
能力値や熟練度を都度確認することで、どんな行動で数値が大きく向上するのか、あとどれだけでランクやレア度が上がるか確認でき、効率的に強くなることができるという点だけでも、『成長の書』は使える魔道具だと言えた。
俺は思わぬ拾い物にほくほくしながら、不思議そうにこちらを見るアリアドネを気にせず、他にも何かないかと魔導書のページを捲っていく。そして、それを見つけた。
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■今日の目標
・腹筋運動を百回行う
・短剣で百回素振りする
・グエルの拠点で置時計を破壊する
・アリアドネの頭を撫でる
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「なんだよこれ?」
俺はこれまでで最も困惑する。
今日の目標、つまり今日俺が行うべきこと? しかし問題はその中身だ。
一つ目と二つ目はまだいい。腹筋運動と素振りをたかが百回したからどうなのだというのはあるが、俺が強くなるための真っ当な方法なので理解はできる。しかし三つ目はどうだ。
グエルというのはスラム最大のゴロツキグループの頭目で、俺がこれから迷宮で稼いだ金の大部分を私に行かなくてはならない相手だ。そんな相手に対して、その所有物である時計を破壊することに、いったいなんの意味があるというのか。
あの野郎の貴重品を俺なんかが壊してみろ、ボコボコにされちまうぞ……。
怒りに身を燃やすグエルの顔を想像し、俺はぶるっと身震いする。俺がこき使われると分かってあいつに頭を下げたのも、それだけスラムで圧倒的な力を持っていると判断したからだ。そんなやつに何の意味があるかも分からない指針で牙を剥けば、プライドを捨てて立ち回ってきたこれまでが無駄になる。
そして四つ目のこれは、もはやまったく意味が分からない。この魔導書はもともとの持ち主であるアリアドネを、何か特別な存在として扱ってでもいるのだろうか。
『成長の書』に対する不信感を募らせながら、俺は他に何か書かれていないかページを確認していく。そして、最初に見つけたステータスのページとふざけた指針ページ以外、文字が書かれていても内容が理解できないことが分かり、俺はぱたりと本を閉じた。
俺は疲れを吐き出すようにため息を吐く。ステータスを常時確認して効率よく鍛錬できるという意味では非常に優れた魔道具だが、もう一つの内容が強烈で、どうにも意識を持っていかれてしまう。そちらの機能は活用することはなさそうである。
「……まあ、腹筋運動と素振り百回だっけ? 別にそっちはやってもいいんだけどよ……」
グエルの時計を破壊とか言ってくる時点で、他の内容に従った結果も期待はできない。ただ、非常に有用なステータス表示の機能もあるので、完全には期待を捨てきれない自分がいた。
大したことじゃねえし、この二つだけでもやっとくか……。
俺は内心で少しわくわくしながら背負っていた背嚢を下ろすと、こちらをじっと眺めるアリアドネを尻目に、寝台に『成長の書』置いてその横で仰向けになる。腹筋運動を開始した。
一、二、三、四……。
上体を起こし、また下ろす。無言で腹筋運動を続けていると、テーブルで空いた皿をいじっていたアリアドネが、てこてことそばまで歩いてくる。
表情のない顔で俺を見て、不思議そうに小首をかしげた。
「テセウス、なにしてるの。お出かけしないの?」
「ああ。ちょっと、なっ」
俺は上体起こしを続けながら返答する。
「お前に貰った、こいつに、書いてあんだよっ」
隣の『成長の書』を指して言う。アリアドネはよく分からないような様子で「ふうん」と気のない返事をすると、寝台に腰かけて横目で俺を見ながら足をぶらつかせる。
やはりアリアドネは『成長の書』についても記憶を失っているようだ。頭に響く声も聞こえていないし、この少女はこの少女で謎が深い。
アリアドネのことはひとまず置いておいて、俺は徐々に息を荒くしながら上体起こしを続けた。日々迷宮で体を動かしているとはいえ、中々どうしてきついものだ。しかし、回数がせいぜい百回ということもあり、とうとう――
「……百! これで、どうだ?」