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1話 人生を変える出会い

1.


「……マジかよ」


 ほの暗い迷宮の中で、途方に暮れた声が響く。しかし、それに応えを返す者はおらず、俺の声はむなしく消えていった。


 ――迷宮王国の王都ラビリンスにある、世界唯一の迷宮。富と名声、そしてそれ以上に多くの血が流れるこの場所で、そうとは思えないほど静かな小部屋の中立ち尽くす俺は、入口を背に正面の壁の法を見つめている。


「……俺に、どうしろと?」


 もう一度、誰に向かってともなく発した呟きは、返答もなく――




 ――――いや。ただ一人、反応する者がいた。




「――どうする?」


 俺の視線の先から、鈴が鳴るように可憐な声が届く。俺は頬を引きつらせながら、声の主を見る。


 俺を見返してくるそれは、輝くような銀色の髪をした、十歳にも満たないだろう幼い少女だ。驚くほど整った顔には、不気味なくらい表情がない。純白のローブのような服にすっぽりと包まれ、両手に分厚い本を一冊抱えて座り込んでいる。


 ここが迷宮の第一階層、もっとも危険の少ない領域だからといって、まともな装備のない子どもが生きていられる場所ではない。そもそも、入口を警備する兵の監視を突破することすらできないはずであるのに。


 そんな内心の声が聞こえているはずもなく、少女は感情の見えない目で俺を見つめている。俺は少女の言葉を反芻し、警戒しながら視線を返した。


 それから、少しの間じりじりとした時間が流れて――そして、少女は再び口を開いた。


「……ここ、どこ?」


「…………は?」


 抑揚のない声で、表情がないまま少女が発した言葉に、俺は呆けた顔をする。そんな俺を見て少女は言った。


「わたしがだれで、なんでここにいるか……わかんない」


 俺はもう一度呆然とした。


 ――いやそりゃ、こんなとこで子どもが一人きり、しかも格好だって全然迷宮に入るって感じじゃねえから、冒険者やポーターじゃねえことは分かってたけどよ……。


 俺は少女を見て考える。ここは迷宮の一階層、出てくる魔物は大したことがないし、出口まで行くにもそう苦労はしない。もちろん、それが幼女じゃなければだ。


 つまり俺がここで放置すれば、少女は魔物にやられたり罠にかかったりで、そのうち死ぬ可能性が高いということだった。


 ――だからといって、俺が何とかしてやる義理はねえ。


 俺は内心で吐き捨てる。いかに可愛らしい外見をしていようが、一人の人間を助けるなんて今の俺には荷が勝ちすぎている。ここから連れ出すことくらいはできるが、その後はどうすればいいのか。


 迷宮から外に出して、そこでハイ終わりではここに放置することと何ら変わりない。保護者のいない子ども一人を迷宮近くに置いておけば、きっと無事ではいられないだろう。


 しかし、案外孤児の受け入れが厳しい教会に送ることはできないし、知り合いに子どもを欲しがる大人なんてものもいない。いたとして、それは人買いの類である。


 だからといって、そのまま俺の家まで連れて行って面倒を見るなんて、そんなことはとても――


 俺はもう一度少女を見て、うっと言葉に詰まる。


 ――少女は、裸足だった。地面で切ったのか、出血もしている。


 この辺りを歩いていて、ゴブリンでも見つけて走って逃げたのか。よく見れば白い服もところどころ汚れていて、転んだのか顔にも土がついている。


 その姿はまるで、スラムのゴロツキに命じられて初めて迷宮に潜ったときの俺のようで――


「――わたし、どうしたらいい?」


 俺を見る少女の無表情な、しかしどこか縋っているようなその言葉に、俺は言葉に詰まって――――――そして、思わず口を開いていた。


「……ついて来いよ」


「え?」


「――だから、俺についてこいって言ってんだ。安全なとこまで連れてってやる」


 俺の声に、少女がびくりと震えた。そして、今俺が言った内容を反芻するかのように、小首を傾げながら俺を見返してくる。


 ――ああ。言っちまった。なんだって俺は、訳分かんねえガキのためにこんなことを。俺にだって余裕はねえし、こんな荷物抱えてどうするってんだよ……。


 自分の発言をちょっと後悔しながら、俺は座り込む少女の手を取って立ち上がらせる。背嚢から取り出したぼろ布を破いて足に巻きつけてやってから、おとなしく従う少女――アリアドネの手を握って、頭に入った一階層の地図に従い迷宮を歩き出した。


 アリアドネはそれから口を開かないが、ただ俺の手をぎゅっと強く握り返し、置いて行かれないようにトコトコ後をついてくる。


 ――やっちまった、ああ、やっちまったよ。バカな孤児が自分で勝手に荷物抱えて、それでうまくいくかってんだ。どうせどっかで共倒れするに決まってんだろうが。


 俺は自分で自分を責めながら、それでもつなぐ手を緩めることはない。アリアドネも、周囲を警戒しながら出口へ急ぐ俺に、足が痛いだろうに黙ってついてくる。


 ――ああ、そうだ。俺は同情したんだ。過去の自分にこのガキを重ねて、意味のない感傷に動かされてやがる。スラムで生きる孤児が迷宮の中ですることじゃないのは百も承知だ。


 だが、それでも。


 それでも俺は、この小さな女の子がまるで感情を殺したように表情を見せない様を見て、放っておけないと。そう、思ってしまったんだ。




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