吉ケ崎薫子という存在
吉ケ崎薫子。目下の課題として俺が落とすべき女子の名である。
何の因果か頭の沸いた男子生徒たちによる、「誰が吉ケ崎薫子を落とすかチャレンジングカップ」なるものを開催したのだ。
バカだ。今は受験を控えた年でもあり、大切な一年のはずなのに、一切を意に介さず勝手に盛り上がる連中に巻き込まれた。
「今年度の生徒会会長は選挙の結果、吉ケ崎薫子さんに決定しました」
講堂内に拍手が鳴り響くが煩いだけだ。
「それでは新生徒会長の吉ケ崎薫子さん。就任のご挨拶を」
司会の声に壇上へと上がり演壇の前に立ち、全校生徒を一瞥し徐に挨拶をするその様は、堂に入ったものだと感心するが。
「恵蘭高等学校の生徒のみなさま。今年度新生徒会長に任命されました、吉ケ崎薫子です。これから一年間、みなさまと共に高校生活を盛り上げ、有意義な活動を積極的に熟していきたいと考えます。どうかよろしくお願いいたします」
シンプル。
無駄を排し最低限で済ませる辺りは、この学校の校長や教師にも見習って欲しい部分だな。
深く頭を下げて壇上から降りると、その周囲に居る教師たちの間抜け面が際立つ。
品行方正、成績優秀、そして見た目も良いとなれば、教師もまた依怙贔屓もしたくなるのだろう。
「それでは生徒会副会長の角屋賢斗君、壇上で挨拶を」
俺はバカな男子により担がれただけだ。
生徒会副会長などやる気は無かったのに、「本命はお前だ。死んでも落とせ。小遣い全額ベットしたんだからな」などと抜かしやがった。
「角屋賢斗君。壇上で挨拶を」
やかましい。
ちょっと出遅れただけでいちいち催促するな。
早くしろと目で訴える教師をよそに、のそのそと壇上に上がり演壇を前にするが、チャレンジングカップに賭けるバカの視線は期待だろうか。
「角屋賢斗だ。以上」
降りようとしたら教師がすっ飛んで来て「もう少しまともな事を言え」などと、戯けた事を抜かしてきやがる。
その様子を見ていた生徒たちからは、失笑とも呆れとも思える笑いが漏れた。
「先生。口先でどうこう言うより、実績を示した方が良いと判断したんですが?」
「だからって名前だけは無いだろ」
「名前だけも何も、名前だけ知れれば活動に支障はありません」
「お前は……選挙の結果が悔やまれる」
俺だってそうだ。今回の選挙結果なんぞに納得いっている訳が無い。
勝手に本命と目され担ぎ上げられた挙句、当選などあり得ないのだからな。
その後、もう一人の副会長、これは女子だがそれと書記と会計、庶務と広報が挨拶し新生徒会のメンバーお披露目は終わった。
実に無駄な行事に貴重な時間を費やすものだ。
「お前、さっきのあれ、なんだよ」
「名乗っただけって、お前が初じゃ無いのか」
「まさかの名乗りだけって、思わず笑っちゃったけどな」
「本命なんだから、もっと会長にアピールしとけよ」
就任挨拶もアピールの場になるんだぞ、とか訳の分からん事をほざく男子生徒だが、そんなの知った事か。
どれだけ美辞麗句を並べても中身が伴わなければ、あの難攻不落のアイアンメイデンなんて落とせる訳が無い。
吉ケ崎薫子は男子生徒の間で「難攻不落のアイアンメイデン」と呼ばれている。
長いって? 仕方ない。それだけの勇名を頂戴できる程に、悉く男子生徒の告白を蹴り捲って来たのだから。
玉砕し屍となった男子は数知れず。
誰とも付き合う事なく、三年生になったのだ。
「俺はお前に賭けたんだから、絶対落とせよ」
「落とせなかったらお前が俺の掛け金払えよ」
「期待してるんだぜ。当校ナンバーツーのお前ならって」
「告白した男子の傾向から見て、成績の悪い奴はアウト、だけど成績トップテン以内なら、極端に悪い感触じゃなかった、って調査結果もあるからな」
絶対なんて無い。金は払わん。勝手に賭けの対象に選んだのはお前だ。期待しても無理なものは無理。下らん事を調べる暇があるなら勉強しろ。
このバカども、俺にどれだけ期待してるんだ?
無駄だとは分かっているが、結果はすぐ判明する。
「俺は失敗する方に小遣い全額賭けよう」
「意味ねえじゃん。お前がアプローチしなかったら、お前の勝ちじゃん」
「バレたか」
「お前、俺らをバカにし過ぎだって」
バカをバカ扱いして何が悪い。
初めから無理ゲーをやらせるお前らに、四の五の言う権利など無いのだよ。
さて、俺の考えはこうだ。
生徒会が稼働してすぐは告白しない。凡そ一カ月間観察してどんな女子なのか探る。その上で効果的にフラれる告白を模索するのだ。
お前らの思惑なんぞに乗ってやらんからな。
なぜ効果的なフラれ方を模索するのかと言えば、こんな俺でも一応プライドはある。
成す術もなく断られるのはさすがに納得がいかん。ゆえに惜しいと思わせる形で断って貰うのだ。これならば少なくとも相手に「心苦しいけど、申し訳ない」と言った気持ちを持たせ、その上で泣く泣く断られる、そんなシチュエーションに持ち込めるだろう。
これを実行する為には敵を知る必要があるからな。
まあ、その点で副会長職は確かに都合が良いと言えば良い。
「頼むぜ。期待してるんだからさ」
「必ず落とせよ。お前に落とせないと男子全て希望を失う」
「お前だけが頼りなんだから、意地を見せてくれ」
「お前にフラれるって選択肢は無いぞ。死ぬ気でアタックだ!」
好き勝手言ってんじゃねえ。
こうして俺の戦いは始まったのだが。
活動初日。
今、生徒会室には俺と吉ケ崎の二人だけだ。なぜか? 他の生徒は挨拶を済ませ帰ってしまったからだ。
会長は専用の机と椅子がある。そこに座りなぜか俺を見つめている。
俺はと言えば、会長専用机の前に二つ置かれた会議用テーブルを前に、パイプ椅子に腰掛けていたが、他の生徒に続いて帰ろうとしたのだ。
「角屋君」
声を掛けられてしまった。
「なにか?」
「帰るの?」
「帰る」
「なんで?」
この短い会話の中で相手の意図を正確に測るのは不可能だ。
吉ケ崎の両手は机の下にあるようだ。ゆえにその先がどうなっているかは知り得ない。目の動きと表情以外に推し量る術がない。
例えば指先は感情を示す事が多い。例えポーカーフェイスをしたとしてもだ。
そして、足も同様、貧乏ゆすりや頻繁な組み換えなど、感情が現れやすい部分でもある。だが、今はそのどちらも窺い知れない。
でだ、なんで、に答える必要があるのか?
「みんな帰ったから」
「みんなが帰ると角屋君も帰るの?」
「それがおかしいとは思わないが?」
「そう……。これからの活動方針を決めたかったんだけど」
そういうのは他の面子が居る時にすべき事だ。会長と副会長の二人で決めると、後々不平不満が出るからな。
「明日招集して活動方針を話し合えばいいと思うのだが?」
「私としてはまずアウトラインを決めておきたかったんだけど。それを叩き台にして他のメンバーを交えて話し合いをしたかったの」
ならばせめて女子の副会長も残すべきだな。
俺の意見だけでは偏りが出る。それを防ぐ為に女子の副会長が居るのだから。
「ならばもう一人の副会長を帰すべきでは無かった」
「意外と食い下がるんだ」
「は?」
「今日は決める事はしないのね? じゃあ、帰っていいよ」
分からんが、帰っていいと言うなら遠慮なく帰るが、俺の意見に正当性を見た、そう判断しても良さそうだ。
それにしても目線を逸らされないってのは、ある意味、追求されているようで怖いぞ。こいつには男子と視線を合わせ続けて、照れるとか無いのだろうか?
それともあれか、全く眼中に無い存在に照れてどうする、ってそういうパターンなのか?
まあ後者と判断するのが妥当だろう。
今後の告白へ向けた対策は眼中に無い存在からの脱却だな。
さすがは難攻不落のアイアンメイデンと言われるだけの事はある。
かなり緊張してしまった。