続・竜使いの巫女 後編 玄雨六と灯
■舞い舞台での問答
「今更こう言うのも、少し遅い気もするが、立ち話で終わりそうもない故、皆、舞い舞台に上がれ」
雫がそう言うと、灯は六の手を取って舞い舞台下手袖側の階段を登った。手を引かれた六は、宙を滑るように付いて行く。
その後を光、アオイ、アカネと続く。
それぞれ座布団を用意して座る。
六は灯が用意した座布団に座る。正確に述べるなら、正座した格好で座布団から極僅か浮いている。
「さて、六の願いを叶える為には、良く知る必要がある事柄がいくつかある」
雫はそう言うと、六の方を見る。
「判る範囲で答えて欲しい」
「はい。玄雨雫」
『あたしも補佐します』
「宜しくお願い致します。メタアリス」
六は殊勝な面持ちでメタアリスに言った。先ほどの霊脈の説明の補足が六のメタアリスの評価を大きく引き上げたようだ。
「では、まず、其方は何者だ?知りたいのは、役名ではなく、どのような存在なのか、という点。例えば、其所にいるアオイ。彼女は時の女神と同じ力を持つが人。そして私たちは女神。有機生命体という意味では同じ。メタアリスはAI。其所の奥に有るサブユニットが本体。そういう意味合いで、六、其方は何者だ、と問う」
六は少し考える。時折虚空を見ては、視線を雫に戻す、という所作を何度か繰り返した。
「多分、私たちの歴史からお話すると判りやすいかと思います。かなり端折りますが、少し長い話しになると思います」
こうして六は語り出した。
元の私たちは多少違いますが有機生命体でした。
ただ、その有機生命体が進化して私たちになったのとは少し違います。
有機生命体の中に居た私たちが、新しい体として、今のメタアリスの様な形態に移動した、というのが近いでしょうか。
そうですね。私たちはミーム、に近い存在です。
有機生命体は、その細胞内の遺伝子が増える為の器です。遺伝子の乗り物、という事ができます。
その有機生命体は竜と同じく、電磁波を操る事が出来、電磁波でコミュニケーションしていました。
有機生命体は生存に最適化する内、神経接続を複雑化して脳を作り出しました。
そして脳に自己という抽象概念が生まれると、単なる乗り物から遺伝子の求めとは異なる欲求、概念を扱うようになりました。
ここで私たちは、有機生命体の脳内に生まれ、そしてコミュニケーションを通じて増殖して行きました。
ミームは意味情報の集合体、概念です。コミュニケーションで広がります。
そのミームに意識、意思が加わったものが私達、と言えるでしょうか。電磁波的な存在です。
やがてその有機生命体の知性を補助する為、別の脳が作り出されました。ちょうどメタアリスの様に。
そこで、私たちは有機生命体から、作り出された脳に移動したのです。
それが原因かどうかは不明ですが、その有機生命体は次第に生命力、繁殖力を失い、絶滅しました。
私達はその有機生命体が最後の一体になるまで、彼らを支援しました。
その新しい脳に移動した私達ですが、その脳、ベースの拡張を計りました。
この段階のベースは電磁波を使ったもので、今の私もその改良版、というものになります。
ベースの拡張には、ベースを動作させる安定的なエネルギー源が必要でした。
そこで私たちは、あの竜の星の地下に眠る、とある素粒子を使う事にしました。
電磁力重粒子、あるいは、マナと呼んでいるものです。
竜の遺伝子に作用するウィルスを作り、竜に電磁力を扱う能力と、それを使ってマナを吸い上げ、空に放射する欲求を植え付けました。
竜の体内では、吸い上げられたマナの内、周波数、メタアリス、この表現であってる?…大丈夫ね…特定の周波数を持つもののみを空に放射する、精練が行われます。
特定の周波数のマナは上空に放射された後、竜の星の衛星軌道上に配置してあるワープゲート、天の竜を通して、私たちのメインプロセスが稼働しているベース…母星、と言った方が良いの?…その母星に送られます。
ここでアカネが口を挟んだ。
「竜がそのマナを放射できなくなったら、死んじゃう呪い、かけたでしょう!」
怒っている。きっと六を睨む。
「自分が死んじゃうだけじゃなくて、自分の子供を殺しちゃう酷い呪い!」
髪の色が紅く染め上げられて行く。
『違うのよ』
メタアリスの音声がアカネの脳内に響いた。
それが竜が言っていた「呪い」の事なのですね。
私たちは竜に呪いをかけてはいません。
ただ、竜に植え付けられたウィルスには進化の方向づけがされていて、マナ採掘を優先するように調整されていたんです。
雫が問うた。
「つまり、そのウィルスの進化が呪いを生み出した、と」
はい。玄雨雫。そのようです。
呪いの事を調べる為、以前の竜と今の竜を照合した所、ウィルスが除去されている事が判りました。
本来であれば、初期化されたウィルスを竜に植え付ける必要があるのですが。
アカネが睨んでいるのに六は気付くと、済まなそうに言った。
ウィルスの進化条件に、上限を設けておくべきでした。
竜を殺してしまうまで、マナ採掘を優先する必要は無い、という上限設定を。
申し訳ない事を致しました。
六はアカネの方にすう、と向きを変えると、両手をつき、頭を下げ、「おわび致します」と言った。
「予測しえない事故、という事だったようだね」
雫はアカネに言った。
「許してあげなさい」
アカネは雫に視線を移す、そして再び六を見る。
アカネは小さい竜を思い出した。その姿が何故か六と重なる。
そうか。だからあの仔は「寂しそうな人があなた達の事を尋ねた」って言ったのか。あの仔、六が独りぼっちって判ったんだ。
遠い星に独りぼっち。
アカネは両手を床につくと「玄雨茜、竜の女神として、玄雨六のその罪、許します」と言った。
アカネが頭を上げると、六も頭を上げた。
「ありがとう御座います。玄雨茜」
アカネの髪の色が元に戻った。
雫が六に頷いた。
「では続きを」
「はい。玄雨雫」
初期化されたウィルスを竜に植え付ける必要はありませんでした。
その訳は、母星からの通信が途絶していたからです。
通信のベース信号自体は送られてくるのですが、何の情報も乗っていないのです。
母星のメインプロセスが停止した場合など、幾つかの可能性を検討しました。
母星のメインプロセスが停止した場合、緊急プロセスが連絡を代行し、私はスリープから起動状態に遷移する筈ですから、その可能性は限りなく低い。緊急プロセスは最大限冗長多重化され…ああ、兎に角壊れにくいようになっているのですから。
幾つかの可能性が排除されて、もっとも奇妙ですが、一つの可能性が残りました。
実は私たちの増殖に母星の容量を超える事が予測されていて、そのため、電磁波ベースから素粒波、いえ霊脈ベースに移行する計画があったのです。
霊脈は時間因子でもあるため、空間だけでなく時間的にも容量を拡張できる、と予測さていましたが、扱いがとても難しく、観測、とても粗い使い方をするのがせいぜい、という段階でした。
私の竜の星での仮の宿、ユニットには霊脈操作の実証実験プロトコルが仕込まれていました。いくつかの実験を行い、それを母星に送っていました。でもこれは仮の役割。
私はメインの役割は竜の星の緊急プロセスです。だから、大抵の場合、スリープ状態です。
目覚めたのは…。
「私たちが、竜の呪いを解く、術を行ったからなのね。その時の霊脈の輝きが原因」
光がそう六に告げた。
「ああ、そうだったのですね。観測していた竜の星の霊脈の数値が予測範囲を大きく逸脱して上昇したタイミングがありました。その調査の為に、起こされたのですが…」
「母星との連絡が途絶していた」
六はがくりと肩を落した。
「はい、玄雨雫。それから幾匹かの竜に話しを聞くと『女神が来て呪いを解いた』と。ですから待っていれば、また来るかと、思っていたのです」
「幾ら待っても来なかったら、どうするつもりだったの?」
アリスが六に尋ねた。
「その時は、竜の星全部をスキャンして、変動している霊脈の箇所を検出し、その箇所を私の全能力を使って調査する予定でした。待つのは、そうですね、霊脈の検出変動の半減期を考えて、十年くらいと見込んでいました」
十年! そんなに永く!
アリスは少し眩暈がするのを覚えた。
十年前を考えると、一瞬のようにも思えるが、いつ現れるかも知れない相手を只ひたすら独りぼっちで十年待つとなると、流石のアリスもこう思うしかなかった。
あたしには、絶対無理!
雫は、六が言った素粒波が霊脈と同じと知った時に感じた事、自分の占いが竜の星に行っても行かなくても起こる事はほぼ同じ、という結果の意味に関連していると言う予感が正しい事だと分かってきた。
「もし、変動している霊脈の箇所を徹底的に調べたら、何が判ると予想していた?」
「ワープの痕跡です」
その言葉は、六以外の全員を驚かせた。
『ねえ、時の女神の「時渡り」ってワープだったの!?』
『いや、ワープってどちらかと言うと「空の穴」だろう。灯どう思う?』
『雫さんが判らない事、どうしてあたしが判ると思うんですか!』
『だってお姉ちゃんが一番の時の女神だもの、聞くに決まってるでしょ!』
『お話が難し過ぎてアカネちょっと混乱中…光お姉ちゃん、後で解説してお願い』
良く判らないリンクでのひそひそ話が鎮まった後、雫は咳払い。
「続きを頼む」
「はい、玄雨雫」
六は再び語り始めた。
先ほど使用したワープという言葉には、空間移動だけでなく、時間移動も含む、とお考えください。
そのワープの痕跡があると考えた理由は、二つ。
一つは私のユニットは竜の星の衛星軌道全部を常時監視しています。
そこに竜が言う「女神」に該当するような飛行物体は入りませんでした。
と言う事は、竜の星に突然、通常移動では無く現れた事を意味します。
もう一つは、霊脈の変動があった事。それが「女神」の仕業なら「女神」は霊脈を操作できる事を意味します。
そして霊脈は時間因子。つまり、同時性を維持するのに最も重要な因子なのです。
「あー、そういう事か!」
いきなりアリスが大声をあげた。
「なんだアリス、声がデカい、黙って話しを」
「ちょっと待って、六に質問させて、とっても大事な事なんだから」
はあ。こうなったらアリスの気が済むまで質問させるしか手は無いな。
少々うんざりという面持ちで雫は「良いだろう」と言った。
「えっとね、ウチのサーバーも巨大で拡張してるんだけど、情報の到着時刻に電磁波レイヤーのと霊脈レイヤーので誤差が出るのよ。霊脈レイヤーの方がほんの少しなんだけど早いの。これってつまり、霊脈を媒介にすると、発信と同時に着信する、って言う事?」
どうなの六!
そういう文字が顔に書いて有るような様子で、ずいっと顔を前に出してアリスは六に尋ねた。
「その通りです。霊脈を通信媒介にすると、同時性が生まれます。さらに、うまく振動をコントロールすれば、過去に情報を送る事も可能だと予測されています。ただ、そのコントロールが上手くいかないのですけれど」
「なるほど、振動だから素粒波、と翻訳した訳なのですね」
「はい、玄雨雫」
六はアリスによって中断された話しの続きを語り始める。
この霊脈の同時性を利用して、ワープゲートは構成されています。
そうしないと、長距離のワープの到着時刻が維持できないためです。
ですので、女神がワープしてきたとすれば、そこにはワープの痕跡、つまり、固有の霊脈の歪みが残る筈なのです。
そしてその歪みを検出できれば、女神がワープしてきた元の場所に位置を変える事ができると、私は考えていました。
どうしました?玄雨雫?
「という事は、六は歪みさえ見つけられれば、今回のように当神社に来る事ができる、という事なのかと」
はい、玄雨雫。
私には単体移動できるワープユニットがあります。
ゲート程長距離で位置を変える事、…ああ移動はできませんが、惑星単位くらいでの移動が可能です。
また、ワープホールが形成されていれば、そこを通過するのに支障はありません。
「ワープホール?」
ワームホールと言った方が良いでしょうか?ただ微妙に違う気がします。どうやらこの語彙の選択はメタアリスも賛成のようです。
ワープホールは、短期間のみ形成されるワープの通路のようなもので、ワープユニットが移動した際、暫くの間残ります。
そこにワープユニットを装備した私のようなプロセスが入れば、直前に行われたワープの出口に現れます。
「ねえ、それだと、十年待ったら、十年後のここに来ちゃうってコトじゃないの?」
「こらアリス!」
大丈夫です。玄雨雫。アリス・ゴールドスミス、十年後のではなく、出た直後に現れる事になります。
つまり、前回の竜の星に行って女神が帰ってきた直後…訂正します。ここは霊脈がとても濃い為、直後、というには多少幅があるかも知れません。数日から一ヶ月以内、という範囲でしょうか。
疑問は解消されましたか、玄雨雫、アリス・ゴールドスミス。
先ほど、話し忘れた事がありました。
母星との連絡が途絶した原因が、電磁波から霊脈に移行したという可能性です。
私はこう考えました。
もし、母星が霊脈への移行を実験しようとしたとします。
通常の手続きで考えれば、小規模な実験を行ってから慎重に行う筈です。
おそらく、私がスリープしている間に実験は成功し、移行手続きが行われたのでしょう。
ただ、その際、事故が起こったのだと。
霊脈は時間の因子。移行を始めた途端、全プロセスが瞬時に霊脈に移行してしまう事故が。そのため、移行の事を私のようなプロセスへの連絡が行えなかったのだと、推論しました。
霊脈に移行したメインプロセスは、通常時間とは異なる時間の中に存在するようになります。
そのため、電磁波ベースのプロセスとの同期は不可能となります。
私はメインプロセスと同期したい。
そのためには、私自身を霊脈ベースに変える必要があるのです。
これも推論ですが、おそらく、移行手順の連絡は移行する最中に送信する予定だったのだと思います。
だから事故が起こって、送信不能になり、私は取り残された。
「ねえ、六。ウチでも霊脈使ってAI動かしたり、通信したりてるけど、その技術じゃお手伝いできない?」
雫はアリスが本心からそう言っているのを感じた。だが、その裏側に、あわよくば六のテクノロジーを研究したいという思いが張り付いているのを見逃さなかった。
だが、それで事が済むなら。
と、雫が考えていると、六があっさり却下した。
「お申し出、大変ありがたいのですが、霊脈の利用精度が合いません。霊脈を空間的に使用するだけは無く、時間的にも使用する為、とても微細な振動コントロール技術が必要なのです。メタアリスのサブユニットを調査しました。アリス・ゴールドスミス、あなたの技術力は承知しています」
なんですって!
お前のトコの科学技術なんて何の役にも立たないよ、みたいに言われ、アリスは怒りを通り越して凹んだ。
こんなコト、今までだって絶対無かったのよ!
ウチの科学力は世界一でも、宇宙一じゃなかったってコトなのね。
『アリス。六は知っている知識をサブユニットのコアメモリに入る限り、教えてくれていますよ。感謝する事はあっても、怒ったりするのは筋違いどころか恩知らずです』
自分のトコのAIにまで慰められるし、たしなめられるし、今日は厄日だわ。
はあ。
と大きく息を吐き出して、アリスは立ち直ると、雫の肩をぽんと叩いた。
まるで後は任せた、というように。
「雫、あたし疲れたから帰る。あ、サブユニットのメタアリス、接続回復してるから、メインサーバに教えてもらった知識アップロードしておいて」
アリスは立ち上がると、とぼとぼ、という足取りで舞い舞台上手袖に向かうと、固定化された「空の穴」で米国に戻った。
あんなアリスさん、初めて見た。
ママ、大丈夫かな。
アリスママ、しょんぼりしてる。
三人がそんな感慨にふけっている中、一人灯だけが、何かを真剣に考えていた。
「さて、六。こちらからも大事な話しがある」
「何でしょう、玄雨雫」
「私たちが霊脈を操る方法だが、それには気脈が必要なのだ」
六は嫌な予感を覚えた。
「体の中の霊脈を私たちは気脈と呼んでいる。両方の本質は同じ。だが」
ああ、そうだった。
「其方の中に、気脈は無い」
六はがくりと肩を落した。
とその時、アリスのリンクの声が響き渡った。
『有難う六〜〜〜!!!すっごい宝の山よ!コレもう研究するだけでウチの科学力数百年ううん数千年は進むわ!キャッホ〜〜〜!! って六に伝えて。雫ぅ♡』
六は虚空を見つめて、少しだけ微笑んだ。
「メインユニットのメタアリスがそのまま伝えてくれました。大声で叫んでいて煩いそうです」
「済まない六。アリスは悪い奴では無いのだが、少しその」
「判ります。メタアリスから良く聞きましたから」
はあ。と二人してため息をついた。
「あの、雫さん。もしかしたら、ですけど、六に巫術を教えられるかも知れません」
雫と六は同時に灯を見た。
灯は立ち上がると、六の手を取って立つように促す。
「アリスさんのところに行ってきます!」
灯は短い舞いを舞う。出現した「空の穴」に六と手を繋いだまま飛び込んだ。
■灯の計画
「キャッホ〜〜〜!!凄いわ凄いわ!」
アリスは執務室の机に向かい、六から送られてたデータを凄まじい勢いで見ていた。
そして大声で叫び続けていた。
そういう訳だから、執務室の中央に「空の穴」が開き、そこから灯と六が出てくるに気が付かなかった。
「あの、アリスさん」
ふぎゃ。
妙で変な声を出して、アリスの背筋が伸びた。
「な、な、な、な、何よ。驚くじゃない、急に出てきたら!」
はあ。
「もう、何度もリンクで言いましたよ。行きますからって」
灯はさっきの雫の気持ちが分かった気がした。
だが灯はそんな気持ちよりもやらなければならない事がある、とアリスを見つめた。
「あたしの予備のスーツ、貸してください」
え?
「六に巫術を教えるのに必要なんです」
なんだか判らないけど、灯ちゃんがとっても真剣な顔をしてる。
「予備のスーツ。あれ、こっちに戻る時、持ってこようと思ってたんだけど、落ち込み過ぎてて忘れちゃってたわ。舞い舞台の下手側のスーツケースに入ってる。どうするつもり?」
「スーツの調整って、サブユニットがありますから、玄雨神社でもできますよね?」
「できるわよ」
「アリスさん、詳しい訳は向うで話します。一緒に来てください」
灯は短い舞いを舞い「空の穴」を成すと、アリスに右手を差し出した。
「判ったわ。六からの贈り物を楽しむのはその後にしましょう」
アリスはそう言うと灯の手を取った。
灯は体の向きを六に向けた。
「六、玄雨神社に戻ります」
六に残る左手を差し出す。
「玄雨灯。承知致しました」
六はその手を取った。
灯が体を前に進め「空の穴」に触れると、三人の姿は執務室から消えた。
「おわっ!」
アリスは自分の体が舞い舞台中央に浮いているのに気が付くと、これまた奇妙な声を上げた。
灯と六は舞い舞台に立っている。正確に言うなら、六は床の少し上に浮いている。
灯が扇を振ると、アリスの靴が脱げて下手袖に有る階段の下に動いて行った。
それを見ていたアリスは、自分がゆっくりと着地するのを感じた。
「急いでいたので、舞い舞台から翔びました。すみませんアリスさん。ここは絶対土足禁止なので」
「まあ良いわ。いろいろ言いたい事はあるけど、今はこっちで話すと言った訳を教えて」
「はい」
三人は舞い舞台下手袖に移動し、先ほどの場所に座った。
六は浮いているから土足じゃないとしても、灯ちゃんは白足袋のままだった筈なのに、汚れてないって事は、あたしの所にいる間、浮いていたって事ね。ほんと、細かい所まで気の回る子。
座に移動する間、アリスは灯を観察してそう思った。
「では、六に巫術を教える方法…」
そこまで灯の言葉は一度途切れた。少し逡巡する、あるいは、断言する程には自身が無い、という面持ちになった。
「…可能性についてお話致します」
灯の表情が真剣なものに戻った。
「六にあたしの予備のスーツを付けて、スーツを起動させます」
「だがそれだと」
雫の言葉の後をアリスが続けた。
「そうよ灯ちゃん、六に気脈が無いし、体も人と違う。アシストは出来ないわよ」
「はい。そのため、私の気脈を伸ばして六の体に流します」
雫はその手が有ったか、というよりも、拙い手を聞いたように少し苦い表情になった。
「灯。その業は禁忌だ」
「え、何?」
雫の声音は灯の方を向いていたアリスを振り返らせるほど、冷たいものを忍ばせていた。
「その業は『反魂法』だ。成功した試しは無いどころか、成そうとした術者が死ぬ」
「どういう事?」
その言葉をアリスは反射的に口にした。
「人が死ぬと気脈は解け霊脈に融けて行く、それを押しとどめる為に、死者の体に己の気脈を通して体を復調させ、気脈のほどけるのを、いわば巻き戻す、そういう術」
だが、と語気強く雫は続けた。
「行った術者の気脈は解ける死者の気脈に呑まれ、術者の気脈も解ける」
アリスの顔の中心から、理解の色が広がって行った。
「そして死んじゃうのね」
「よってその術は禁忌となった。禁忌となった故、行われはしなかったが、禁忌故に術者を惹き付ける。研究だけは進んだ。術者が死ぬのは死者の気脈に呑まれる為だけでは無い。己の気脈を他の形に永く流し続けると、体を壊す。事によってはそれだけで死ぬのだ、という事が判ってくる」
え!
アリスは気脈の流れを変えて竜の星に行こうとした時、雫が強く止めた理由を、頭では無く、胸の内で理解した。
「ですが、雫さん。『反魂法』では無いものの、命無きものに、命、の様なものを己が気脈を使い、成したものが居る」
灯は雫を見つめた。睨むというのとは違うが、その目の力は強かった。
「知っていたのか」
灯は静かに頷いた。
ころり。
アオイの懐から、蛙の焼き物が転がり出た。
『その、命のようなもの、というのは儂の事じゃな』
蛙の焼き物の上に、蓮の葉を持つ蛙の姿の小さな仙人の姿があった。
『流石は灯殿。儂がどうやって生まれたか、判っていらしたか』
はい、と灯は頷いた。
「雫さんは不老不死。そして物を大切にする方。気に入った焼き物が有れば、毎日それを眺め、触れる。触れられていたもの中に、極僅かずつ雫さんの気脈が溜まって行く。それが百年もの永きに渡ると、有る時、溜まった気脈が付喪神を生み出す」
そうですよね、雫さん。
蛙仙人から視線を雫に戻し、灯は雫にそう尋ねた。
「ご明察の通り。だが付喪神が生まれる理りと六に巫術を教える方法がどう結びつく、灯。仮に六に気脈を与え続けても、生まれた付喪神と六とが混ざる、とは限らぬ」
「はい。その方法では御座いません。私が可能性が有ると感じた方法は」
灯は六を見た。
「スーツでアシストした私の気脈。正確にはスーツで流される霊脈を六の体に流し込み、六のスーツでさらにそれをアシストし、六の体に霊脈の流れを固定化する、というもの」
灯は表情から力を抜くと、六に尋ねた。
「六、六は少しなら霊脈の操作ができるんでしょう?」
「はい、玄雨灯。ベースにする程の精度ではありませんし、極僅かなら」
ここで雫初めて成程、という顔になる。
「固定化した霊脈の極一部でも六が操れるなら、それをスーツがさらに増幅する。そうすれば、気脈を操り霊脈を操る業を行える」
雫の言葉を聞き、成程という顔を見て、灯は微笑んだ。
「仮の付喪神を六の体の中に置き、それに六が囁く。仮の付喪神が巫術を行う、そういう仕組み」
灯は両手の指先をそろえて床につけた。
「如何で御座いましょう」
雫は口を引き結ぶと、アリスの方を向いた。
「アリス、スーツの機能、外部から強制終了させられるな?」
「もちろん。万が一スーツが暴走した時のためのリセット機能。最終安全装置をこのあたしが付けないとでも?」
雫、灯が話し始めて、初めての笑みを見せる。そして灯を見る。
「灯、スーツのアシストが有るとは言え、膨大な気脈を外に流し続けるのは危うさを伴う。もし危ういと判断したら、即座にスーツを停止させる。それで良いな?」
「有難う御座います」
灯は頭を下げた。
「だが灯、一つ問う。なぜ其所まで六の事を思う?」
それは。
「六の気持ちが判るからです。この体がその思いを知っているからです」
そう言うと、灯は己が体を抱きしめる。その頬を静かに涙がつたう。
「たった一人取り残される思い、故郷の星を失う辛さは、良く知っております」
そうだった。
灯が自分の体に戻る前、その体は二十三人の灯達のもの。
二十三人の灯達の地球は焼き滅ぼされ、灯一人が生き残った。
その思いが残っているのだと。
そしてまた、唯一助かったこの地球の灯も、犠牲となった灯達に何かできないかと、いつも心にその思いが木霊していたのだと、雫は思った。
そこに独りぼっちになった六が現れた。
六を母星に返す事、きっとそれは二十三人の灯達が自分にしてくれた事と同じ。
だから、六を助ける事が、二十三人の灯達への恩返し、と灯はそう思いたいのだと。
辛い思いだな。灯。
「判った。その業、見事成すが良い」
凛とした声で、雫は言った。
■霊脈の圧縮技術
「なら早速っと」
アリスはそう言って立ち上がると、下手袖の端の方において有るスーツケースの取って戻ってきた。
自分の座の前に置き、座ると蓋を開る。
電気信号で腹筋を鍛える為の装置のようなものを取り出したアリスの顔にあれ?というような表情が浮かんだ。
「ん〜。スーツなんだけど、人間の場合肌に直接接触させるのよね。六の場合、どうすれば良いのよ?」
六は少し虚空を見つめると、アリスに告げた。
「メタアリスからその装置の構造を教わりました。内部に取り込むのが良いと私は判断します」
そう言うと、アリスに手を差し出した。
アリスはスーツを六に手渡す。
あーもう。女神チーム一番のマッドサイエンティストだったのに、やっぱり宇宙人には歯が立たないのね、アリス、ショック〜〜。
アリスは凹んだ気持ちが再び湧いてくるのを感じた。
「アリス・ゴールドスミス。この装置の機能で感嘆した箇所があります」
六の声がアリスの耳に届く。
「装置の霊脈の格納機能。これの圧縮技術は私の知るものではありません。私たちは霊脈を非圧縮の状態で扱う事を基本と考えている為、圧縮するという発想自体ありませんでした」
え、なになに。褒められてる、あたし。
「この圧縮方法、霊脈の畳み方に工夫を加え、振動数を調整する事が出来れば、母星が行った霊脈ベースへの移行が可能になると考えられます。霊脈を圧縮するという考え方のブレークスルーが母星で生まれ、霊脈ベースに移行したと推論されます」
アリスの脳内で、花火が打ち上がった。
キャ〜〜〜、宇宙最高水準の知性に褒められた〜〜。アリス最高〜〜。嬉しい〜〜〜♪
アリスの凹んでいた気持ちは吹っ飛んだ。
本当は飛び上がって喜びたい所だけれど、先ほどの執務室での出来事を思い出し、努めて冷静な態度を取った。
「お役に立てて光栄です。玄雨六。あなたから頂いた数々の知識、大変興味深く、また、素晴らしいものです。得難い僥倖としか言い様がありません」
先ほどの執務室での狂喜乱舞を見られているのをさらりと誤魔化し、対面を取り繕った。
スーツを六に手渡す。
六はそれを受け取ると、音も無く立ち上がるや、スーツを胸元に近づけた。
すると六の胸元に穴が空き、スーツはその中に吸い込まれた。
胸元が元に戻ると、するり、という感じで六は座った。
「霊脈の圧縮が関係するとすれば。暫しお待ちを」
アイスと六のやり取りの途中から、雫は考えていた様子だったが、六が座るとそう言って舞い舞台を去った。
戻ってきた時には、桐の箱を持っていた。
「雫それって」
桐の箱を見たアリスが声をかける。アリスは自分の前のスーツケースをどけた。
雫は黙って桐の箱を六の前に置くと、蓋を開いた。
中には銅鏡が入っていた。御神体である。
「これは此の神社に伝わるもの。前の御神体。その機能は霊脈の蓄積」
そう言うと雫は銅鏡を六に手渡した。
六はしけじけとそれを眺める。また、その表面を手で触れて凹凸を確かめるように撫でる。
「成程。これを元にアリス・ゴールドスミスは霊脈圧縮技術を構築したのですね」
「左様です。玄雨六」
アリスは六に微笑んだ。
すう、と六は目を細める。
「玄雨雫、この物体には、霊脈の圧縮以外の機能があるように観察されます。ご存知でしたらお教えください」
ここで雫、小首をかしげる。
「機能、ですか。霊脈を蓄える意外、取り立てて知る事はありませんが…」
「雫さん」
灯が声を上げた。雫は灯を見る。そしてその意味を表情から読み取った。
「そうだった。この銅鏡の機能、ではありませんが、別の使い方が御座いました。これ単体の機能では御座いませんが、これに霊脈を蓄え、時の女神が使えば、時を巻き戻す事が叶います」
その言葉を聞き、視線を雫から銅鏡に戻した六は、再びその表面を撫でる。
「この物体には、時間が経ち過ぎて正確に検出する事は出来ませんが、数えきれないほどのワープの痕跡が見受けられます。時を巻き戻す、というのはタイムリープするのとは違うのですか?」
「時を巻き戻す、とは、そうですね、時間の流れを逆にする、という事が近いでしょう。過去のある一点まで時間を逆回転して、もう一度、その過去の点からやり直す、そういう事を意味しております」
六は撫でる手を銅鏡から離すと、雫に返した。
「大変貴重な品を拝見させて頂き、真に恐悦至極に御座います」
と礼を言った。
遠い星から来た宇宙人なのに、昔の日本人みたいになってる。
アオイはそんな感想をぼんやりと思った。
あ、そうか。メタアリスの言語データベースを参照したんだわ。ママ、雫師匠の言葉遣いが急に古い言い回しになる事があるから、その対応用に入ってるから、それを使ったのね。
でも、とアオイは思った。
玄雨六という名の少しキャラ設定がおかしな女の子の宇宙人。
へんなの。
ちょっと微笑む。
だが、そんなアオイ自身も通常の人間から見れば、充分におかしなもの部類に入るの者、ではある。
他人の事、言えないか。
心の中でくすり、と笑った。
「玄雨雫、アリス・ゴールドスミスが作ったスーツの構造と、見せて頂いた銅鏡のお陰で、ベースモデルを霊脈にアップデートするための霊脈の…畳み方、がおおよそ判りました。後は霊脈を操る術を身に付ければ、私の願いは叶う事が出来そうです」
そう言うと、玄雨六は両手の指先を床につけ、頭を下げた。
「ありがとう御座います。この神社にお伺いでき、大変光栄です」
「頭を上げて六。あなたの願いを叶える事は、あたしの願いでもあるのだから」
六は頭を上げて、灯の顔を見た。
『そう。灯ちゃんは苦しんでいるの。他の灯ちゃん達の事を思うと胸が張り裂けそうになるのよ。誰かの犠牲の元に出来た安寧は、決してその凡てを休らえる事は出来ないの。一つの犠牲は一つの後悔、苦悩を生むの』
メタアリスの音声が、場にいる全員の頭の中に響いた。
と、その時。
灯がふわり、と立ち上がった。
『少しの間だけ、また体を借ります。灯』
■玄雨灯
「初めまして。玄雨六。私達は玄雨灯、初代。二十三人の灯です」
雫は驚いた。
気脈となって消えた筈の初代玄雨灯が再び戻ってきたのだから。
「光、そして、今は私の中に居る最後の灯に、話しをしに、そして力を貸しに戻ってきました」
光も目を見開いて、灯を見ている。
「私達は、決して後悔していない事を伝えようと、こうして戻ってきました。灯と光は私達が苦しんでいると思っているでしょう。でもそれは間違い。最後の灯の地球を救う事が出来たのですから、あたし達はあの時救われたの。もちろん、その後も此の世界から少しでも哀しみを無くせるように手を貸したり、焼き滅ぼされた地球に命が芽吹くように力添えをしたりしました」
玄雨灯の表情は柔かだ。
「だからもう、あたし達が独りぼっちになって苦しんでいる、一人だけ助かって申し訳ない、そういう風に思うのは止めて。あなた達が苦しむと、私達はそれが辛い。だからこうして話をしに来たのです。これは私達の為でも有るの。灯が苦しむとその苦しみはあたし達にも届く。あたし達が苦しむと、その苦しみは灯に届く」
光は思った。
互いを思いやるが故の苦しみの連鎖。
きっと、お姉ちゃん達はその連鎖を断ちきりに来たんだ。
「今、あたし達は一つの地球で生命が進んで行くのを見守っています。それはとても楽しく、幸せな時間なのです。その事を知ってもらいたくて、戻ってきました。そして」
玄雨灯は光から六の方に視線を動かした。
「玄雨六。貴女が母星に帰る手伝いをしに、戻ってきたのです」
その場にいる全員、六にメタアリスを含めて、その思考に緊張が走るのを感じた。
「私達は気脈としての存在。玄雨六が霊脈を元とする思考体に変容するまで、玄雨六の体に宿り、気脈として作用しようと考えています」
雫は自分の頭の中から外に向かって、静かに痺れるような、だが、決して不快でない感覚が広がって行くのを感じた。
「そうすれば、灯はそれ程の負担無く、その業を成す事が出来るでしょう」
六もすう、と立ち上がる。
「あの時感じたのは、貴方達、ですね」
何を言っているのかと、光は思った。そして急に判った。
竜の星で六が現れた時、灯がモード23を使った事を。そしてそれはある意味、二十三人の灯達のゴーストモードで有る事を。
人工的に作られた二十三人の灯。それに六は出会っていたのである。
玄雨灯はくすり、と笑うと「そうでもあり、そうでもない、と言えます」と応えた。
「さて、玄雨六、此の申し出、受け入れて頂けますか?」
玄雨灯はすう、と手を玄雨六の方に差し出した。
玄雨六は静かに微笑むと、その手を取った。
「もちろんです。ご助力、真にありがとう御座います」
では、と玄雨灯が一声発すると、するり、と座った。いつの間にか目を閉じている。
そして玄雨六は、おかしな事になった。
六の体の表面が微細な粒子状になり、ざわめく、というか、ぼやける、というような印象になっている。
『六の体はナノマシンでできてる。そのナノマシンの連絡が部分的に低速化して、体の安定性が低くなってる』
メタアリスの音声が響く。
全員が六を見つめていた。目を閉じている灯を除いて。
風が吹いて、月が雲に隠れた。
やがて、灯が目を開ける。と同時に、六の様子が元に戻った。
「落ち着いたようです」
ふう、と灯は息を吐き出した。
「今、六の中には二十三人の灯達が、その気脈が元の体の位置に留まっています」
六を除く全員、一斉に灯を見る。
「六、スーツのスイッチを入れて」
灯以外は何か起こるのかと身構えるが、格段何も起こらない。
「モード23」
灯がそう言うと、月明かりが消えた中、灯の体が光り始めた。
灯はすう、と立ち上がると、舞い舞台中央に跳ぶ。
そして六を手招きした。
触覚のような六房の髪の毛、羽のような外套、白ずくめの姿、それ以外は良く似た二人が舞い舞台中央に並んだ。
灯は六に扇を手渡した。
気付いた光が自分の扇を風で飛ばし、灯はそれを受け取る。
灯は光に静かに微笑んだ。
光も微笑み返す。
「さて、六。始めましょう」
こうして二人は舞い始めた。雫が毎日舞う、安寧の舞いを。
■二人の舞い
緩やかに動く灯の動きに寸分遅れず同じ動作をする六。
もし左右対象であったなら、舞い舞台の中央に大きな鏡があると思った事だろう。
アリスはその状況を漏らさず記録するようにメタアリスに命じた。そして、その様子、気脈の流れをより観察できるよう、頚骨に付けた装置に触れて、自らの気脈のアシストを調整した。
始めは舞いのみが同じで、気脈の流れはかなり異なっていたのだが、舞いが進むにつれ、気脈の流れも同じに、六の気脈の流れが整って行く。
きっと、六の中の灯達が六との同調の仕方を覚えているんだわ。
そうアリスは思った。
舞いが終盤にかかる頃には、気脈の流れは全く同じになっていた。
そして、それが起こる。
舞いが終わり、二人の動きが止まった途端。
六の体が光り始めた。
隣にいる灯と同じように。神脈の光で。
静かに向きを変え、六の方を向くと、灯は言った。
「六、私の気脈の流れを見取って」
灯は扇を水平にすると、すう、と差し出した。
そして、扇を上に上げる。
途端、雫が見せたように、蛍のような霊脈が舞い舞台から立ち昇った。
灯は扇を下に下げる。
蛍のような霊脈は空気に融けるかのごとく、消え去った。
「やってみて」
「はい。玄雨灯」
そう言った後、六は少しだけ頭を傾けると、柔らかい笑顔を浮かべると、「いえ、灯ちゃん」と続けた。
灯はにっこりと頬んだ。
六は扇を水平にして差し出した。そして、それを上に上げる。
始めは何も起こらなかった。
だがそれは突然起こる。
六の体を貫いて、霊脈の柱が出現した。その輝きは眩いばかり。
「六、スーツのアシストを調整して。灯達の力をアシストするのは強力過ぎる」
灯が急いで言う。
玄雨神社舞い舞台の床がみしみしと音を立てた。うなるような地響きも聞こえる。
荘厳なまるで龍脈のような霊脈の柱。
だが、それが生み出す災厄をアリスは感じていた。
「雫、ちょっとヤバくない?」
「これくらいなら、まだ大丈夫。だがアリス、合図したら強制停止を」
「判ってる。安寧の霊脈が壊れたら大事だもの」
霊脈の柱を見上げて、アリスと雫はそう言わざる得なくなっていた。
二十三人の灯の力をアシストすると、どれ程のものになるのかと言う事を、目の当たりにして。
六の体を貫く霊脈の光の柱、それは次第に光を失い、細い糸のようになり、やがて消えた。
そしてそこには、灯が行ったのと同じような、蛍の様な霊脈が現れていた。
ふう、と雫はため込んだ息を吐き出した。
そして灯に向かって言った。
「成したな」
その声を聞くと灯は微笑んだ後、かぶりを振った。
「いいえ、成したのは六と、二十三人の灯達です」
■六との別れ
誇らしげな思いを顔に浮かべ、灯が六を見ると、何故か六は困ったような顔をしていた。
「どうしたの、六?」
これで母星に帰えれるんでしょ?
灯は六の表情に度惑った。
「灯ちゃん。玄雨六は困っています。私の大部分は母星に変える事を希求していますが、残りの部分は貴方達と共に居たいと願っています。同時に二つの願いを叶える方法が判らないのです」
全員の頭の中に、笑い声が響いた。
『何言ってるの、六なら簡単にできるでしょう』
メタアリスだった。
『その母星に帰りたい部分を霊脈ベースにアップデートして、残りは今の電磁波ベースでその体に留まれば良いのよ』
六がぽかん、という顔をした。
少々間抜けだった。
『六と違って、策謀家で野心家のアリス・ゴールドスミスを師匠にして、日々精進していますからね、あたしは』
くすり、と六が笑った。
「はい、メタアリス。その点では、私は竜の星の緊急プロセスにしか過ぎません。御見逸れ致しました」
『判れば宜しい』
六は頭を下げた。メタアリスに対しての礼だった。
そして、灯の方を向くと、灯を抱きしめた。
「これは、お別れする部分の私から。ありがとう。これで帰れます。本当に有難う」
うん、良かったね。これで独りぼっちじゃなくなるんだね。
灯も両手を六の背中に回す。
互いの抱擁が終わると、六はすう、と舞い舞台に正座する。手を突くと下手側に向かって一礼した。
「皆様、ご助力真に有難う御座いました。玄雨六、これより帰還致します」
そう言うと、六は空中を滑るように移動して、舞い舞台前の境内に浮いた。その地面の少し上に。
開いた舞扇を頭上に翳す、そして腕を回して円を描くように扇を動かした。まるで渦を巻くように。その円は次第に小さくなり、扇は持った右手の肩の高さで止まった。いつの間にか扇も閉じている。
風が吹いて、木々を揺らした。
雲が途切れ、満月の光が六を照らした。
六の体の内側から、青い光の玉が膨れ上がって行く。
そしてそれは六の体を離れると、六の周りを一巡りする。
それは六の頭上に移動すると、忽然と消えた。
それを見上げていた六は、小さく呟いた。
「さようなら、もう一人の私」
舞い舞台からその様子を見ていた光が叫んだ。
「視て、お姉ちゃん!」
六を指さしている。だがそれは六を指さしているのでは無かった。
六の周りを、朧げな光を放つ灯達がまるで子供がする遊びの篭目篭目をするかのように、回っているのだった。手を繋ぎ軽やかな足取りで。その数二十三。
その表情は楽しげだった。嬉しそうだった。
そして、その灯達は消えた。
灯は、自分の胸に開いた黒い穴が小さくなっているのを感じた。いずれそれが消えてしまう予感を覚えた。
いつの間にか胸に右手を置いていた。左手を誰かに握られた感覚を覚え、灯が左を向くと、そこには光が立っていた。
「良かったね、お姉ちゃん」
「うん。良かった。光。あの子達、苦しそうじゃなかった。楽しそうだった。…良かった」
灯の頬を、涙がこぼれ落ちた。
だがそれが、哀しみの涙では無い事を光は感じ取っていた。
舞い舞台は月明かりで照らし出され、それは風情有る光景だった。
だが、一人の叫び声で打ち破られる。
「あーーー、しまった!聴くの忘れたーーーッ!」
アリスが両こめかみに己の両手のひらを付けて叫んでいた。
「あの竜の星が、実は灯達が命を芽吹かせた地球だったんじゃないかって疑問、張本人に聞くのを忘れてたー!!」
良い雰囲気、叙情が実に台無しである。
その叫びを聞きつけるや、灯はくるりと体の向きを変えると、一言こう言った。
「アリスさん、それは秘密です」
にっこり微笑む灯。
両手を頭につけたまま、あんぐりと口を開けるアリス。
こりゃ絶対口割らないわ。例え知ってても。
がっくりとアリスは肩を落した。
はあ、とため息をつくとアリスは元の場所、雫の隣に座った。
「アリス、先ほどの青い光の玉を視たか?」
え、何よ、人が落ち込んでるって言うのに。
アリスは雫の声音に潜む何かを感じ取った。
「あれは、一種の『鬼』だったぞ」
その一言でアリスのぐだぐだした気持ちは吹き飛んだ。
「色こそ違うが『鬼』と同じく霊脈の集合体だ。それも超高密度の。まあ分量は東雲の鬼の集積には遥に及ばぬが」
六が元の座の位置に戻ってきていた。いつの間にか。
「ご説明致しましょうか、玄雨雫」
■竜使いの巫女
「是非に」
雫は首肯する。
「スーツに充填されていた圧縮された霊脈を元に、周囲から少しずつ霊脈を集めました。そして先ほどアリス・ゴールドスミスから聞いた圧縮技術、そして玄雨雫から見せて頂いた御神体、それを元に霊脈を空間的、そして時間的にも折り畳んだのです。幾重にも幾重にも。それがベース。そこに私のプロセスをコピーしました。そして、帰りたいと考える『思い』を移し、私達は分離しました」
思いの宿る霊脈。
なるほど、と雫は思った。
「鬼」と似た感じがしたのは、はやり「思い」が宿っていたからか。
「玄雨灯は約束通り、私が霊脈ベースに移行すると、去って行きました。祝福しながら、微笑んで」
そして、と言うと、六は自分の両手を目の高さに上げると、その手のひらを視た。
「贈り物を残して」
雫もアリスも、灯も光も、アオイもアカネも、それを視た。
六の体の中を流れる気脈の光を。
「私の体に、気脈の流れる経路を形成してくれました」
「それってつまり、宇宙最高水準の知性の宇宙人でその上巫術師が誕生したってコト!」
アリスがすっとんきょうな声を上げた。
「そのようになります。アリス・ゴールドスミス」
六はアリスにそう言った後、雫の方に体の向きを変えると、両手の指先を床につけた。
「どうか、此の玄雨六を此の神社に住まわせてくださいませ」
そう言うと六は頭を下げた。
雫が六を見ていると、視界の端で良く動く頭が有る事に気が付いた。
灯が物凄い勢いで首を上下に振っている。もげんばかりの勢いで。超高速のヘッドバンキングだ。
「心配するな灯」
左手をあげて、灯を制止する。
「もはや其方は巫術師。そして我が弟子だ。好きなだけ当神社に留まるが良い」
「有難う御座います」
六は再び頭を下げた。
「ねえ雫、六は女神じゃないけど、その力は女神以上じゃない?だったら」
「二つ名を付けたいと」
「ピンポン。ね、良いでしょ」
「言い出したら聞かないからなアリスは」
「じゃオッケーって事で」
ばっという勢いで立ち上がると、アリスは六を指さしてこう言った。
「玄雨六、その二つ名『竜使いの巫女』とアリス・ゴールドスミスは命名します!」
きゃ〜良かったね六!と歓声が上がる。竜つながりだ〜、とアカネは喜んだ。
灯と光は拍手している。
アオイは静かに微笑む。その手には蛙の焼き物。そしてその背に座る蛙仙人もまた、嬉しそうだった。
確かに竜の星の管理者、竜使いとは言い得ている。雫は感心する。
「アリスの意匠にしては、とびっきりの出来栄えだ」
「アリスのネーミングセンスは」
いつも最高ですー、と後を残る全員が続けた。
玄雨神社舞い舞台下手袖に、笑い声が満ちた。
しかし、事はこれで終りではなかったのである。
■新たな客
その信号に気付いた六は立ち上がると、その位置を舞い舞台中央に変えた。
あまりの気配の無さに、それが現れるまで、他の誰も気付かなかった。
それはちょうど、六が現れた場所に居た。
姿を変える前の六と同じ姿、人間に似た形状。身の丈、およそ1.2m。
そして、背に笹の葉のような形の六枚の羽、頭部には、ミルキークラウンのような六つの突起。
六とそれは暫く対峙した後、六はそれの側に位置を変えると、その手を取る。
そして消えた。
「な、何が起こったの!?」
舞い舞台にアリスの狼狽えた声が響いた。
『翻訳終了。起こった事態の説明ができます。アリス』
メタアリスの音声が脳内に響く。
「お願い、一体何が起こったの?」
『現れたプロセスは、六と話をして、六はその要請に応じ、竜の星に戻りました』
え!?
なんで!?
メタアリスの声を聞くと、反射的に灯とアカネは境内に翔ぶと、消えた。
『心配は要りません、と続けるのが遅かったようです』
雫は立ち上がると、「光」と光に言う。
光は頷くと境内に飛び出すと、消えた。
「あたしも!」
アオイが叫ぶ。
「待てアオイ。状況が不明だ。お前はここで待て。前の時とは違い過ぎる」
雫がアオイを止める。
「メタアリスの話を聞いてからでも遅くは無い」
立ち上がっていたアオイは座った。
「話してメタアリス」
アオイはメタアリスに促した。
『はい、アオイちゃん。後から来たプロセスとの会話を翻訳して再現します。音声を六のものとあたしの声で』
一度メタアリスは沈黙する。
『竜の星の管理プロセス、同期を求める』メタアリスの声が響く。
『同期了承』六の声が響く。
『この同期って言うので、お互いの情報を交換したみたいね。六がここで霊脈ベースに変化した事とか。後から来たプロセスの状態とか。詳しい内容は高速過ぎて部分的にしか判らなかったけど、どうも、霊脈ベースの方の六が竜の星から飛び立ったのを、六のユニットが探知して、六に連絡しようとしたんだけど、六と連絡が取れないから、一番近くのプロセスに連絡した、という事みたい。そこで起こされたそのプロセスが竜の星に来て、六が消えた場所を調べて、六が言うみたいにワープしてきた、という事らしいの。ここからは聞き取れた会話の部分』
そう言うとメタアリスはまた一度沈黙する。
『母星と同期不能のプロセスは相当数いるものと推論される。竜の星の管理プロセスが実現した同期する手法を各プロセスに通達する必要が有ると提案する』メタアリスの声が響く。
『方法には素粒波テクノロジーの習得が必要な為、情報伝達だけでは不可能。直接指導する必要あり』六の声が響く。
『母星から孤立している全プロセスにここに来てもらうのは?』
『全プロセスがここに来るのは空間的に問題がある。また、この惑星の平均的な知性は全プロセスの出現を非常に警戒するだろう』
『得られる結論は』
『私が竜の星で、全プロセスに素粒波テクノロジーを伝達する事。一度戻る。メタアリス、伝言をお願い』六の声が響く。
『こうして六は消えたの。そんなにかからずに戻る、と言い残して』メタアリスの声が響いた。
雫はアオイの顔を見て言った。
「向うに行っても、特にできる事は無さそうだ」
「そうですね。雫師匠」
「帰ってくるのを待つとしよう」
雫、アリス、アオイの三人は月を見上げた。
まてよ、六の時間感覚はちょっとおかしい。どれくらい待つ事になるか、メタアリスに聞いた方が良さそうだ、と雫が思い始めた頃。
「アリスさん、充電された圧縮くん、いくつ有ります?」
境内から突然、灯の声が響いた。いつの間にか境内に灯が出現していたのだ。
「え」
もう何だか今日は騒がしい日だわ。アリスはそう考えると共に、灯に答えた。
「スーツケースにあと4つ入ってる」
「それ全部貰って行って良いですか?」
「雫師匠、やっぱりあたしも行く!」
アオイはそう言うと、舞い舞台下手袖に置いて有るアリスのスーツケースから圧縮くんを取り出すと、灯の側に翔ぶ。
「良いだろう。灯、アオイを頼む」
灯はしっかりと頷くとアオイの手を取った。二人の姿は消えた。
■天の竜
「きゃあ!」
アオイは悲鳴を上げた。
てっきり竜の星の上空に出ると思っていたのが、そこが宇宙空間だったからだ。
頭上に竜の星らしき惑星。
そして、足下の方には巨大な漆黒の円盤。
それよりもアオイを驚かせたのは、その巨大な円盤の上に、巫女の姿に変わる前の六と同じ姿が数百、いや数千と現れていた事だった。
「大丈夫」
灯はアオイを支えた。
灯は少し上を見る。アオイもその視線に合わせて自分の目を動かすと、そこには近づく六の姿があった。
「霊脈を持ってきました」
「灯ちゃん、感謝します」
何が起こるの?
アオイは不安になった。
灯は圧縮くんを六に手渡すと、アオイの顔を見ると再び大丈夫、と言った。
六はすう、と動くと、巨大な漆黒の円盤の中央に向かって移動して行った。
入れ替わるように灯の側に、光、アカネが翔んでくる。
「六は、ここに集まったプロセス全部を一度に霊脈ベースにする業を行おうとしているの」
灯はアオイにそう伝えた。
「とても一体ずつ行える規模じゃないものね」光も言う。
「お母さん、始めは数十体だったんだけど、どんどん天の竜、あ、この黒い円盤から現れてきて、こんな数になっちゃったの」
天の竜。六が説明した竜が放出した電磁力重粒子を母星に送る為のワープゲート。それがこの巨大な漆黒の円盤だったのだ。
「あたし達のスーツの圧縮くんのも渡したんだけど、とても足りないって判ったから、お姉ちゃんに取りに行ってもらったの」
「でも、こんなに沢山。どうやって」
「今、あの人達…プロセス達。同期状態になってるんだって。だから1体を霊脈ベースに移行させれば、残りのプロセスも一気に霊脈ベースに移行するんだって。ただ、その為には元となる霊脈の量がかなり要るからって」
だから灯は取りに戻ってきたんだと、アオイは得心した。
「あの人達、どうやって連絡を取り合ったの?」
アオイが灯に尋ねた。
「普通は母星から直接連絡が行くようになっているらしいんだけど、今は母星との連絡がつかなくなってるから、近くにいるプロセスにバケツリレー的に連絡したんだって」
宇宙規模のパケット・ルーティング。
「みんな六と同じ形をしてるんだね…」
感慨深げにアオイが言った。
「これだけの数が一度に地球に来ちゃってたら、大騒ぎになってた。アリスママ、隠ぺい工作で大忙しになってたよ」
「それはそれでアリスには良い薬だ」
と光が雫の物まねをしたのだが、幾ら何でもそれはとアカネが文句を言う。
「光お姉ちゃん、ソレちょっと酷い!」
「すまぬ。すまぬ。…でも、地球に来なくて良いようにしたの、六の機転」
「ほんと良かった」
「始まったみたいよ」
アカネと光のコントみたいな会話を遮って、灯が言った。
六の前に人型に六枚の羽の姿の1体。それ以外の人型は少し離れて、立体的に取り囲んでいる。ちょうど、球の中心に六ともう一体がいて、残りは球の表面に配置したというように。
その中心にいる六が舞扇を頭上に翳すと、緩やかに下に降り降ろした。
六の前に要る人型から眩いばかりの霊脈、いや、まるで龍脈のような輝きが逬った。
荘厳な青白い輝きの奔流。
その輝きが収まると、六の時と同じく、青い光の球体が現れた。だが、それは六の時よりもずっと大きかった。
そしてその青い光の球体は、漆黒の円盤の中に消えた。
それに続くように、人型も円盤に落ちて行く。まるで糸が切れた人形のように。
四人の側にいつの間にか六がいた。六は落ちて行く人型を見つめていた。
「プロセス自体は霊脈ベースに移動したので、外殻は自動帰還モードでそれぞれの格納ユニットに戻っている所です」
そう言うと、六は四人の方を向いた。
六の顔は竜の星からの光で薄く輝いていた。その表情は満足そうだった。
「これで独りぼっちは誰も居なくなりました。さあ、戻りましょう」
六の姿が消える。
四人は頷くと、手を繋ぎ、そして消えた。
■アリスの推理
玄雨神社舞い舞台前の境内に六が現れ、それに続くように舞い舞台に、灯、光、アオイ、アカネの四人が現れた。
光とアカネは舞い舞台に着地する前に、履物を風で舞い舞台に上る階段前に飛ばす。
そうして、それぞれは元の場所に戻ると座った。
「事は済んだか、玄雨六」
雫は六に問うた。
「はい、玄雨雫。すべてのプロセスが霊脈ベースに移行しました」
そう言うと、六は灯の方を向くと、少し微笑んだ。笑みは少しではあるが、その内側にとても満足なものを隠しているように。灯も微笑み返した。この時の灯の心情はさながら穏やかな水面に広がる、静かな喜びのようだった。
目を閉じていたアリスが目を開けた。
「絶景、というか、信じられない光景ね」
アリスは四人のスーツのメタアリスがサブユニットのメタアリスと同期し、天の竜へと還るプロセスの外殻、そして竜の星という情景を見ていたのだった。
アリスは少し、ん?という表情を浮かべると、右手を顎に軽く添えた。
雫はアリスの面に疑問と、そしてその後から来る好奇の色を見逃さなかった。
「なんだアリス、まだ、疑問があるのか?」
ふう、とアリスは小さく息を吐き出すと、メタアリスに質問した。
「メタアリス、六の母星のデータ、あるでしょ? 母星から見た宇宙の様子を見たいんだけど」
『はい、アリス。あります。可視領域に再構成して再生します』
アリスの視界に母星からの宇宙の情景が広がった。
「…やっぱり、というか、まさか、というか…」
これはやられたわ。想像もしていなかったわね。もしやと思ってみたら、案の定、じゃなくて、とんだものを釣り上げちゃった、という感じ、かな。
「メタアリス、スーツを着てる4人に見せてあげて」
『はい、アリス』
メタアリスは、四人の視界にアリスに見せた映像を五人の視覚に展開した。
雫、灯、光、アオイ、アカネは、良く見知ったような、それでいて違うような光景を目にした。
一つの天体の上から、その向うに青くそして大気をまとった惑星が見えた。
「なるほど」
雫はアリスを見ると、頷いた。
え、何の事?
光、アオイ、アカネの三人はほぼ同じ感慨に包まれる。
灯だけが、考え込むような表情をその面に浮かべていた。
「六、質問があるの」
「なんでしょう?アリス・ゴールドスミス」
「六やその仲間が電磁波ベースのプロセスになる前、有機生命体の中に居た頃、その有機生命体は、母星から見える青い惑星に居たんじゃないの?」
「はい、アリス・ゴールドスミス」
「もう一つ質問、というか確認。あなた達の母星、それはその青い惑星の衛星じゃなくて?」
「はい、アリス・ゴールドスミス。私達の増殖を効率的に行う為、有機生命体が誕生した惑星上から、その衛星へ移動し、やがて、その衛星全部が私達で満たされました」
「つまり、人工知能のハードウェアがその衛星全部ってことね」
「はい、アリス・ゴールドスミス」
アリスは六から雫に向きを変えた。
「もう雫も判っちゃったと思うけど、これの探偵役」
雫は薄く笑った。仕方ない、という感じで。
「突き止めたのはアリスだ。任せる」
すう、と息を吐き出すと、アリスは立ち上がった。そして、やや意地悪そうな顔つきをして、その目を輝かせると、こう言い放った。
「さっき見た青い星は地球よ。そして六の母星は月!」
「え〜〜〜!」
光、アオイ、アカネの三人の声が玄雨神社舞い舞台の空気を振動させた。
だが、灯は静かに口を閉ざしていた。
三人の驚きの声が収まるのを待って、アリスは話しを続けた。
「さっきの映像の元データの宇宙の様子、天体の位置関係などをメタアリスに照合させたののよ。かなり、いいえ、そうとう先の未来で、月から地球を見た宇宙の様子と大体一致するのよ」
『かなり誤差がありますが、一致していると判断する事は有意です』
脳内にメタアリスの音声が響く。
「さて、ここからがあたしの推理」
そう言うとアリスは灯の方を向いた。
灯もアリスを見つめる。
「初代玄雨灯が、竜の星の遺伝アンプルを使ったのは、焼き滅ぼされた別の時の線の地球。そして、そこで電磁波を操る有機生命体が進化した。後は、六が話した通り」
アリスは易しく微笑むと、灯を見つめた。
その瞳は、そうでしょ?と伝えていた。
灯はうっすらと微笑む。
「灯達との約束です。秘密です」
やっぱ口割らないわ。でも、そうだって言ってるようなものね。
「初めは竜の星に使ったのかと思ったんだけど、それだと妙なループが生じるし」
「ループ?」
アカネが尋ねた。
「竜の星の進化の元を、過去に持っていって、同じ星に撒くという遺伝子のループ」
「あ、そうか」
「あれ程の時の女神がそんな事をするとは考えられない、と気が付いたのよね」
それに、竜の星の天体情報から、あれが地球じゃない事は判ってたから。
それでもアリスがあれが地球では無いかと疑ったのは、初代玄雨灯の途方もないその力故だった。
あの子達がその気になったら、地球ごとべつの恒星系にワープ、じゃなくて「空の穴」で移動させちゃう事だって可能だもの。
「アリス・ゴールドスミス、その仮説が正しいならば、私も一つの推論があります」
それまで黙っていた六が口を開いた。
「私達が霊脈ベースに移行する事は予測されていたのですが、そうしたいという強い欲求がありました。アリス・ゴールドスミスの仮説が正しければ、初代玄雨灯の気脈は、霊脈ベースで共に居る事となると、私は推論します」
六の言葉を聞き、雫は確かめるように言葉を紡いだ。
「つまり、初代玄雨灯は有機生命体を育て、やがてそのミームが電磁波の存在になると、それと共に居たいと願い、霊脈ベースに移行するように囁いた、と」
六は雫の方を向くと頷いた。
「そう考えると、霊脈へ移行したいと言う欲求が説明できるのです。玄雨雫」
名探偵が三人居るー。そんなぼんやりした感想をアカネは思った。
「だから、灯は黙っている」
雫の言葉を聞くと、灯は雫を見つめた。
雫はその真意を測るように、灯の目を見つめた後、こう言った。
「光、アオイ、アカネ、竜の星に行っても、決して天の竜に入ってはならぬ。それを禁忌とする」
これで良いな、灯。
灯を見つめる雫の目はそう語っていた。
「玄雨雫、私も同意します。ワープゲートの原理は『空の穴』に似てはいますが、有機生命体が無事通過できる保証はありません。あれは、非生命体が移動するためのシステムです」
六の声を聞くと、灯はその目に少しの涙を浮かべた。哀しみでは無い涙だ。だがそれをすぐに仕舞う。
アリスがそれを見つめているのに灯は気が付いた。
アリスはにっこりと微笑むと、静かにこう言った。
「さて、推理はお終い」
そしていつもののんきな調子でこう言う。
「六の歓迎会をやっちゃいましょう〜〜!」
■歓迎会
「頂きます」
乾杯の音頭が終わった後、手に持った杯を口に沿えて、六が言った。
「呑めるの!?」
異星のその上ナノマシンで構成される六がお酒を呑める筈も無く、形だけだと誰しもそう思っていたものだから、アリスが驚きの声を上げるのも無理からぬ話しだった。
「体の構成物を再構築するために、エネルギー源とは別に物質の摂取は必須です。味覚構成もこの星の人の標準データをメタアリスから教わりました。これは美味です」
「でも、酔わないでしょ?」
「必要であれば、そういう思考モードを用意します」
場にいる全員がなにやら怖い妄想を思い浮かべたのか、ぶんぶんと音がしそうな勢いで首を横に振った。
「六が酒に酔って暴れたら、地球が壊れる」
雫がぼそりとそう言うのを聞いて、六は言う。
「承知致しました。酒に酔うという思考モードの構築は断念します」
「断念って、作りたかったの?」
アリスの問いに六は応える。
「はい、メタアリスがとても楽しい気分だと教えてくれましたから」
雫は腕組みする。
「では、少し陽気になる程度のものなら、許す」
「有難う御座います」
そう言うと六は少しだけ杯から酒を呑んだ。
「先ほど、エネルギー源、という話しをしていたが」
じっくりと酒を味わっていた六が雫の方を向く。
「竜が採掘する電磁力重粒子が私達、そうか、思考体とすれば今は私だけのエネルギー源、です。ですから、時折竜の星に行って、採ってくる必要はあります」
がたり。
「竜の星に行くの!あたしも行く!さっきは慌てて、小さい竜に会い損なった!」
アカネが立ち上がって叫んでいた。
「その時には是非」
と六は言った。
「ね、ね、いつ行くの」
アカネは行く気満々である。
雫は少し困ったな、と思ったが、事は終わっている。だから行っても大事ない、とも思った。
六が答えた。
「エネルギー残量から計算して、あと五年は無補給で活動可能です」
アカネの頭の中で、ピアノのとても低い音が鳴り響いた。口があんぐりと開く。
「そ、そうなの。すぐじゃないんだ」
がっくり、という感じで座る。
「おかしな事を言うものですね。アカネ・ゴールドスミス。五年なんてあっと言う間ですよ」
アカネはこの時気が付いた。来るか来ないか判らない女神を十年待つってさらっと決めるような六だと言う事に。
人間とは時間の尺度がケタ違い。
「時に六。其方の年齢はいくつにあたる?」
雫が聞いた。
「緊急プロセスとして形成されてからですと、時間経過は1万年位でしょうか」
雫が酒を吹き出しそうになる。
数百年生きる雫だが、それでも桁が違う。
「ただ、大半はスリープ状態でしたから、アクティブな時間経過で言うと、2年くらいです」
年上なんだか年下なんだか全く判らないよ、という困り顔のような表情のをアカネ。
「あ〜。初代玄雨灯には聞き損なったけど、まあ、それはいいか。でも、もう一つ知りたい事が有ったんだった〜」
ほろ酔いになってきたアリスが雫に絡んできた。
「な、なんだアリス」
「ねえ、雫、どうして、六なの?この子の名前」
びっという感じで左手で六を指さし、雫の首に残る右腕を回している。
『こういうのを酒癖が悪い、と言いいます。決してマネしては駄目ですよ』
メタアリスが六に言う。
『アリス・ゴールドスミスの酒癖、というデータベースを作って、それにマッチングする行為は取らないように学習します』
『メタアリスも賛成します』
AI同士が奇妙な会話をしている中、アリスは更に絡む。
「まさか、アホ毛が六本だから、だとかいうワケじゃないわよね!?」
雫は杯を乾すと、アリスにも困ったものだ、という感じでため息を漏らす。
「そんな訳ないだろう。きちんと謂れに基づき、命名している」
「何なのよ」
「ここは玄雨神社。つまり五行で言う水。そして水の生数は一。そしてその成数、それは六」
「でもそれだけじゃ、六本人の理りが編み込まれてないじゃない」
ほう、という顔を雫はする。
「六の色は白。白は金を現し、金は水を生む。故に六は水。それに金になぞらえた名を与えるのは礫殿に憚られる」
礫の名を聞いて、アリスはちょっと固まる。
死に神である白酉礫の名には、五行の金の理りが編み込まれている。雫が言ったように金は水を生み出す。水は死も意味している。死を生み出すもの、だから死に神、と。
「まあ確かにそうよね」
「それにもう一つ。今の姿の六になる前の姿。その王冠にも似た六本の突起。ミルキークラウンの様だった。それは液体。そして高きから低きに流れるもの即ち水」
ああ、とアリスも合点した面持ちになった。
「流石雫ね」
六は盃を置くと、雫に向かいまた礼をする。
「良き名を付けて頂き、有難う御座いました」
「謎が解けて、アリスも気分が良いわ。もう一度乾杯よ!」
そして、玄雨神社舞い舞台に乾杯の発声と、杯やコップが柔らかくぶつかる音が木霊した。
■月下の酒
満月も南中からかなり過ぎ、アリスは米国へ、他の巫女達も自室に戻って行った。
舞い舞台には、雫と六が残った。
雫は杯の酒を一口、口に含む。そして鼻腔から息を緩やかに吐き出すと、その艶やかな芳香を楽しんだ。
「ところで六、どの部屋が良い?」
と雫は六に自室はどこが良いかと尋ねた。
六は少しだけ考えると、ややおずおず、という感じで言い出した。
「差し支えなければ」
そして舞い舞台下手袖の先の部屋を指さした。
「あのメタアリスのサブユニットのある部屋が」
「なるほど」
雫は少し黙る。
「今宵はあの部屋を使うと良い。後ほど、別の部屋にサブユニットを移動させる故、その部屋を使う、というのでは如何か?」
六からほっとする雰囲気が伝わってきた。
やはり気にしていたか。
「六、六がメタアリスと一緒にいたい気持ち、良く判る。それと共に、舞い舞台の部屋に住むのは憚れると感じているのも」
「御判りでしたか」
月も随分と傾いていた。それを雫は見上げる。
「六。其方」
雫は杯を持つと、月を仰いで一口飲む。
六は雫の言葉を待っている。
「己を二つに分ける時、他の仲間の事を思いやっていたのでは無いか?」
六の動きが止まった。
「其方ほどの知性があれば、孤立した存在が自分だけ、と思う筈は有るまい。とすれば、と思った次第。如何か」
六の肩が震えている。
「もし、母星に戻りたいと願うなら、いつでも当神社を去るが良い」
そこまで。
「ええ。派遣されているプロセスは私だけでは無い事は良く知っていました。もちろん、帰りたいという欲求はとても強かった」
雫は六の顔を見た。異星の、そして、生命体でもない知性体の顔を。
その顔は、少しばかりの哀しみと、嬉しさに彩られていた。
「帰りたい気持ち、残りたい気持ち、その話しに偽りは御座いません。ただ」
六は言葉を区切る。
「他に、仲間を置き去りにする事があってはならないという、思いもあった事もまた事実」
雫は六が現れた場所に視線を向ける。そして再び六を見る。
「六、一つ問う。今、独りぼっちと感じるか?」
六は背筋を伸ばす。
「否」
六の脳裏に、巫女装束の少女たちの姿が浮かぶ。
「私にはもう友が多数居ります。それに」
六は月を見上げた。
「私が独りぼっちと漏らせば、それを悲しむ一人の友が居ます」
六の脳裏に浮かぶ、巫女装束の少女たちの中の一人が、さながらズームアップされたかのように大きく鮮明化する。
六がその名を口にせずとも、雫はそれが誰かを知っている。
雫は一口酒を呑む。
「其方が感じる孤独は」
杯をお膳に置く。
「新たな知性としての独自の境地、と私は考える」
六は驚いた顔をした。
「其方、玄雨灯が残した気脈によって、己に何が生じたか、確と承知しているか?」
六は理解不能な問いに戸惑った。
こんな思考は、初めてだった。
「玄雨雫、玄雨六はその回答を見つけられません」
雫、六をしっかりと見つめるとこう言った。
「気脈は生き物にしか起こり得ない。即ち其方は、無生物から生物へと変容したのだ」
ああ。
何かが六の胸に落ちた。
この孤立感は、新しい自分を計り切れていなかったためなのだ、と。
「だが同時に、何時でも霊脈を元とする思考体へも変容できる」
雫は優しく微笑むと六に告げた。
「だから、何時でも当神社を去りたければ、去るが良い。居たければ何時まででも、居るが良い」
六は自分の思考の中に、淡い色彩をまとった思いが柔らかく広がるのを感じた。
「玄雨六、新しい生命体として、己の本分を学ぶ為、玄雨神社に居たいと、改めてお願い申し上げます」
六は指先をついて、雫に頭を下げた。
「承知した。で」
で?
六は頭を上げると、怪訝な顔で雫を見た。
「一つ改めてもらいたい点がある」
六は雫の言葉を待った。
雫はにっこりと笑うと言った。
「私の事は玄雨雫ではなく、雫さんと呼ぶ事。アリスの事はアリス・ゴールドスミスではなくアリスさんと。どうして灯だけが灯ちゃんで、他は姓名全部呼ぶのかと、些か癇に障る」
六、はっとした面持ちとなる。
「これは失礼致しました。玄雨灯を初代、そして、他の方が言う言いようで当代を呼んだのですが」
いや、それだけでは無かった、と、六はそれ以外の感情がその選択を後押ししたのだと感じた。
「判りました。雫さん。他の方の呼び方も改めさせて頂きます」
ここで六、暫し虚空を見る。
「メタアリスがそれだとキャラ設定が弱くなるわよ、などと良く判らない事を申しておりますが、これは後ほど吟味致します」
「仔細は任せる、では」
と言うと雫は六の杯に酒を注いだ。
「改めて乾杯と参ろう」
二人は杯を優しく触れ合わせると、その酒を呑んだ。
六は月を見上げる。
自分から分れ、メインプロセスに戻って行ったもう一人の事を思った。
私はここにいる。新しい自分をどう掴み切れるか、不安も有るが、友も居る。おそらく私は幸せとだと思う。そう感じる。
だから、もう一人の自分、あたも戻って幸せでありますように。
心の中でそっと呟いた。
小さい青い光の塊は、もっと大きな、遥に大きな青い光の塊に届くと、その中に飲み込まれた。
そして聞いた。「お帰りなさい。無事に帰って良かった」という声を。
同期する安心感が、歓喜が思考全部を覆い尽くすのを感じた。
その思惟の流れの片隅で、小さい青い光の塊は想わずにはいられなかった。
残ったもう一人の私、貴女に心の安寧がありますように、と。
そしてその想いを、自分だけのファイルに綴った。
■最後の謎
六と二人だけの語らいが終わり、自室に戻った雫は舞扇を採り出すと、ああ、準備が要るのだな、と、とても小さく呟いた。
そして、押し入れの中から、蛙の顔のついたスリッパを取り出した。いったん床に置く。
雫は短い舞いを舞うと、そのスリッパを持って「空の穴」に入った。
「待ってたわよ」
アリスは腕組みをして、雫に言った。
「察していたか」
雫は「空の穴」から出ると同時に、蛙の顔のついたスリッパを履く。
「それ、まだ持ってたんだ」
やれやれ、こういう所だけ、余計だ。
「アリスがくれたものは、余程の事が無い限り取ってある」
話しがややこしい方向に行くのを防ぐ為か、雫はアリスを睨む。
「はいはい」
アリスは肘を曲げて両手の平を上に向けた。
「リンクで話すと漏れる恐れが有る故、直接話すべく此方に来た。余り時間をかけると」
「安寧の霊脈に障りがでるものね。でも、お茶を飲むくらい、大丈夫でしょ?」
そう言うとアリスは既に用意してあるティーポッドにお湯を注いだ。
紅茶の葉が開くまでの間、二人だけの執務室に静寂が訪れた。
「雫がこっちに来てくれるなんて、夢みたい、と言いたい所だけど」
アリスは二つのティーカップにお茶を注ぐと、一つを雫に差し出した。
雫は受け取ると、舞い上がる湯気を顎に当てるようにその芳香を楽しんだ。
一口呑んだアリスが言った。
「で、雫の推理を聞かせてもらうわ」
一口飲んだ雫が言う。
「アリスの推理は合っている。謎として残っているのは、なぜ、初代玄雨灯は、灯に語るな、と約束をさせたか、という事」
「そう。灯ちゃん、とても固く心に決めてるみたいで、問い詰めるのも可哀想だし、でも、雫はそれが何か判ったから、竜の星の天の竜に入るのを禁忌、ってしたのよね?」
「左様」
「あたしがそれを知りたがっている事、でも、リンクで話すと漏れる恐れがある。だから、多分直接こっちに来るんじゃないかと、あたしは待っていたわけ」
「名推理」
「もう、じらさないで教えてよ。あ」
アリスは何か考え事をするように小首を傾けた。
『はい、承知致しました。アリス。この事は六にも判らないようにするため、メタアリスは一時停止します』
メタアリスの音声がアリスの脳裏に響いた。
「さて、ほんとにここには二人きり」
雫は頷くと、言葉を紡いだ。
「事の始まりはアカネが竜の星に気脈を伸ばした事。だが、これは偶然では無い。これは、当神社に玄雨六を送り込む為の、玄雨灯の策の始まりだったのだ」
なんですって!
アリスの予想を超えた雫の話に、アリスの眼は見開かれていた。もし椅子に座っていたものならば、立ち上がってしまっていた、というくらいの驚嘆だった。
「アリスの推理どおり、電磁波を操る有機生命体を作り出したのは玄雨灯。そしてそれは焼き滅ぼされた地球。玄雨灯は幾ら待っても地球に生命が芽吹かない理由を考えた」
アリスは気が付いた。
「スーパーソーラーストームの残留放射能…それに地磁気も相当乱れる…」
宇宙線に対してむき出しの地球。
雫は頷いた。
「その強力な電離作用で、通常の生命体の永続性が保てない」
「まさか、そのために」
「玄雨灯は、時の守り神。その力は時の流れを左右する。彼女には因果律は通用しない。いや、彼女達、か」
「だから、竜の星に行って、電磁波を操る生命体の遺伝子を手に入れさせた訳ね、あたし達に」
「左様」
む〜〜。という感じでアリスは吐息を吐き出した。
あたしも相当の策謀家だと思うけれど、それ以上すぎてどう捉えたら良いか判らないわ。
「電離作用を無効化できる生命体。そのために電磁波を操る能力を持つ生命体が必要だった。命は芽吹いた。そして進化する。彼女達は永い時、それを見守ってきた。やがてその生命体の中に」
「六のような思考体が発生した」
雫は頷く。
「玄雨灯は、それに興味を持つ。彼らがある意味、月に移住した後、やがて物質的な次元では収まり切らなくなる事を察すると」
「霊脈レイヤーに進化するように囁いた、ってわけね」
「左様」
雫はここで言葉を区切ると、お茶を一口飲んだ。アリスも飲む。
「もしかして、六が取り残されたのって」
カップを左手で持つ皿に戻すと雫は言う。
「流石だアリス、そのとおり」
アリスは雫の精悍とも感じられる面持ちに、事の重さを計った。
「玄雨灯は、思考体の集合体と友達になりたかったのだ。できるだけ早く。だから六は取り残された。だがそれは、別の側面も持っていた」
アリスはぞくり、とする。
「玄雨灯は、光の中の灯を通して、彼女達が苦しんでいるのを知っていた。それを無くしたいと」
アリスは頷いた。
「だからあの時現れた。でも、後から考えると少し妙だと思ったのよね。何故あのタイミングなのかと」
あ、という顔をアリスはした。
「六」
雫は頷いた。
「六が来た。そして、灯、光の苦しみを取り除くのに丁度良い時と、玄雨灯自身のもう一つの願いを叶える為に」
アリスの執務室に短い静寂が訪れる。
ああ。そうだったのね。
アリスの顔に理解の色が広がるのを見ると、雫は頷いた。
「玄雨灯は友を欲すると共に、玄雨神社に戻ってきたかったのだ」
アリスは頷いた。唇を内側に丸め込む。涙が流れるのを我慢するように。
「そうね。元はあの灯ちゃんだもの。そう思うわよね」
雫は首肯する。
「思考体と共に存在し、同時に玄雨神社にも居る。そういう策を成したのだ。六を通して」
いつの間にかアリスはティーカップを執務机に置いて、その両腕で己が体を抱きしめていた。
「あの娘らしい」
小さく微笑む。
だから、六は二つに分れたのね。
「分れた六本人も気付いていないが、分れても繋がっている。そして」
アリスは頷いた。
「六の体には、玄雨灯の気脈の経路が残っている。そこに気脈が流れる」
アリスは両手を体から解く。
「玄雨灯のゴーストモード、ううん、デュプリケートがそこにある、という事ね」
雫は頷くと、左目に虹んだ涙をぬぐった。
「玄雨灯の願いは叶った。だが、それを壊す可能性がある」
アリスはすうと息を吐き出した。
「時の女神達」
「そうだ。もし、時の女神の誰かが天の竜を超えて玄雨灯がいる地球圏に行き、その過去に干渉すれば」
「策は壊れる」
雫は頷いた。
「だから灯は、玄雨灯が何をしたかを語れない」
はあ、とアリスは息を吐き出した。
「時の女神の中には、あたしと同じくらい好奇心の強い娘が一人いるものね」
雫は少し力の篭った目でアリスを見つめると、頷いた。
「アリスも好奇心は、ほどほどにする事だ」
はいはい。判ったわよ。今回の件で、科学力でも策謀力でもあたしなんか足下にも及ばない存在があるって知ったもの。他人手のひらで踊るのは、雫の手のひらだけで充分よ。
「話しは終わりだ」
そう言うと、雫はアリスにティーカップと渡すと、短い舞いを舞い、成した「空の穴」に消えた。
ふう、と息を吐き出したアリスがふと、床を見るとそこには蛙の顔のついたスリッパが残っていた。
アリスの顔にやさしい笑みが広がった。
アリスにはそれが残っている意味が判った。それがそうさせたのだった。
■そして竜の星で
「お待ちしていました。雫さん」
雫が「空の穴」を出て自室に出ると、そこには灯が待っていた。床に正座し、緊張した面持ちで。
「其方が居る事は、予想はしていたが」
灯は息を薄く吐き出すと、頭を下げた。
「天の竜に入る事、禁忌として頂き、真に有難う御座います」
雫も座る。
「承知している」
灯はその一言が、いかなる意味を持つかを知った。同時に知っていると判った。
灯は立ち上がると、雫に手を差し伸べた。
「お話するには、ここでは、いろいろと障りが御座います」
雫は少しばかり怪訝な顔をしたが、灯の手を取った。
「雫さん。『空の穴』を成した事、それが意味する事、御承知だと思います」
「その点に関しては、時の女神には及ばない。それも承知している」
灯はにっこりと微笑むと、立ち上がった雫の顔を見つめた。
「少し、散歩をしましょう」
その言葉を聞いた途端、雫の視界は漆黒で覆われた。
何も見えない、漆黒の空間。闇、闇、闇。
『ここは時の狭間です。時の女神だけが通れる場所』
『では、何故と問う』
『雫さんは、「空の穴」を成した。あれの本質は』
『時空移動の基本原理』
『流石雫さん』
『で、どこに行くのか、と再び問う』
『ここに』
途端に雫の目の前に、星空とそして水平線が広がった。
「私のスーツの機能で、雫さんの生命維持に必要なフィールドは保持されています」
「ここは」
灯は頷いた。
「はい、ここが竜の星です」
改めて見れば、宇宙にいるような満天の星空が荘厳さを湛え、さらに、空のあちこちに沸き立つオーロラが彩りを加えている。
「美しい」
「はい。とても」
雫は視線を天空から灯に移した。
「さて、話す事があるのだろう。灯」
「はい。雫さん」
静寂の中、時折劉の鳴き声、クジラの声のような音が遠くから響く。
「雫さんが察した通り、玄雨灯の策は成りました。あたしは玄雨神社に戻り、玄雨灯本体は数多の友に囲まれ」
「そして、六を通して玄雨神社にも、同時に存在する」
鼻腔から静かに息を吐き出すと、灯は微笑んだ。
「はい、雫さん。あたし達は全員、玄雨神社に還る事ができました」
「だが、その策を壊せる者が居る」
その言葉に、灯は首を横に振る。
「雫さん。雫さんが思っているのは、時の女神の誰かが天の竜を超えて、あの地球圏に行く事。そして過去に干渉して、玄雨灯の策を乱す事」
「違うのか?」
灯はとても心配そうな顔をすると、雫を握っている手に力を篭めた。
「玄雨灯は、時の守り神。時の女神を上回る存在。不遜な言い方をすれば、時の女神ごときが、玄雨灯の策を乱す事など叶いません。むしろ」
雫は気が付いた。
「だから、か」
「はい、雫さん。私が約束したのは、時の女神を守る事。玄雨灯の策は万全です」
ふう、と灯は息を吐き出した。
「ときどき思うんです。私もその一部なんですけど、どうしても違う…」
「その重しは、玄雨灯自身が解いてくれたのでは無かったか」
「ええ。自分であって自分でない、自分たち」
灯は少しうなだれた、ように顔を少し下に向けた。そしてゆっくりと上げる。
「もし、天の竜を超えて、過去に干渉したら」
雫の目が厳しくなる。
「時の女神と言えども、只ではすみません。そういう策が多重に巡らされています」
灯の目は怪しい光を放つと同時に、その表情は心配そうだった。
雫はゆっくりと息を吐き出すと、静かに頷いた。
「なるほど。理解に微妙な違いはあれど、事は収まった、と解釈して良さそうだ」
灯は少しだけ、すまなそうな雰囲気を持ちながら微笑んだ。
「はい、雫さん」
竜の鳴き声が響く。
「雫さん、六の中には玄雨灯が居ます。あたしは六が、彼女がいる事が大切です。そして、それにも増して、光やアオイちゃんやアカネちゃんが危ない目にあうのは、嫌いです」
だから、禁忌として頂き有難うございます。
そういう思いを乗せて、灯は頭を下げた。
「判った」
その声を聞いて、灯は顔を上げた。
「ひとつ頼みがある」
灯は雫の顔を見つめた。
「天の竜を見て見たい」
「承知致しました」
途端。
雫の視界が変わる。足下に巨大な漆黒の円盤、天の竜。そして、正面やや上空に竜の星。
「なるほど。絶景だ」
雫は灯に視線を移す。
「今の技」
「位置を変えました。六が、いえ、六の中に居る玄雨灯が、スーツの機能を拡張して、六のワープシステムを移植したんです」
とすると。
灯は雫の表情に浮かんだ何かを感じとる。
「雫さん、その考えは危険です。六が言った通り、有機生命体は天の竜を通過できません」
「語るに落ちているぞ、灯。通過できないなら、策を巡らす必要も有るまい」
あ
灯がらしくなく、口に手を当てた。
「六が天の竜のシステムは『空の穴』と同じという事を言って、気になっていたのだが、今分かった。生命体があれを通過する方法」
ふう、と息を吐き出す灯。
「まったく、お母様には叶いません。もう、こればっかりは玄雨灯もそう思うでしょう」
「我が子の事を思わぬ親などいない」
雫は再び竜の星と天の竜に視線を向ける。
「この事はアリスにも秘密だな。知れば必ずここに来たくなる」
「それは必ず」
「だが、それは障る。アリスは大事だ」
「承知しております」
二人は微笑んだ。
「灯」
「はい、雫さん」
「お前が帰ってきてくれて、私は嬉しい」
「…」
「天の竜を渡る業、誰にも伝えぬ。禁忌とする。良いな」
「はい、雫さん」
その声は少しばかり震えていた。
「さて、帰ろう。玄雨神社へ」
荘厳に煌めく星々を背景に浮かぶ竜の星、そして切り取られたように星々が消えている円盤状の漆黒の空間、それを見やりながら雫がそう言うと、二人の姿はかき消えた。
■エピローグ
「灯、六を連れてきてくれまいか」
雫と灯が玄雨神社の雫の自室へと戻った後、雫は灯に告げた。
「はい」
灯はそう返事をすると、少し考えるように動きを止めた。
途端。
雫の部屋に六が現れた。
「ご用でしょうか」
正座している二人と同様に、正座している六が現れた。
障子から薄く照らされる月明かり。部屋は仄暗い。
「六。其方は其方の中に居る玄雨灯を、どう思う」
六は自分の胸の内が疼くのを感じた。
「どう、とは」
「己が内に、異なるものが居る事、それをどう思い、どう感じるか、という問い」
疼きは鎮まって行く。
「私とこの世界を結びつけるもの、と感じます。この気脈の流れ、それ自体は私のものでは御座いません。ですが、これがあるからこそ、私はこの世界と結びついている、と感じます」
六は両手を目の高さに上げて、その手の甲、手のひらを見つめた。その気脈の流れを。
「そして、その気脈の流れに、思惟がある事は感じています。私は電磁波の思考体。この体はそれを保持する為の外殻。その中に、気脈の流れに沿って別の思考体がいても、格段おかしいとは思いません」
六は両手を正座した大腿に戻した。
「もう一つの思考体が、時折私の機能の一部を使っている事も承知しています。私の存在を脅かさない限り、それは許容されます。もちろん、私は貴方達の存在も同様に思う故、この原則は、貴方達の存在も脅かさない限り、という事となります」
なるほど。
「六、六が確固たる自我を保持している事が判った」
六が目を細める。
「私はプロセスとして形成されて以来、『私』という概念を揺らがせた事は御座いません」
雫は少し笑う。
「玄雨灯をその内に置いて、自我に揺るぎが無い、という事を称賛したまで」
細くなった六の目が元に戻る。
「左様で」
雫は、すう、と息を吸うと、大事な事を言うように、ゆっくりと言った。
「六、玄雨灯と話しは、できるか?」
二人の話を黙って聞いていた灯。その両手が硬く握られる。
「ご要望、理解致しました。音声、および、外部インターフェースを気脈の思考体に委譲します」
六の首がかくり、と落ちる。
そしてゆっくりと持ち上がって行く。
「ご用でしょうか。玄雨雫」
雫はふうと息を吐き出すと、扇をとり出し、六の頭を軽く叩いた。
「玄雨灯、私の事は雫さんと呼べと、六にも行った筈だ。おそらくアリスの事はアリスと呼ぶだろう。不愉快だ」
くすり、と六は笑った。
「でも、雫さんも私の事を玄雨灯、と呼ぶではありませんか」
「此れはしたり。だが、灯が二人居ては、呼びようを変えねば話しが煩わしい」
灯はすっと立ち上がると、雫に言った。
「では、私は自室に戻ります。その方が、もう一人の私と、話しがしやすいでしょう」
灯は六を温かいまなざしで見つめると、部屋を出て言った。
障子の閉まる音が消えてから、雫は六の方を向くと言った。
「灯。やっと帰ってきたのだね」
六は、口元に手をやっていた。
「私はお前と過ごした時間の事を忘れた事は無い。お前が玄雨灯の名を求め、お前自身を連れて行って、居なくなった間」
ここで雫は言葉を区切る。
すっと、雫は障子越しにある月を見やる。
「私はお前が居なくてとても寂しかった」
六の目から、およそあり得ない事ではあるが、涙がこぼれ落ちた。
「お母様」
口元から手を床に移すと、六は頭を下げた。
「親不孝、お許しください」
雫は視線を障子から六に移した。
「頭を上げなさい。灯。私はお前が戻ってきて、とても嬉しい」
雫はやさしく微笑むと、六の手に己が手を添えた。
そして再び障子に視線を移すと、やさしく声をかけた。
「そこに隠れているもう一人の灯。再び言う、お前が戻ってきてくれて嬉しい」
自室に戻ると出て行った灯は、廊下の隅で立ち止まっていたのだった。雫の声を聞くと、胸に置いていた手に涙が落ちた。
雫は六に視線を戻すと、置いた手を己が大腿部に戻した。
六は頭を上げた。
「灯、積もる話も有るだろう」
雫は六の、六は雫の目を見つめた。
「はい。話し始めればとても永い話しになります。多重に時を渡り、様々な事を成した話しですから」
雫は頷いた。
「今日はいろんな事が起きた。また時を改めて、話しを聞かせてもらおうと思う」
「はい、雫さん」
雫は緩やかに動くと、六を抱きしめた。
「今一度言う、お帰り灯。お前が戻ってきてくれて私は嬉しい」
「はい、私も」
六も雫を抱きしめた。
雨の日の夜、灯が現れてからの出来事が、雫の脳裏に思い返された。
雫が抱擁を解く。
六は雫の瞳を見つめると、やさしく微笑んだ。
「それでは、六に体を返します」
雫が頷くと、六の首が再び、こくり、と落ちた。そして同じようにゆっくりと上がって行く。
「私の中の思考体からインターフェースが返還されました。お話は終わったのでしょうか」
「一度は。だが、また、話しをさせて欲しい時が来るだろう。その時は」
「はい、承知致しました」
その声が聞こえた時には、六の姿は消えていた。
しばしの静寂の間、雫は六の消えた跡を見つめた。そして雫は障子越しに月を見やると、そっと呟いた。
「灯の永い策は、これでひとまず終わったのだろう」
了
「竜使いの巫女」は、2016年12月から書き始め翌2017年3月に仕上がりました。
とあるVRゲームの企画書が起点となって書き始めた物語です。
ゲームのタイトル、内容は伏せますが、「竜使いの巫女」に出てくる「竜の星」がプレイフィールドです。
竜の設定、竜がオーロラを作る、天の竜、などなどは、その企画書を書く段階で「読んだ」ことです。
その企画書を書く段階で、さてどうしたものかとツマっていたら、ゲームをプレイするのを、一人称の小説風に書き始めると、すらすらと筆が進むのです。そして竜の星を舞台にしたゲームの企画書が出来上がりました。
書いている最中、あれ?この感覚は、以前にも。
そう。「安寧の巫女」を書いた時の感覚にそっくりだったのです。
そこで、もしや、と思い、この物語を書き始めると、出てくる出てくる物語。
アカネやアオイのキャラクターは、「安寧の巫女」を書いた後、記載していました。
おそらく、物語が何かの結晶とすれば、その結晶ができる前の飽和溶液のような状態にあった所に、竜の星が降りてきて、結晶の核となり、物語が結晶化した、という事かもしれません。
「竜使いの巫女」が「竜使いの巫女」「番外編」「続・竜使いの巫女」の3つに分かれているのは、初めの「竜使いの巫女」で物語は終わる筈だったのですが、なんとなく、軽い気持ちで「番外編」を書き、そして、どうも物語が終わっていない気がして、続きを書き出したら出来上がったのが「続・竜使いの巫女」です。
後から考えてみれば、竜に呪いを付けたのは誰で何の為なのかなど、「竜の星」の設定全部が描ききれていなかったからかも知れません。
それと、「安寧の巫女」は、雫とアリスの哀しみを無くすお話とも言えましたが、二十三人の灯という悲しい存在を生み出してしまいます。
もしかすると、彼女たちの悲しみを癒すための物語が「竜使いの巫女」だったのかも知れません。




