竜使いの巫女 後編 竜の星へ
■出発
舞い舞台前の境内にアカネがアオイと手を繋いで現れた。
「頑張ってきてね」
アオイはアカネを抱きしめると、頭を撫でた。
アカネもアオイを抱きしめると、「はいお母さん」と言った。
先に部屋から境内に着いていた光はその光景を見ると、胸の奥がちくんと傷むのを感じたが、その痛みは以前より少なかった。
おそらくスーツによる気脈のサポートの為だろう。
アリスは良くやってくれている。
雫はそう思った。
満月の月明かりに照らされる境内の中、光とアカネの姿は薄い光を放っている。
「さて、機は満ち、時も満ちた。アカネ」
そう言うと雫は閉じた舞扇でアカネを指し示した。
「成したい事を、成してくるが良い」
アカネはしっかりと首肯すると、「はい、雫さん。必ず!」と決意の滲み出る声で言った。
雫は光の方を向くと「アカネを頼んだぞ」と光に優しく声をかけた。
光もしっかりと首肯する。
「では、行くが良い」
雫は舞扇を開くと、頭上にかざした。
「アカネちゃん」
「光お姉ちゃん」
光が指し出した右手をアカネが右手で掴む。
「雫さん、行ってきます!」
声を揃えて二人が言うと、その姿はかき消えた。
雫は空高く輝く満月を見上げた。
頑張れ、光。
その雫の手を、アオイが握った。
雫もそっと握り返す。
「大丈夫だ。成さねばならぬ準備は、すべて抜かりなく成してきた」
『そうよアオイ。ママを信じなさい!』
アリスのリンクの声にアオイは頷く。その面を月の光が優しく照らした。
■竜の星
二人は時の狭間にいた。
『アカネちゃん、「糸」を』
『はい!』
アカネは『無しの扇』を形作ると、それに「糸」を結ぶ。
自分の体さえ見えない漆黒の闇の中、「無しの扇」と「糸」の気脈の光のみが弱い光を放っている。
アカネは目を閉じると、竜の星の事を思い浮かべた。
「無しの扇」が消え糸が伸びている。
『アカネちゃん、糸を手繰ってその星を引き寄せるのよ、あたしと一緒に!』
二人は漆黒の中、弱い光を放つ糸を光は左手で、アカネは右手で掴んだ。
『いち、にの、さん!』
掛け声と共に二人は糸を引く。
光とアカネは自分たちの体が、何かの中に入って行くのを感じた。
途端。
空気を切る音が聞こえてきた。
アカネは目を開ける。
「きゃあぁ!」
アカネは自分が落下しており、目の間に水面がどんどん大きくなるのを見た。
「大丈夫」
光の声が聞こえたかと思うと、落下が止まるのを感じた。
風切り音も聞こえなくなる。
アカネはいつの間にか自分が「飛翔の術」を行っているのに気がついた。
あまり考えなくても出来てる。
「アリスさんのお陰だね」
うんと頷くアカネ。
「さ、時を移ったから急がないと。その黒い竜が」
もう一度決意を込めて頷くと、アカネは成すべき事を言葉にする。
「小さい竜を助ける」
アカネは四方を見回す。
空の星を見る。
「たぶん、こっちの方だと思うんだけど…」
一度見ただけの夢の記憶。自信が持てない。
それに間違うと間に合わない。
焦りがアカネの決断を鈍らせる。
『大丈夫。ナビゲーションは任せて』
突然、二人の頭の中で声がした。
光とアカネは顔を見合わせる。互いに驚いている相手の顔を見る。
『アカネちゃんの夢の記憶を解析して、その小さい竜の場所の特定は終了済み。あとは実際の竜の星との照合。もう終わって、夢の中のと一致したのを確認したから。現在位置も分かってる』
アリスさんの声だ〜〜!!
アリスママの声が頭の中でする〜〜!!
『何驚いてるの、メタアリスよ』
二人のスーツに内蔵されたAIが聴覚系に直接話しかけていたのだ。
喋り方がアリスさんそっくり。
アリスママ、何もここまでおんなじにしなくても。
『「二人とも、アリスと一緒と思ったら心強いでしょ、さあ冒険よ!」というのがご伝言。あたしもそういう気分』
その声が終わると同時に、二人の目の前に半透明の大きな矢印が現れた。
『こっちの方向よ。さあ出発!』
なんだかアリスさんを乗せてる二頭立ての馬になった気分を少し味わった後、光は言った。
「行こう、アカネちゃん!」「はい!光お姉ちゃん!」
二人は矢印の方向に飛んだ。
■メタアリスと作戦会議
『到着まで5分と言う所。それまでに改めて自己紹介よ。あたしの名前はメタアリス。その後にいろいろと長ったらしいバージョン番号ととかいろいろくっつくけど、それは省略。あたしは二人のスーツの両方に存在してて、常に同期してる。だから万が一、二人が離れ離れになっても二人は会話できるし、合流をあたしが指示できる』
ホントにアリスさんが居るみたい。
『さて、小さい竜の所に着いたら、どうするか考えてる?』
言われて気がついた。二人ともそれからどうするか考えていなかった事を。
『やっぱりね〜。プランA。黒い竜が来る前に、小さい竜をどこかに動かす。これの欠点は、ずっと小さい竜を守り続けなくっちゃいけないってコト。プランB。黒い竜の「鬼」を祓う。まあ、二人でも黒い竜が現れたらこのプランを行うと思うけど、あたしのお勧めはそのハイブリッド。黒い竜の進路から小さい竜を少し遠くに移動させて、黒い竜を迎撃するというの』
光もアカネもそのプランの意味が判った。
「黒い竜の『鬼』を封じる間、小さい竜を巻き込まないため」「うん」
『はい、二人とも正解♪さてどうやって鬼退治するかの分担なんだけど、光ちゃんが鬼を祓う係、アカネちゃんは黒い竜の動きを止める係』
二人はメタアリスの言葉に頷く。
『光ちゃんは何をするか分かってると思うけど、アカネちゃんがどうするかは、実は未知数なの。夢で見た情報だけだと、黒い竜の攻略法がいまいち判らないのよ』
え、アリスさんらしくないまさかのノープラン!
心配になってアカネを見る光。
だがアカネの決意はみじんも揺らいでいない。その事がその表情から読み取れた。
「マリスママが一緒にいて考えてくれるんだもの、大丈夫!」
強い口調でそう言った。
『さすがあたしの娘! 黒い竜の対応方法はいくつか用意したけれど、どれが最適かは見てみないと判らないのよ』
あたしの娘って、このメタアリス、ホントにアリスさんみたい。
でもそれが、アカネにとってこの上なく安心を与える事を光は感じた。
さすがアリスさんね。
はっとある事に光は気がついた。
ここまでアリスさんに似てるって事は、弄る性格も継承されてるんじゃ…。
まるでその考えを読んだかのようにメタアリスの声が頭の中に響いた。
『弄らないわよ。そんな余裕無いもの。最短時間で任務達成して、さっさと二人を地球に返す。それがあたしの使命』
意外な言葉に光はちょっと驚いた。
『あたしが実はいっぱいいっぱいだってコト、アカネにはナイショよ』
AIなのにいっぱいいっぱいって。
『まあ、それでも余裕で任務達成する自信に満ちあふれてるけどね〜』
二人の目の前の矢印が下の方向を示すようになってきた。
そしてオーロラが頭上に来るようになって行く。
『そろそろ着くわよ!』
■小さい竜
頭上のオーロラから下がる一筋の光を追って下を見ると、二人の視界に竜の姿が見えた。
「あの竜!」
二人は高度を下げる。
下げて行くと、まるい塊が見えてきた。
さらに高度を下げると、それが首を胴につけてじっとしている竜だと判った。
ほんとうに竜だ。
アカネの話を疑った事は一度もない。だが、聞くと見るとは大違い、という感慨を持たざる得ない光だった。
『困ったわね。ちょっと予想より大きいわ』
え?
二人は顔を見合わせる。メタアリスの声を聞いている内に、なんとなく二人の間にメタアリスが居るような感覚になっていたためだ。
『夢の解析だと、もう少し小さい竜だと考えていたんだけど。これだと、アカネの風で動かすのは微妙かも』
風の巫術で竜を動かす作戦だったようだ。
『あのオーロラと竜はどうも関連がありそうだけど、それが何なのか未解決。だから、竜をいきなり動かすと困った事態、例えばアカネちゃんが見たオーロラの爆発とかが生じちゃうかも、とかいろいろ。だからそっと動かすつもりだったんだけど』
少しの間、メタアリスは黙る。
『作戦修正。アカネちゃんは作戦通り小さい竜を動かす。そっとね。で、光ちゃんはあのオーロラを小さい竜との相対位置関係を変えないように動かして』
なるほど、と光は思った。
物体の移動よりも事象の移動させる巫術の方が難しい。
しかも、小さい竜の動きに会わせる必要がある。
難しい方を光の担当としたわけだ、と。
「判りましたメタアリスさん」
「判ったわ。メタアリスママ」
メタアリスのあまりのアリスっぽさは、二人のメタアリスの呼び方にも影響したようだ。
『判ったらさっさとやりましょう。大きな物体の接近を感じるわ。今このあたり』
二人の目の前に下向きの矢印が現れると、すーと前方に動いて行く。そして止まると、ぽよんぽよんと伸びたり縮んだりしはじめた。
うあ〜、緊迫感台無し。
ってそんな感想考える場合じゃなかったわ。
「アカネちゃん」
光はアカネの左手を取る。アカネも握り返す。
「アカネちゃんのタイミングで竜を動かして。それに合わせてオーロラを動かす」
「はい!光お姉ちゃん!」
アカネは舞扇を持つと、緩やかにそれを振った。
周囲の霊脈が集まり、青白い光から薄緑色に変わる。風だ。
それが小さい竜に当たると、竜がゆっくりと動き始めた。
その動きに合わせて上空のオーロラも移動し始めた。
光はアカネの気脈を読み、タイミングを整え、そして慎重にオーロラを動かす。
あれ?
妙な感触を光は抱いた。
ちょうど押そうとしていた手押し車が実は自動車で勝手に前に進んで行くような感じ。
まさか。
光はオーロラを動かすのを少し止める。
だがオーロラは動き続ける。
間違いない。
「メタアリスさん、あのオーロラ、自分で動いています。竜に連れて」
『なるほど!ありがと光ちゃん、これで竜とオーロラの関係が判ったわ」
そう言った時、ふわっとオーロラが消えた。
小さい竜が動き出そうとしていた。
「夢と違う。動かしたから、夢と変わったんだ」
アカネは呟いた。
光は黒い竜の居場所を示す矢印を見た。
進路を変えて別の方向に向かっていた。
『ひとまずこの小さい竜は大丈夫みたいだけど、きっと他の竜が殺されちゃうわね。このままじゃ』
「黒い竜の所へ行きましょう!メタアリスさん」
「うん。他の竜が殺されるのもイヤ!メタアリスママ!」
ぱしゃり。浮遊する二人の下で水音がした。
二人が視線をそこに向けると、小さい竜が泳いで別の場所に移動していた。
「あ!」
その光景にアカネは驚いた。
小さい竜は再びその長い首を胴につけて動かなくなると、その背から光の筋が立ち上った。
その筋を追って視線を上空に向けると。
天空にオーロラが広がろうとしていた。
「こういう事だったんですね。メタアリスさん」
「きれい」
アカネは広がって行くオーロラの美しさに心を奪われていた。
『光ちゃんの考える通り。詳しい事は判らないけど、竜がああやっている時、背から光を飛ばす。その結果、上空にオーロラが発生する。多分、あの光は何かの素粒子ね。それが大気と接触してオーロラになる。原理的には地球のと同じ』
そうメタアリスは言うと少し黙った。
『ちょっと違う気がするけど、それは地球に帰ってから考えれば良いわ。それより矢印を見て!』
黒い竜の居場所を示す矢印がこちらに向かってくる。
『やっぱりオーロラを目印に竜を探していたのよ。オーロラが消えたから別の所に向かったけど』
「このオーロラに気がついてこっちに進路を変えた」
『光ちゃん、アカネちゃん、小さい竜の安全距離は充分。さあ鬼退治の開始よ!』
■黒い竜
小さい竜を背後に残し、光とアカネは矢印の方向に飛ぶ。
矢印が大きくなるに連れて、黒い塊が見えてきた。
アカネちゃんが黒い竜って言った意味が分かったわ。
竜の姿を視た光は思った。
『なるほどね。今あたしもあなた達の視覚系から情報を貰ってるから気脈が見える。あの竜、黒く見えるのは黒い気脈を体から垂れ流してるからなのね。可視光線だと小さい竜と同じ薄い青い色。少し色が濃いかな』
黒い気脈。
それが意味する事を、光は気付く。
「大変な事になってるみたいです。今は『東雲の眼』を使ってないのに、気脈が黒く見える。それ程のものって」
『東雲の鬼の集積ね』
アカネも話で何度も聞いている。東雲の鬼喰いが数百年に渡ったため込んできた鬼の集積の事。それが溢れた時、その気脈は黒い塊として巫術師にも視えた、という事を。
『まあ、空の圧縮くんはご神体と同じ容量があるし、予備の予備もあるから、支障はない筈。でも要注意なのは変わらないわね』
光とアカネ、それにAIであるメタアリスも黒い竜の異様に緊張した。
すう、と息を吸うと光は言った。
「成すべき事を成すだけ。メタアリスさんの作戦通り、あたしは鬼を祓う」
こくんとアカネが頷く。
「あたしは黒い竜の動きを止める」
二人は、二人の間の空間がまるでくすりと笑ったような感じがした。
『じゃ、作戦第二段階、開始と行きましょう!』
メタアリスの掛け声で、光とアカネは黒い竜に近づくと、アカネは風の技で黒い竜の動きを停めようと、舞を舞う。
薄緑色の霊脈が黒い竜を覆い、黒い竜の動きが次第にゆっくりになって行く。
光は、「東雲の眼」で黒い竜を視た。
どくん。
光は何か妙な感触を覚えた。
視えていたのは、アカネが話した通り、黒い竜に鬼が憑いている光景。
だが、何か違和感がある。
鬼が憑いている、というより、黒い竜から鬼が湧いているような。
光はそういう感触を抱いた。
「アカネちゃん、なんか様子が変。鬼が憑いてるというのと何か違う!」
え?
光の言葉に、一瞬、アカネの操る風の力が弱まる。
アカネの眼には、黒い竜の目が一瞬、赤く光ったように視えた。
黒い竜が反動をつけて首を振ると、包んでいた風が吹き飛ばされた。
その一部が光とアカネを襲う。
「きゃあ!」
アカネは悲鳴を上げると、吹き飛ばされまいと、風の舞を舞い飛ばされる勢いを打ち消す。
光は飛んでくる風自体を風で押し飛ばした。
「大丈夫アカネちゃん。今の!」
光がアカネに叫ぶ。
「視た。あれってまるで」
『巫術ね。竜が巫術を使ったように視えたわ』
「アカネちゃん、もう一度動きを停めて。その間に」
そう言うと光は眼に力を込めた。
「巫術の『東雲の眼』、じゃなくて、本当の東雲の眼で、あの竜を見てみる!」
光が時の女神となる以前の人としての名は、東雲光。東雲の鬼喰いの家系。そして光はその直系。東雲の眼を持っている。
アカネは風の技を放つ。黒い竜の動きは再びゆっくりと、そして止まった。
光は一度眼を閉じると、開く。そしてその視線で黒い竜を射るように見る。
見えたのは。
見えたものを理解できるまで、暫くかかった。
混乱が光を支配していた。
あれは何。あれじゃまるで。
光の両目を涙が流れ落ちた。
『光ちゃん、しっかり。あなたの視覚系からの情報を整理したわ。あなたの考えは合ってる。信じがたい結論だけど』
光はメタアリスの言葉を遠くで聞いている気がした。
『黒い竜には鬼は憑いていない。黒い気脈はあの竜自身が生み出している』
「どういう事!?」
風の舞いを舞い、黒い竜の動きを封じながら、アカネが質問の言葉を放つ。
光はその質問に声を震わせて答えた。
「あの竜、泣いているの」
光は下唇を噛みしめている。
泣いている。泣いている。泣いている。心の底から、自分の気脈を後悔に、慚愧に染めて、それでも何かに突き動かされて、泣いている。
そして泣きながら謝っていると、光は感じた。
「なんで!他の竜を殺してたのに!おかしいよ、そんなの!」
アカネは風の舞いに力が篭った。竜の星に来てからずっと赤かったアカネの髪が燃えるように紅く輝いた。
黒い竜が風に締めつけられる。
クジラが鳴いたような声が響いた。
黒い竜の声だった。
光の頭の中で、何かが弾けた。
「やめて、あの竜を殺さないで!」
光の絶叫に、アカネの風の舞いに篭った力は抜けた。アカネの髪の輝きは消えた。
舞いながら、アカネは光を見た。光が両手で顔を覆って泣いているのが見えた。
「光お姉ちゃん…」
黒い竜がまた悲しい鳴き声を上げた。その音が二人の耳の中に響いた。
『光ちゃん、しっかりしなさい!あなたには成すべき事があるはず。鬼でなくても、黒い気脈が湧く限り、黒い竜は他の竜を殺す、と考えられるわ』
メタアリスの叱責が光を打った。
びくん、と光は両手を顔から離した。
黒い竜を見る。
なんで、泣いてるの。何が悲しいの。なんで他の竜を殺すの?
光は自分の心の中の嵐が静まって行くのを感じた。心の中に光が射すのを感じた。
やるべき事が判った。
だが、僅か逡巡する。それをメタアリスは読み取った。
『光ちゃん、それは少し危険、という可能性はあるけれど、あたしは時の女神の力を信じて、行うべき、と助言するわ』
メタアリスは光を力づけた。
ほんとにアリスさんみたい。
光はふっと細くそして強く息を吐き出すと、きっと顔を上げた。
「アカネちゃん、暫くそのまま、黒い竜を抑えてて」
え?
アカネが状況の変化に戸惑っていると、忽然と光の姿が消えた。
『大丈夫。光ちゃんの帰りを待ちましょう。多分そんなに待たないはず。その間、黒い竜を抑える事に集中して。スーツのアシストでかなりの強さで抑えてるけど、力を抜くとまたさっきみたいになるわ。でもやり過ぎないでね』
判ってる。
光お姉ちゃん泣いてたもの。戻るまで抑え続ける。
■遠い時の線の、竜の星の時の狭間から
光は時の狭間にいた。
竜の星の過去へと向かっていた。
黒い竜が黒い気脈を生み出し始めたその「時」を探すために。
時の狭間から時の女神はその世界を見る事ができる。そしてその時が、将来どうなるかも知る事ができる。
初代時の女神はそのもてる力を駆使して、東雲の鬼の集積が漏れ出す事態を回避させた。
黒い竜が他の竜を殺しているのを見た。
黒い竜が黒く染まるのを見た。そして竜を殺し始めた。
その竜が背から光を放ち、オーロラを作っているのを見た。
光にはなぜかこの時だと、判った。
大きな少し青い竜が、首を体につけて動かない。
背からは光が立ち上り、天空に大きなオーロラを形作っていた。
綺麗。
光はそう思った。
そう覆った時。
青い竜はびくんと体を震わせた。途端、背中の光は消え、天空のオーロラも溶けるように消えて行った。
青い竜は暫くそのままだったが、やがて首をあげると、悲しそうな鳴き声を響かせた。
何度も何度も。
光は胸が締めつけられるのを感じた。気付くと俯き右手で胸を抑えていた。
顔を上げると、光の唇は薄く一文字に引かれていた。
光は姿を消す。
■青い竜
アカネの隣に、消えた時と同じくらい忽然と光が姿を表した。
黙ってじっと黒い竜を見つめていた。肩に力が入っていた。
すう、と光が息を吐き出すと、肩が少し下がった。
視線をアカネに向ける。アカネも気付き、光を見る。
「アカネちゃん、もう良いよ。風を解いてあげて」
アカネは良く判らない。
何がもう良いの?
判らないが、光の様子から、そうするのが良いと感じた。風の舞いを舞うのを止める。
黒い竜を覆っている薄緑の気脈が解きほぐれるように、黒い竜から離れて消えて行く。
黒い竜は一声、悲しそうな鳴き声を放つと、崩れるように首を水面に横たえた。
「来て」
光はそう言うと、黒い竜の顔の側の水面の上に立った。
アカネも遅れて光のそばに立つ。
光は黒い竜の頭に触ると、黒い気脈を祓い始めた。光が触れた所から、黒い気脈が消えて行く。
「アカネちゃんもお願い」
アカネはこくんと頷くと、同じように黒い竜の頭に手を置く。
黒い竜から黒い気脈が消えて行く。
消えて行く黒い気脈は、青白い光となって散って行った。
あれ?
アカネは自分が泣いている事に気がついた。
なんで?
じっと、黒い竜、いや、黒い気脈は取り祓われ、元の青い竜になっているその竜の顔を見つめた。
突然、助けたいと思った小さい竜の顔が浮かぶ。
まさか。
青い竜は、一声、静かな鳴き声を上げると、息絶えた。
アカネは光が空を見つめているのに気がついた。
まるで、こぼれ落ちそうな涙を落すまいと、上を向いているようにも見えた。
アカネも空を見る。そらのあちこちにオーロラがある。
一生、忘れられないような景色だった。
『さて、作戦完了。戻りましょう』
とメタアリスが言った時。
息絶えた青い竜の体から、普通の気脈よりやや青い気脈が薄く立ち上った。
その一部は光に向かう。光の周りを回ったと思うと、アカネの周りを巡った。
「アカネちゃんについて行きたいみたいね」
光の言葉にアカネは少し戸惑った。だが、青い気脈から嫌な感じは受けなかった。
もしかして。
アカネがそう思った時、メタアリスが提案した。
『その青い気脈、空の圧縮くんに入れれば、元の時の線まで運べる筈よ』
うん、そうだ。連れて行ってあげよう。
アカネはそう思った。
懐から予備の圧縮くんを左手で取り出すと、素早く舞いを舞う。
青い気脈は圧縮くんの中に吸い込まれた。
圧縮くんを懐に仕舞うと、アカネは言った。
「帰りましょう。玄雨神社に」
そう言ったアカネの顔は、ちょっとだけ嬉しそうだった。
■帰還
玄雨神社舞い舞台前の境内に、光とアカネが現れた。ふわりと境内に降り立つ。
「ただいま雫さん、アオイちゃん」
光のその声音に、雫は何かを感じ取った。
「ただいま雫さん、お母さん!」
アカネは左手を懐に置き、大事そうに抑えている。
「お帰り、アカネ!光ちゃん!」
アオイが声をかけた。
「お帰り」
月が境内を照らしている。ほぼ南中のままだ。
光とアカネが竜の星へ旅立って、ほんの数分しか経っていなかった。
雫は光とアカネの気脈を読むと言った。
「二人とも大分疲れている。早く寝た方が良いが、その前に」
アリスのリンクの声が、女神とアリスリンクの両方に響いた。
『疲れている所ほんっとに悪いけど、いったんこっちに来てくれる。お願い』
二人が雫を見ると、雫は首肯した。
光とアカネは「空の穴」を成すと消えた。
「お帰り〜!アカネ〜〜!」
光とアカネがアリスの執務室に現れると、アリスは間髪入れずアカネに抱きついた。
頬をすり付ける。
「もう、止めてアリスママ」
と言うもののアカネはそれ程嫌そうじゃなかった。
「お帰り〜!光ちゃ〜ん!」
アリスはぱっとアカネから離れると、今度は光に抱きついた。
同じように頬をすり付けてするすりする。
すりすりしながら小声で言った。
「大丈夫?雫が心配してたわ」
「大丈夫です。アリスさん」
光がそっと呟いた。
アリスさんも知ってるんだ。あたしが悲しんでる事。
「アリスママ! 光お姉ちゃん疲れてるんだから、あんまりゴリゴリくっついちゃダメ!」
腰に手を当てキッとアカネはアリスを睨んでいる。
「ごめんごめん。あはははは」
アリスは光からこれままたぱっと離れると、ごまかし笑い。
「ほんと。お疲れさま」
そう言うと真顔になる。
「光ちゃん、アカネ、作戦は?」
そう聞かれて、一瞬間が空く。
だけど、小さい竜は助けられた。
うん。
「作戦成功!アリスママありがとう!メタアリスママがすっごく助けてくれたよ!」
え、メタアリスママ、って。
「ほんとに、メタアリスさん、アリスさんそっくりで頼りになりました!」
メタアリスさん?
「おほほほほほ。そうでしょうとも、あたしの思考パターンと解析力を元に設計したAIですもの。当然よ」
でも何か釈然としないわね。なんでだろ。
とアリスが考えていると、竜の星担当のナーグ氏からサーバントリンクで報告が入った。
『アリス様。メタアリスの記憶の保存終了しました。現在解析に入っています』
『了解。解析終わったら、あたしに見せてね〜』
『はい、承知しております』
アリスはふっと力を抜くと、光とアカネを優しく見つめた。
「本当にお疲れさま。アカネ、願いを成したわね。二人とも戻ったら今日はゆっくり休んでね」
そこでアリスはニヤッと笑う。
「あたしは今晩、あなた達の冒険の仮想体験を楽しむから〜。じゃーねー」
と言うと、スキップしながら執務室を出て行った。
残された二人はぼつりと言う。
「アカネちゃん、こっちに呼ばれたのって」
「光お姉ちゃん、やっぱりメタアリスママのデータで仮想体験するため、だったみたい」
二人は、揃ってはあ、と息を吐き出した。
光とアカネは空の穴を成すと、玄雨神社に戻った。
だが、竜の星の冒険譚を仮想体験で楽しむ筈のアリスは、楽しむどころでは無くなっていた。
メタアリスの記憶を体験している途中で、奇妙な感覚に捉えられたのだ。
「どうも、これで終わり、ってワケにはいかないみたい、そういう予感がするわ」
アリスは自室のベッドに横たわったまま、ぽつりとそう呟いた。
■ひそひそ話
玄雨神社に戻った光とアカネはそれぞれの自室に戻ると、布団に入った。
「スーツは着用していた方が、回復が早い。着けたまま寝ると良い」
雫がそう言った事も有って、二人はスーツを着けたまま布団に入っている。
竜の星の冒険で、気になった事をアカネは呟いた。
「なんで光お姉ちゃん、あんなに悲しそうな顔をしたんだろう。それにあの青い竜…」
アカネは枕元に置いて有る青い竜から離れた青い気脈が封じられた圧縮くんを手に取った。
「なんでこの子、あたしに懐いてきたんだろ」
自問自答して、圧縮くんをそっと触っていると、声が聞こえた。
「アカネちゃん、聞こえる?」
え?
光お姉ちゃんの声!?
「どうもスーツ着てると、話した事が相手に伝わる仕様になってるみたい。その機能、今でも作動中みたいよ」
きゃ。さっきの独り言、光お姉ちゃんに聞かれちゃったって事!
途端にアカネの顔が真っ赤になる。布団を引き上げ顔の下半分を隠した。そうする内、アカネは落ち着いてきた。
でも。
光お姉ちゃんなら知ってる筈。聞きたい。
「あのね、光お姉ちゃん。あたし聞きたい事があるの」
「何。アカネちゃん?」
「あの青い竜…」
どう聞いたら良いか、アカネが考えあぐねていると、光の声が聞こえてきた。
「アカネちゃんに、黒い竜を抑えてもらってる間、あたしは時の女神の力を使って、どうして黒い竜が他の竜を殺すようになったのか、黒い気脈がどうして湧くようになったのか、その理由を探したの」
やっぱりそうだったんだね。
でも、なんであんなに悲しそうにしたの。光お姉ちゃん。
「あの竜たち、オーロラを作るでしょう。黒い竜になる前の青い竜、オーロラを作れなくなったの。そしてら黒い気脈が湧いて、黒い竜になったの。どういう理由かは判らないけど…」
光が少し黙った。アカネは黙って光が続きを喋るのを待った。
「あの竜をあたしの本当の東雲の眼で見たら、話した通り、鬼が憑いているんじゃなくて、黒い気脈が湧いてるのが判ったの」
その後、再び光は少しの間黙った。
「そしてね、とても悲しんでいるのが判ったの。悔しくて悲しくてでも自分でもどうして良いか判らなくて苦しんでるのが判ったの」
だから、涙を流したのね。光お姉ちゃん。
アカネは自分の目頭が熱くなっているのに気がついた。
「あのね。光お姉ちゃん。あたしも気がついた事があるの」
アカネが瞬きすると、涙が一粒こぼれ落ちた。
「あの青い竜と小さい竜、顔が良く似てたんだ。あ、竜の顔なんてほんとはあまり違いは分からない筈なんだけど、たぶん、夢の中で他の竜もいっぱい側に寄って見たからじゃないかな」
そこまで言って、アカネははっと思い出した。
あの時思った事を。
「もしかしたら、だけど、光お姉ちゃん、聞いてくれる?」
「何?アカネちゃん」
「あのね。あの青い竜と小さい竜、もしかしたら親子、なんじゃないのかな…」
「親子なんじゃないのかな」
そのアカネの声を聞いて、光は涙が溢れ出るのを抑えきれなくなった。
だから、だから、だから。
「どうしたの、光お姉ちゃん?」
光はまぶたを閉じて、涙を飲み込むとアカネに告げた。
「だから、あの黒い竜は苦しんでたんだわ。自分の子供を殺さなくちゃいけないから。殺したくないのに。でもそれを止められない」
その光の切ない声音を聞く内、アカネは気がついた。
「光お姉ちゃん。あたし誰に呼ばれたか判った」
アカネは手に持っている圧縮くんを握りしめると言った。
「きっと、子供を殺すのを止めて欲しくて、黒い竜が、ううん。青い竜があたしを呼んだんだよ」
だからあたしに懐いたのね。この子。
二人の会話を、女神が持つ聴覚で舞い舞台の雫は聞き取っていた。
月明かりが舞い舞台と境内を照らす。
満月を眺めつつ、手に持つ杯を口に運ぶ。
満月の光が映る酒を雫は呑み乾すと、舞い舞台を去り、自室に向かった。
月明かりだけが、舞い舞台に残った。
■アリスの推理
翌日、朝食が終わり、稽古が始まろうとした時、光とアカネがまだ身に付けていたスーツから、声が響いた。
「大事な話があるの。みんな集まってそのまま聞いてくれる?」
あれ?メタアリスさんかな、でもちょっと違う気も。
もしかして、今のアリスママ!
『何だアリス。薮から棒に』
「リンクを使ってないのは、スーツの機能が必要だから。光ちゃん、光ちゃんが見ているものを、雫とアオイちゃんに見せて。アカネには同じものがスーツ経由で見えるから」
良く判らないけれど、雫、光、アオイ、アカネの四人はいつもの舞い舞台下手袖に集まった。
光は自分の目に霊脈を吸い込むと、それを雫とアオイの目に結んだ。
光が見ているものを、雫とアオイに見せる為に。
「アリスさん、準備できました」
「オッケー。じゃ、始めるわ。今回の探偵役は、アリスという事になるわね」
いつものアリスなら、きっと鬼の首を取ったように得意満面という声音の筈だが。
と雫は不審に思った。
女神チームで謎を解く探偵役は、大抵雫だからだ。
いつも雫の推理を聞かされているアリスが、探偵役に預かったら、喜色満面となる事だろう。
その筈だった。
「昨日、光ちゃんとアカネが帰った後、解析が終わって、二人の竜の星の冒険をあたしも追体験したの」
アリスの音声はそこで一旦間を置いた。
「先に言っておくけど、光ちゃんもアカネも本当に良くやったわ。立派よ。アカネ、ママ嬉しいわ」
いつものように正座していたアカネはもぞもぞと足を動かした。
褒められて照れ臭いよ。アリスママ。
雫は考えに到る。
アリスが先に褒めるとなると、その先には…。
「じゃ、推理を披露するわ。まず、アカネを呼んだのは黒い竜。そして、黒い竜は元は青い竜で、アカネが助けたいと思った小さい竜のお母さん。青い竜は何故かオーロラが作れなくなって、黒い竜になった」
昨晩、二人が離しあった内容と一致する。
光とアカネは頷きあった。
アオイはそうなんだ!と名推理に感銘を受けた。
雫は、それはアリスもスーツ経由で聞いている筈、アリスの言いたい事はこの後だ、と思った。
「さて、ここで謎が残るわね。どうしてオーロラが作れなくなって、黒い竜になったのか。解析したわ。メタアリスの記録を解析して得られた回答はこうよ!」
光、アカネ、アオイはごくり、と唾を飲み込んだ。
雫は先ほどから感じる嫌な予感がますます大きくなって行くのを感じた。
「あの竜は、どうやら人工的に進化して出来た生き物みたいなの。う〜ん、人工的っていうのとは違うなぁ。大昔に種にある使命と機能を刻み込まされた、って感じかな」
光、アカネ、アオイ、はい?という顔をしている。
話が跳躍しすぎて着いて行けていない。
「アリス、話が飛躍しすぎて困っているぞ」
「あ、ゴメンゴメン。今映像出すわ」
光とアカネの目の前に、竜の姿とその隣にどうやって解析したのか遺伝子地図、さらに内部解剖図というかCTスキャン画像を3D化したようなものが現れた。それは光の目をとおして、雫、アオイにも見える。
「この竜は、何かというのは突き止められなかったんだけど、その何かを吸い込んで、背中から上空に放射。それがオーロラになるみたいなの。そういう機能を埋め込まれている痕跡を遺伝子地図に見つけたのよ」
竜が何かを吸い込んで、放射して、オーロラが出来るという簡単な図形が、遺伝子地図の上に表示され、それはココですよ、と言わんばかりの矢印がその場所を指し示していた。矢印は時折?マークへ変わるという事を繰り返していた。
「自然に進化したにしては、ちょっと奇妙な機能なのよね。それとね、この竜達、どうも電磁波を操れるみたいなの。アカネの風の巫術を吹き飛ばしたでしょ。あの時、高圧力の電磁波が発生していたの。多分それが素粒子レベルに作用して、巫術にも影響を与えたのね」
光とアオイの目の前に、ちょうど風の巫術が吹き飛ばされる所が再生されていた。そして、その隣に電磁波放射を可視化した画像が同じタイミングで再生されていた。
「地球の生物でこんな事出来るのは、巫術師以外に居ないわよ。それも専用の器官を持ってるなんてのは、誰もいない」
竜の頭部の3D解剖画像が浮かび、そこにその器官が黄色く色付けされて表示されていた。
「で、これからが本題なのだな、アリス」
光、アカネ、アオイ、は雫の言葉に再びはい?という顔をした。
皆、竜の解析結果で相当に驚いていたのに、この後が本題だって、という心持ちだった。
「流石雫、好きよぉ♡」
普段なら、「先を続けろアリス」とさらっと流す所を雫は黙ってアリスが続きを話すのを待った。
「まず、結論から言うわ。光ちゃん、アカネちゃん、あの小さい竜、いいえ、あのお青い竜の子供たちを救う為、もう一度、竜の星に行く必要が有る」
舞い舞台の全員が緊張した面持ちになった。
■呪い
「もう一度話を整理するわね。どうやらあの竜は何かの目的の為にオーロラを作る能力を持たされている。その為に、電磁波を操る能力がある。ここで黒い竜を思い出して」
光とアカネの目の前に、あの黒い竜の姿が現れた。その隣に可視光線だけで捉えられた黒い竜、つまり青い竜の姿が映し出された。
「光ちゃんが竜の星の過去に戻って、青い竜が黒い竜になる直前、オーロラを作れなくなったのを目撃してる」
このアリスの言葉に雫が口を挟む。
「遠い別の時の線でも、時の女神の力は正しく作用した。無事帰ってきてくれて安堵している」
光は少し済まなそうな顔をした。
「出来る、と思ったのですけど、不安もありました」
そこにアリスの声が続く。
「でも、現場で状況検証していたメタアリスの解析では、成功率は90%以上。まあ、ほとんど光ちゃんの気の持ちようが重要だったから、メタアリスは後押しした訳だけど。その体験の箇所であたしもハラハラしたわ」
昨晩アリスさんの竜の星冒険体験、スリル満点だったんだ。
光は女神二人に心配をかけた事を申し訳なく思った。
「でも、無事帰ってきたし、第1目標は達成したんだから、超がつくくらいの上出来よ!」
「その通りだ」
雫はそう言うと、「アリス」と先を続けるように促した。
「じゃ、話を続けるわね。オーロラを作れなくなった青い竜は黒い竜になると、自分の子供を殺し始めた。何の為に?青い竜は子供を殺したくなかったのに…」
アリスの語尾は重いものになっていた。不気味な静寂が舞い舞台を覆う。
「こう考えるとつじつまが合うの。竜には使命が有って、それを成す為の機能を植え付けられた、これは初めに言った事ね。この使命がオーロラを作る事。まあ、正確な所は謎なんだけど。で、そのための機能が何かを吸い込んで上空に吐き出す力」
ざわり。いやな感触を光とアカネは強く思った。
「もう一つの機能が、オーロラを作れなくなった種を淘汰する機能」
がたん。光が立ち上がっていた。
「そんな。それってまるで」
光の驚愕、いや、驚いているが只驚いているだけなく裏側に思い悲しみを抱いている顔を見て、アカネは心配になった。
あの竜に感情移入していた光の姿。その儚さを。
「光お姉ちゃん」
おそらくスーツ越しで聞いたアリスも光と同じ思いを抱いたのだろう。
「そう。まるで呪いよ」
アリスの声が響いた。光は座り直した。
「種は進化する。突然変異や新しい機能を身に付けたり。その結果、もし、オーロラを作れない竜が生まれるか、オーロラを充分作れない竜が生まれたら」
舞い舞台の全員がアリスが言うその先の意味が判った。
「自分の血族を皆殺しにして、オーロラを作れない竜の種を断つ為の呪いが発動する」
すう、と息を吐き出すと、雫は静に言った。
「それが竜の呪い、か」
鬼が憑くより始末が悪い。
雫の脳裏に礫の言葉が蘇った。
「竜も悩んだり後悔したりする、って事なんだよぅ」
さぞかし無念であった事だろう。呪いの所為とは言え、己が子供を手にかけなくてはならなくなるとは。
雫は光を見た。
光は両拳をひざの上に乗せると、わなわなと打ち震えていた。
「アリスさん、青い竜の子供たちを助ける方法は!」
光は強い言葉を放った。
「ひとつは、オーロラを作れなくなった原因を突き止めて、治す事。ただ、これはとても難しいと思う。動作原理が分からない上に、どこが壊れてるかも不明だし、子供によっては壊れていない、つまり、遺伝されていない可能性も有るから」
一度言葉を区切ると、アリスは続けた。
「もう一つは、青い竜の子供から呪いを解き放つ事。事が呪いなら、巫術師のテリトリー。未知のテクノロジーを相手にするより、ずっと確率が高い」
光の目には決意に満ちた強い光が宿っていた。
「それに、その子達の子孫はもう決して黒い竜にならなくて済みます!」
そう言うと、光はアカネの方に向き直った。
「アカネちゃん、お願い。あたしあの青い竜の無念を晴らしたいの。お母さんなのに子供を殺さなくっちゃいけないなんて残酷な事、もう繰り返したくないの。あおの青い竜の子供たちを助けに、一緒にまた竜の星に行って!」
光はアカネに一気にそう言った。目には涙が浮かんでいる。
「もちろんです。光お姉ちゃん。あの小さい竜が黒い竜になって、そんな辛い思いをするなんて、あたしも嫌!絶対に嫌!」
二人が今にも竜の星に行きそうになっている様子を見て、雫が言う。
「その意気や良し。しかし、何事も準備が必要だ。そうだなアリス」
ふっという小さい笑みと判るアリスの吐息が聞こえた。
「流石雫ね。そう、準備が要るの。だからその準備ができるまで、待ってね」
光とアカネの二人が、でも、という顔をする。
「今、竜の星に行って、どの竜が青い竜の子供か、如何にして探す」
光とアカネの二人の顔に、あ!!、という表情が浮かんだ。
「そう。それの準備。新規に作らないといけない機材がそこそこ有るから、少し待って欲しいの。急いで作るから」
光の脳裏に、あのナーグ氏がすごい勢いで何かを作っている様子が浮かび上がった。
ふう、と光は息を吐き出すといつもの口調で言った。
「落ち着きました。アリスさん。急いでは欲しいですけど、焦らずに待てますから、サーバントさん達、あんまり働かせすぎないでください」
アリスが少しの間の後言った。
「優しいわね、光ちゃん。焦らず着実に作るから安心して」
アリスはそう言うと、光とアカネの目の前に、青い竜から離れた青い気脈、その一部が封じられる様子が映し出された。
「さて、もう一つの重大案件。この青い竜の気脈。これどうしたものかと、アリスお姉さんは、とっても考えあぐねているのよね」
アリスの重々しい言葉に、アカネは懐に仕舞っているその気脈の入った圧縮くんをぎゅっと握りしめた。
■竜の気脈
「とすれば、アリス。事が気脈霊脈の事となれば、それは此方の領分」
そう雫は言うと、穏やかな微笑みを浮かべると、アカネに手を差し伸べた。
「それから気脈を出してごらん」
雫のその言葉に、アカネは圧縮くんを懐から取り出した。
「アリスママ、どうやって出せばいいの?」
「先端に出っ張りがあるでしょ。それを押している間、ゲートが開くから、気脈を操るのよ」
アカネは左手でまるで乾電池のような圧縮くんの+極のような出っ張りを押すと、扇を振る。
途端、青い霊脈が現れた。
雫はその様子をじっと視ていた。
「なるほど。確かに人の気脈と違う。竜の気脈と言うのは的を射ている」
雫も扇をとり出すと、招くように扇を振った。
青い気脈が雫に近づく。
雫は扇の先でその気脈に触れると、暫し目を閉じた。
目を開いて言う。
「この気脈、鬼とは違うが、思いが宿っている」
アリスの息を呑む音が聞こえてきた。
「まさか!雫それって!」
雫の言葉にアリスが驚いている。
光もその意味が判った。
セリスの記憶を持つアオイもその意味が判った。
「そして、この気脈はアカネを選んだ」
雫は立ち上がると、アカネに立ち上がるように促した。
「アカネ、一つ覚悟を聞く。女神となる覚悟だ」
アカネは何を言っているのか良く判らなかった。
不安になってアオイの方を見る。
アオイは少し悲しそうな顔をしていた。
これがこの子の運命かも知れない。それに既に人を止めてるようなものだもの。アリス・ゴールドスミスの娘で巫術師、しかも時の女神以上の力。もう既に人の範疇を超えてるもの。
神となれば、人と異なる者となる。その例をアオイは知っているからこそ、自分にそう言って納得させていた。
「大丈夫よ。アカネ。怖い事は何もないわ。その気脈を受け入れたら、あなたは女神になるの。雫さんやアリスママや光ちゃんと同じ女神に」
雫はアカネに優しく言った。
「この気脈には『助けたい』という思いが溢れている。女神となったものは、そういう気脈と混ざり女神となった」
青い竜は子供を助けて欲しいとあたしを呼んだ。死んだ後もたぶん子供の事が気掛かりで、もう一度あたしに助けを求めて、気脈の一部が残った。
だとしたら、これはもう運命、というしかないもの、じゃない!
「判りました。アカネ・ゴールドスミス、慎んでその気脈、承ります」
雫が扇を振ると、青い気脈はアカネの胸元に吸い込まれた。
途端、アカネの髪が深紅の光を放った。舞い舞台が紅い光に染め上げられる。
やがて光が収まると、雫は静に言った。
「アカネ。其方の女神としての名を授ける。玄雨茜、それが其方の女神としての名だ」
そう言うと雫はアリスに言った。
「さてアリス、二つ名は何とする」
「決まってるじゃない、『竜の女神』、よ」
雫は静かに微笑んだ。
「アリスの意匠の趣味にしては、格段の出来栄えだ」
何言ってるの雫、あたしのネーミングセンスはいつも最高です〜、という女神のリンクの声をアカネは聞いていた。
■朔
再び竜の星へ行き、青い竜の子供たちの呪いを解く、その準備が始まった。
まず、アカネは光とアカネが装着していたスーツを再調整の為にアリスに返しにアリスの元へ。
手伝いたいというアオイもアカネと一緒にアリスの元へ行った。
そこで、青い竜の子供たちを探す方法を三人で検討し始めた。
光は雫から、呪いを解く方法について玄雨神社に有る書物庫からそれこそありとあらゆる解呪の方法を学ぶ事になった。
光もアカネも意欲は高い。
光とアカネは毎夜、寝る前に互いの報告をリンクでするのが日課となっていた。米国のアカネとは本来時差があるが、出発するのは玄雨神社。アカネの生活リズムは日本時間に整えられていた。
集中して準備する内、瞬く間に半月が過ぎた。
そして朔の夜、すべての準備が整い、アカネは戻ってきた。アオイは元より見送りたいというアリスも一緒に。
「それでは、行って参ります。雫さん、アリスさん、アオイちゃん」
「行ってきます。雫さん、アリスママ、お母さん」
二人は手に手を撮る。
「一度行っているから、道が出来ている。糸無しでいける筈だ」
雫の言葉に「はい」と応えると、二人の姿は消えた。
「雫、光ちゃん…」
「気付いたかアリス」
「ええ」
「青い竜の子供たちを助ける、その思いが、灯の事を忘れさせているようだ」
アオイは灯も光も知っている。
光の胸の奥に居ても、触れ合う事も語り合う事も出来ない光の双子の姉の灯。
アオイはその寂しさ、悲しさを思いやり、光の事を想った。
頑張って、光ちゃん。
■竜の星
『さて、もう充分に計画の内容は知ってると思うけど、再確認よ』
メタアリスの声が光とアカネに届いた。
二人は前回同様飛翔の術を使い宙に浮いていた。空にはオーロラがいくつも輝いている。
『まず、持ってきたマイクロドローンを放ってこの星の視覚情報の収集と、「空の穴」のターゲットポイントの用意ね』
光は巫女装束の懐から小さい小箱をとり出した。その表面を撫でる。
箱は細かい粒子に分解すると、四方に散って行った。
その細かい粒子がマイクロドローンでモニターした映像がスーツ経由で光とアカネの視覚系で見る事が出来るようになる。それを使い青い竜の子供を特定する。
アカネはその装置の機能についてアリスやアオイと話しあった事を思い出していた。
「小さい竜の顔を見て、青い竜がお母さんってあたしは判ったから、竜の顔認証を使ったらどうかな?」
良い方法だとアリスも思った。だが。
「ちょっと問題があるとすれば、ね、人の顔認証のノウハウはもう充分に有るけど、竜となると顔の骨格からして違うし、アカネちゃんと同じ認識能力を可視光線の視覚だけで判断するのはちょっと難しいかも。アカネちゃん多分無意識に気脈も読んでたと思うから」
そうかも、とアカネは思った。
巫術師は気脈を読む。それは遺伝子を読むのとも近い。近い親族の気脈はやはり似てくる。
「だとすると、視覚情報だけで認識できる他のものって何かある、かしら」
アオイが考え込んでいる。
アカネは思い出した。
「あ!黒い竜!どうしてオーロラが出ると、寄ってきたのか判った!」
その言葉でアリスもアオイも判った。
「なるほどね〜。オーロラの形、いえ、その色彩を含めた形状に固体特有の特性があるんだわ」
アオイも深く頷いている。
クモの巣には、そのクモ特有のサインとでも言うべき糸の張り方がある。それと同じように龍が作るオーロラにも、その竜固有のサインがあると、アリスは言っているのだった。そして、そのサインは。
「その固有の特性は、血族の間で類似している!」
そうと判れば!という顔をしてアリスはサーバントリンクに指示を出した。
アカネの夢の記憶、竜の星のメタアリスの記憶、それを解析して青い竜が見つけた自分の子供固有のオーロラのサインを見つけ出すように。
もう一つの機能、「空の穴」のターゲットポイント。
これはアリスが雫と話しあって作り上げた機能。
時の女神、竜の女神が成す「空の穴」の出口は、気脈を目印として形作られる。
出たい場所に出来るのではなく、誰かの所に出来る、という事となる。
そのため、誰も居ない所に飛ぶには、一度「無しの扇」をその場所に作り、それを目印に出口の「空の穴」を作る、という手段となる。
竜の星は地球と同じくらい広い。
「無しの扇」はどこにでも作る事が出来るが、場所の精度はその場所を知っているかどうか、その場所の位置を判っているかどうか、その場所の詳しい心象を持っているかにかかっている。
竜の星は未知の惑星。充分な事前調査や場所の学習を行うには時がかかり過ぎる。
そこで考え出されたのが、マイクロドローンに雫の気脈をほんの少し封じ、それを目印にする方法だった。
『でも、雫ぅ。そしたらあちこちに雫の気脈が有る事になって、出口の「空の穴」を作る時、術者が混乱しない?』
舞い舞台の雫はにっとと笑うとアリスのリンクの声に応えた。
『そこはアリスの科学力の出番。例の圧縮くんと同じように、密封すれば気脈を感じる事はほとんどない』
『なる〜!流石雫ぅ!あたしの科学力サイコー!』
このセリフを聞いて雫がはあとため息をついた事は言うまでもない。
マイクロドローンに雫の気脈を超小型の圧縮くんに封じる。移動したい場所に有るマイクロドローンに信号を送ると、その圧縮くんの密閉が解放される。すると、雫の気脈が巫術師に感じられるようになる。それを目印に出口の「空の穴」を成す、というワープシステムが完成したのだった。
『解放された気脈は極少量。数秒もすれば霊脈に溶けて区別がつかなくなる』
このマイクロドローンを使ったワープシステムのテスト、というよりも訓練は月面で行われた。
雫の極僅かな気脈を感じる事。そしてすぐに出口の「空の穴」をそこに成す事。
時の女神である光はもちろん、女神となったアカネも遠い所にある気脈も近い場所と同じように判別出来るようになっていた。
訓練は事無く成功裏に終わる。
マイクロドローンが竜の星中に散らばる間もオーロラによる青い竜の子供の固体認証は続けられていた。
「一体発見。青い竜の子供よ!」
メタアリスの言葉に光とアカネは互いの顔を見ると頷く。
「さあ、始めましょう。作戦名『青い竜の子供達を救え』開始!」
「はい!」
二人は同時に応えると、空の穴の舞いを舞い、消えた。
■竜の言葉
マイクロドローンが認証したオーロラが見える。
そして、そのオーロラを作っている光を下に追って行くと。
「居た!あの小さい竜だ!」
アカネが声を上げた。
ほんとにアカネちゃん、竜の見分けができるのね。
光は感嘆に似た思いを抱いた。
二人は高度を下げて、竜に近づいた。すると竜も二人を見つけた。首を持ち上げ、二人の方向を見たのだ。空のオーロラが消えて行く。
「え?」
アカネが驚いた声を上げた。
何が起こったのアカネちゃん…。
アカネがまるでアリスがサーバントリンクと話す時のように、こめかみに左手の人さし指と中指をくっつけている。
何かと話をしている?
光はそう思った。
『言語解析が終了。翻訳した内容を言うわ』
光が混乱するような事をメタアリスが言い出した。
何?どうなってるの?
『あ、光ちゃん、やっぱりあの竜達、電磁波でコミュニケーションしてたの。アカネはあの竜の気脈と交わったから、それを受信できるようになったのよ。今分かった事だけどね。で、その受信内容をアカネの脳領域から読み取って、言語解析して翻訳したの。これで説明充分?』
ちょっとぽかんとする光。がすぐに自我を建て直す。
「はい。理解できました。何を言ってるか教えてください」
『じゃ、言うわね。キャラクターが違うからちょっと音声を変えるわ』
光とアカネの頭の中に、小さい子供の声が聞こえてきた。
『ありがとう。僕のお母さんを苦しみから解放してくれて、とても嬉しい』
光とアカネの胸に強い感情が湧き上がった。
ああ。
ああ。
判っていたんだ。判っていたんだ。
アカネは夢の記憶を思い出していた。
じゃあ、あの時、殺された小さい竜は、殺そうとしていた相手が自分の母親で、しかも、その苦悩を知っていたんだ。
なんてこと!
なんて呪い!
なんて酷い!
こんな事って無い!
光とアカネは自分の中にそんな想いが響き渡るのを感じた。
二人とも下唇を噛み、目に涙を浮かべていた。
「アカネちゃん」
涙声で光はそう言うと、左手をアカネに射し出した。アカネが左手を添える。
「この子達の呪いはこれで打ち止め」
凛とした声で光が言った。
光は右手に持つ扇を天に向けると、青い竜の子供に向かって緩やかに降り下ろした。
風とは違う気脈が小さい竜に向かって流れて行く。
その気脈が竜に触れた途端。
小さい竜の体は青白い光を放った。
光は自分の中の記憶から、その光が呪いが解けた際の気脈の光だと判じた。
「呪いは解けたわ。アカネちゃん」
光はアカネの方を向くと、そう告げた。
アカネも見つめ返す。
「ありがとう。光お姉ちゃん」
二人は相手を握る手にやさしく力を込めた。
『はいはーい。その事を小さい竜に伝えても良い?』
突然メタアリスがそう言った。
え?
できるの?
そんなこと!
『あたしを誰だと思ってるの!超絶最高の科学技術で構築されたメタアリスなのよ。それくらいできなくて、どうするのって。さっきの二人の思いを感じて、電磁波出力系を再調整したのよ!』
すごい。ほんとにアリスさんみたい。
ほんと。アリスママみたい。
意地悪で人弄りが大好きで、わがままで、すぐ怒る。
でも、本当は臆病でさみしがり屋で、思いやりがあって、心の温かい人。
アカネは何かの音が流れているように感じた。
あ、これが多分、竜の言葉なんだ。
「あなたのお母さんを黒い竜に変えた呪い。同じ呪いがあなたのなの中にもあった。私たちがそれを解いた」
メタアリスの声がそう言った。
『ありがとう。お母さんもそれを望んだ筈。僕を救ってくれてありがとう』
子供の声がそう響いた。
光もアカネも胸がいっぱいになった。
『あなた達はどこから来たの?』
子供の声が響いた。
『光ちゃん、アカネちゃん、そのまま言えば、あたしが翻訳して竜に伝えるから』
二人は顔を見合わせると、うん、と頷いた。
「あたし達は地球という遠い星から来たの」
「あなたのお母さんが、あたしに助けを求めたの」
「だからあたし達は、あなた達を助ける為に、この星に来たの」
アカネはメタアリスが翻訳した竜の声の音を聞いた。
『あたし達はこの星の事を、竜の星ナーグって呼んでるわ』
とメタアリスは言った。
ちょっと光がえ?という顔をした。
「そんな固有名詞、翻訳できるんですか?メタアリスさん」
『まあね。そこは気分で』
適当だー!
『ま、良いじゃない。スーツの調整とかマイクロドローンの開発とかその他もろもろ超特急で仕上げてくれたナーグに感謝する意味で、竜に伝えたのよ。きっとアリスもそう望むと思ってね』
光はちょっと胸が暖かくなった。
アリスさんからのご褒美の前払い、後払いもあったという事ね。
『ナーグ、良い響きです。これからそう呼ぶ事にします』
子供の声が響いた。
アカネが目で合図した。
二人は高度を下げて、小さい竜の頭の側に寄った。
アカネは小さい竜の頭を撫でた。
光も同じように撫でる。
アカネが撫でながら言った。
「あたし達は、あなたの兄弟達の呪いを解きます」
「必ず!」と力を込めた声音で光が続けた。
二人は上昇すると、消えた。
小さい竜は二人が消えたその場所をしばらく見つめていた。
■全部の竜を!
光は次々に竜の呪いを解いて行く。
次第にその胸の内にある思いが強くなって行く。
何かの理由で黒い竜が生まれるかも知れない。青い竜の子供たちは救えても、他の竜がそうなるかも知れない。
そんなの嫌だ。なんとかしたい。
竜を見つけると「空の穴」を開け、呪いを解く。
竜が見つからなくなると、マイクロドローンが星中に広がるのを待つ時を飛ばす為、数時間先の未来に飛ぶ。
こうして竜の星中にマイクロドローンが散らばり、そして、竜は夜しかオーロラを作らないという事を考慮に入れても、もう、呪いを解いていない青い竜の子供は居ない、という結論が出た。
『青い竜の子孫の特徴と思われるオーロラと、呪いを解いた竜の個体識別の記録は完全に一致したわ。つまり、作戦終了ね』
そうメタアリスは告げた。
「やったー!」
光とアカネは浮遊したままハイタッチする。
心底嬉しそうにするアカネに比べて、光の喜びには曇りがあった。
『どうしたの?光ちゃん』
その心理を読み取って、メタアリスが光に尋ねた。
言ってしまおう。
「あたし、この星の竜全部の呪いを解いてしまいたい。そう思うようになったのよ。竜の呪いを解いて行く内に…」
「光お姉ちゃん」
「でも、どうやったら良いか、全然方法が判らないの…」
そうか。黒い竜がもう二度と現れないようにするには、青い竜の子供たちの呪いを解くだけじゃダメなんだ。
アカネは自分の頭をコンと軽く叩いた。
「気がつかなくてゴメンナサイ。光お姉ちゃん。光お姉ちゃんの言う通りだよね。全部の呪いを解かないとダメなんだ」
アカネも考え込むが、方法が分からない。
何しろこの竜の星にいる竜は少なく見積もっても数百万頭は居るのだから。一頭ずつやっていてはあまりにも時間がかかり過ぎるし、その間に黒い竜が現れないとも限らない。
『二人とも何悩んでるの?方法は一つよ!』
メタアリスの声が響いた。
「え!?」
二人同時に声をあげた。
『そんな事は新米女神と中級巫術師が考える事じゃないの。ま、能力が高い事は充分承知してるけど、そういうのは、ほら、言うじゃない、亀の甲より年の功って!』
光とアカネは顔を見合わせた。
「雫さんだ!」
雫さんに聞けば、きっと判る。その方法が!
『こらこら、もう一人大事な人を忘れてるわよ。きっと怒るわ。今のところ体験したら』
二人ともぎょっとなった。
アリスさん。
アリスママ。
確かに怒る。きっと怒る。
『それにね、あの二人が組んで出来ない事なんて、ほとんど無いのよ』
光は思い出した自分の中にある記憶で、その言葉をアリスが口にしているのを。
『ま、体験の方は何とかするから、はい、さっきの雫さんって所から、テイクツースタート!』
え? ああ、やり直しって事ね。
二人は目配せすると、一緒に言った。
「雫さんとアリスさんだ!」
「アリスママと雫さんだ!」
二人は頷きあうと、手を繋いだ。
「戻ろうアカネちゃん」
「うん。光お姉ちゃん!」
浮かんでいた二つの人影は消え、後にはオーロラ輝く夜の星空だけになった。
■蛙仙人の助言
「光、アカネ、二人の言う事は判った。さてどうしたものか」
光とアカネは玄雨神社に戻ると、メタアリスの提案通り、雫とアリスに相談したのだった。
すべての竜の呪いを解きたいと。
「流石にこれは難問だわ〜」
アリスの声が響く。
雫、光、アオイ、アカネの四人は例によって玄雨神社舞い舞台下手袖に集まっている。
「一度に数百万もの竜から呪いを解く、その方法か」
雫もまゆ根を寄せて考えている。
雫さんでも難しいのかな。
そうみたいね。
アカネと光は顔を見合わせた。
その時。
アオイの懐からころり、と蛙の焼き物が転がり落ちた。
ころころと転がり、座の中央で止まる。
ふわり、と蛙の焼き物の背の上に蕗の葉を持った蛙の仙人の姿が現れた。
『数百万、八百万と同じくらいの数ですな雫殿』
雫は蛙仙人を見ると、珍しい事もあるものだ、と思った。
「何か考えでもおありか?蛙仙人」
蛙仙人は蛙の焼き物の背から降りると、雫の前まで歩いて行った。
『いえいえ、雫殿が解けぬ問いを儂が解ける筈が御座いますまい。おそらくその問を難問としているのは、一人で行おうとしているという前提ではあるまいか、と思った次第。何かのお役に立つやも知れぬと、まかり出でただけに御座います』
その言葉を聞いて、雫はぽんと閉じた舞扇でひざを叩いた。
「流石は蛙仙人。良い目の付け所だ。依り代、だな」
蛙仙人はまたすたすたと歩くと、蛙の焼き物の上に戻った。
『儂は九十九神。蛙の焼き物を依り代とした霊脈。ただその事でそう思っただけで御座いますよ』
そう言うと九十九神蛙仙人の姿は消えた。
アオイは蛙の焼き物を手に取ると、大事そうに懐に仕舞った。
「マイクロドローンは竜の星全域に広がっている筈だな?」
雫はアリスに尋ねた。
「ええそう。少し分布にムラがあるけど、大体そんな感じ」
「判った」
「あたしの方からも情報ね」
「何だアリス」
「マイクロドローンには同期機能が付いてるのよ。ドローン同士がそこで得た情報を近くにいるドローンに送る。それを繰り返してどのドローンからでも特定の場所のドローンの情報が取り出せるの。今は竜の星全体を覆っているから、一種の情報ネットワークができてるのよ」
雫は黙って聞いている。
「でね。その通信媒介なんだけど、霊脈を利用しているの」
雫はその意味を知るとアリスの巫術の科学技術への応用に、驚嘆の念を禁じえなかった。
「なるほどアリス。既に準備は万全、という訳か」
「こんなこともあろうかと、という訳じゃないけど、まあ、どっちかというとリソースの再利用ね」
「あらたに機能を足し加えなくても、異なる用途が行えるというのは、素晴らしい限りだな、アリス」
「キャ〜〜。雫に褒められた〜。アリス感激〜」
「その台詞は余計だ。アリス、少しは謙虚というものをだな」
雫はちょっとだけ苦虫をか噛み潰したような面持ちをしているが、嬉しそうでも有った。
光、アカネ、アオイの三人は女神二人のなにやら面白い芝居を観てる気がして楽しげ、で、全部の竜の呪いが解けるらしい、という所までは判るものの、全体として何の話をしているか皆目見えていなかった。つまり、ぽかんとしている。
そんな三人を見て、雫は柔らかく微笑んだ。
「竜の星の竜全部を、事によっては竜の星の生き物全部の呪いを解く方法が見つかった」
その言葉を聞いて、三人は思わず身を乗り出す。
「光とアカネが竜の星に着いたら、スーツの機能を使い、マイクロドローンを同期状態にする。そして、アカネは近くにいるマイクロドローンと光を気脈で結ぶ。光は竜の星全体の竜の呪いを解く心象を持って、呪いを解く術を行う」
え、それだけで!?
光とアカネがそう思わずにはいられない程の単純な方法だった。
「光が行った呪いを解く術は、アカネが結んだ気脈を通じて一つのマイクロドローンに伝わる。そしてそれはマイクロドローン同士を結びつけている霊脈を通じ、竜の星を覆うマイクロドローン全部に伝播する」
ああ、そうか。
三人がそういう顔をする。
「つまり、全マイクロドローンを依り代にして、光の呪いを解く術を行う、という事だ」
そう雫は結んだ。
■竜の星
空の星空は、まるで宇宙にいるように感じる程の荘厳さを湛えていた。その空の所々にオーロラが広がっている。時折、クジラに似た鳴き声が響く。
宙高く浮かんだ巫女装束に身を包んだ二人の女神の内、赤い髪の女神がもう一人の黒髪の女神に扇を向けると、張るか上空へとその扇を振った。
黒髪の女神は目を閉じると、脳裏にこの星、竜の星の姿を思い浮かべると、扇を頭上に掲げ、そして緩やかに降り下ろした。
黒髪の女神の体から、青白い光の筋が天空に上ると、さながら花火の光が広がって行くように、天空に青白い光の筋が、次々に伸びて行った。見ようによっては蜘蛛の巣の様でもあり、雪の結晶が多数くっついた文様のようでもあった。
もし、天空、はるか彼方からこの星を視たとすれば、星全体が青白く光っている事が視えた事だろう。
天空は暫し青白く輝いていたが、その光は次第に薄くなり消えて行った。
気付けば、クジラのような竜の鳴き声は途絶えていた。
静寂が竜の星を覆ったかのようだった。
初め黒髪の女神が、次に赤い髪の女神が、遠くから聞こえてくる竜の鳴き声に気がついた。その声は次第に大きくなり、まるで、竜の星の竜全部が鳴き声を上げているように感じる程の大きさになっていく。
さながら竜の星自体が鳴き声を上げているようだった。
赤い髪の女神は、少し顔をしかめると、左のこめかみを押さえた。
「どうしたのアカネちゃん」
黙っている。
『この星中の竜が、歓喜の歌を歌っているの。とても大きな声で、嬉しそうに。ただ音量というか電波量が多過ぎて、アナネちゃんが頭痛を起こしちゃったのね』
星中の竜が喜んでいる!
『竜達にも判ったみたい。呪いが解けたって。こういうの心で判るものだと思うのよね。あたしに心が有るかどうかの証明は、なかなか難しいらしいけど』
いえいえ。メタアリスさんがチューリングテスト受けたら、絶対人間だって判断されるよ。
あ、難しいのは心を定義する方か。
竜の鳴き声はいつまで経っても終わらなかった。
まるで、夜の星の輝きを讃えるように。新しい未来が開けた喜びを噛みしめているように。竜の命の尊厳を讃えるように、いつまでも響いていた。
■餅つき
竜の星の呪いが解かれると、大晦日が近づいていた。
玄雨神社では、恒例の餅つきが行われ、出来立ての餅がアカネとアオイの手でアリスの元に届けられた。
親子三人がじゃれあい、お餅を食べている間、玄雨神社は雫と光だけになった。
餅つきの後片づけが終わると、二人は舞い舞台下手袖に座布団を敷いて座り、お茶を飲んでいた。
「光、一つの星を救い、自分の心の悲しみは癒えたか」
ずばり、と雫は聞いた。
湯飲みから立ち上る湯気を眺めて暫し黙る。
「いえ、やっぱり悲しい気持ちは変わりません。やっぱりあたし灯お姉ちゃんに会いたい。一緒に居たい。話がしたい」
雫を見つめて、光は一気に喋った。
暫し黙る。
「でも、それは願っても叶わない思い。悲しみはありますけど、諦めも」
つきました、と光が言おうとしたその時。
舞い舞台前の境内に、その姿が現れた。
先に気がついた雫がその姿に目を見張る。
雫が目を見張ったのを見て、光は言葉を止め、雫の視線を追う。
そして光の目が捉えたその姿は。
「あ、灯お姉ちゃん!?」
境内には、巫女装束に身を包んだ六歳くらいの少女が立っていた。
■玄雨灯
巫女装束の少女は、緩やかに歩を進めると、ふわり、と舞い舞台に降り立った。
「光、永く待たせました。ようやく、この体を灯に返す事ができます」
少女は雫の元まで滑るように歩を進めると、ふわり、と正座した。その所作は、まるで重力の鎖から解き放たれているようだった。
「日の本の国の神、玄雨雫様。お預かりした弐代目玄雨純、灯の体、お返しにあがりました」
雫はその少女が先の言葉を言うのを黙って待っている。
「玄雨灯、この名もお返しする事となります」
雫は手に持っていた湯飲みを茶托と共に床に置くと問うた。
「体、名を返し、あなた達はどうなさるつもりか、お聞かせ頂きたい」
「無論」
玄雨灯はそう言うと、再び光の顔を見た。そして視線を雫に戻す。
「私たちは、どうしても滅んでしまった地球への想いを断ち切る事が出来ませんでした。永い時、地球に命が芽吹くのをずっと待っていました。本当に永い時を」
スーパーソーラーストームに焼き滅ぼされた時の線の時の二十三人の時の女神は、この時の線の地球を守る為、二十四人目の時の女神と力を合わせ、それを成した。
しかし、彼女達が生きていた時の線の地球は焼き滅ぼされ、すべての命は消えた。
その地球に新たな命が芽吹くのを、玄雨灯はそれこそ気の遠くなるほどの時、見守り続けたのだった。
しかし、命は芽吹かなかった。
「そこで」
玄雨灯は、一旦言葉を区切る。
「私たちは、命を生み出そうと企みました。それは二十三の時の線の内、一つの時の線の地球で上手くいきました」
そこまで言うと、玄雨灯はふう、と息を吐き出すと共に、肩の力を抜いたように見えた。
「私たちは気脈に戻り、その地球を見守って行きたいと考えているのです」
それに、と言うと、玄雨灯は光の方を見た。そして視線を再び雫に戻した。
「光の中の灯と私たちは繋がっています。だから、光がどれほど悲しみ苦しんだかを知っています。灯の体をお借りする時には思い至らなかった。その後悔を私たちは抱えていました」
だから、と言うと、玄雨灯は体の向きを光の方に向けた。
「この体、光の胸の内に居る、灯にお返し致します」
玄雨灯は再び雫の方に体の向きを向けた。
「灯に玄雨灯の名をお与えください」
玄雨灯はそう言うと、ぱたり、と倒れた。
まるで糸が切れた操り人形が倒れるような、そんな倒れ方だった。
光は今まで起きていた事が理解できなかった。
玄雨灯の言葉が、頭の中で木霊のように鳴り響いていた。
倒れている玄雨灯をぼう然と見つめているだけだった。
初め光が気がついた。雫も気付く。
睫毛が動いている。
やがてまぶたが開いた。そして、玄雨灯はゆっくりと体を起こす。それまでの重力を感じさせない動きとは異なり、体が重くて仕方ない、というような動きで。
周りが良く見えないというかのように、玄雨灯はあたりを見回す。
光の顔を認めると、言った。
「ひかり」
光は判った。姉が、いつも居る、だけど、触れられない、語り合えない、その姉が、灯が帰ってきのだと。
光は両手で口を覆うと、目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「灯お姉ちゃん」
灯は這うように進むと、光に抱きついた。
「大きくなったね、光。これじゃ、どっちがお姉ちゃんか判らないね」
ううん。と光は首を振った。
「悲しい思いさせてごめんね。ごめんね」
光は灯がぎゅっと抱きしめるのを感じた。触れ合える喜びを感じた。姉の言葉を聞ける喜びを感じた。姉が自分の言葉を聞いてくれる喜びを感じた。
声を出せずに光は泣いた。涙が止めどもなく溢れる。
「莫迦ね。そんなに泣く事無いのよ」
灯の声も涙声だった。
「お姉ちゃんだって、泣いてるじゃない」
二人は顔を見合わせた。二人の泣き笑いの顔に小さい微笑みが浮かんでいた。
■除夜の鐘
昼、玄雨神社に雪が降った。雪は降り積もり、境内は雪一面となった。
夕方から登った夕月の光は、夜になると一層、雪景色を浮かび上がらせた。
舞い舞台でそれを眺めながら、雫は一人雪見酒を楽しんでいた。
『雫、ちょっと良い?』
『なんだアリス』
雫はアリスの物言いが妙に神妙なのに気がついた。
『さっき気がついたんだけど、妙なのよ』
『話が見えないぞ、アリス』
『ゔ〜、まず先に謝っておく。きっと雫は嫌いだから、あたしがした事』
『まるで悪戯をした子供のようだな、アリス』
『怒らない?』
『そういう事にしておこう』
ちょっとほっとしたような気配がリンク越しに伝わってきた。
雫は盃をお膳に戻した。
『あのね、竜の星の竜の遺伝子サンプルを解析して、極少量だけど人工培養したのよ』
竜の星の竜という物珍しい素材を前に、知的好奇心旺盛でマッドサイエンティストのアリスがじっとして居られる訳は無かった。
『やっぱりな、アリスならやりそうな事だ』
『あ、予想してた?』
『してた。目の前に美味しそうなものがあったら、真っ先に食べるからな、アリスは』
『流石雫ぅ、あたしのコト良く判ってるぅ』
『巫山戯てると怒るぞ』
『わーゴメンナサイ。…でね、その人工培養した遺伝子群が入ったアンプルの一つが行方不明になってる事が、さっき判ったの』
なんだって。
『ウチの厳重なセキュリティをかいくぐって、アレを盗み出すなんて不可能。でも正規のルートで持ち出したものも居ない事はトリプルチェックして確実』
雫は話の筋が見えてきた。
『あたし、こんな事ができるの、玄雨灯、あ、二十三人の灯ちゃんの方の玄雨灯の仕業じゃないかと思うのよ…』
『そうすると、確かに辻褄が合う』
『だとすると、よ』
雫はアリスが何を言おうとしているのか察した。
『焼き滅ぼされた地球でアレを使ったとしたら』
『アリスはもしかしたら、竜の星は別の時の線、焼き滅ぼされた時の線の地球ではないか、と言っているのだな』
『…確証は無いのよ。竜の星で記録した夜空の星の配置とか、地球とかなり違ってるもの』
『だが、その可能性を捨てきれない、と』
『そうね。あの玄雨灯が関わっているとしたら、どんなに小さな可能性でも、あり得るような気がしちゃうのよね』
そう言うと、アリスからのリンクの話は終わった。
玄雨灯、二十三人分の時の女神の力を持つ時の守り神。
その巫術の力は歴代随一。
確かにあり得る話だと、雫は思った。
■エピローグ
雫が台所の隣にある八畳ほどの部屋、通称歓談部屋に入ると、大きめの掘り炬燵にアオイ、アカネ、光、そして灯の四人の姿があった。
玄雨灯が言ったように、戻ってきた灯に雫は玄雨灯の名を授けた。去った玄雨灯は灯の体におそらく一人分の神の資質を残して行ったのだろう。灯は女神に戻った。弐代目時の女神の復活と相成った。
光と灯はきゃいきゃいとじゃれあって、実に姦しい。
光は灯の口に餅をどんどん運んでいた。
「早く大きくなってね。お姉ちゃん、同じ年じゃないと、双子パワーが半減だから!」
「何双子パワーって、うぐ」
灯が餅を咽に詰まらせた。
「あ、ゴメンお姉ちゃん」
どんどんと灯の背中を叩く。
「痛い痛い! コラ光、お姉ちゃん怒っちゃうぞー!それ以前に大きくなるの意味が違う方に大きくなっちゃうじゃない!縦じゃなくて横に!」
「え、それはカンベン!ますます双子パワーから遠ざかるから!」
「光は体の年を止めちゃってるんだから、暫く待ってなさい。その内追いつくから。急に大きくなるのは疲れるのよ。実際」
吹き出しそうになるのを我慢しながら、雫は思い出していた。夜、雨の中、境内に二歳くらいの姿で現れた灯が、翌日には六歳程になっていた事を。
じゃれあう光と灯の姿を見つつ、蜜柑の皮をむきながら、やや、むすっとした感じで居るのはアカネだった。
小声でオアイが声をかける。
「もう、光お姉ちゃんを取られた子供みたいにいつまでもむくれてないの」
「分かってるわよ。分かってるけど、なんか胸に落ちないのよ。光お姉ちゃん、ちょっとくらいあたしと遊んでくれたっていいじゃない」
ぱくり、と蜜柑を一房口に入れる。
「もう、ホントに子供なんだから」
「すみませんー、アカネまだコドモですぅー」
はぁ、とアオイはため息をついた。
まったく、妙な所だけママに似てる。困ったものね。
あ。
「アカネ、前に尋ねた事、教えてあげる」
んー、という感じで興味なさそうにアオイの顔を見る。
「あなたのお父さんが誰かってコト」
途端にアカネの背筋がピンとなる。目がぱっちりとする。その上輝いている。
しっ、アオイが口の前で指を立てた。
「誰々!」と小声でアカネが尋ねた。
「良い?かなり込み入った話で、アカネが子供の内は混乱するから教えなかったのだけど」
「はい、アカネもう大人です。竜の女神になりました。だから大人です」
もう、さっきと言ってる事が違ってるわよ。このへんもママそっくり。
「玄雨純さんの事は知ってるでしょ」
「もちろん。初代時の女神。地球の危機を何度も救ったスーパースター」
「悪乗りし過ぎ。で、その女神が人だった頃の名前は知ってる?」
「?知らない。誰も教えてくれなかった」
「神峰純」
「ふーん」
「ここから大事な所、良く聞いてね」
「はいはい」
「はいが一つ余計よ。本当に大事な所なんだから。お母さんにとっても、アカネにとっても」
名前が違ったって、その神峰純さんが何だって言うのよ。お母さん。
「で、その神峰純くん」
?くん?くん?何?
「の女神になる前の写真があって、あたし一目惚れしちゃったの」
はぁ、何言ってんだ、って言いたい。言ってる意味が分からないよ!
「鈍いなぁ。神峰純くんは男の子。それから女神になったの」
はい?
アカネは目が点になり、頭が真っ白になった。鳩が豆鉄砲を喰らった顔、というのがあれば正にアカネがその顔をしていた。
「それでママに相談したの。あたし純くんの子供が産みたいって」
アカネは頭痛がしてきた。竜の声を大量に聴いた時みたいに。
「そしたら、ママ、できるよってさらっと言って、神峰純くんの体を調べた時に採取した精子を出してきたの」
え、え、え。
「どうやって入手したかはヒミツってママが言った時、あたし心の底からイラッとしたわ」
ゴメンナサイお母さん、今その気持ちあたしも味わってる。たぶん似たようなの。
「で、あなたとあたしが生まれたの。だからあなたの髪の色、黒いのよ」
重要な出生の秘密をさらりと言われてアカネの混乱は酷くなるばかりだった。
「だからね。光ちゃんと灯ちゃんは、あなたと姉妹、って事になるのよ」
え、何?この上さらに驚きの展開があるの!もう助けて誰か!
そんな娘の様子にお構いなくアオイは畳みかける。
「玄雨純さんは、人に戻って結婚して、東雲純さんになったのよ。分かった?」
東雲、東雲の眼、東雲光、光お姉ちゃん。
「光お姉ちゃん!?」
気がつくとアカネは大声を出して炬燵から立ち上がっていた。
その声に光と灯がアカネの方を向く。
「何?アカネちゃん」
ぼっ。アカネは真っ赤になると、「何でもない」と言ってすとんと座った。
「へんなの。でね、灯お姉ちゃん!」
と、また二人できゃいきゃいと話し始めた。
アオイが小声で言った。
「だから、異母姉妹、ん?違うな、異父姉妹?んこれも違うわ、とにかくあたし達はみんな姉妹なの。分かった?」
なんだかとても複雑な家族関係を打ち明けられて、混乱を通り越してどっと疲れたアカネは、炬燵の食卓台の上に頬を付けてぶつぶつ言っていた。
「分かった分かった分かった。なんだかものすごく疲れた」
そういうアカネの呟きは、遠くから聞こえてくる除夜の鐘の音でかき消された。
「明けましておめでとう!」
アカネを除く全員が新春の挨拶を始めた。
だがアカネはまだぶつぶつ言っている。
その様子に気がついた光がアカネの後ろからアカネの首に抱きついた。
「アカネちゃん、明けましておめでとう。なんとなくなんだけど、あたし、アカネちゃんがあの夢を見たお陰で、灯お姉ちゃんが帰ってきた気がするの。だから、ありがとう」
そう言うと、光はアカネを抱きしめた腕に優しく力を篭めた。
なんだか良く判らないけど、光お姉ちゃん、とても嬉しそう。
アカネはそっと、自分の首を抱く光の手に自分の手を添えた。
「光お姉ちゃん、明けましておめでとう」
機嫌の治ったアカネは光と灯に混ざると、きゃいきゃいとはしゃぎ始めた。まさに真に姦しい。
空いたアカネが居た場所に雫が入る。
「いつものアカネに戻ったようだね」
「はい、雫師匠」
「前から気になっていたんだが、アオイが雫師匠と呼ぶのに、どうしてアカネは雫さん、なんだ?」
親の言い方を子供はマネをする筈、と雫は疑問に思っていたのだった。
ちょっと顔を赤らめるとアオイは言った。
「だって、純お姉ちゃんは、雫師匠の事、雫さんって呼んでたし、あの子、純お姉ちゃんに似てるから」
もじもじと体を動かした。
なるほど、溺愛する道理だな。
雫はアオイに言った。
「良い子に育った。これも母の愛の賜物だ」
「…ありがとう。雫師匠。アオイ嬉しいです」
幾つか目の除夜の鐘の音が聞こえてきた。
それと同じくして、大層色っぽい声が境内の方から声が聞こえてきた。
「ぃよぅ、玄雨ぇ。一献傾けにやって来たよぅ」
雫は礫を迎えに、舞い舞台に向かった。
大層楽しいお正月になりそうだ。
雫がそう思った時、除夜の鐘が鳴り響き、再び雪が降り始めた。
ぱしゃり。水音がする。
天空の夜空は満天の星空に彩られ、それにオーロラが華を添える。
竜の星は呪いの頚木から解き放たれ、それぞれの種が進化を始めた。
遠い未来、竜から人型の種族が進化し、その一人がカヤックに似た乗り物に乗り、オールを漕いで、水面を進んで行った。
「竜はこの先です」
小さい光が漕ぎ手に囁く。
遠くから、穏やかな竜の鳴き声が響いて来る。
命の輝きをその声音に乗せて、生の喜びをその声音に乗せて。